記憶にございません。
人の命を救ったことがある。
一度目は森の中で行き倒れていたところを看病した。私には治癒能力があったけれど、相当な重傷で意識を取り戻すまでに三日かかった。
彼が目を覚ましたとき、たまたま遊びに来ていた従妹と一緒だった。
「君が助けてくれたのか?」と彼は瞳を輝かせながら言った。従妹を見つめながら。
従妹はとても愛くるしい容姿をしている。こんな可愛らしい人が自分を助けてくれたのかと彼はいっぺんに恋に落ちたようだった。だから、助けたのが私だとわかると気まずそうな顔をした。
二度目は、町からの帰り道。土砂崩れに遭って、体の半分が埋まっていた。意識がないようだったから、連れ帰り看病した。
その人が目覚めたとき、今度は私一人きりだったから誤解はされなかった。ただ、その後、様子を見に来た友人に好意を持ったらしい。回復するまで幾度か差し入れてくれた料理に感謝しまくり、あなたの料理のおかげで回復がはやい、命の恩人だ、と言ってお礼も私以上にしていた。
三度目は、以下略である。
感謝やお礼をされたくて人助けをしているわけではないけれど、こうもお前より彼女に助けてもらいたかった、みたいな態度を取られつづけるとやさぐれたくもなる。
人助けして女性としての自尊心を傷つけられるとかある?
「君が助けてくれたのか」
しかし、やはり目の前に倒れた人がいると放っておくことなどできるはずもなく、私は四度目の人助けをした。
「まぁ、そうなりますね」
彼はのっそり起き上がり私を舐めるように見た。不躾な視線とこれまでの経験で嫌な感覚を覚えたけれど。
「失礼、あなたにいくつものプロテクトがかかっているのが見えたので」
「プロテクト?」
彼は魔術師だそうだ。それも魔塔で研究室持っているかなり高名な。
そんな彼曰く、私にはプロテクトがかけられている。所謂保護魔法である。
「しかも、なんかちょっとヤバい系かも」
「ヤバいとは?」
「うーん、なんか、君への好意を捻じ曲げるような感じのものだね」
「それは保護ではなく嫌がらせでは?」
「あはは、たしかに」
彼は愉快そうだ。声を立て笑うものだから、お腹の傷に響いてうずくまるのを、少しだけざまぁみろと思う。
「アタタ……笑いすぎた」
「そこまで笑うことです?」
「いや、君の言う通り過ぎて。これをかけた人には保護魔法なんだろうけど……うーん、なかなか面白いね。面白いから、どうなるか解いてみようか?」
「え、そんな簡単に解けるんですか?」
「私ならできるよ。助けてくれたお礼に、解いておくよ」
そう言うと、彼はさっと私の顔の前に手を翳して呪文を唱え始めた。
身体がじんわり温かくなって、おなかの辺りがもぞもぞする。時間にして一分程度だろうか、やがて身体から熱と共に何が抜けていくのがわかった。
「はい、完了」
「ありがとう。じゃあ、私は解いてもらったお礼にご飯をご馳走しますよ。買い出しに行ってくるので、それまで休んでいてください」
病み上がりで魔力を使わせてしまった。疲れが出るだろう、と私が言うと彼は素直に従った。
家を出て、町に着いてまずはパン屋に寄った。ここは従妹の家でもあり、バゲットがとてもおいしい。干キノコが良い感じになっているのでシチューを作る予定だから、一本買っていくことにした。
店内は、イートイン用のスペースがある。入ると見知った人物がいた。行き倒れになっていたところを助けたことがあり、従妹に一目惚れして、この店に足繁く通っているーーガイルである。
何度か私もこの店で顔を合わせたことがある。
一応顔見知りだから、軽く会釈をしてからお目当てのパンの方へと歩みを進めた。
「買い物ですか?」
背後から声がして、ビクッと身体が震えた。
「申し訳ない。驚かせるつもりではなかったんですが」
振り返るとガイルだった。
話しかけてくるとは思っていなかったので、かなりびっくりした。
「こちらこそ、すみません」
「いえ……買い物ですか?」
「ああ、ええ。シチューを作るので、バゲットを買いに来ました」
「ああ、あなたのシチュー美味しいですよね」
そういえば、この人を看病しているときもシチューを作った。簡単だし、栄養も取れて、食べやすい。
「それはどうも」
私は礼を述べて会計をしにレジに向かう。
「すみませーん!」
声を掛けると叔母が姿を見せた。
「あら、いらっしゃい」
「こんにちは。このパンください」
叔母は手際よく紙に包みながら
「昨日の人は目を覚ましたのかい?」
「うん。さっき起きて、ご飯にしようと思って」
「それはよかった。それにしてもよくそれだけ行き倒れの人に遭遇するわね」
「私もそう思う」
「人助けはよいけど、変なことにまきこまれないように気をつけるんだよ」
三年前に両親が事故死してから、私は町から少し離れた場所で一人暮らしをしている。町中で幸せな家族の姿を見るのが辛くなり、一人になりたかったのだ。叔母の家族はそんな私を心配してくれたが、私の意思を尊重してくれた。
私は頷いて、包まれた商品を受け取り店を出た。
「待ってください!」
店を出てすぐ、ガイルの声がした。私へのものか一瞬迷ったが振り返ってみると目があった。
真っ直ぐ私のところに歩いてくる。
「なんでしょう?」
彼が立ち止まったので、尋ねた。
「さっきの話ですが」
「……シチューのことですか?」
「あ、そうじゃなくて、人を助けたっていう」
「ええ、そうなんですよ。何故か、私は行き倒れの人を見つけてしまうんですよね。治癒能力があるからから引き寄せるんですかね?」
それにしてもこの一年で四人とか、なかなかの遭遇だ。
「その人は男性ですか」
「そうですよ」
「そんな、危ないですよ。身元の不確かな男を家に入れるなんて」
ガイルは真剣だった。心配してくれているのだろうから、それはあなたも同じだったのでは? という言葉は飲み込んだ。
「そうかもしれませんが、行き倒れている人は放置できませんし。身の危険を感じたらテレポートが発動する魔術ブレスレットも身につけてますから平気です」
流石に私もなんの対抗策もなく、見知らぬ、それも男性を助けたりはしない。
「ですが、万が一ということもありますから、一緒に行きます」
「え」
どうしてそんなことを言い出すのか、私は困惑した。というのも、以前にも同じシチュエーションがあったから。
あれは、三番目の人を助けたときだ。あのときも買い出し中にパン屋に寄ったら彼がいた。従妹も一緒で、彼女が声をかけてきて、私が行き倒れの人を看病していると話すと、本当によく見つけるわね、と感心された。私たちの会話を聞いていたガイルは特に口をはさんでくることはなかった。それなのに、急にどうしたのか。
「いえ、別に平気です。それよりミーナと約束があるのでしょう? そちらを優先させてください」
「それより、あなたのことが心配ですから」
「はぁ……」
この変わりようは何? 不気味だったので、「結構です」とやや強めの口調で拒絶して逃げるようにその場を去った。
彼は追いかけてきたが、土地鑑は私のほうがある。無事にまくことができたが……一体なんだったのだろう?
不思議に思いながらも、残りの買い物をすませるために商店に向かった。
その途中、二番目に助けた人と、三番目に助けた人にもでくわした。彼らもまたこの町に好きな相手がいるから頻繁に来ているのは知っていたが、私と顔を合わせても会話することもなかったのに、今日に限って話しかけてきたのだ。そして私の現状を知ると、ガイル同様についてくると言い出して、逃げるのに苦労した。
「プロテクトを解いたからだろうね。本来なら君に向けられるはずの好意が捻じ曲がっていた。それがなくなり君に向いたんだよ」
帰宅したら私の顔が不信感に満ちていたからか、魔術師がどうしたのか聞いてきたので、町であった出来事を話すとそう返ってきた。
「なる、ほど?」
「なんだい。嬉しそうではないね」
「だって、今更ですよ。プロテクトのせいだったにせよ、私より他の女性が良いと見せつけられことをなかったことにはできませんし。それに彼らの好意は吊り橋効果みたいなものだと思いますよ」
「うーん、なかなか手厳しいね」
「夢見る乙女気分は打ち砕かれましたから」
私も、うら若き乙女である。容姿の整った男性を助けて、そのまま恋をするなんて物語みたいな出会いに憧れを持っていないわけではなかった。でも、現実は甘くなかった。一度、二度、繰り返していく中で、私は現実的になったのだ。
「それはプロテクトをかけた者の功罪だね」
「……一体誰がかけたんですか?」
あまり気にしていなかったが、私の恋路の邪魔をされてたのだ。そんなことされる心当たりはない。みんなに好かれているとは思わないが、そこまで恨まれる覚えはなかった。
「すぐわかると思うよ」
魔術師は楽しげに笑っていた。
それから三日後の夜である。
「アンジュ!!!」
ノックの音もなく、バンって勢いよく扉が開いた。私はちょうど眠る前で、戸締りの確認をしたばかりだったから、動揺した。
「どういうことだ!?」
「それはこちらの台詞よ、エイベル! 鍵をかけていたはずだけど!」
私は入ってきた人物が知った顔だったから安堵して、同時に怒りを感じた。
エイベルは幼馴染みだ。十五の時に騎士団に入り、そこでソードマスターの資質に目覚め、一年前に冒険者となり町を出て行った。
「そんなことより、どういうことだ?」
「そんなこと? 人の家の鍵を壊しておいてあんまりな言い草だと思うのだけれど」
「鍵なんてなくてもこの家にはプロテクトをかけてあるから悪意ある者は入れない」
「プロテクト? じゃあ、あなたが私に嫌がらせしていた犯人なの?」
エイベルとは仲が良いと思っていた。私の両親が亡くなったときも、一番親身になって慰めてくれた人だ。
だから、彼が旅立つと知ったときは悲しかったが、彼の人生を思うなら笑顔で送り出すべきだと自分に言い聞かせた。
「どうして、そんなひどいことを……」
信じていたのに、裏切られた気分だ。
でも、私以上に彼の方が憤っていた。
「嫌がらせ? そんなことはしていない。君に変な虫がつかないようにしていただけだ」
「……変な虫って、あなた私の父親にでもなったつもり?」
「まさか! ただ君に言い寄る不埒者がいなくなるようにしていただけだ!」
「だから、どうしてそんなひどいことを!?」
「どうしてだって? 君が好きだからに決まってるじゃないか!」
「え」
「俺が旅立つ前日に、ソードマスターとなって帰ってくるから待っていてくれって。そしたら君は頷いてくれたじゃないか。でも、いくら君にその気がなくても、相手が強引に迫ってくるとも限らないから、君に好意を持つような者から君を守るプロテクトをかけていたのに、それが解かれたから何かあったんだと飛んで帰ってきたんだぞ」
「なにそれ、知らない」
いや、待って。たしかエイベルが旅立つ前日に、二人で飲んでいた。私は寂しさを我慢するために結構飲んで、気づけば朝で、家のベッドで眠っていて、起きたときには彼はすでに出立していた。こんな別れになるなんて、と後悔したが、いっそうこれくらいあっけない方がよかったかもと自分を慰めた。
「ごめんなさい。覚えてない」
「はぁ?」
「あなたから、そんなこと言われていたなんて覚えてなかった」
「つまり、俺と恋人になった自覚はなかったってこと?」
「というより、もう会うことはないのかもと思っていたくらいだった」
私が告げると、エイベルは真っ青な顔になり頭を抱え込んだ。それから、
「つまり、誰か他の奴に言い寄られたら、そいつと恋人になっていたかもしれないってことか。プロテクトをかけておいてよかった。本当によかった。……いや、よくない。どうしてプロテクトが解けたんだ? まさか、もう誰かと恋を?」
ぶつぶつつぶやいていたかと思うと、彼は急に大きな声をあげて私に詰め寄ってきた。
「プロテクトを解いたのは私ですよ」
振り返るといつの間にか客室から出てきた魔術師がいた。
「誰だ? なんでこんな夜中に、この家にいる?」
エイベルの放つ空気がぐっと冷えた。明らかにまずい雰囲気だ。
「道で倒れていたところを助けてもらったんです。私は魔術師なので、そのお礼に、奇妙なプロテクトがかけられているのを解いてさしあげたんですよ」
「……得体の知れない魔術師を泊めたのか?」
エイベルは魔術師の登場に驚いていたが、彼の発言を聞いて私に向き直った。
「いや、だって、私はこれでも治癒者だし、行き倒れになっている人を見過ごせなかったのよ」
「だからって!!」
エイベルはわなわなと唇を震わせた。恋人が自分の知らないところで他の男性を家に泊めていたなんて許せなくて当然だ。私だって、もし恋人がいたならもう少し違った対応をしていたかもしれない。独り身だし、問題ないと軽く考えていたのは事実だ。
「ちなみに、この一年で彼女が助けたのは私を含め四人ですよ。みんな彼女に好意があったようですが、あなたのプロテクトのおかげで、彼女へ直接向けられることはなかったようです。ただ、私が解除したせいで、それも時間の問題かと」
どうして魔術師は煽るようなことを言うのか。
案の定というか、彼の纏う空気はどんどん重く冷たくなっていき、
「アンジュは俺の恋人だって早々に話をつけなきゃな」
と不敵に笑った。
その目は完全に危ない領域に到達していて、私の冷や汗はとまらない。
どうしてこんなことに?
え、これ私が悪いの?
でもでも、付き合っていたというなら、手紙くらいくれたらよかったじゃない? 定期的に連絡をくれていたらーーなど言えるはずもなく、私はただ引き攣った笑みを返すしかなかった。




