秘密は春風に暴かれる 解決編
翌日の朝十時。わたしは廃屋敷に向って歩を進めていた。
連太郎が廃屋敷の真相を突き止めたのだ。曰わく、ほぼほぼ間違いないようだ。今日ですべてが明かされる。京介さんが廃屋敷に出入りしていた理由。そして誰かさんの正体が。
連太郎に訊いたところ、集まるメンバーはわたしと連太郎、そして梨慧さん坂祝、木相先輩と……なんとびっくり木相京介さんの六人。プラス……何故か、
「ねえ、お父さん、どうしてついてくるの?」
「だから、間颶馬君に呼ばれてるからだよ」
そう。何でかしらないけれど、お父さんまで呼ばれたらしいのだ。わたしたちは不法侵入を働いたわけで、お父さんは警察なわけで、連太郎はそこんところ、ちゃんわかってるのかしら。それとも、不法侵入の部分は話さずに解決編を行うつもりなのかな?
「ねえ、どうしてお父さんまで呼ばれたの?」
ダークスーツを着ているお父さんは、顔を前に向けたまま、
「行けばわかる」
「仕事はいいの?」
「いいの」
よくねえだろ……。
屋敷の前まで到着すると、連太郎が門扉の前に立っていた。他のみんなも揃っているようだ。
わたしたちは駆け寄ると、とりあえず京介さんに挨拶をした。他のみんなはもう済ませたらしい。
続いてお父さんが挨拶をした。刑事と知って、京介さんが少しだけ驚いたようだった。
連太郎が門扉を離れて、わたしたちが不法侵入したときに飛び越えた塀の辺りでとまった。誰かさんが隠れていた部屋が見える場所だ。
手招きされたので、わたしたちは渋々彼のもとへ移動する。
すると、京介さんが頭を掻きながら、困惑の声を発した。
「えっと……間颶馬君、だっけ? どうして俺はこんなところに呼び出されたんだ? 綾女に無理やりに連れてこられたんだけど、ちょっとその理由が……」
ちょぉぉぉぉぉぉっとだけ白々しい。まあ、佐畑さんの家での連太郎と坂祝とまではいかないが。
連太郎は廃屋敷に視線を投じると、口を開いた。
「僕と奈白は木相先輩から、あることを頼まれたんです。今日はその報告みたいなものです」
「あること、って……?」
京介さんは木相先輩に目を向けた。
「あなたがこの屋敷に出入りしているから、その理由を突き止めてほしいと頼まれたんです」
「……っ!」
顔色が変わり、木相先輩を見る目が責めるものになった。先輩は目を横に逸らした
「な、なんの、ことかな……?」
京介さんの反論を聞いた連太郎は、ポケットから写真を取り出して、京介さんに見せた。京介さんが塀を乗り越える瞬間撮られていた。……というか、これお父さんの前で見せていいの? 警察沙汰になっちゃわない? それは避けた方がいいのでは?
他のみんなもマズいんじゃないか、とでも言いたそうな顔をしていた。わたしはお父さんをちらと見る。表情に変化は見られなかった。もしかして、事前に連太郎から聞いていたのだろうか?
「これは別にいいんです。僕たちも人のことは言えませんから」
そうえば、わたしたちも不法侵入してたね。
「僕たちが知りたいのは、ここに忍び込んだ理由なんですけど……何で忍び込んだんですか?」
直接訊いちゃうの? それは駄目じゃなかったっけ?
どきどきしながら京介さんの様子を伺うと、すごくわかりやすく狼狽していた。
「い、いや……何してるかって訊かれても、別に何にもしてないよ。なんとなく入っただけさ」
「何となくで二ヶ月間、週に一度のペースで入りますか? それに、十数秒しか滞在しませんよね?」
「それは……」
木相先輩が不安そうな表情を浮かべている。わたしだって不安になってきた。
「なあ、連太郎。お前はもう、わかってるんだよな?」
坂祝が会話に入りづらそうに口を開いた。連太郎は頷き、意を決したように、
「うん。……京介さん。あなたが喋らないなら、僕が代わりにすべてを話します。この廃屋敷で行われていたことを……」
「この屋敷は十年前に神崎さんという方が引っ越したときに、買い手がつかずに放置された家なんです。
鍵はこの家の奥さんの神崎美幸さんの知人、佐畑さんがもっていました。佐畑さんはずっとこの屋敷を掃除していましたが、今年の二月の始めごろ、ここの主人の新太郎さんから家に連絡があって、掃除しなくてもいい言われたそうです。電話は非通知で掛かってきたんですけど……新太郎さんは電話を非通知で掛ける方法がわからないと、ブログに綴っているんです。それにだいいち、十年前の知り合いの家の電話番号を憶えているのも少し変です。つまり、電話を掛けてきたのは、新太郎さんではない可能性が濃厚というわけですね。
なら誰なのかということは、ひとまず置いておきましょう」
連太郎はいったん呼吸を整えると、再び口を開いた。
「この屋敷の裏口は普段は鍵が掛けられているんです。ですが、あなたがここに入る前に鍵が開くんです。ピッキングの痕跡もありましたし、あなた以外の誰が侵入していることは間違いないでしょう。その証拠に、僕と奈白と果園先輩、木相先輩の四人で忍び込んだとき――」
彼に名前を言われた三人が目を剥いた。何故に警察の前でそんなことを言うの!?
しかしやっぱりお父さんはノーリアクションだった。ここまで聞いて確信した。お父さんは連太郎からすべてを聞いているようだ。
連太郎は例の部屋を指さしながら、
「あの部屋から物音がしました。ちなみに、佐畑さんは二階の部屋の鍵はすべて開けていたそうですが、あの部屋だけ鍵が掛かっていたことも、誰かが侵入している証拠ですね。
物音がしたとき、部屋は完全に密室で、トリックに使えそうなものはありませんでしたし、別に密室のまま脱出する必要もないので、誰か――Xとでも呼びましょうか――は天井裏に隠れたのだと思います。しかし僕は天井を確認したんですけど、入り口は見ただけではわかりませんでした。同じく佐畑さんの奥さんも、天井裏の存在にはおそらく気づいていませんでした。
それなのに何故、Xは知っていたのか……それは、Xはこの屋敷の関係者だったから、と考えられます。おそらくXと、佐畑さんに電話をした人物は同一人物でしょう。ここで何かをするのに、佐畑さんが邪魔だったんでしょうね」
ここまではわたしたちは知っていることだ。
「じゃあ、Xはいったい誰なんだ、という話になってきます。たぶんですけど、京介さん……あなたも誰なのか知らないんじゃないですか?」
みんなの視線が一斉に京介さんに注がれた。バツが悪そうな表情を浮かべ、目を逸らすだけだった。何となく図星っぽい。誰とわからない人間と、彼はいったい何をしていたのだろう。
「Xはこの屋敷の関係者ですけど、神崎家の人間ではありません。ではいったい何者なのか……屋敷の関係者ではなく、神崎家の関係者なんですよ。神崎家の人間から、直接天井裏のことを訊ける人間だった……」
そのとき、後ろからブレーキの音がした。 振り向くと、パトカーが停まっていた。中から三人の男性が出てきた。警察官の制服を着た青年。やたら丈の長い漆黒のロングコート、寝癖とテンパで凄まじいことになっているボサボサ髪、そして無精髭……やり手刑事を思わせる風貌の中年男性。そしてスーツを着用した若い男性。
やり手刑事っぽい男性と、若いスーツの男性がこちらに近づいてきた。お父さんが苦々しく挨拶をする。
「来たな……」
「おいおい。何だよ風原。せっかく来てやったのに」
「お前なんかに頼みたくないんだよ……」
「なんかたぁ、ひでえ言いようじゃねえか」
ああ、この人がジョウさんか……。お父さんが話してた使えない同期の。
「本当にこんなところに?」
若いスーツ男が廃屋敷を見上げながら呟いた。
「可能性は高い。あの部屋の、天井裏だ。見ただけじゃ入り口がわからないだろうから、しっかり調べろよ。ジョウ、関原」
お父さんは鍵をジョウさんに手渡した。
「おう」
「了解す」
二人は受け取った鍵で門扉を開け、更に廃屋敷の扉も開けて、中に入っていった。
ぽかんと眺めていると、
「佐畑さんから借りたんだよ」
お父さんが心配そうに廃屋敷を見つめながら教えてくれた。
わたしは事態の深刻さに気づいた。どうして捜査一課の刑事が、ここに来たのだろう?
呆気に取られるわたしたちをよそに、まったく動じていない連太郎が話を戻した。
「Xはとても奇妙な行動を取っています。僕たちは持ち回りで、八時から十一時まで張り込んでいたんでいました。今週――ではなく、先週ですね――の水曜日、京介さんがここに来る前は裏口に鍵が掛かっていました。しかし木相先輩からメールが着てからもう一度鍵を確認したところ、鍵が開いていたんです。つまり、僕たちが張り込む前から既に侵入していた。
これは別にいいんですけど、京介さんがここを後にしてから、三時間近く外に出てきていないんです。Xはいったい、何をしていたのか……。何かの準備をしていて、その片付けと思ったんですけど、僕らが忍び込んだときには何か場違いなものがあったということもありませんでした。
何かの準備の可能性は低い、ということになると、残りは一つしか思い浮かびません」
連太郎は一呼吸、間を置いた。
「Xはここに住んでいるんです」
全員でド肝を抜いた。京介さんでさえ、だ。どうやら本当にXさんのことを知らないらしい。
「それは……ホームレスがここに住み着いている、ということかい?」
梨慧さんが珍しく動揺しながら尋ねた。連太郎は首を横に振り、
「違います。ただのホームレスがピッキングを使えるとは思えませんから。それに、ケータイを所持してるとも思えません」
「あ、そっか」
京介さんはメールで呼び出しを受けているのよね。
「じゃあ、誰なんだ?」
坂祝が首を捻りながら言った。連太郎は推理の締めに入る。
「Xは神崎家と関係がある人物。佐畑さんが言うには、神崎家はよくこの屋敷に親戚を呼んでいたそうです。……神崎美幸さんの旧姓は佐藤というそうです」
連太郎は梨慧さんの方を向きながら言った。いまのは梨慧さんがWikipediaで拾ってきたどうでもいい情報の一つだ。
「少し話を変えます。佐畑さんにXから電話があったのが二月の初めごろ。京介さんがこの屋敷に出入りするようになったのは二月六日。……実は二月の初めごろにもう一つ、とある出来事が起こっていたんだ」
口調から、これはわたしたちに言っているんだとわかった。
「正確には二月の初めじゃなくて、一月の末だけど……。殺人事件があったんだ。暴力団が殺害された。犯人は元暴力団組員で、動機は組を追放された腹いせ。殺害した後、大量の薬物を盗んで逃走した」
え? それって……わたしが図書室で彩坂先輩に話したことだ。お父さんにボヤかれたこと……。
「犯人の名前は佐藤太一。奈白のお父さんに確認した。彼は美幸さんの兄の息子、つまり甥だそうです」
そうか……。お父さんがわたしに言おうとして言わなかったことは、神崎美幸が佐藤太一の叔母であるということだったのだ。
連太郎が今回の騒動の真相を述べた。京介さんを真っ直ぐと見据えながら、
「ここは佐藤太一の潜伏先。そして、あなたは彼から、薬物を購入していたんです……!」
直後だった。廃屋敷の例の部屋から、大きな物音がしたのだ。
「ああ! 本当にいた!」
「何でお前アフロじゃねえんだ!」
「待て! 逃げるな!」
ガラス戸が開き、一人の男がベランダに現れた。
「佐藤!」
お父さんが叫んだ。
佐藤太一はベランダから飛び降りた。
わたしたちはあまりの出来事に呆気に取られることしかできなかった。
ベランダからジョウさんと関原さんが身を乗り出し、こちらに向かって叫んだ。
「そっちに行くぞ!」
「取り押さえてください!」
え? え?
わたしたちが立つ地点と、パトカーが停まっている門扉の中間辺りの塀から、さっきの男が現れた。服に土が付着している。
男は右に逃げようとするも、パトカーと警察官の青年を見てこちらに身体を向けた。そして懐からナイフを取り出すと、わたしに向かって走り出した。……わたしに向かって走り出した。……マジで? 人質にされる!
男はナイフを手にしていない左手をわたしに伸ばしてきた。わたしはちらりとお父さんを見る。表情に変化はない。連太郎を見る。表情に変化はない。……心配くらいしてよ!
わたしは佐藤太一の左手首を左手で掴み取ると、右手を襟に伸ばし、がっちりと握る。そしてそのまま背負い投げを行い、アスファルトに叩きつけた。
佐藤太一は完全に伸びてしまったようで、微動だにしなくなった。
「流石は我が娘」
「奈白じゃなくて僕を人質にすればよかったのに……」
「文学少女(笑)」
「映像撮っときゃよかったぁ……」
「うわぁー……」
「すげえ……」
口々に感想が飛び交った。うるさいな、みんな……。
わたしは佐藤太一の顔を見る。前はアフロだったけど、髪を切ってスポーツ刈りになっている。……ん? スポーツ刈り?
「もしかして坂祝の妹さんの学校で噂になっている不審者って……」
「彼だろうね」
連太郎が呟いた。
「学校の近くにコンビニがあったよね? たぶん彼は朝にあのコンビニで食料を買い込んでいたんだ」
そういうことだったのか……。
「待て佐藤おおお! どこに逃げても無駄だぞ!」
「その通りだ! 銀河の果てまで追いかけるからな……ってあれ?」
二人の刑事さんが降りてきたが、わたしの足元で伸びている佐藤太一を見て硬直した。
そしてジョウさんがお父さんに視線を向け、
「お前の娘すげえな」
「やばいっすね……」
「わかったから。さっさと連れてけ」
二人はお父さんの指示に従い、佐藤太一の頭と脚を持ってパトカーに連れて行った。怒涛の十数秒だった。
お父さんは溜息を吐き、京介さんを見やる。
「さて、君の話を聞こうか……」
京介さんは伏し目がちに頷いた。
◇◆◇
きっかけはありがちな話……ストレスだったらしい。酉山商事に就職した京介さんに、残業させられる日々が続いた。これはさした問題ではなかったらしく、仕事なのだから、と割り切ることはできていた。しかし同期で残業しているのは自分だけだということが少しだけ気に入らなかった。
間もなくして仕事でミスをしてしまった。それがきっかけで、上司から陰湿な嫌がらせが行われるようになった。更に、上司のミスをなすりつけられたり、代わりに土下座をさせられたりと……京介さんはストレスを募らせた。
そこに追い討ちをかけたのは、酉山商事が暴力団と繋がりがあったことだった。
酉山商事が海外から銃を密輸していること、その銃を佐藤太一が所属していた暴力団――赤野組が買っていることを偶然知ってしまう。しかし怖くて警察に言う勇気もなく、証拠もないため、悶々としながら日々を過ごしていた。
そんなとき、一通のメールがやってきた。この廃屋敷に来れば、いいものをやると書かれていた。普通なら無視できたが、彼の精神状態ではそれは困難だった。
廃屋敷に忍び込んだ京介さんは、リビングで書き置きと微量の薬物……覚せい剤を発見した。書き置きにはお試しと称して、三千円を置いて持って行けと書かれていた。……京介さんは誘惑と好奇心、そして自分の精神に負けた。
それから週一回、京介さんはここで覚せい剤を購入した。佐藤太一とは顔を会わせなかったらしい。リビングに覚せい剤が置かれ、指定された額と交換する。
何故佐藤が京介さんのメールアドレスを知っていたのか……お父さんの予想では、赤野組は酉山商事の社員のアドレスを、何らかの方法で把握しているのだろうということだった。
わざわざ一週間にわけた理由は、連太郎曰わく、持ち逃げされるのを避けるためらしい。例えば一ヶ月分の覚せい剤を置いておいたときに、京介さんがお金を払わなかったら貴重な資金源を無駄にしてしまう。この理由から、連太郎は京介さんと佐藤が顔を会わせていないことを推測したそうだ。ちなみに、佐藤がお金を稼ぐ目的は、言うまでもなく食費のためである。そしてケータイの充電はおそらく近くにある公園のコンセントでしたのだろう、とのことで、佐畑さんの家の電話番号は公衆電話などにある電話帳で調べた。
金曜日から水曜日になったのは、おそらく人が侵入してきた曜日に取り引きするのを嫌ったから。
すべてを知った木相先輩はまだ現実を受け入れられないような……どこか虚ろな表情になっている。……どうしよう。どういう言葉を掛ければいいのか、わたしにはわからない。
「捜査一課だから、本当は専門外なんだが……」
お父さんが頭を掻きながら京介さんの肩に手を乗せた。木相先輩に目を向けている。何もいわないのか? と、表情で言っていた。
先に口を開いたのは京介さんだった。
「悪い綾女……。こんな兄――」
「何も言わなくていいよ」
木相先輩が遮った。
「待ってるから。……戻ってきたら、また一緒に……石を探そうね」
木相先輩は精一杯の笑顔を浮かべた。京介さんは薄い笑みを浮かべ、ああ、と返した。
「じゃあ、行こうか。君の家から、薬物を押収しなきゃならねえからな」
お父さんそう言うと、京介さんを連れて歩き出した。
わたしは梨慧さんに近づき、小声で尋ねた。
「あの、覚せい剤の所持って、その……」
「七年以下の懲役。けど初犯だし、大したことにはならないと思うよ」
訊きたいことを読んでくれた。最高で七年。とても長いことのように感じる。
呆然と佇む木相先輩に、連太郎が近づいた。
「先輩……すみませんでした……」
連太郎はゆっくりと頭を下げた。彼も相当なダメージを負っているようで、どこか疲労感が滲み出ている。
木相先輩はふるふるとかぶりを振った。
「間颶馬君は、何も悪くないよ。間颶馬君が謎を解かなかったから、殺人事件の犯人も逮捕されなかったし、お兄ちゃんの身体もボロボロになってたよ……」
「…………そう言ってくれると、助かります」
そう言う連太郎の顔を覗き込む。言葉とは裏腹に、どこか悔しそうな表情だった。……わたしも連太郎が悪いことをしたとは思えないし、どうしようもないことだと思う。木相先輩の言う通りで、一介の高校生が殺人事件を解決してしまったのだ。むしろ讃えられるべきなのかもしれない。……だけど連太郎としては、殺人事件だなんて遠い出来事の解決よりも、程近しい先輩を助けたいという思いの方が、強いのかもしれない。




