秘密は春風に暴かれる 2
「いまさらですけど、京介さんってどんなお仕事をしてるんですか?」
連太郎が木相先輩に尋ねた。先輩は緊張したような面持ちになり、
「酉山商事っていう商社に勤めているよ。隣の赤崎市の駅前にある……」
ああ……聞いたこと……ないわね。会社名なんて、超大手くらいしか知らないから。でも赤崎市には何度か行ったことあるし……そういえば、何か会社があったかも。連太郎も思い出したような表情を浮かべている。しかし、梨慧さんと坂祝は違った。
「あー、怪しい噂があるところだねー」
「やっぱ果園先輩は知ってましたか」
え? どういうこと? 木相先輩の顔がさらに強張った。
「どういうことです?」
連太郎が訊くと、梨慧さんが答えてくれた。
「うちの学校って、割と赤崎市から通ってる生徒が多いんだ。その生徒の一部が、そこの会社の前に真っ黒な車が停まってるのと、明らかに型気じゃない人間が出入りしているのを見たんだって」
連太郎が目を見開いた。
「……フロント企業ってことですか?」
「そんな大層なもんじゃないと思うぞ」
坂祝が笑いながら、
「フロント企業だとしたら、隠すのが下手過ぎだ。少なくとも人の数が多い駅前で、表から堂々とノット型気感全開で出入りしたりしねえだろ」
「うんうん。私もそう思うよー。たぶん会社の偉い人と繋がりがある程度なんじゃないかなー」
わたしはフロント企業ってなんだろう、と思いながら、木相先輩を見やる。能面のように表情が漂白されてしまっていた。
「二人とも、木相先輩が不安になるようなことを言わないでよ!」
「あっ、すんません」
「めんごめんごー、木相ちゃん」
まったく……。わたしは溜息を吐いた。
「うぅん……」
低い呻き声が上がり、そちらへ首を向ける。連太郎が頭を掻きながら考え込んでいた。
「京介さんが廃屋敷に行くときとかに、何かありませんでしたか?」
その問に、木相先輩は腕を組んで考え込む。しばらくして、何か思い当たることがあったようで、はっと顔を上げた。
「そういえば、水曜日……お兄ちゃんが廃屋敷に行く前に、メールがあったんだ」
「メール……。誰かに呼び出されたのかな……」
「だとすると、出入りしている誰かが関与しているのは、まず間違いなさそうだな」
連太郎の呟きに、坂祝が同調した。それに梨慧さんが続く、
「まあ、どう関与しているのかが問題だけどね。お兄さんが屋内にいる時間は十数秒だから、顔を合わせてるとは考えにくいよねー。じゃあ何してるって訊かれたら困るけど」
「あと、二階に上がっている可能性も低いです」
「どうして?」
発言者である連太郎に訊く。
「階段が両方とも腐ってたから、慎重にいかないと無理なんだ。だから十秒単位じゃいけない」
「あっ、そっか……」
少しの間沈黙が起こり、坂祝が両手を頭の後ろに回した。
「誰かさんと京介さん会ってると仮定してみよう。その場合、二人は何をしているのか、これを考えてみないか?」
「そうだな……」
神妙な表情を浮かべた連太郎が頷いた。
わたしも考えてみることにする。一体全体、あそこで何が行われているのか。わたしにわかるかはわからないけれど。…………駄目だ。何一つ思い浮かばない。他のみんなも同じようだった。
会話ということはないだろう。十数秒で終わる会話をわざわざあそこでする必要がない。じゃあ……何かの交換? いや、交換にしても同じことだ。わざわざあそこで交換する必要がない。……そもそもどうして二人はあの廃屋敷で接触しているんだろう。誰かさんが神崎家の関係者だから? それだけなのだろうか。何にもわからない。
頭を悩ませていると、梨慧さんが伸びをした。
「もう、あれだね。お兄さんに直接訊くべきだね」
「それをしたら兄妹の絆が壊れるかもしれないから、いまここで考えてるんでしょう?」
わたしは呆れながら、じと目で言った。
「それに、言ってもはぐらかされたりして、本当のことは話してくれないと思いますから」
連太郎もわたしに続いた。梨慧さんは溜息を吐いた。
「じゃあ、間颶馬君には仮説があるのかい?」
連太郎は顔をひきつらせると、
「……いえ、ありませんけど」
「なんだよー」
「だから考えてるんでしょ?」
フィンガースナップを連打しながら答えた。何か力になりたいわたしは必死に考える。そういえば、もう一つ二つ謎があったんだ。
「そういえば、どうして今週は金曜日じゃなくて水曜日だったのかな?」
「心理的要因だろ。人が入ってきた曜日にしたくなかったんじゃねえか? それに、姿を見られたかはわかんねえけど、声の若さで学生ってわかるだろうから」
坂祝の説明に、木相先輩は首を傾げた。
「学生って関係あるの?」
同じ疑問を抱いていたわたしは、うんうん、と頷いた。
梨慧さんが継いで、
「そりゃ、関係あるさ。次の日が休みだから、夜更かししやすいでしょ?」
「ああ……」
得心して、変な声が漏れた。けど、まだ謎は残っている。
「鍵はどういうこと? 連太郎と坂祝が最初にきたとき、鍵はかかってたんだよね? でも京介さんが家から出た後には開いていた。誰も廃屋敷には近づかなかったんでしょ?」
それには連太郎が答えてくれた。
「僕たちが来るより前から中にいたんだよ」
「何のために?」
「普通に考えりゃ、何かの準備だろうな」
「僕もそう思ってる」
坂祝の仮説に連太郎が乗った。彼は続ける。
「僕と圭一は十一時までいたんだけど、誰も出てこなかったんだ。これは何かの片付けをしていたから……だと思う」
準備に何時間も掛けるのに、京介さんが廃屋敷にいるのは十数秒、そして片付けまた何時間も掛ける……意味がわからない。一体全体どうなってるの?
頭が混乱してしまう。パンク寸前になっていると、梨慧さんが口を開いた。
「間颶馬君とあろう者が、そんな推理を立てちゃ駄目じゃないかー」
「何か矛盾がありますか?」
「……私たちはすべての部屋を見て回ったわけだけど、何か変わったところはあったかい?」
連太郎ははっとした顔を浮かべた。そうか、何かの準備なら、機材やら何やらの設置と考えるのが自然だ。けどあそこにあったのはベッドだけ。梨慧さんはベンチの背もたれに身体を預ける。
「まあ、私たちは初めてあそこに入ったから、変化があっても気づかないし、確実に違うとは言い切れないんだけどねー」
梨慧さんはそう言うも、しかし連太郎はホワイトボードに目を落としながら、神妙な面持ちでぱっちんぱっちん指を鳴らす。
わたしはだらりと、気が抜けたように脱力する。
「じゃあいったい、誰かさん……というか、神崎家の誰かは何をしているのよ……」
「見当もつかないねー」
梨慧が肩をすくめながら、アメリカ人がやるような仕草で首を横に振った。
再び手詰まりの沈黙が訪れた。……もう何が何やらわからなくなってきた。京介さんはいったい何をしているのか、神崎家の誰かさんはいったい何をしているのか、あの廃屋敷で何が行われているのか……わけがわからなすぎて睡眠に支障をきたしそうだ。いますぐ記憶を消去して文学少女っぽい何かをしたい。
沈黙を破ったのは坂祝の声だった。
「木相先輩の兄さんが廃屋敷に出入りするようになったのは二月の六日。佐畑さんのところに神崎新太郎から電話がきて、掃除をやめていいと言ったのが二月の初めごろ……。関係ありそうだよな……」
「それがどうかしたの?」
わたしが訊くと、坂祝は困ったような表情を浮かべ、
「いや、それだけだけど……」
二人で溜息を吐く。三度手詰まりの沈黙が到来する。情報が足りなすぎる……たぶん。もう現場押さえる以外に方法がないような……それは自分で却下したじゃない。もっと神崎家の情報がいる。名古屋にいることはわかってるけど、逆に言うとそれしかしらない。……いや、名古屋にいるって言っても、それは新太郎さんの職場があるだけ……一家がそこに住んでいるとは限らないし、住んでたとしても離婚している可能性もある。
「もう、あれだね、風原ちゃんのお父さんに神崎家の近況を調べてもらおう」
そんなことを口走ったのはもちろん梨慧さんだ。
溜息混じりに返すことにする。
「無理に決まってるじゃないですか……」
「いや、私だって警察をあてにしたくはないよー? 敵だしね」
敵て……。この人にはもう呆れることしかできない。
「警察……?」
わからない木相先輩が首を傾げながら言葉を漏らした。
「奈白のお父さんさんは、刑事さんなんですよ。ちなみに捜査一課です」
「捜査、一課……?」
「まあ、強行犯専門の部署ですね。傷害とか殺人とか」
木相先輩がごくっと唾を飲んだ。どこか目も泳いでいる。
わたしは連太郎を睨みつける。
「木相先輩が無駄に不安になることを言わないでよ!」
「あ、ごめん」
いまや彼女は、犯罪絡みの話題が出るだけで心理的ダメージを受けてしまうようだ。
「でも実際、高校生だけじゃ無理があると思うぞ。まさか、名古屋までいくと?」
坂祝がそんなことを言い、わたしはかぶりを振った。
「どの道無理だって。いま、お父さんゲキジョられてて、それどころじゃないから」
「ゲキジョ……?」
坂祝がオウム返ししてくる。
「劇場型犯罪」
「ああ、ニュースで見た。スズメバチ使ったんだろ? 確か組織犯罪の線が濃厚なんだとか」
「ふんっ……!」
この話に一番乗ってきそうな梨慧さんが、不機嫌そうな声を上げた。
「どうしたんですか?」
「劇場型犯罪なんて、私は認めないよ」
「はい?」
「犯罪をあらかじめ宣言するなんて、愚の骨頂さ。こそこそとやる背徳感がいいというのに。世間の注目を浴びたいだけの犯罪は犯罪とは言えないよ!」
本当にどうしようもない人だ。こんな人が社会に放たれたら大変だ。
……しかし、坂祝の言うこともわからなくはない。高校生だけで、遠く離れた人の情報を収集をするは難しい。探偵にでも頼む? それともやっぱりお父さんに……あっ、そういえば。
「そういえば、お父さんに神崎美幸さんのこと訊いたとき、何か知ってそうな感じだった。たぶん仕事関係……」
「警察が関わってくるようなことを、彼女がしているのかな……」
坂祝が顎に手を添えながら呟いた。
どんどん不穏な話題へとシフトしていく。木相先輩の表情はセメントでも塗りたくったかのように固まってしまっている。……しまった。自分で不安を煽るなと言っておいて、思いっきり不安になるようなことを言ってしまった。
「と、とにかく、お父さんに調べてもらうのは無理だし、何かを教えてもらうのも無理だから! それより坂祝、新太郎さんがやってる変人ブログって、どんななの?」
慌てて話題を変える。
「だから、変人らしく意味不明のことが書かれてるんだって」
「坂祝にはわからなかったことが連太郎にならわかるかもしれないじゃない。ねっ、連太郎」
振り向くと、連太郎は何かを考え込んでいるようだった。
「連太郎?」
「え? なに?」
「新太郎さんのブログ、見てみて」
「ああ」
坂祝が自分のスマホを操作して、連太郎に手渡した。 わたしたちは彼の後ろに群がって、それを覗き込んだ。
最新の日付は四月二十五日。どうやら今日更新したようだ。
タイトル:やめられないとまらない
どうしてかっぱえびせんって
あんなにやめられないんだろう
とまらないんだう
不思議だ……
ナスカの地上絵並に不思議だ……
「何これ……」
ブログに書く意味が、果たしてあるのだろうか? 確かにやめられないとまらないけれど、それはブログで発信しなくても誰でも知っている既知の事実だ。
「こんな感じの文章が延々続くぞ」
坂祝が疲れたかのような溜息を吐いた。このブログはほぼ毎日更新されている。……坂祝は五年前まで遡ったと言っていたから……うげぇ。こんなつまらないブログを三百六十×五も読んだのか……そして大した収穫もなかった。それはキツい。
「圭一、ブログに住んでるところとかは書いてなかったのか?」
「職場と同じで名古屋だと思う。スガキヤの本店が近所にあるらしいから」
連太郎が何かを考え込む仕草で黙りこくってしまった。しばらくして、再び圭一に顔を向けた。
「離婚とかは?」
「してないんじゃねえかな」
坂祝は連太郎からスマホを返してもらうと、ブログのページを操作して、
タイトル:テレホンショック
というページに入った。日付は十日前だった。
一度でいいからいたずら電話してみたい
でも非通知設定の仕方がわからない
妻もわからないらしい
娘もわからないらしい
まあわかったところでしないけど
「気持ち悪いねー」
梨慧さんがわたしが思ったことを口にしてくれた。うん。これが延々続くなら、変というか気持ち悪い。
「本当に、素こんな人だったの?」
わたしは思わず、坂祝に尋ねてしまった。
「佐畑さんにブログをいくつか見せてみたが……こんな人だったらしい」
うへぇ……。
「もしかしたら、音白高校の卒業生かもしれないねー」
梨慧さんの納得してしまう自分がいた。
わたしは腕を組む。うぅむ。何か近況でも書いてくれればいいのに。
連太郎を見る。彼は坂祝から再びスマホを借りていた。テレホンショックのページを真剣な表情で見つめながら、フィンガースナップをしまくっている。……このページに何かあるのかな?
どうしたの? そう訊こうと思った矢先、連太郎が勢いよく立ち上がった。後ろにいたわたしたちはびっくりして退いてしまった。
「今日はこの辺にしましょう」
「何かわかったの?」
「うん。……まだ仮説だから、確認しなきゃいけないこともあるけど」
そう言って彼はわたしたちに挨拶して踵を返すと、足早に公園を出て行ってしまった。
……どうしよう。
ちょっと悩んだが、連太郎についていくことにした。
◇◆◇
二人で佐畑さんの家の前までやってきた。どうやら公園を選んだ理由は、ここに近いからだったようだ。何か訊きたいことができたら簡単に行くことができる。ただ単に廃屋敷に近いからノリであの公園を選んだと思っていた。
連太郎がインターホンを押した。しばらく応答がなかったため、留守かなと思ったが、佐畑さんはしっかりと出てくれた。
『はい』
「すみません。この間お邪魔した間颶馬です」
『ああ、君か。どうかしたのかい?』
「ちょっとお訊きしたいことがありまして……。インターホン越しでけっこうですので、尋ねてもよろしいでしょうか?」
『かまわないよ』
「二月の初めごろに新太郎さんから電話があったんですよね?」
『うん。そうだね』
「それって、非通知でした?」
――ん? それって……。
『確かそうだったよ』
あれ? 新太郎さん、非通知の掛け方知らないんじゃ……。
「それは家の電話で受けましたか?」
『うん』
「何年振りの電話だったんですか?」
『うーん……すくなくとも、私は引っ越してから一度も受けてないね。家内がどうだったかは、わからないけど……そんな話は聞いてないね』
「そうですか。ありがとうございます……」
帰路の途中、わたしは訊いた。
「どういうことなの?」
「佐畑さんに電話をしたのは、新太郎さんじゃなかったってことだよ」
やっぱりそうなんだ……。
「非通知での掛け方を知らないのに、佐畑さんには非通知で掛けたから?」
「それもある。それから、十年前から一度も会ってもいないし、連絡を取ってもいない知り合いの家の電話番号を、憶えているものかな?」
「ケータイに入ってたんじゃない?」
「同じケータイならわかるけど、家だよ? 奈白、他人の家の電話番号なんて、 スマホに入ってる?」
かぶりを振る。入ってるわけがない。しかし、
「家の鍵を預けてるんだから、家の番号くらいは憶えてるんじゃ」
「それなら自分の家の連絡先と住所を教えてるはずだよ。教えてないってことは、あの屋敷はどうでもよかったってことだよ」
腕を組んで、うーん、と唸る。あっ、そうだ。
「十年前よ? いまほどケータイは広まってないと思うけど」
「二〇〇五年なら、もう十分普及してるよ。それに佐畑さんは市議会議員だし、政治家ならケータイは所持してるよ」
「それもそっか……。いや、でも声は?」
「十年も声を聞いてないんだ。同じ性別なら、判別できるわけないよ」
確かにそうかも。
「じゃあ、いったい誰が……? 神崎家の人間じゃないの?」
「たぶんね。だいたいの目星はついているけど、確証がない。絶対に確認しなくちゃいけないことがあるんだ。予想が外れたら、仮説も総崩れだ」
連太郎は伏し目がちにそう言った。
「どんな仮説なの?」
興味本位で訊いてみた。連太郎は自嘲的な笑みを浮かべ、
「とんでもない仮説だよ。辻褄もあってる。というか、この可能性以外、僕には思い浮かびそうもないよ……」
溜息混じりに言った。
それから連太郎と別れたわたしは、当然家に帰った。夕ご飯を食べ、お風呂から出たところで、連太郎からメールが着た
明日、廃屋敷に来るように。メールにはそう書かれていた。




