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廃屋敷は春風を呼び込む  作者: 赤羽 翼
第2章 暗号トリオ
19/30

三種の暗号 4

 田んぼは□の形をしている。小説や雑誌も□だ。テレビやパソコンの画面も□だ。もしかしたら、昔は地球も四角だったのかもしれない。


 さて、四角はいくつあるでしょうか?



「確かに、何か潜んでそうですね」


 わたしは垂直な感想を述べた。坂祝は顎を撫でながら、


「普通に数えたら、三つだな。けど金庫の暗証番号は五桁。9133じゃ、一桁足りない」


 連太郎は両手でフィンガースナップを連打すると、紙をとんとんと叩いた。


「それなら、文中に出てくる四角すべてなら、足りるんじゃないか?」

「すべて?」


 わたしと坂祝の声が重なった。佐畑さんも頷き、席を立った。


「私もそう思って、メモを取っておいたんだ」


 棚の引き出しをあさり、一枚の紙を持ってきた。


「参考までにどうぞ」


 その紙には各漢字に含まれる四角の数が書かれていた。



 田=9 形=1 説=2 雑=6 誌=1 

 画=9 面=9 昔=4 四=1×2 角=9×2

 合計=61+3

   =64



「64か……」


 連太郎が呟くと、佐畑さんは頭の後ろを掻いた。


「けど、何かあると思わないかい? 捻りがないというか……」

「確かにそんな気はしますね。でも、試してみるにこしたことはないでしょう」


 佐畑さんに断りを入れると、連太郎は金庫のダイヤルに触れ、91364の順に回した。


「開かないわね」

「みたいだね」


 わたしが言うと、連太郎はわかっていたかのように冷静に返した。


「これだけじゃねえってことか」


 坂祝は問題用紙を凝視する。わたしも首を捻りながら考える。試しにわたしも問題の中の四角の数を数えてみた。けどやっぱり、佐畑さんが書いた表通りの数だった。

 四人で沈黙していると、不意に連太郎のフィンガースナップの甲高い音が響いた。視線が彼に集まる。


「何かわかったの?」

「ああ。ここ、」


 尋ねると、連太郎は文の後半、『地球も四角だったのかもしれない』、の部分を指で示した。


「ここと、問題提示の部分だけ、記号としての□じゃなくて、漢字としての四角が使われている」

「それがどうかしたのか?」


 坂祝が両手を頭の後ろに回し言った。


「問題は『四角』の数を尋ねているんだ。つまり、文字としての『四角』も含まれるんじゃないか?」

「確かにそうも考えられるな」


 坂祝は金庫のダイヤルを掴むと、慎重に回し始めた。漢字の『四角』も含むなら、66になる。暗証番号は91366。


「開かねえ……」


 坂祝の呆然とした声が漏れた。連太郎は頭を掻き、


「違ったかな……?」


 再び問題用紙に向き合った。佐畑さんも腕を組み、考え込む表情をしながら問題を眺めている。

 連太郎の考え、漢字の『四角』も数に入れるのは、間違っていないような気がする。けど、ここに、もう一つ何かが必要なのかも。

 思案していると、坂祝は暗証番号の13の部分を指で叩いた。


「やっぱ13じゃなくて12なんじゃないか?」


 連太郎は首を捻り、


「そうなのかなあ? そうだったら、僕、失望するよ?」

「知るかよ」


 坂祝は3を2に変えてダイヤルを回した。91266だ。しかし、


「開かん」


 匙を投げ捨てたのか、両手を広げて背もたれに体重をかけてしまった。


「もうあれだ。果園先輩に金庫破りをしてもらおう」


 負け犬め。

 わたしは思いついた案を口にする。


「これまでの問題の四角も混ぜるんじゃない?」

「そう、なのかな?」


 連太郎は①と②の問題用紙を手にする。しばらく眺めると、


「違うと思う。厳密に数えたわけじゃないけど、たぶん三桁到達するよ」

「そっかあ……。前の問題と関係してると思ったんだけどなあ」


 そう言ってから、どこか引っかかった。どこだろう?

 わたしは連太郎が持つ二枚の問題用紙と、現在ぶち当たっている問題用紙を見る。思ったことがあった。

 わたしはダイヤルを捻った。91367で回してみると、カチャッ、というメカニカルな音がした。

 全員が驚愕に満ちた表情でわたしを見ていた。わたし自身も驚いていたけれど。


「どうやったんだ? 風原?」


 坂祝が困惑したような声を出した。わたしは③の問題用紙をテーブルから取り上げて、彼に突きつけた。


「この紙自体が、67個目の四角だったってことよ」


 この紙は縦長の長方形だ。紙の形については、最初の問題が出たとき思ったことで、以降の問題はさして気にしていなかった。別に不自然でもなんでもないしね。


「まさか風原に先をこされるなんて……」


 坂祝は燃え尽きたボクサーのようにうなだれた。佐畑さんが拍手してくれて、わたしは胸を張って笑みを作った。

 連太郎は自分が持っている二枚の用紙を見て、


「視野が狭まってたなあ……」


 と呟いている。でもまあぶっちゃけ、連太郎がいなかったら13も『四角』もわからなかったと思うけどね。


「佐畑さん。金庫の中身を」


 わたしはいまだ拍手を続ける佐畑を促した。佐畑さんはようやく拍手をとめると、金庫を開けた。中に入っていたのは、寅さんがしているような茶色い腹巻きだった。ただし、手編みのようだ。

 佐畑さんはそれを取り出すと、笑みをこぼした。


「この間会いに行ったとき、冷えてお腹を壊してしまったんだ。だから、かな……?」


 わたしたち三人も笑った。渋いが心のこもったプレゼントだと思った。



 ◇◆◇



 金庫の暗号を解き、大満足のわたしたち三人は、もう夕暮れだったことに気づいて帰り支度を始めた。支度と言っても、バッグを持つだけだけど。

 そして帰る気マックスのわたしたちを、佐畑さんが引き止めた。


「君たちは、私に話があるんじゃなかったかい?」


 あっ、そういえばそうだった。廃屋敷のことを訊きにきたんだった。映画研究会の部員として。

 連太郎も坂祝も忘れてしまっていたようで、苦笑いを浮かべていた。

 閑話休題。


「えっと、どういう話だったっけ?」

「確か、神崎さんってどういう方なんですか……みたいな話でした」


 佐畑さんの問に、連太郎が思い出すかのように天井を仰ぎながら言った。ここで、もしかして忘れていたのも演技だったのでは? と思った。

 大丈夫だろうかと心配になったが、佐畑はしかし渋ることなく教えてくれた。


「神崎は夫婦で、夫が新太郎君、嫁が美幸君だ」

「あの家に住めるってことは、お金持ちだったんですか?」


 暗証番号の件で信頼を得たのか、佐畑さんは躊躇うことなく語ってくれる。


「新太郎君は大きな町工場の工場長。美幸君は元音白市長だよ」


 市長……。佐畑さんも元市議会議員だというし、その線で知り合ったんだろうか?


「どうして佐畑さんがあの屋敷を掃除しているんですか? 神崎夫婦はどこへ?」


 坂祝が首を傾げつつ言った。佐畑さんは悲しげな表情を浮かべ、


「まあ、美幸君の影響だろうね。美幸君は仕事のできる主婦として市長選に参加して、見事勝利した。家庭と仕事の両立を完璧にこなしていたし、周囲の期待も大きかった。けど、しばらくしてから汚職が発覚して失脚。議員も辞めてしまった。……汚職のせいで悪戯や脅迫を受けたり、学校で自分の子供がいじめられたりして、引っ越すことになったんだ。ちょうど新太郎君が地方に工場を建てるつもりだったらしいから、タイミングはよかったみたいだけどね。……十年前のことだ。どこに行ったのかは、わからない」

「周りが過度に期待しすぎた、ってことですか……」


 連太郎がぽつりと呟いた。


「そういうことだね。……初めは家を売るつもりだったらしいけど、なかなか買い手がつかないから、結局売らずに鍵だけを私たちに預けて去っていったよ」


 そこに連太郎が反応した。

 

「ってことは、固定資産税は……?」

「まだ神崎家が払っていると思うよ」


 わたしは小さく手を上げた。


「どうして鍵を佐畑さんに預けんたんでしょうか?」

「鍵の数が多くてかさばるからだそうだよ。だから議員時代に交流のあった私に託したんだと思う」


 わたしは忍び込んだときのことを思い出す。確かに部屋の数は多かった。あれだけの数をチャラチャラ持って行くのはきついかもしれない。


「そんなに多いんですか」


 連太郎が目を見張る。本当に白々しい。しかし彼は堂々と言葉を紡ぐ。


「鍵とか、ちゃんと開けていますか? 施錠したままだと、鍵穴が錆びて開かなくなりますよ?」

「二階はすべて開けてあると家内は言っていたよ。一階は……そういえば、新太郎君に掃除しなくていいと言われてから一度も入っていないなあ。一部屋鍵を掛けたままだ。後で開けておこうかな」


 梨慧さんがピッキングして開けた部屋だ。施錠しておいてよかった。わたしは密かに安堵の溜息を吐いた。


「神崎一家の話とか、ホラー映画に使えそうだな」


 坂祝が連太郎に言い、彼も頷いた。


「確かにそうかもしれないな、圭一。悪戯や脅迫を受けた神崎一家は自殺して……って、ここで言うべきことじゃないだろう」


 連太郎が速攻でたしなめた。嘘……というか、演技お上手ですね、二人とも。

 佐畑さんは楽しそうに微笑んだ。よかった。怒らせてなかった。


「そういえば、佐畑さんは神崎一家が住んでいるときにお邪魔したことはあったんですか?」


 連太郎は、単に気になるだけです、という言葉の顔に出現させ訊いた。

 佐畑さんはふるふるとかぶりを振った。


「家内は何度かお邪魔したみたいだけど、私はないね。初めて入ったのは一家が出て行ってからだよ」

「そうですかあ……。あそこに頻繁に出入りしていた方とか、ご存知でしょうか? その人からも是非話をお訊きしたいので」

「うーん……。そういえば、よく親戚を呼んでいると美幸君が言っていたかな」

「親戚ですか……ちょっと難しそうですね。じゃあ、あの屋敷に隠し部屋があるとか、聞いてないですか? 劇中に使えそうな感じの」


 その質問に、佐畑さんは頭を捻った。


「……いや、そんな話は神崎君たちからも、五年間掃除していた家内からも聞いてたことがないね。当然、私も知らない」


 連太郎は落胆したように肩をすくめて見せた。


「あの屋敷ならそれくらいありそうだと思ったんですが……」


 佐畑さんはほっほっほ、と笑った。


「流石にそれはないと思うよ。それより、いいのかい? 時間」


 三人同時壁掛け時計に視線を投じる。六時近かった。長居しすぎたようだ。

 わたしたちは荷物を持って立ち上がり、ぞろぞろと玄関まで移動した。佐畑さんが見送りにきてくれる。


「私の話は役にたったかな?」

「はい。とても参考になりました」


 連太郎は爽やかな笑顔で返し、坂祝も笑顔を作った。


「まだホラー映画と決まったわけじゃありませんし、撮影は夏になるでしょうけど、あの屋敷の撮影許可をいただいてもいいですか?」

「もちろんだとも。……君たちが本当に映画研究会ならね」


 佐畑さんは薄く笑い、柔和な表情でそう言った。言われたわたしたちは硬直した。……バレてた?

 連太郎が引きつったような表情を浮かべた。


「……お気づき、だったんですね」


 佐畑さんは柔らかい笑顔のまま、


「まあね。映画の撮影許可を取りにくるのがいくらなんでも早すぎるし、そんな大事なことを一年生だけに任せるとは思えない。それに余りにも関係ない話題が多かったからね」

「……じゃあ、どうしてわたしたちの質問に?」


 わたしは大人ってすごいなあ、と感心しながら尋ねた。


「君たちが善意で行動していることはなんとなくわかったからね。暗号を解いてもらった恩もある。……よければ、どういう事情なのか聞かせてくれるかな?」


 思わず連太郎を見る。まさか不法侵入のことや木相先輩のお兄さんのことを包み隠さず暴露する気じゃあるまいて。

 やっぱり、というべきか、流石に、というべきか、連太郎は頭を下げた。


「すいません。あまり他言できるようなことじゃないんです。すべてが終わったら、お話します」


 お話するのね……。まあしょうがないか。わたしも頭を下げた。坂祝は何も関係ないわけだけど、彼も頭を下げてくれた。


「頑張れ」


 頭上から、そんな言葉が聞こえた。顔を上げると佐畑さんが微笑んでいた。


「事情はわからないから、これだけ言っておくよ」



 ◇◆◇



「いい人だったわね」


 わたしがそう言うと、二人も頷いた。

 陽が西に沈みかけ、橙色の光が家々の屋根を照らしている。わたしたちはいま、件の廃屋敷に赴いている。


「佐畑さんの話で、わかったことが一つある」


 連太郎が正面に見える廃屋敷を見つめながらぽつりと呟いた。


「佐畑さんの奥さんは二階の鍵を全部開けたはずなんだ。それなのに、僕たちが忍び込んだときには、一部屋だけ閉まっていた」


 あの物音がした部屋だ。


「開け忘れたとは思えない」


 わたしたちは廃屋敷の塀の前で立ち止まった。この間塀を乗り越えたところの反対側だ。


「どうして閉まっていたんだと思う?」

「その部屋に人がいて、お前たちが耳にした物音が人が発した音だから」


 坂祝が屋敷を見上げながら答えた。わたしはごくりと唾を飲む。幽霊じゃなかったんだ。……というより、誰とわからない人が屋敷に潜んでいたなんて。


「そう考えるのが自然だよな……」


 連太郎は、ちょっと待ってて、とわたしたちに断ると、塀をよじ登って中に入っていってしまった。突然のことに坂祝と二人、呆然とたたずむが、すぐに連太郎が戻ってきた。


「何してたのよ」

「裏口の様子を見てきたんだ。鍵が閉められていた」

「え?」


 わたしは金曜日のことを思い出す。梨慧さんは裏口をピッキングで施錠していなかったはずだ。その誰かさんか、木相先輩のお兄さんが閉めたんだろうか? どうやって? 佐畑さんが持つ鍵を盗んだのだろうか? それとも梨慧さんみたいにピッキングで? それとも合い鍵?

 連太郎の言葉はまだ続いた。


「ピッキングの形跡もあった」

「ピッキング……。梨慧さんは、裏口はしていないわよね?」

「してない。一階の一部屋とあの物音がした部屋だけだよ」


 木相先輩のお兄さんの他に、何者かがこの屋敷に出入りしている……。ピッキングまでして、この屋敷に。ピッキングをしたということは、屋敷に入るための鍵を持っていなかったことになる。じゃあ梨慧さんみたいに施錠したのだろうか? そんな簡単にできるものなの?

 頭の中に新たな疑問が湧いてきた。けれど、これは別に窓から出ればいいだけの話なので、頭の片隅においやった。そんなことよりも、はっきりさせなければならない疑問が残っていたからだ。


「でもその『誰か』は、どうやってあの部屋から消えたの? トリックに使えそうなものは何もなかったわよ」


 あのとき、部屋は密室だった。あったのは空のクローゼットとマットが敷かれた二段ベッドだけだ。

 

「あれはトリックじゃなくて、隠し部屋か隠し通路があって、そこから逃げただけだよ」


 軽く肩すかしを食らってしまった。


「そんなむちゃくちゃな……」

「トリックを使って消える方がむちゃくちゃだよ。だいたい、あの状況で消えるなんて、脱出王フーディーニでも無理だよ」


 すると坂祝は塀にもたれかかり、


「佐畑さんはそんなものはない、って言ってなかったけか?」

「たぶん知らないだけだ。奥さんは掃除していただけだし、神崎さんが親しいといっても、家の構造を他人に話すとは思えないから」


 まあ確かに、うち隠し部屋があるんですよ、なんて言うわけがない。


「隠し部屋があるとして、どこにあるのよ」

「天井。二段ベッドを土台にすれば届く。まあ、隠し部屋というか、屋根裏部屋だね」

「どうして断言できるの?」

「あの物音は大きさ的に右側の壁よりから発生したもの。けど右側の壁は薄いから、人が入れるとは思えない」


 連太郎が壁をとんとんと叩いていたのを思い出す。あれは壁の厚みを確かめていたんだ。


「あのときはなかったけど、床には普段カーペットを敷いていただろうから、ちょっと考えにくい」


 連太郎が廃屋敷を見上げつつ、


「『誰か』の目的はわからないけど、少なくともちょっとの間出入りしただけで、三年間二階を掃除していた佐畑さんの奥さんも気づかなかった部屋に、気づけるとは思えない」

「つまり、その『誰か』は……」


 わたしが訊くと、連太郎は頷いた。


「この屋敷に詳しい人間だと思う」


 つかの間、沈黙があった。わたしたちは黙って屋敷を見つめる。


「神崎一家について、調べた方がいいかもしれない」


 連太郎が呟いた言葉に、わたしと坂祝が同意した。

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