三種の暗号 1
休み明けの月曜日。わたしはあくびをしながら登校していた。あくびついでに空を見る。三百六十度、雲一つない晴天。青い空。春の空は綺麗だ。ここで一句、春空の 暖かな陽気間に受けて 散った桜に未練は無し……なんだこれ。
そんな俳句でも短歌でもない、おまけに才能もないわけのわからないものを詠んでいると、後ろから何者かが近づ気配があった。振り向くと、十メートルほど後ろから連太郎が歩いてきていた。
「おはよう」
「おはよう奈白」
眠気たっぷりのわたしと違って、連太郎は毎朝しゃきっとしている。まぁ彼は、毎週日曜日は七時半までに起きているから、早起きは得意なのだろう。
「にしても、僕たちけっこう距離あったのに、よく気づいたね? 野生の勘?」
「文学少女の勘よ」
「そんな勘、聞いたことないよ」
連太郎が呆れたように呟いた。わたしは憮然とした表情を返し、話題を変えた。
「それで、あれから何かした?」
「あれから、って?」
「金曜日の夜よ」
「ああ……土日の夜に八時から十一時半まで張り込んでみたんだけど、誰も来なかったよ」
わたしは目を見開いた。
「一人でそんなことしてたの?」
「まあね」
「呼びなさいよ」
「おじさんが不審がるよ。……何か、あらぬ誤解をされてしまうかもしれないだろう」
あらぬ誤解……。顔が赤くなるのがわかった。でも誤解される相手が連太郎なら、わたしとしてはまぁ、いいんだけれど……。
そんなわたしの気持ちはわかっていたことだけど、連太郎には届かない。彼は普段の調子で、
「木相先輩のお兄さんがアクションを起こすのを待ってるだけじゃ駄目だと思うから、僕の方から自発的に調べてみることにした」
「調べるたって……何を?」
わたしは訝りながら尋ねる。
「あの屋敷について」
「表札には『神崎』って書いてあったわね」
「うん」
「でも簡単に調べられるの?」
「わからない。……けど、管理人か誰かがいる可能性が高いから、近所の人に訊けばそれが誰なのかわかるかもしれない」
わたしは屋敷の綺麗な床を思い浮かべた。そういえば、連太郎と梨慧さんがそんなことを話していた。
「でも蜘蛛の巣があったから、最近は掃除してないんじゃない?」
わたしが言うと、連太郎が神妙な表情で頷いた。
「そこがネックだよね。……でも、あいつなら知ってると思うんだ。あいつの家、わりかし近所だしさ」
わたしの脳内に、同じ中学生の同級生の顔が浮かんだ。わたしは顔をしかめる。
「坂祝のこと?」
「うん。圭一なら知ってそうじゃないか?」
坂祝圭一は連太郎の友人だ。どこで拾ってくるのか、やたら噂話に精通している。それだけじゃなく、生徒の人間関係や好きなタイプも把握している。ついたあだ名は『情報屋』だ。まるでギャルゲーの主人公の友だちのようなスキルを持っている。
坂祝がギャルゲーの主人公の友だちだとするならば、連太郎が主人公ということになる。そう仮定してよくよく考えてみれば、金曜日の連太郎は女の子に囲まれていた。しかしその囲んでいた女の子は、『文学少女に憧れる超アウトドア少女』と『犯罪大好きな美人先輩』と『石が大好きな犬系先輩』といった、なかなか特殊な面々だ。……すごいどうでもいい妄想だなあ。
わたしは頭を振るってそれらを脳内から追い出すと、しかめっ面を苦渋の表情にグレードアップさせた。
「確かに坂祝なら知ってそうだけど、わたしあいつ苦手なのよね……。無駄にテンション高いから」
「まぁテンションは高いな」
「それに、そんなに何人もの人にこのこと喋っていいの?」
「それについては問題ない。木相先輩から許可はもらってる」
それならいいのか……。いや、まて。
「あいつ、噂をばらまくの好きだったわよね。言いふらされたら大変よ」
「大丈夫、大丈夫。圭一は噂を作ってばらまくのが好きなだけで、秘密を言いふらしたりはしない。ばらまく噂も、人を傷つけるようなものじゃないよ」
そりゃそうか。そんなやつだったら連太郎が友だちとして付き合っているわけないか。
「じゃあ、訊いてみる?」
「みる」
◇◆◇
その日の放課後。
「忍び込んだあああああ!?」
まだ人がけっこう残っている廊下で、木相先輩の相談から金曜日のことを坂祝に話したら、こんな答えが返ってきた。
当然、色んな生徒から注目の視線を集めることになった。
「声がでかい!」「声が大きい!」
連太郎と二人、坂祝の腕を引っ張って手頃な空き教室に入った。
「いやぁ~悪い悪い。びっくりしちまってついな。アイアムびっくりマンなもんでね」
坂祝は左手で頭の後ろを掻きながら、わけのわからないない言葉を紡いだ。色素が少し抜けた焦げ茶色の髪。大らかそうな顔立ち。身長はわたしより少し大きいから、男子の平均くらいだろう。
連太郎は肩を落とし、
「僕たち不法侵入したんだから、頼むよ圭一……」
「しょうがないだろ。突然捕まえられて、屋敷に侵入したなんて話を聞いたら誰だってああなるよ、普通」
坂祝は悪びれず言った。わたしはじと目を向け、
「普通は無言で驚くと思うけど?」
「お前と俺の普通は水と油並みに違うんだよ、風原」
「水と油をその比喩に出さないでよ、別の比喩かと思うでしょ」
「じゃあどんな比喩ならいいんだよ」
「もういいから」
わたしと坂祝の不毛な争いは連太郎によってとめられた。
坂祝は連太郎に向き直り、
「それで、果園先輩まで呼んで侵入してどうなったんだ?」
「二階で物音を聞いて、その部屋に飛び込んでみたら、もぬけの殻だった」
「それって幽霊!?」
連太郎と二人、唇に人差し指を当ててしーっと坂祝に釘を差した。坂祝は両手で口を抑える。
連太郎は溜息を吐くと、言葉を続けた。
「僕はそれを幽霊じゃなくて、人の仕業だと思ってる」
やっぱりそうだったんだ……。この間のことを思い出して一人納得する。
「あれが人だったとするならば、木相先輩のお兄さんの不可解な行動と合わせると、あの廃屋敷には何かがあると思うんだ」
「前から思ってたけど、お前探偵みたいだよな」
「そいつはどうも」
連太郎はまんざらでもない様子で返した。
坂祝は話が見えないといった表情を浮かべた。
「結局、お前たちは俺に何を頼みたいんだ?」
「廃屋敷の床、ずっと放置されていた割には綺麗だったんだ。何日か前までは除されていたみたいにな。あの屋敷の管理人、誰か知ってるか?」
「管理人かどうからわからんけど、佐畑利伸さんが出入りしてる」
即答だった。わたしと連太郎は目を剥く。
「箒とちりとり持って、鍵使って入るところを何回か見たことがある。最近は見ないけどな」
わたしは思わず口を開いた。
「じゃあ、あの屋敷の元主人は誰かわかる?」
それくらい知ってそうな雰囲気だ。
「それは知らん」
なーんだ。
「その佐畑さんって、どんな人なんだ?」
連太郎が純粋に気になる様子で尋ねた。
「五年前まで市議会議員をやってた人だよ。つっても、お堅かったり厳格だったりはせずに、親しみやすいおじさんだ。小学生とかに飴とか配ったりしてるし、町内の清掃活動にもかかさず参加していて、近所の人からの評判もいい」
相変わらず、何で知ってるのよと言いたくなるくらいの情報を有している。
連太郎はしばらく考え込む仕草(フィンガースナップの連打)をすると、
「今からその佐畑さんの家に連れて行ってくれないか?」
わたしと坂祝は目を見開いた。思わず尋ねる。
「会ってどうするのよ?」
「屋敷のことを色々と聞きたい。それから『神崎』さんのことも」
「教えてくれるの?」
「わからないけど……、」
連太郎は坂祝に視線を向け、
「圭一は確か映画研究会に入ったんだよな?」
「ん? ああ。それがどうかしたのか?」
「それなら、何とかなるかもしれない……」
にやりと笑う連太郎を、坂祝とともに怪訝な顔で見つめた。




