廃屋敷への侵入 2
少しの肌寒さを感じつつ、駆け足に学校前の坂を上る。途中で右に折れ、校門へと向かった。
暗がりだが、人影が視認できた。数は三つ。どうやら全員が揃っているようだ。
スカートのポケットからスマホを取り出し、時刻を確認する。八時十三分。木相先輩のお兄さん――京介さんという名前らしい――が謎の屋敷へ向かう時刻は正確に決まってはいないが、仕事で帰ってくるのが八時過ぎなので、必然的に時刻は八時以降ということになる。まだ安心だろう。
「人を誘っておいて一番最後に来るなんて、非常識もはなはだしいよー、風原ちゃん」
三人の人影に近づくと、そのうちの一つが前に出てその言葉を発した。
腰まで伸びた長く美しい髪。大人びて、美少女より美人の形容の方がしっくりくる顔立ち。いつまでも聞いていたくなるような、低くよく通る声。見た目の割にはのんびりとしたような喋り方。……あー、この人と会うのは約一年ぶりくらいかー。
わたしは彼女に言い返す。
「非常識とか、あなたが言わないでください。梨慧さん。それにわたしが誘ったわけじゃありません」
彼女の名前は果園梨慧。一つ上の先輩で、中学が同じだった。彼女の奇行に、連太郎ともどもさんざん振り回された記憶がある。
「久しぶりに会ったっていうのに酷い言いようだねー……。傷ついちゃうよ?」
梨慧さんは肩をすくめて言った。わたしは奥にいる連太郎に尋ねる。
「ねえ、本当に梨慧さん連れてくの?」
「おいおーい。まるで私が危険人物のようじゃないか」
「危険でしょ、実際」
わたしは連太郎に視線を飛ばし続ける。彼は嘆息したように、
「もしかしたら鍵とか掛かってるかもしれないでしょ? そうなったら、調べるもクソもない。だから果園さんは呼んでおいた方いいんだ」
「……まぁ、確かにそうね」
顔をしかめつつも、その理由には納得してしまう。仕方ないか……。小さく溜息を吐く。すると、さっきまで黙っていた木相先輩が口を開いた。
「二人とも果園さんと知り合いだったんだね」
「はい。同じ中学だったんです」
連太郎が答え、わたしは梨慧さんと木相先輩の顔を交互に見る。
「二人は知り合いなんですか?」
「いんや、私は全然知らないね。今日初めて会ったと思うよ」
「うん。私が一方的に知ってるだけだよ。果園さん、学校じゃけっこう有名だから。まぁ、この学校、有名な人多いんだけど」
なるほど。梨慧さんは中学でも有名人だった。というか、有名な人多いってなに? 優秀な人が多いの? それとも変人が多いの? 後者はやめてほしい。でもきっと後者なんだろうなと直感している。梨慧さんに木相先輩、ヨーヨー部の荒木先輩にオカルト研究会の西園寺先輩、漫才同好会の出っ歯先輩……もう考えるまでもない。
「んじゃま、雑談はこの辺にして、その屋敷とやらに向かおうじゃあないか」
梨慧さんの言葉に、わたし含め全員が頷いた。
◇◆◇
わたしたちは根無町へと歩き出した。道中三人の服装を確認すると、闇に紛れようという心持ちなのはわたしだけだった。
連太郎は赤色の長袖Tシャツにジーパン……じゃなくて、ジーンズって言うのよね。確か。たぶん。きっと。木相先輩と梨慧さんはなんとびっくりセーラー服。梨慧さんにいたってはスクールバッグまで持っている始末だ。まぁ八時だから問題ないか。
四人で住宅街の真ん中を歩いていく。深い時間ではないので、通り過ぎていく家からは明かりがもれている。話し声もときどき聞こえてくる。
「木相先輩、お兄さんは来ていないですよね?」
「ちょっとまってて」
連太郎からの不意の問いかけに、木相先輩は慌ててポケットを探る。
「えっと……まだ大丈夫だね」
「そうですか」
これをかわきりに、会話が始まった。
「そういえば、風原ちゃんと間颶馬君はどこに入部するんだい? 今日、入部届けの提出日だったよね? 月曜日でもいいらしいけど」
梨慧さんがわたしを見やる。わたしはひかえめに口を開いた。
「……芸部に」
「え? なんて?」
「手芸部です」
梨慧さんがぽかんと口を開けた。その表情を見て、鳩が豆鉄砲を食らったような顔とはこういう顔のことを言うんだ、と思った。やがて梨慧さんは顔を歪めると、お腹を抱え、近所迷惑なんて知ったことかというような大きな笑い声を響かせた。
「あっはっはっはっはっはっはっ! あの、風原ちゃんが……、手芸? いっひっひっひっひっひ!」
「笑い過ぎです」
憮然とした表情で言い返す。
「いやいや、これが爆笑せずにいられますかい。あの風原ちゃんが手芸なんて、面白過ぎるよ。中学二年のとき、市民マラソンで大人に混じって五位入賞した風原ちゃんが、手芸? ひゃっはっはっはっはっはっはっは!」
「もったいないですよねえ……。奈白なら日本の女子スポーツ界を背負えるほどのポテンシャルを持っているのに」
「へぇー、風原さんって凄いんだ」
「凄いですよ。空手と柔道で、それぞれ黒帯ですから」
色々と参事が飛び交うが、文学少女を志すわたしにとっては嫌みでしかない。
「風原ちゃんって、何? まだ文学少女とかいうわけのわからないものを目指しているのかい?」
「目指しちゃ悪いですか?」
口を尖らせながら返した。
「悪かないけど、無理でしょ。大方、手芸でもして女の子らしくなろうっていう魂胆だね?」
「そうですよ」
どうやらわたしの考えていることなどスリットお見通しのようだ。
「……とすると風原ちゃんは図書委員になったのかな?」
「はい……」
そこまでわかるのか……。まぁこの人もこの人で、連太郎には及ばないものの、けっこう高い推理力をもってるのよね。
「間颶馬君は何部?」
「特撮研究会です」
「君らしいね」
梨慧さんは今度は声を抑えて微笑んだ。馬鹿にされ尽くしたわたしは、肩をすくめて前を見る。先行する木相先輩の横顔が見えた。少しふくれている。ちょっと可愛い。
「どうかしたんですか?」
わたしが訊くと、木相先輩は、
「二人ともさぁ、空気を読もうよ。どうして岩石同好会に入部しなかったのさ」
どうしてかと訊かれれば、興味がないからと答えるしかない。ほんと、それ以外に何の理由もない。……確かにこの間の、部活説明会で浜町先輩が繰り出したとっておきの石は凄いと思った。話に聞いた通り、馬の頭部に見える石だった。でもそれだけだ。別にこれといって興味は湧かなかった。けれど、こんなに正直に言えるはずもない。わたしは適当な理由を取り繕った。
「浜町先輩に気を使ったんです。ほら、先輩は二人でいたいでしょうし」
「あんな、自らの目的のために石を利用する人と一緒にいるこっちの身にもなってよね」
怒るポイントはそこなのね。騙されていたことじゃなくて。って、ん?
わたしと同じことを思ったのか、連太郎が口を開いた。
「あの、同性愛っていうのは?」
「冗談に決まってるじゃん」
だよね……。とすると、浜町先輩は思いっきり、そして完全にふられたわけだ。可哀想に……。自業自得だけど。
「あっ、そうだ。梨慧さんは何部なんですか? 犯罪方法探求会とかですか?」
わたしは思い出したように言った。
その物々しい名前に木相先輩が勢いよく振り向いた。呆気に取られている様子だ。当の梨慧さんは、
「んー、それは一度作ろうとして、生徒会にとめられたね」
よかった。あの学校の生徒会がいたって正常で。
「だからま、演劇部に入っているよ」
「ちょっと意外ですね」
連太郎が驚いたような感想を口にした。わたしも同じ気持ちである。
梨慧さんは楽しそうに微笑んで見せた。
「いやね、現実で犯罪を犯せれないから、せめてフィクションでやってやろうと思ってね」
中学時代、よくこんな人と二年間も一緒いられたと、自分を胴上げしたくなった。




