04 誰が渡すかよ
「――大変そうだねぇ。私なんかとの電話で時間とって平気? 何か空気読めない電話してごめんね」
『いや、さすがにバイトの休憩中まで練習したりしないんで。つーかミウさんの声聞きたいと思ってたんで、むしろ嬉しいっす』
「……佳也クン、自重しようか」
『え、何がっすか?』
この恥ずかしいイケメンめ。
そのとんでもなくいい声でンなこと言われて平然としてられるほどこっちは枯れてないんだよ。
つーかその犯罪ヴォイスであまーく名前呼ばれたりしたら大抵の女オチるって。もう声フェチにはたまんない……
「……あ、だから無口になったとか?」
『はい?』
「いやいやこっちのこと」
艶声過ぎて普通に名前呼んだだけなのに勘違いされてそうだ。
声と顔のバランスがとれてるから尚のこと厄介。
出会ってもうすぐ半年、まだまだ佳也クンの色々には慣れそうにない。
「学祭、来月の二週目だっけ? スペル出るなら行こっかな」
『来てくれるのは……その、すげぇ嬉しいんすけど………大丈夫なんすか?』
めちゃくちゃ言いにくそうに切り出してくれたのにここで“何が?”なんてすっとぼけるのはさすがにNGか。
うーん…あんまり考えたくなかったっつぅかちょっと忘れてたとか……言えないわ。
あいつ関連のことは早く忘れるに限る。私の思考回路がそうやって経験を積んだ結果なんです。
私の脳みそがすっからかんだったわけじゃないです。多分。
「あー、大丈夫だと思う。あいつサークル入ってなかったはずだから学祭自体出ないだろうし」
『……そっすか』
「次会った時もし迫ってきたら間違いなく殴って撃退するから問題なし。ステップ入れて拳にちっさいライター握って」
『え゛』
「ほら何か握ってると拳に力入れやすいじゃん? 佳也クンには必要なさそうな小細工だけどさ。まぁ最終手段ですよねーあ、ちなみに一度実践済み」
『じ、実践って……』
「だから、顔面思いっきり殴った。言語通じなかったらもうボディランゲージしかないよね」
『…………殺しましょうか?』
「あはは……」
おっとー…余計なこと言い過ぎちゃったぜ。
どうやってボディランゲージに至ったかの経緯は言いたくないからとりあえず笑って流しておく。ついでに物騒な台詞も不穏な空気も流れてしまえ。
しばらくの無言、それから溜め息。
また“聞かない”って選択肢を取ってくれた優しいカレシさまに感謝。
「えーと、学祭、泉と智絵引っ張ってくから。次のロシアンレッドのライブ行けない分聴き行くから!」
『……わかりました。ミウさんさえよけりゃ俺はいいんで。ライブの時間わかり次第知らせますね』
「よろしくお願いしまーす」
来月頭のライブ、行きたかったけどちょうど卒論の中間報告と重なってて三人とも断念。
代わりにでかいステージで無料ライブやるってんだから行かないテはないだろ。
あれ、でも確か学祭って……普通にアーティストのカバー曲やる感じ?
高校の学祭で軽音部の演奏聞いた時はカバー曲だけだった。
一回だけ自分の大学の学祭に行った時も、ステージでやってたのは全部聞き覚えのある曲ばっかだった、と思う。
「ね、佳也クン。学祭ってもしかしなくても皆さんご存知的な曲やったりするもん?」
『らしいっす。そういうのに出たことないんで独特の勝手とかはわかんねぇんすけど、ハコん時より全体的に控えめにして一般人向けな曲やる方向っす』
「一般……槙野リイナとか?」
『……昭にそれ歌わすんすか』
「いや何か一般向けってのがうまくイメージできなくてさ」
最近若い女の子を中心に人気沸騰中の槙野リイナ。
“歌がかわいい”とか“歌詞が共感できる”とか聞くけど残念ながら私にはわからない世界みたいだ。
ちなみにタイトルだけいくつか挙げるとすると、
『ぴーち』『Sweet*kiss kiss kiss』『ねぇ、会いたいよ...』
…………これでわかったろう。私には縁のないもんだって。
『コピーでも基本的にロック系っすよ。今ンとこ予定してんのは……』
「あ、待ってストップ! 当日聴くまで秘密にしといて」
その方がおもしろいし。スペルがどんな曲をカバーするのか、勝手に妄想するのも楽しい。
個人的にロスエンやってほしいけど、マイナーどこだから微妙か。だったらもうちょいオサレ系のバンド中心かもしれない。アレンジとかすんのかなぁ。
「あーでも今聞いちゃいたい……んん~、でもー、うゃー…」
『……ミウさんって』
「あ、ごめん。キモい奇声あげてて」
『いや、そうじゃなくて。何か、ほんっと、油断できねぇくらい可愛いっすよね……』
「はぁ?」
『――あ、(今行きます)……すんません。下で何かあったみたいなんで戻ります。電話、ありがとうございました』
「は、あ……?」
彼には自分の声の破壊力というものをいい加減理解していただかないといけませんわね。
早急に対応を取らなければ、ワタクシの心臓が過労死してしまう可能性がありますわよ。
“失礼します”って出会った頃と変わらない挨拶で珍しくも先に切られたケータイを見つめる私の顔は、間違いなく赤いと思う。
× × ×
地獄、続行中。
「……何でバラードなんか…」
文化祭でわざわざバラードやるやつなんていねぇよ。何だこの博打。すべったらどうすんだよ。
苛々しながら自販機の前でコーヒーを一口。
「クソが……」
……いや、バラードに罪はねぇ。ただ俺がむちゃくちゃ苦手なだけで。
速弾きの曲もあんま出さなかったけど『Black Tempest』からはもう色々吹っ切れたし、元々は好きな系統だった。
けど、バラードは今まで完全に敬遠してた。うちのバンドでガチなバラードは初期に創った一曲しかない。
プレイスタイルから言って俺が、曲調から言って昭が、一番苦手なパターンだ。
「はぁ……」
テンポが遅めでなだらかなメロディラインだと、どうしてもうまく音が溶け込めない。
曲調に反して自分の音が響き過ぎて、いつも曲のまとまりを崩しちまう。
だからって“できない”は許されない。
俺だってそんな投げ捨て方は嫌だし、そもそも京介がンなこと言わせない。
幅を広げるにはいい機会だと思って、地獄を甘んじて受けることにする。
バラード自体が嫌いなわけじゃねぇし、むしろミウさんに前にバラード聴かせた時に“もっと練習しねぇと”とは思ってた……思ってただけだけど。
この前歌詞渡したら“次は切なめリリックとかいってみる~?”とか恐ろしいこと言ってたし。
そっち方向書こうとしたら不毛な関係の歌詞ができあがった実例があるの知ってるくせに。
……まぁ、それも経験か。
残りを一気飲みした空き缶を投げてゴミ箱へ。
そろそろ防音室が空いた頃だろう。待たせるとめんどくせぇ。
階段を上がって三階、奥に行けば防音室……って。
「…………」
「…………」
二階と三階を繋ぐ踊り場。
見覚えのあり過ぎる男が俺の前に立ちはだかる。
冷静に避けて通ろうとしたら、また進行方向に立ちはだかって。
……こっちはミウさんのために穏便に冷静に冷静に我慢してんのに、そんなに殴られてぇのか。
「邪魔、なんすけど」
ぎりぎりンとこで敬語は使ったけど目がきつくなるのは抑えられない。
邪魔だ。早く目の前からいなくなれ。
「お前、美雨と別れろよ」
……開口一番、これか。
あっさりと言い放ったこいつの顔面を今すぐ潰してやりたいけど、ンなことしたのミウさんが知ったらいい気分はしないだろう。
“ミウさんのため”
それを思うだけで随分俺も抑えが効くようになった。
「何でテメェにンなこと言われなきゃなんねぇんだよ。うぜぇ」
ただ、敬語を使う価値は完璧になくなった。辻本さんの友達だろうがどうでもいい。
お互いそう思ってんだろうけど――存在自体が目障りだ。
「お前何なんだよ。俺は高校入った時から美雨が好きだ。綺麗で凛々しい美雨が好きなんだよ。愛してんだ。ぽっと出のお前なんかより俺の方が遥かに美雨に相応しいし、美雨をわかってる」
独自の理論を展開してくこいつが心底うっとうしい。
ミウさんのこと本当にわかっててンなこと言ってんだったら頭の機能を疑う。
どう考えてもミウさんの一側面しか見てないだろ、こいつ。そんなんで何ほざいてんだ。
……抑えろ。殴るな。オトすのも折るのも駄目だ。ミウさんに迷惑かかる。やめとけ、無駄なことすんな俺。
「お前、邪魔なんだよ。お前さえいなければ美雨はわかってくれる。前みたいにちゃんと俺を受け入れてくれるんだ」
つい出そうになった拳に目一杯意識を集中させて、何とか元の位置に戻す。
その間もミウさんのため、ミウさんのため……呪文みたいに頭の中で繰り返しておく。
そんなことやってると片隅に“俺もこうなるのかもしれない”とか一瞬だけ絶望的な考えが浮かんだ。
もし、もしミウさんが別れたいって言ったら。
考えただけでどん底に落ちたみたいな気分になるし、多分その瞬間俺は泣くだろう。
心底情けないけど想像するだけですげぇ、きつい。
けど、こんな見苦しい真似はしたくない。
ミウさんを困らせて悩ませて最低のとこまで嫌われるなら、どんだけ辛くてもすっぱり別れた方がいい。
あの何の表情もない冷たい顔をさせたくない。俺のせいでミウさんが笑えなくなるなら、一生会わないようにする。
――この先、もし同じ立場になったとしても、こいつには共感も同情もできねぇ。
真っ暗過ぎる妄想をしたせいで頭の中が冷えていく。
爆発しそうだった感情が落ち着いてきて、さっきまで力が入ってた拳も少しずつほぐれてくのがわかった。
「……あの人がテメェに会って嬉しそうな顔したのか。“会いたかった”って言ったのか」
「っ……うるさい」
「あの人にあんだけ迷惑かけといて“愛してる”って? “受け入れてくれる”だ? ふざけんじゃねぇ」
「るさい……」
「あの人の気持ち無視してテメェのわがまま押し付けてんじゃねぇよ。
あの人の隣にいるのは俺だ。あの人がそうやって許した。なら、邪魔なのはテメェだろ」
ガッ――
返事より先に返ってきた拳を掌で受け止める。
予想しててもしてなくても、これくらい見切ることはできる。
ここでカウンターを食らわしてもよかった。
けど、それじゃ今までの我慢が水の泡だ。
それに、“ミウさんのため”って呪文にプラスして――海でミウさんに言われたことが、大きなストッパーになってる。
『人殴るよりさ、ギター弾く方が似合ってるよ。
私、ギター弾いてる佳也クンの手、好き。すごい綺麗』
今からギターを弾く手で人を殴るのは、あの綺麗な瞬間を汚してるみたいで嫌だった。
「あの人は渡さねぇ。誰が渡すかよ。やっと、手に入れたのに」
真正面から言い聞かせるようにゆっくりと言葉を吐く。
勿論、到底納得してなそうな目つきが返ってきたけど関係ない。
俺が言いたいことは言った。
これ以上ミウさんの周りうろつくならもう次は我慢しねぇ。
鼻が潰れようが歯が折れようが容赦もしねぇ、ミウさんに近づかなくなるまで殴ってやるよ。
「かーやー?!」
「ッチ……」
でけぇ昭の声が響いて、小さい舌打ちをした男が俺の手を振り払って階段を駆け下りていく。
さっさと消えてほしかったから好都合だった。
「かーやーぁ?!!」
深呼吸をひとつして。
重苦しい苛立ちとか怒りとか、そんなドロドロしたモンを散らすように頭を振ってから、俺は残りの階段を上りきった。




