第二十一章 まるで、それは世界最期の日のようで…… 4
メビウスは、そいつが現れたのを理解する。
真っ赤なドレスを身に纏っていた。
胸や腰を強調し、妖艶な色気を漂わせている。
「お前は、この世界を混沌へと変えていきたいのだろう?」
メビウスは訊ねる。
空間と空間、次元と次元の位相が歪み、軋んでいく。
フルカネリは唇を歪めていた。
「ふふっ、その通りですわ。それにしても、貴方が行ってきた事を私は無為にしようと思っていますの。これまで積み上げてきたもの全てを」
「そうか。ならば、私は産みの親を倒すしかないのだろうな」
メビウスは酷薄な声で言う。
もし、人であるならば、何かしらの激情を露に出来たのだろう。
……一触即発だった。
しかし……。
どしゅり。
どしゃぁああっ、と。地底城の上空にて、亀裂が走っていた。
亀裂の中から、爪が生まれてくる。
二人の戦いには、茶々が入れられる。
「おい、てめぇら、マジでふざけるなよ?」
フルカネリは振り返り、明らかに困惑した顔をしていた。
「お前はルブルの精神エネルギーで動いている筈。ねぇ、何故……?」
「さあな? また呼ばれた、てか、もうすぐ時間切れだ。俺様は再び、次元の向こう側に向かわざるを得ない。この世界に留まれない。しかし、てめぇえは赦せねぇええええっ」
ニーズヘッグが姿を現していた。
そして。
一瞬にして、フルカネリを掴み取り、次元の亀裂へと引き戻していく。
フルカネリは有らん限りの罵倒を述べ続けるが、力を巧く行使出来ないらしく、そのままニーズヘッグのアビス・ゲートの闇の中へと喰われていく。
余りに、そいつはあっさりと消し飛んでいってしまった。
メビウスは唸っていた。
ニーズヘッグ。……やはり、この世界には存在してはいけない化け物だった。
「じゃあな、明日からは世界は平和になるんじゃねぇのか? 俺様も幕を降りるぜ。生きていれば、また会えるんじゃねぇのか? 時間切れだ」
空を稲妻が引き裂いていく。
メビウスは、ゆらゆらと揺れながら地面へと着地して、ウロボロスを解除する。
†
ケルベロスは、メアリーのいた大広間に戻る。
すると、そこには、メアリーらしき磔にされた首無し死体と、地面に倒れたアイーシャの姿があった。
そして。
ルブルが、空ろな眼でメアリーの死体へと駆け寄っていく。
ケルベロスは倒れているアイーシャを掴んで、肩に背負う。
「お前は後の事を考えて、始末しておいた方がいいのかな?」
彼は、ルブル自身に訊ねるように言う。
「さあ? 私は何かもう、どうでもいい。元々、ダートはメアリーが望んでいた。世界を憎悪の坩堝に変えたいと。十三名集めたい、って、色々思い付いたのは私。彼女とは色々な世界も巡った」
「そうか…………」
「ケルベロス……」
ルブルは涙を流し続けていた。
「どうやら、ニーズヘッグを再び呼び寄せた事によって、この地底城と周辺が、彼の『アビス・ゲート』の深淵へと飲み込まれて、消滅しようとしている。このままだと、みんな消えて死ぬわね。でも、時間はある……、逃げるには充分な時間。なら、その前に……」
ルブルは、両腕を広げていた。
「ケルベロス、アイーシャ、貴方達だけでも始末する。メアリーの餞の為に……」
彼女がそう言うと。
ぼとり、ぼとりと、辺りから死体の群れが集まってくる。
ケルベロスは、それを淡々とした顔で見ていた。
「無駄だって分かっているだろう?」
彼は冷たく言い放つ。
それでも、ルブルは止めずにいるみたいだった。
「クルーエル…………」
ルブルにそう言われて。
床下から、腕のような形状になった石化ガスが這い上がってきた。
「これで、貴方達を石に変える」
「ふん」
そう言うと。
ケルベロスは、無言のままアイーシャを連れて、城の外へと向かっていく。
後には、呆けた顔のルブルと、困った顔をしたクルーエルが取り残されていた。
†
「おいっ」
セルジュは肩に背負ったペイガンを降ろして、地底城を脱出していた。
隣には、四天王の生き残りであるカルナッソがおどおどとした顔で、セルジュの機嫌を伺っていた。
「あの、その、貴方達が空を飛んで、逃げられないって言いますからねえ。私は貴方達を背負ってですね…………」
メアリーが死んで、幻覚の実体化によって維持されていた吊り橋は消えてしまった。
その為に、セルジュは仕方無く、カルナッソを脅して向こう側まで渡ったのだった。
「駄目だ。古墳ってあるだろ? ピラミッドもだったかな? 君主が死んで埋葬する際に、そいつの家臣なども埋めるんだよ。生きながら埋めるって話も与太かもしれんが、聞いた事があるなあ。そういうわけで、何だ、その、諦めろ。どうせ、ルブルも死ねば、お前、動かなくなるんだから」
そう言うと。
セルジュは問答無用で、カルナッソの首と、乗っていた海亀の首を跳ね飛ばす。それらは、暗くて深い崖の下へと落下していく。
「さてと…………」
セルジュはそのまま、一向に目を覚まさないペイガンを背負いながら、地上へと上がっていく。
敵からの追撃や待ち伏せも覚悟していたのだが、そういう気配が無い。
あるいは、自分達が生きていた事を知らないが、忘れているのだろうか……。
「これから、どうするかな……」
メアリーが死んだ事を理解したせいで、喪失感が酷い。
彼は泥水でべたべたになった黒髪を撫でながら、早くシャワーを浴びる事を考えていた。
彼は地上へと続く、階段を上り始める。
外には、マシーンが幾つか置いてあった筈だ。それで、街を出ようと思う。それから先は何も考えていない。多分、ドーン側から賞金が付けられているのだろうが、もはやどうでもいい。
途中、通信機が鳴り続けたので、応答してみる事にする。
「…………何だと? そいつは困るな。てか、いっそドーン側の伏兵の待ち伏せで、俺を殺しに来て欲しかったもんだな。しかし、そんなふざけた提案には乗れねぇよ。自分達で後始末すればいいんじゃねぇの?」
そう言って、セルジュは通信を切る。
ミソギの部下達からだった。……ミソギが死んだ為に、組織中が混乱していると。よく分からないが、セルジュに幹部になって欲しいと言っていた。下らない。金なんざ無意味だ。
……影武者でも何でも、立てて、しばらく誤魔化せばいいんじゃねえの?
そんな事を考えてみる。
それにしても、これから本当にどうしたものか。
ただただ、酷い喪失感ばかりが心の中には漂っていた。
†
ルブルは呆けた顔で、崩れゆく城の内部を見つめていた。
<おい、ルブル>
背後で、何者かが囁く。
「何かしら……? ニーズヘッグ……」
<お前、此処から逃げなくていいのかよ? 俺様のアビス・ゲートに喰われちまうぜ?>
「別にいいわよ……、もうどうでもいい」
<そうか。じゃあ、最後の力を使ってやるぜ。俺様の慈悲に感謝しろよ?>
ぽつり、ぽつり、と、ルブルの周りに、黒い闇が生まれていく。
「あら、何かしら? これは……?」
<消滅しないが、……代わりに、お前を、異世界の何処か向こう側へとすっ飛ばしてやるよ。此処からは、遥か遠い次元なのかもな? まあ、お前の弟と、その磔にされている奴も連れていってやる。せいぜい、生き返らせる手段でも考えてやればいいんじゃねぇのか?>
「あははっ、随分と、優しいのね?」
<どうだろうな。俺様は気まぐれだからな。じゃあな、俺様の意識は、もう次元の果てへと向かっている。もう消えて無くなりそうだ。じゃあな、また何処かで会えるといいかもな? ただ……、彼女の手を放すなよ? …………>
ルブルと、疲れて気を失っているクルーエルは暗い闇の中へと飲み込まれていく。
傍らには、メアリーの首無し死体が、黒い空間を彷徨っていた。
ルブルはメアリーの左腕を握り締めていた。
涙が留め止めもなく溢れて、止まらない。
異界の風が吹き荒れる。
右手で掴んでいたクルーエルは、いつしか人形へと変わってしまっていた。
左腕で掴んでいたメアリーは……。
ルブルは、メアリーの首の断面図を見る。
もう二度と、もう二度と……彼女が、自分に話しかけてくれない事を理解する、死体を操ったとしても、もう彼女の意識は、精神は、魂は、此処には無い。何処か、遠くへと飛んでいってしまった。
その事を完全に理解すると。
ふっ、と。彼女は左手を放していた。
メアリーの肉体が、暗い闇の中へと吸い込まれていく。そして、風に当たりながら、細切れに砕け散っていく。ルブルはひたすら号泣し続けていた。
全ては、闇へと消えていく。この想いも、何もかも……。
彼女と生きた時間も……全て……。
†




