第四十八話
「こっち」
骸骨どもから逃げる時には、俺が先を走っていた。だが、追跡を振り切ってから、道が分岐するところに差し掛かると、もうその先はどうすればいいかわからなくなってしまった。
「ここはこっち」
「お、おい」
だが、エレオノーラはここまで自力で迷い込んできた。俺と違って、罠にかかって壁を抜けてきたわけではないらしい。そして、道筋を覚えているのだろう。ほとんど迷いなく行き先を指し示し、俺を先導した。
「本当にこっちなのか」
「こっち」
「骸骨どもが出るかもしれない。気をつけた方が」
罠だって、どこにあるかわかったものじゃないのに。だが、彼女には一切の迷いがなかった。それもわからなくもない。来た道に罠があったら、とっくに彼女は死んでいる。ということは、既に通り抜けた場所なら、ほぼ安全なのだ。
という理屈はわかるのだが、どうにも釈然としない。こんなに記憶力がいいのはなぜだろう? それに……
「着いた」
不意に彼女が足を止めた。出口か? それとも、二人と合流できるのか? そう期待して、松明の光で室内を照らし出してみたが、人の気配などまるでない。もちろん、外の光が垣間見えたりもしない。
ただ、特殊な部屋らしいのは間違いなかった。まず、壁と天井が他と違う。四方が通路と接続されているが、部屋の形自体は半球形だ。天井がアーチ状になっているのは、それだけこの空間に重量がかかっていることの証拠だろう。壁面は薄い緑色で、これも他と違っている。そして、床の中央には何か複雑な模様が刻まれていた。巨大なマンホールの蓋を思わせるそれには、細かな穴が無数に開いており、その下には何があるのか……ゆったりとだが、空気の行き来があるのがわかった。
「これは?」
俺が首を傾げていると、彼女は言った。
「これで兄に会える」
「なに?」
「そこ。そこに立って」
どういうことだ? どうしてこんなもので兄に会えるなんて断言できる? 合理的に考えて、エレオノーラの言動には、やはり不審な点がある……。
俺は振り返ると、あくまで説明を求めた。
「どうして兄に会えるとわかるんだ? 君はいったい」
俺の言葉は、そこで途切れた。
「うおっ!?」
急に足が意図しない方向に引っ張られるのを感じて、俺はつんのめって床に手をついた。そのまま、足先の方向に引っ張られていく。
「ちょっ!? なんだ、なにが」
何かが俺の足を捕まえ、引っ張っている。だが、松明は俺の頭の方にある。よく見えないが、ロープのようなものが両足に絡みついているみたいだ。なら、黒霧で断ち切ってしまえば。だが、そう思った時には既に遅く、両手にも何かが絡みついていた。
パッ、と頭上が明るくなる。
「うつ伏せではつらかろう。どれ」
無口だったエレオノーラが、急に饒舌になった。声色も、少しだけ低くなったような気がする。
そう思った瞬間、強い力でひっくり返され、背中から床に叩きつけられた。
「妾を助けにきてくれて、本当に感謝しておるぞ、ナールよ」
見た目は少女。だが、口調が明らかにさっきまでと違う。いや、これが本来の姿で、今まではただ、少女を演じていたのか? 無口だったのは、素が出るのを防ぐため、本音を知られまいとして、か。
拘束を振り払って逃げ出したいところだが、それは難しそうだった。両手両足には、緑色の蔦のようなものが固く絡みついている。
「言葉と行動がちぐはぐだぞ」
「いいや? そんなことはない」
高圧的な、という表現がしっくりくる声色。もう間違いない。最初からこいつは俺を罠にはめようとして、声をかけてきたのだ。しかし、なぜだ? 金目当てということはないだろう。といって、他に俺をつけ狙うとすれば……。
「お前は誰だ? 勇者の仲間か?」
「勇者? なんのことじゃ」
話が噛み合っていないとお互い気付いて、会話が途切れた。
「ふん、まぁいい。そなたが何者であれ、重要なのはただ一点のみ」
「なんだ」
「その身に宿す膨大な魔力。そなた一人で国一つに匹敵する。それを正直、こんなに簡単に捕えられるとは思わなんだぞ」
魔力……そうだ、確かに俺には、並みの人間ではあり得ないほどの魔力が備わっているらしい。トゥラーティア王女の宝玉に最も強く反応したのが、俺の魔力だったのだ。
「魔力があったら、どうだというんだ」
「もうちまちまとそこらの雑魚どもを捕えずともよいということよ。不老の力を得るには、それなりの魔力がなければならぬ。じゃが、この前は、国一つを潰しても、妾が休眠することを受け入れねば、魔法を発動させることができなかった」
「なんだって?」
不老? つまり、老化したくなくて、そのために魔力の源を欲していた?
「じゃあお前は、歳をとるのがいやで、若くい続けるための魔法を使いたくて、生贄を探していた?」
「簡単に言うと、そういうことじゃな」
そして、他人を魔力の源として利用する場合には、ネガティブな副作用があるのだろう。だんだんとパズルのピースが揃うのを感じてきた。
「ってことは、この遺跡で見つかる変死体ってのは」
「安心せい。魔力を根こそぎ吸われたとて、すぐに死ぬわけではない。数日間は生きられよう。というより、生きてくれねば困る。途中で死なれたら、魔力の移譲が完全には終わらぬからな」
魔力を吸われた探索者は解放される。すぐに死ななければいいだけだし、どうせ魔法が完成して魔力をすべて奪われたら、衰弱死するのだ。
「ずっと捕まえておけばいいんじゃないのか」
「それでもいいのじゃがな。貴様ら墓荒らしどもの死骸や糞便で、無駄に妾の聖域を汚されたくもない。それに、変に身柄を押さえたままにしておくと、馬鹿どもが助け出そうと足掻くこともある。それなら、もっと手っ取り早いやり方があるゆえな」
嫌な予感がした。つまり、こいつは魔力を吸い取るだけではない。このまま俺を遺跡の外に出しても、口封じできると考えているのだ。
「何をする気だ」
「知れたことよ。妾の得意とする魔法、魅了の術をかけて、そなたを我が奴隷とする。あとは外まで送りだしてやるゆえ、ここでのことを口外せずに死ぬまで大人しくしておればよい」
これで材料は揃った。
要するに、こういうことだ。
「お前が……この遺跡の女王、アリエノール」
「わざわざ同じ名前を名乗ってやっておるのに、やっと気付くとはのう」
彼女は呆れたようにそう呟いた。
「なぜだ」
「なぜとは、何がじゃ?」
「お前のことは、少しだけ知っている」
この状況はまずい。両手もしっかり拘束されているので、黒霧ではこの蔦を切り払うこともできない。雷の指輪も、狙いを定めることができないから、役に立たない。自力での脱出は不可能だ。
とすれば、俺にできるのは二つだけ。時間稼ぎと、交渉だ。
「ほう?」
「エクス人の昔話になっていたぞ。ピラミアに移り住んだ、とある王家があったと」
「そうじゃな」
「最後の女王は、優れた君主だったと伝えられていた」
俺の指摘に、彼女は大きく頷いた。
「当然じゃろう。妾ほどの優れた魔術師は、そうはおらん。自らを屍にせず、不老を成し遂げた者は、歴史上、何人もおらんのだぞ」
何かズレた回答に聞こえる。女王としての優秀さと、魔術師としてのそれは、必ずしも同一ではない。
「おとぎ話に残っているのは、近隣の国々との戦争だそうだが」
「ほう? まぁ、それも不思議はない。戦など、妾が少し魔法を使えば、あっという間に決着がついたからのう」
とすると、やっぱりわけがわからない。
「それなら、国を治めるのはうまくいっていたんじゃないのか」
「当然であろう? 当たり前のことをなぜ問うのじゃ」
「でも、最後はお前が国を滅ぼしたそうじゃないか」
「はて」
彼女は首を傾げた。
「なんのことじゃ?」
「なに?」
「国を滅ぼしたと言ったようじゃが」
「滅んだんじゃないのか」
「滅んでなどおらんぞ」
そんなことがあるものか。アスカロンは現在、商人達の寄り合い所帯で統治されている。女王の所領ではないのだ。
「妾が生きてここにおるではないか」
「はぁ?」
「妾は王国そのもの。ならば、妾が永久に生き続けるなら、王国もまた不滅であろう」
何を言わんとしているかを理解して、俺は絶句した。
彼女は、生まれながらの王族なのだ。民あっての王、なんて発想はない。王は王であるがゆえに王なのだ。そこに迷いがない。民は王のためにある。それで終わり。
「じゃ、じゃあ、もしかして、この遺跡の骸骨どもは」
「おぉ、我が愛すべき臣民どもじゃ。生きておるうちは妾に仕え、死ぬ時には魔力を献上し、死んだあとにはこうして妾の寝所を守り続けておる」
そうやって彼らの命を使い捨てたことに、何の罪悪感も後悔の念も抱いていない。それが当たり前だと思っている。
「馬鹿な……他にやりようがなければともかく、国が栄えていたのなら、どうにでもなったはずじゃないか」
「どうにでもなった、とは?」
「例えば、お前が王族の最後の生き残りなら、誰か夫を王配に迎えて、子孫に玉座を伝えていけば」
すると、彼女は首を振った。
「それは無理な相談じゃな」
「なぜだ」
「知れたことよ。説明されねばわからぬか?」
彼女は、本気で俺を憐れむような目で見下ろして、言い放った。
「この世に妾ほど美しく、優れた者が他にいようか? いったい誰が妾の夫になり得るほどの長所を備えているといえるのか? そのような者がおらぬ以上、夫を迎え入れるなどというのはあり得ぬことよ」
予想された答えではあった。一点の曇りもない、完成された自己愛。
「考えてみれば、妾は哀れな身の上よ。お前達下々の者どもは、天上に輝く妾の姿を目にして、これを伏し拝み、愛することができる。じゃが、妾にはそれができぬのだからな」
「そこまでいくと、凄いとしか言いようがないな。俺は別に、お前のことなんか愛してないぞ」
「これから愛するのじゃ」
エレオノーラは、身動きできない俺ににじり寄ってきた。顎に手を当て、その赤い双眸で俺の目を覗き込む。
「運がよかったのう」
「な、なにが」
「助けが来なかったことじゃ。せっかく時間稼ぎをしたのに、誰も駆けつけてこなかったとは……そなたはつくづく運が良い」
見抜かれていた。
「ぎゃ、逆じゃないのか。助けが来ないなら、運が悪い」
「間抜けめが。あの二人の女がここに駆けつけてきていようものなら、今頃、消し炭になっておるわ。間に合わぬからこそ、命をなくさずに済んだのじゃ。それとも何か、そなたはあの女どもが死んだ方がよかったのか?」
魔術は準備がなければ発動しないというが……エレオノーラに関して言えば、そのレベルの高さゆえか、それとも既に準備ができているのか?
「だったら、最初から俺達が遺跡に入った時点で、他の連中ともども皆殺しにすればよかったんじゃないのか」
「それもできぬことではなかったぞ? 妾を侮るでない。そもそも、そなたを妾のいる通路に誘導したあの罠、あれも妾が念じて動かしたのじゃからな?」
道理で、と納得する。ヴァン族の連中を叩き潰した罠はともかく、その後の壁が抜けたのは、どうも違和感があった。あれはエレオノーラが俺だけ引っ張り出そうとして、わざと開けたのだ。
「それに、この遺跡にいる臣民は皆、妾の思うがままじゃ。何千何万といるあの者どもをすべてぶつければ、今でも街一つくらい、簡単に焼け野原にできようぞ。じゃが、それでは、万一、妾の存在が知れ渡ってしまった場合、もう魔力を吸われにくる愚か者がいなくなってしまうやもしれぬ」
だとすると、今の話がハッタリでなければ、つまり、俺にできることはもうない。時間稼ぎをしても彼女に勝てる手駒がいないのだ。或いは勇者、天野あたりが駆けつけてきたとすれば話は違うかもしれないが、その場合、俺も纏めて殺される。
そして、交渉の余地もない。エレオノーラが欲しているのは俺の魔力で、それを吸い出されたら、俺は避けがたく衰弱死する運命だ。いや? 他の勇者の命で代わりにしてもらえるなら……だが、これも成り立たない。せっかく捕らえた俺を解放して、他の勇者を捕まえにいく理由が、エレオノーラにはない。
「心配はいらぬ。そなたが苦痛を味わうことはない。それどころか、これまでの生涯で最も幸せなひと時を与えられるのだぞ?」
「なんだって」
「誰も愛せぬ妾と違って、これからそなたは妾の得意とする魔法で、心から妾のことを愛するようになる。思うに、これほどよいものはなかろう、心から人を愛して過ごすというのは」
先に魅了の魔法をかけ、抵抗力を奪ってから、魔力を吸い出す呪法を施すと、そういう手順らしい。
冗談じゃない。ただ殺されるより、ずっと悪い。俺が俺でなくなる。自分の意志を奪われるなんて。
「無駄じゃ、無駄じゃ。暴れたとて、その茨は決して解けぬ。それと、その指輪の魔法も、妾には通用せぬぞ? なに、恐れることはない……さぁ、妾の瞳を覗き込むがよい……」
その言葉と同時に、彼女の赤い瞳が急に大きく見えた。まるですぐ頭上に、巨大な赤い月が、それこそ空を埋め尽くすほどの大きさで迫ってきているような。頭の奥が熱い。意識が、思考が散り散りになっていく。
だが、その時間も長続きしなかった。気付くと、エレオノーラの顔が、元通りすぐ近くに見えた。確かに美しいと思う。銀色の髪、赤い瞳はアルビノゆえだろう。だが、繊細な造りの顔立ちには、それがよく似合っている。
ところで、彼女は何をしているのだろう? まだ魔法はかかっていないのか? かけている途中なのか? じっと俺のことを見つめ続けているのだが……。
「はぁっ」
急にエレオノーラが溜息をついた。
「なんということ」
「ん? え?」
「お、おぉぉ」
呻きだした彼女は、いきなり頬を染めたかと思うと、そのまま動けない俺に顔を寄せ、そして熱烈な口づけを浴びせてきた。
これも魔術の一部? ではない気がする。
「いったい何が起きたのじゃ? おお、ナール、そなたのことが気になってならぬ! もどかしい、もどかしいぞ! なぜそなたはこんなにも遠くにいるのじゃ!」
「遠くって、いや、手が届くところにいるだろ」
「いやじゃ、いやじゃ! 妾の血肉とそなたのそれが、なぜ離れ離れでなくてはならぬのか! おぉ! こうしてそなたの温もりを感じようとも、不満しかない! このような不自由はなぜ……」
そこまで喚き散らしてから、エレオノーラは少しだけ正気に戻った。
「馬鹿な、そのようなことがそなたにできるはずがない」
「は?」
「妾が何の備えもなく、魅了の魔法を使うと思うのか。呪いが跳ね返されればどのようなことになるか、それくらいは考えておったわ。そして、そなたの魔術の力量も、既にこっそり量っておったのだ。どう考えても、妾の魔術に対策などできようもなかったのに」
ということは、もしかして。エレオノーラは俺を支配しようとして魔法を使ったのに、それがどういうわけか、跳ね返されて、自分にかかってしまった? そして、そのことについて自覚がある?
「お前が俺に魔法をかけようとして、しくじった?」
「そうではない! 妾の魔法は完璧じゃ! じゃが、それがどういうわけか跳ね返されて、逆にかかってしまったのじゃ!」
「だったら、呪いを解けば済むだろう? それはできないのか」
「できる!」
おっと。それはできるのか。
「できるが、したくない!」
「はぁっ!?」
「こんなにも……おぉぉ、人を愛するとは、こんなにも満たされるものなのか」
「落ち着け、おい、お前、自分の魔法のせいだってわかってるよな?」
「わかっておる。わかっておるが、やめる理由がない。ナールよ、そなたに王配となる資格を与えよう。今日よりそなたは我が夫じゃ」
性質が悪すぎる。自覚があっても、魅了の魔法が強烈すぎて、自分でも解除する気になれないなんて。
「そ、それならとりあえず、この拘束を外して」
「断る」
「は?」
「先にまず契りを交わさねば……のう、ナール、我が夫よ」
「ちょ、ちょい待て! 冷静に!」
「待たぬ」
すっくと立ちあがると、彼女は自分の服の襟に手をかけた。
「結ばれようぞ、永久に」
……それから、どれほどの時間が過ぎたのか。
廊下の向こうから、足音が近づいてきていた。俺はもう、自分の運命を疑っていなかった。要するに、またあの女悪魔の策略にはめられたのだ。
だが、ここまで駆けつけてきた仲間達の姿を横目に見た時、さすがに羞恥心が溢れ出すのを止めることはできなかった。
「ナール様! ご無事……」
先頭切って部屋まで駆け込んできたのは、シルヴィアでもサビハでもなかった。雇われの冒険者を引き連れたマグダレーナだったのだ。




