第42話 運命の二人
その日もいつものようにサンドラは城門に立って、バイバル地方のほうを見ていた。
「今日は涼しいわね」
「ええお嬢様。椅子を」
サンドラは少し考えた。
「いいえ、結構だわ。シーンが来たら気を悪くするかも知れないもの」
「そんな。足がむくまれては美容にも良くありませんよ」
「うん。それもそうね。でもまだいいわ」
「左様でございますか……」
その日の午前中だった。人々の往来も多くなり、民衆たちはサンドラを誉める言葉と気遣いの言葉をかける。サンドラはそれに微笑んで答えた。
そうしているうちにサンドラが予想もしていないことが起きたのだ。
民衆たちが遥か先を見据えて声を上げサンドラのほうを向く。サンドラはなにが起こったか分からないが、みんなの視線のほうを見つめた。
サンドラが見つめる先に、だんだんと大きくなる人影。それは白馬に跨がり長いまとめられた金髪を輝かせた男だ。それがこちらにやってくるではないか。
サンドラはそれを見て涙する。明らかにそれはシーンであったのだ。
サンドラの四人の護衛は、何かあったらいけないとサンドラの前に立って壁を作る。しかしサンドラはそれを押し退けて前に出た。
シーンはサンドラの前に立っても下馬することをせずに見下ろしたまま。サンドラは赤い顔をして見上げながら一言もでない。
しばらく二人はそのままだった。
「シ、シーン。わ、私を前にしても下馬しないなんて無礼な人。で、でも許してあげる──」
サンドラはいつも通り素直になれない。そんなサンドラにシーンは突然行動を起こした。
馬から半身を倒してサンドラの腰を両手で抱くと、荒々しくそれを掴んで自分の前に乗馬させる。
護衛は驚き、一声上げて自分の馬へと急ごうとしたが、シーンは馬を駈って城門の外へと行ってしまい、護衛が体勢を整える頃には、どの道へ行ってしまったのか分からなくなってしまった。
シーンは終始無言だ。だが手綱を握りながらサンドラをきつく抱いている。サンドラは状況がつかめず混乱したが、シーンの体に密着して嬉しい気持ちだった。
やがて人気のない木々に囲まれた池のほとりにたどり着くと、シーンはサンドラを抱えて馬から降りた。
「あ、あの……。シーン。なにを──」
黙っていたシーンだったがようやく口を開く。
「幼いとき、君と初めて会った。父に連れられ公爵家に行ったときだ。君は覚えているかな?」
それにサンドラは顔を赤くして答えた。
「覚えてる──」
もじもじした様子のサンドラを見て、シーンは輝くように笑った。
「君は“うすのろ”な私に絵を指差して本を読んでくれた。言葉も教えてくれた。それでも私が何も話せないと分かると、キミはおままごとをしてくれた。使用人の一家だ。私は夫役でキミは妻役だった。楽しくて笑った思い出がある。私はやさしい君と友達になりたいと思った。それが私の君への印象だったんだ」
その言い方はとても優しく、普段対立するサンドラへの言い方ではなかった。サンドラもそれにうなずいていた。
しかし、シーンは真っ赤に震えて激昂する。
「だのになぜ君は私を虐めたんだ! あんなに優しい君はどこにいったんだ! 私は君が怖かった! 怖かったんだぞ!」
豹変するシーンにサンドラは身を引いてたじろいだ。だがシーンはすぐに優しい顔に戻り、サンドラを引き寄せ強く抱きしめた。
「ああサンドラ! 私は君がいとおしい! どうして君は私の心をかき乱すんだ!? 私は君が逃げられないように、この身に入れてしまいたい!」
熱い抱擁に、サンドラは嬉しいやら戸惑うやら。しかし、シーンはまたしてもサンドラの胸を突き放す。
「サンドラめ! 私は君を許さない! 私とエイミーの前にもう現れるな!」
そう言って背を向けたかと思うと、駆け寄って来て熱い抱擁だ。それが二転三転。サンドラはシーンの行動の意図がさっぱり分からないまま、それを見守ることしか出来なかった。
だが、最終的にサンドラを見つめながら言った。
「愛してる。サンドラ──」
シーンはそのままサンドラに激しくキスをした。サンドラは初めてのキスに動揺したものの、それを受け入れ目を閉じた。
シーンのキスに酔って呆然としているサンドラを、シーンは来た時のように優しく馬に乗せると、そのまま無言で城門へと送る。そして彼女を馬からおろした。
そこに侍女や護衛が走ってきて、サンドラの安否を気遣う声をかけた。
しかしサンドラは棒立ちのまま、恋する乙女の顔でシーンを見つめていた。だがシーンは視線を合わせようとはしなかった。
「あ、あのシーン?」
「もう君とはこれっきりだ。私を忘れるんだ。もう城門へも来るな」
決別の言葉。先程の蜜のようなキスは何だったのか?
サンドラは涙を流して叫ぶ。
「そんな!」
「うるさい!」
そう言って険しい顔で睨み付けるとシーンは馬を駈ってバイバル地方のほうへ行ってしまった。
明らかなる矛盾。さっきまでの抱擁やキスはなんなのか? まるでシーンの中にもう一人のシーンが同居していて、そちら側はサンドラを求めているようだった。
◇
サンドラはもう見えなくなってしまったシーンの姿を未だに見つめたまま。護衛や侍女も気の毒で声をかけられずにいた。
そのうちに、たくさんの巫女姿のものたちが、サンドラの横を通る。だがその一隊は足を止め、屋根付きの輿を地面に下ろした。
「大師さま。どうぞ」
「うむ。御簾を上げておくれ」
輿の中から声がして、巫女の弟子が御簾を上げると、目の不自由な老婆がサンドラのほうを見ていた。
それは以前に学校でサンドラやシーンの未来を占った、あの老婆だった。
老婆は手招きをしてサンドラを呼ぶ。サンドラがそこに行こうとすると護衛が止めた。
「何があるかわかりません。お近づきになりませんよう」
「大丈夫。高名な占い師だわ」
サンドラは老婆に近づくと、老婆は話し出した。
「どうやらまだ運命の人と一緒になっておりませんな。これはおかしい。あなたはもう身籠っていてもおかしくないのに」
「あのう……。占いの先生。私の運命はあれから変わっていないのでしょうか?」
「変わっておりませぬ。意中の人もあなたと一緒にいたいはずなのに、はて……?」
老婆は弟子を呼んで香炉を用意させ、自ら香炉に灰を入れる。すると灰が舞い上がって風に流されていった。
「ぬぬぬ。神が決めた運命を邪魔するものがおります。しかもそれは巨大な力を持っていて、この婆には姿が見えません」
ふるふると震える老婆の額が裂け血が吹き出してきて、弟子が駆け付けて手当てをしようとしたが老婆はそれを遮った。
「お嬢様。あなたの意中の人の中には二つの魂があります。一つはあなたを憎からず思い、一つはあなたをひどく憎んでおります。そもそもそれが全ての元凶。あなたが彼を嫌った要因を作りました。運命の歯車が乱れ、今に至るのです」
そもそもサンドラはシーンを嫌ってはいなかった。だが周りのものたちが、ものを言えぬシーンをバカにしだしたので、自分にもその気持ちが芽生えてしまった。
そのうちに自分の権力をふるって率先していじめるようになってしまい、性格もねじ曲がってしまったのだ。
サンドラは跪いて老婆に教えを乞うた。
「先生。私はどうしたらよいのでしょう?」
「意中の人の中にある、あなたを大事に思う魂は健在です。あなたはそれが表に出てくるのを待つのです。あなたはたくさんの試練を受けるでしょう。意中の人になじられ、時には暴力を受けるかもしれません。ですが嫌いになってはいけませんよ。相手に従うのです。なんでも言うことを聞きなさい。そうすれば罪悪感で謝ってきますから。そのうちにあなたに無理を言わなくなり、愛を語りだします。大丈夫。信じなさい」
「先生。分かりました。やってみます!」
「ほっほっほ。その意気です。……あの時、あなたは私のことを信じませんでした。態度も大変悪かった。目が見えぬ私には醜悪そのものでした。しかし今はどうでしょう。試練に立ち向かう女神そのものです」
サンドラはそれに涙を流し、深く深く以前の無礼を詫びたのだった。




