第35話 オバケ屋敷
ギリアムが出立した後、シーンの父であるアルベルトはサンドラに懇願されたのを気にかけて自領の屋敷まで馬車を急がせていたが、却ってそれが仇となり、馬車の車軸が折れ数日間立ち往生していたがようやくそれも直り、グラムーン郡の自分の屋敷目指して急ぎ出した。
その頃のシーンといえば、エイミーとバタバタとピクニックの用意だ。
二人で作ったお弁当をバスケットに詰め込んで、釣竿を持ち屋敷の料理番であるスタンに嬉しそうに話しかけていた。
「今日の大皿は心配しなくていいよ。大きな魚を釣ってくるから」
「シーンさまはみんなに釣った魚を振る舞いたい志なのよ。スタンは火をおこしておいてくれればいいわ!」
スタンはそれを白目になりながら聞いて頷いていたが、シーンもエイミーも気にする様子もなく、踊るように回りながら屋敷を出ていった。
スタンはやれやれと呟きながら肉料理の準備を始めた。
シーンは牛車を出した。荷車である。これにたくさん釣った魚を入れるつもりなのだろう。
エイミーは自分が御者をしたいと言い出し、シーンも自分がしたいと譲らず、そのうちにエイミーが折れて最初はシーンで代わりばんこと決めて牛車に乗り込んだ。
そこに二人の教育係であるチャーリーが背負子にたくさんの本を背負って現れた。
「おやおやご主君のお二人! 楽しそうにどこにお出掛けで?」
「おおチャーリー! 私たちはグラムーンの昔の屋敷に釣りにいくのだよ。なんでも屋敷の池には大きな主がいるらしい。釣り上げて、今日の大皿にするのだ」
そう言うと、チャーリーはにこやかに答えた。
「昔のグラムーンのお屋敷は数代前に公爵の娘を迎え入れるために建てられ、様式は見事なものなのだとか。後学のために見ておきたいです。同行しても構いませんか?」
それにシーンはいつもの様子で答える。
「ああ別に構わんよ。ただし音は立てるなよ。魚が逃げてしまうからな」
「もちろんですとも。お二人に迷惑はお掛けしません」
そこにエイミーも割って入ってきた。
「御者の係はシーンさまの次は私ですからね。まさかチャーリー先生もやりたいんじゃないでしょうね?」
「……いえまさか。お二人にお任せ致します」
そういってチャーリーは荷車の後ろに乗り込んだ。
やがて牛車はゆっくりと古い屋敷に入り、牛をその辺に放して二人ははしゃぎながら池に走っていってしまった。
微笑ましい二人の背中を見送りながらチャーリーは古い屋敷に入っていく。中に入って驚いた。昔のいくつもの建築様式が合わせられ建てられたもので、当時の文化の粋を極めたものだとすぐに分かった。
「これ程のお屋敷をなぜ捨ててしまったのだろう?」
庭では楽しそうなシーンとエイミーの声が聞こえる。チャーリーも楽しくなって広い屋敷を調べ続けた。
やがて当主の部屋であろう場所に入った。そこには美しい女性の絵が飾られている。その下に当時の当主が書いたであろう手記が書かれていた。
『ローズと三界を誓う。生まれ変わってもまたキミと共に──』
チャーリーは背負子から本を取り出してページをめくり手を止める。
「なるほど、当時の当主アレックスさまは、公爵家から迎えたローズ嬢を深く愛していたのであろう。彼女の輿入れの時に多額の結納金があったのを全て使ってこの素晴らしい屋敷を建てたのか。なんとも愛深きかただ」
そしてチャーリーはそのまま研究に没頭した。
その時、後ろから声がした。主君であるシーンが心配して来てくれたのかと振り返ると、そこには紫色の煙が蠢いており、それは徐々に大きくなっていった。
『ディィィイイイイ……。エエエエエ……』
「わ! わ! わあーーー!!」
チャーリーは驚いて取るものも取らずに慌てて外に出た。シーンとエイミーは楽しそうに釣りに興じているがそれどころではない。
周りを見ると小魚や小エビや流木ばかりだがそんな釣果を言ってはいられなかった。
「ご、ご主君! ご主君!」
慌てながらチャーリーが言うと、シーンは平然と笑って答えた。
「なんだチャーリー。突然声をかけるからこんな大物を釣り逃がしてしまったよ。はははー」
と両腕を思い切り広げて大笑。その間にチャーリーが後ろを振り返ると、紫色の煙は人型になって走って追いかけてくる。
「ば、化け物! ご主君! 化け物でございます!」
チャーリーがそれを指差しながら叫んでシーンのほうに顔を向けると、すでにそこには二人の姿はない。
辺りを探すと二人は諸手を上げて牛を切り放した荷車のほうに駆けながら叫んでいる。
「わーいわーい、オバケだ、オバケだ!」
「きゃあ怖い。食べられてしまうわー! おほほほほほ」
そう言いながら、シーンはエイミーを荷車に乗せると、自身は荷車を引いて屋敷からとっとと逃げてしまった。
残されたチャーリーはポツンと池のほとりに一人。そこに紫色の化け物がやって来て叫ぶ。
『ディ……イゴ……まは……ど……た……』
チャーリーに覆い被さるほど大きな魔人の姿になったそれは、なにやらぶつぶつと言いながら皿のような目でチャーリーを見たままだ。
チャーリーは恐ろしくて震えた。きっとこの魔人が屋敷の番をしているようで誰も屋敷に近付けなかったのだろうと。
しかし魔人が呟いているのは人の名前のようであるが、当主であったアレックスでも、妻のローズのようでもなかった。
「チャーリー。なんだまだここにいたのか?」
チャーリーが声のほうを向くと、シーンとエイミーがにこにこ笑いながらこちらを見ていた。どうやら魔人が怖くないようだ。
魔人のほうでは崩れたように音を立てたのでチャーリーは思わず目を閉じた。
『ディエイゴさまああああ』
と魔人はまるでシーンを、主人のように崇める。シーンはきょとんとした顔で魔人を見つめていたが、代わりにエイミーが答えた。
「あなたはメルボルン山の守護者だわ。一体どうしたというの?」
すると今度はその魔人はエイミーに平伏する。
『ハジャナさま、私は──』
「私はエイミーよ。気を付けて話なさい」
『は、はい。エイミーさま』
「うんうん。何があったか聞こうじゃない」
『実はディエイゴさまが私に預けられた神書が人間に奪われました』
「あれは古代のエルフの文字で書いてあるから人間には解読できないわ」
『ビジュルの民がまじないを用いて私を苦しめ、書を奪うと長老たちが最近になってようやく解読出来る様式を整え、現在のビジュルの指導者が神書の中の術を使えるようになったのです』
「あれはエルフが森を守るための技が書いてあるだけよ? でもビジュルの民が悪用するならば書を返して貰わないとね」
シーンはそれをにこにこしながら聞いていたが、チャーリーはなにが起きたのか分からない。エイミーが魔人と親しげに話しているなど、白昼夢を見ているようだった。
「山でいろいろあったようね」
『はい。私はなんとか単独で書を奪おうとしましたが、まじないのせいかビジュルには近付けません。悔しいながらこの屋敷にとどまっておりました』
「ふうん。では盗っ人のビジュルの民を懲らしめなくてはならないわね。あなたもついてきなさい」
『はは!』
エイミーは魔人を小さくして、いつもの小袋に仕舞い込んだ後、微笑むシーンのほうに向き直って笑いかけた。
「シーンさま。ビジュルは伯爵家の領地ですわ。巡察に行きましょうよ」
そう言うと、シーンは両手を上げて喜んだ。
「ビジュルには悪者が財宝を隠してるんだ。悪者を倒しにいくぞ!」
「さすがシーンさま。その意気ですわ!」
チャーリーはエイミーのことがよく分からなくなってしまった。普段ははしゃぎ屋の天然な少女と思っていたが魔人を従える姿に恐怖を覚えたのだ。




