第31話 縁談
ムガル宰相はサンドラの部屋のドアを叩いた。
「誰?」
「私だ」
「ああ、お父様」
サンドラは部屋の小間使いに命じてドアを開けさせる。ムガル宰相は明るい部屋なのに重苦しい雰囲気に息が詰まりそうだった。
「人払いを願えるか?」
「まぁ。わたくしとお父様がお話するのになんの人払いですの? これお前達。外で控えていなさい」
「はは」
数名の小間使いたちは、お上品に摺足で部屋を出ていく。ドアの閉じられた音を聞いてムガル宰相はしばらく黙っていたが意を決して話し始めた。
「実はお前に婚姻の話が来ておる」
「え……」
サンドラはまごついて、息を飲む音が聞こえるほど。とうとう来たかという顔をしていた。
公爵の地位は爵位では一番高い。誰しもがサンドラを娶るというのはステイタスがあるのだ。
しかし公爵家としては生半可な家系には嫁がせたくはない。それもあってムガル宰相は断ってはきた。
シーンに恋をしたサンドラではあるものの、宰相であり公爵家の長である父の命令に逆らうことはできない。よっぽどの理由がない限り。
「あのう、お父様。わたくしにはまだ結婚は早いかと」
「それだが、聞いて驚け。英邁で名高い第三王子のギリアム様だ。れっきとした王位継承者。ワシの姉である王妃の産んだ第一子ではあるから、将来は国王となれるとふんでおる」
「え。ギリアム殿下が?」
「そうだ。殿下たっての願いだぞ。もちろん正室だよ。お前は将来の王妃だ。私の孫は未来の国王となれる」
鼻息荒く興奮した様子のムガル宰相。廊下で聞き耳を立てていた小間使いたちも自分の主人が将来の王妃だと小さく手を叩いた。
「しかし、あのう、わたくしのようなものに殿下の妻など務まらないかと……」
「なぜだ?」
「あのう、わたくしは世間知らずですし、将来、王妃という主君の座にはとても務まらいかと。あのう重責で、そのう」
下を向いて小声で一生懸命断ろうとするサンドラに、ムガル宰相はため息をついた。
「ではグラムーン家では? あれは国の英雄、勇士の称号を得たものだ。世間知らずでは務まるまい。かなりの重責だ」
「あのぉ、それは、えぇと頑張って、辛いことも二人で乗り越えようと、そのぉう」
もじもじとしているものの、結婚する意思はシーンの方にはあるのだとムガル宰相は笑ってしまった。
「しかし、勇士シーンの正妻は国王陛下のお言葉で、パイソーン伯爵の娘ということが決まってしまった。サンドラ。君はどう頑張っても正妻とはなれないのだ。公爵の娘が第二夫人など世間から後ろ指を指される。それはこの公爵家にも影響がある。だから公爵の身分を隠して一生を添い遂げなくてはならない。どうだ。それがお前に耐えられるのか?」
「あのう、ええと、グラムーンのほうでもそれがよいのならば、ええと、仕方のないことで、そのう」
もうこれはムガル宰相の知っている娘の姿ではなかった。公爵家の傘を着て、傲慢に振る舞っていたサンドラはどこへいってしまったのか。
ムガル宰相は娘のためと、酒瓶を一つ抱えて徒歩で公爵の屋敷を出た。長い長い距離を歩き、目的の場所につく頃には陽も落ちかけたころ。宰相の行き着いたところはグラムーンの伯爵屋敷であった。
ムガル宰相は門番に話しかける。
「申し。ここはグラムーン伯爵の屋敷であろう」
「ああそうだが? おっさんは誰だ?」
「さすればムガル・ソラスン・ハディーンと申す。伯爵にお会いしたいとお伝えくだされ」
「なんだか長い名前だな。ムガルと言えばご主人は分かるかな?」
「おそらく」
「では暫時待たれよ」
門番のほうでも馬車にも乗っていない宰相を、貴族とは思わず何かの陳情にでも来た市井の民としか思わなかった。それをアルベルトへ伝えると、アルベルトは血相を変えて門までやって来た。
「こ、これはこれは閣下。出迎えもせずに申し訳ございません」
その時、ムガルは路傍の石に座って夕日が沈むのを眺めていたが、アルベルトはその足元にひれ伏すので門番のものたちは真っ青になってしまった。
「よいよい。ワシは勝手に来たので気負う必要もない。それよりこれだ」
そう言って酒瓶をだす。これは一緒に飲もうという意味だろう。アルベルトはムガル宰相を屋敷の中に招いた。その際宰相は門番の非礼には触れず「ご苦労様」と労いの言葉をかけただけだった。
さて屋敷に入ると、宰相はアルベルトが用意した上座を辞退して、同列の位置に座った。
アルベルトは意味が分からず目を白黒させたまま酒席は始まった。ほとんど雑談ばかりで、アルベルトもそれを楽しく聞いていたが、そのうちにムガル宰相は席から飛び降り、床にひれ伏した。
「アルベルト殿。どうか拙宅の娘を貴殿のご子息の嫁に貰っていただきたい」
と頭を上げようとしない。こんなに誠心誠意頼まれてはアルベルトも断れなくなってしまった。
「閣下。しかし息子にはすでに妻がおります」
「それですが、娘は妾でもよいと言っておる」
「こ、公爵家のご令嬢を側室ですか? それはあまりにも……」
「いや、娘は英雄シーンどのの近くにいれさえすれば端女でもかまわないほど惚れているのだ」
「な、なるほど」
そう答えるものの、シーンはサンドラ嬢を毛嫌いしていたなとアルベルトは思い出した。しかしこれほどまでに宰相に頭を下げられては断れない。
「あのぅ閣下。では私が直接息子を説得したいと思います」
「それは助かる。我が家の娘はシーン殿に嫁げればなんでもいいようなのだ。我が家ではシーン殿の勇士就任にまだ祝いの品を贈っていない。この際、家宝の黄金の剣を贈りたいと思う。どうかシーン殿によろしく取り成してくれたまえ」
「は、ははあ……!」
話は決まった。後にアルベルトの元に黄金の剣が贈られてきたので、それをもってシーンのいる領地に向かおうと計画を立てた。




