第97話~猜疑と衝突~
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矢継の話は賑やかな居酒屋の店内を、カンナ達の席だけ凍り付かせた。
「御影先生が……内通者に……」
カンナが呟くと、和流が続いた。
「話は分かりましたが矢継さん、内通者って何なんですか? どこと繋がってる奴なんですか? 学園に潜り込んで一体何が目的なんですか?」
質問は多いが、和流は至って冷静に見える。
「詳しい事は俺にも分かりません。狼煙台からの光通信で学園から得た情報は、御影先生が内通者に襲われたが大した怪我はなく無事だった事。村当番は自警団と連携して島を封鎖せよという命令。これだけです」
カンナは先に開かれた理事会で内通者がいるという話は聞いていた。内通者は神髪瞬花の情報を盗んだ節がある。そして、恐らく御影が襲われた原因は、御影の持つ消氣剤の情報だろう。それが奪われたのかもしれない。だとすると、内通者はいよいよ本格的に動き出したという事になる。
「だからあなた達も申し訳ないですが警戒にご協力ください。和流さん、水無瀬、武器は?」
「あー、今日は槍持って来てないんですが、浪臥村にも何本か予備の槍を置いてありますので問題ないです」
「私はちゃんと弓も矢も持って来てますよ!」
落ち着いて答えた和流とは対照的に、蒼衣は得意げに胸を張って答えた。
「よし。澄川さんと篁も協力してもらえますか?」
「もちろん」
カンナと光希は声を揃えて返事をした。
「ありがとうございます。では、僭越ながら矢継が指示を出させてもらいます」
矢継は腰のサイドバックから紙とペンを取り出しテーブルの上に広げ、学園島の簡単な地図を書き始めた。
カンナ達は正確かつ素早く描き上がっていく学園島の簡易地図を感心しながら見ていた。
「いいですか? この島の港は東、西、南の3箇所。海に囲まれてる地形ですから、港以外から島を出る事も出来なくはないですが、それが出来るような場所は自警団が監視します。まあ、そんな場所はどこも断崖絶壁ですのでこの暗闇の中そこを選ぶような事はしないとは思いますが、念には念を入れておきます」
矢継は地図の3箇所の港を指しながら説明を始めた。
「そこで我々は2人1組に別れてこの3箇所の港とその付近を監視します。澄川さんと篁は西を、和流さんと水無瀬は東をお願いします。俺と十朱は南を監視します。もし不審人物を見付けたら、港の鐘で俺達か巡回中の自警団に報せてください」
「了解!」
「せっかくの休暇のところ、本当に申し訳ない。では、我々は自警団に今の配置を共有して来ます。よろしくお願いします」
矢継は深々と頭を下げると、十朱を引き連れて走って店を出て行った。
「ま、どっち道学園に残ってたって生徒達も皆この騒動に駆り出されてるだろう。俺達は俺達で、その内通者ってのを島から出さなけりゃいいわけだな」
和流は立ち上がると、両手を頭の上に上げ、身体を伸ばしながら任務を確認するように言った。
「てか、内通者って誰なんですかね? まさか生徒じゃないですよねー? 生徒の中にそんな事出来るような人いませんもんね。あ、人間性とかじゃなく、実力的に出来ないって意味です。実力抜きにしたら……あいつ、霜月ノアは怪しいと思いますよ」
「水無瀬さん、同じ学園の仲間にそんな言い方良くないよ」
「はいはい、すみませんでした。澄川さん」
蒼衣はその言動をカンナに注意されても反省の色は見えず聞き流すようにカンナから目を逸らした。
「とにかく、気を引き締めた方が良さそうだな。内通者が師範や八門衆だった場合止められるかどうか以前に殺されるかもしれない」
「そうだね。和流君。水無瀬さんをお願いね」
「澄川さんも篁さんも気を付けて」
和流はそう言うと結愛を呼び、事情を話して蒼衣と共に先に店を出た。
「澄川さん、篁さん、どうかお気を付けて」
「ありがとう、結愛ちゃん。美味しかったよ! また来るね!」
カンナと光希は結愛に別れを告げると店を出て、矢継に指示された東の港へと馬を駆けさせた。
一瞬見えた結愛は、曇った顔で愁眉を寄せて俯いていた。
斑鳩は真っ先に体特寮へ向かった。
体特の生徒達は無事なのか、それが気になった。
カンナと光希は浪臥村へ出掛ける為に学園に外出届を提出していた。もしかしたら、まだ学園へ戻っていないかもしれないが、いずれにしろ、どこかのタイミングで内通者と出くわす事も考えられる。
とにかく、皆無事でいてくれ。今はそればかり考えていた。
体特寮の門の所で馬を乗り捨てるように飛び降り、1階の部屋から回っていった。
「な、何事ですか? 斑鳩さん!?」
最初に訪れた部屋は蔦浜の部屋だった。
蔦浜はかなり動揺した様子で部屋の扉を開けて斑鳩の顔を見た。
「良かった。お前は無事だな。簡潔に話すと、さっき御影先生が何者かに襲われた」
「えぇ!? マジすか!? 一体誰に!? 御影先生は無事なんですか!?」
「幸い大した怪我はない。犯人は分からないが、もしかしたら、学園の関係者かもしれない」
「え!? ちょっと」
蔦浜が混乱している様子だったが、斑鳩は蔦浜の肩に手を置いて無理やり落ち着かせた。
「悪いが詳しい話をしている暇はない。任務だ。御影先生を襲った不審人物を探せ。一応、犯人は男で、もしかしたら八門衆に化けている可能性がある。見付けたら捕らえろ。この学園から逃がすな」
「わ、分かりました! でも、その不審人物は学園の関係者かもしれないんですよね? 俺の知ってる奴らかも……」
「ああ、そうかもしれない。だから今は全員疑ってかかれ」
斑鳩はそう言って蔦浜の手に小さな玉を渡した。
「爆玉を渡しておく。学園の無線機は何故か全て無くなっていた。恐らく、その不審人物が隠したんだろう。いいか、もし不審人物を見付け、自分達では捕えられないと思ったらこの玉を地面にぶつけて報せろ。自分の命が最優先だぞ」
斑鳩が蔦浜に渡した爆玉という玉は、音を出す為だけの玉で、非常に割れやすく作られてある。地面に叩きつければ大きな音を発し、学園の敷地内くらいならどこで音がしたかが分かるようになっている。
「分かりました……」
斑鳩は話を終えると、蔦浜の部屋の中を覗き込んだ。
「抱! 気配を消せてないぞ。話は聞いたな? お前も蔦浜と一緒に不審人物を捜索しろ。他の体特生には俺から伝えて回る。すぐに動いてくれ」
斑鳩の言葉に、部屋の奥に隠れていた抱キナがひょっこりと気まずそうに顔を出した。
斑鳩はキナを確認すると踵を返し他の部屋に行こうとした。
「ちょ、ちょっと待ってください、斑鳩さん」
キナの声に呼び止められ、斑鳩は立ち止まった。
「何だ?」
「い、いや、あの、知り合いが敵かもしれない状況なんですよね? 私と蔦浜はその……ずっと一緒にいたので敵じゃないって分かりますが、い、斑鳩さんが敵かも……とか、そういう可能性もあるって事じゃないですか?」
「なっ!? 抱! お前、斑鳩さんになんて事……」
キナの発言に蔦浜は恐る恐る斑鳩の顔を見た。
斑鳩は蔦浜に背を向けたまま、横を向いた。
「さすがだな、抱。俺さえも疑うという事はいい判断だ。だが、俺は敵ではない。証拠はない。信じてもらうしかない」
キナの言う事はもっともだ。全員疑ってかかれと言った手前、言い出した斑鳩であっても疑われないという理由はない。
斑鳩自身でさえ、蔦浜とキナが内通者かもしれないという疑念も捨てていなかった。しかし、2人の様子を見てどちらも嘘は言っていないという事は分かった。確証などはない。ただ、そう感じたのだ。それを信じる事にしたというだけだ。
「ま……斑鳩さんを疑ってたら私達何も出来なくなっちゃうし。それに、私は斑鳩さんが敵だとは思えません。信じますよ。な、蔦浜。お前も信じろよな」
キナはシャツのボタンを留めながら物陰から出て来て玄関の蔦浜の肩を叩いた。
「お、お前が疑ってただけだろ? 俺は最初から斑鳩さんを疑うわけねーし。俺達のボスだぜ?」
キナは眉間に皺を寄せて蔦浜の頬をつねった。
「ありがとう。俺も、お前達2人の事は信用している。頼んだぞ。それと、俺はもうお前達のボスじゃない」
斑鳩はニコリと微笑むと隣の部屋の扉を叩いた。
もう夜も深い。
赤い満月が不気味に輝いている。
学園内は内通者の出現で慌ただしくなっていた。
生徒達が馬を駆け回らせ、師範達や八門衆も内通者の捜索に動き回っている。それだけの人数が動いても学園は広い。
海崎は離れた所から柚木を追っていた。
柚木が内通者の可能性。それはゼロではない。むしろ大いにあると言っても差し支えないのではないかとさえ思えた。
柚木と八門衆の実力は同等くらいだと海崎は見ていた。学園の師範である柚木が八門衆を演じるのは容易いだろう。
御影を襲った時に殺さなかった事も情が移ったからだと考えれば納得がいく。
斑鳩の方には八門衆の坎を監視に付けている。
斑鳩もかなりの切れ者だ。柚木と同じく八門衆に変装する事も可能だろう。そして、御影を傷付けずに襲う事も容易なはず。
あちこちで生徒達の声が聴こえる。辺りが暗いのでお互い声を掛け合って自分達の位置を確認し合っているようだ。
海崎はこの不味い状況かもしれないと思っていた。
学園の生徒、師範、八門衆がお互いを疑いながら内通者の捜索をする。本当の敵を見付ける前にお互いが疑心暗鬼に陥り抗争が起きてしまうのではなかろうか。
そんな事を考えながら海崎は林の中へと消えて行く柚木を木々の上に登り、枝から枝へと身軽に飛び移り追跡を続けた。
その時、遠くで破裂音が轟いた。
海崎は枝の上に着地し、音のした方角を見た。その音は剣特寮の方からだった。斑鳩の爆玉という玉の合図だろう。内通者を別に見付けたという事なのか。
海崎が音の方角を確認し、再び柚木の方へ目をやると、既にそこに柚木の姿はなかった。
「くそっ! 柚木め!」
柚木が普通に内通者の捜索をしていたのなら海崎がその姿を見失う筈はない。しかし、ほんの一瞬目を離した隙に消え失せてしまった。
撒かれたのだ
海崎は枝から飛び降り辺りを捜索した。すると、茂みの奥に乗り捨てられた馬が1頭佇んでいた。
どうやら柚木は馬を捨てて姿を晦ましたようだ。
やはり、内通者は柚木だったか。
海崎は落ち着いて辺りの様子を見た。馬を捨てたなら自走しているという事だ。そう遠くへは行っていない。
目を瞑り、柚木の氣を探った。この氣の感知という技はあまり得意ではない。相当な集中力を必要とする上、感知している間は動く事が出来ない。つまり、戦闘中ではとても使えない。感知範囲も大したことはないのだ。澄川カンナの氣の感知能力がどれ程凄いのかが身に染みて分かる。
それでも、海崎はすぐに柚木の氣を見付けた。
「狼煙台へ向かうか」
海崎は柚木の乗り捨てた馬に飛び乗り、柚木の向かっている狼煙台へと急行した。
剣特寮の前で火箸燈が激昂していた。
怒りの矛先は体特の序列21位、七龍陽平だった。
燈の怒りに同調するように、燈と同じ剣特の序列24位、逢山東儀と序列26位、扶桑拓登も七龍に食って掛かっていた。
茜リリアはそれを祝詩歩と共に止めようとしていた。
「やめなさいってば、燈!」
「うるせー! 因縁つけて来たのは七龍だろ! 雑魚の癖に、あたしが内通者じゃねーかとかほざきやがった!!」
他の剣特と体特の生徒達は、どうしたらいいのか分からず、ただその燈と七龍の抗争を黙って見ていた。
「実際、この状況なんです。己以外を疑うのは当たり前じゃないですか? ああ、でも、こんな短気な人が内通者とかないか」
「んだと! 七龍! てめーぶっ殺すぞ!!」
「馬鹿燈! やめなってー!」
リリアは詩歩の2人掛りで興奮して暴れ回る燈を押さえ付けているのが精一杯だ。それなのに、脇では逢山と扶桑が火に油を注ぐ。
「そう言う七龍さんだって、怪しいっすよね。あなたが火箸さんを疑うなら俺達は七龍さんを疑っても文句ないっすよね? どうせさっきの破裂音で内通者の仲間でも呼び寄せたんじゃないんですか?」
逢山は強気にそう言いながら、刀の柄に手を掛け、すぐにでも七龍に斬り掛からんとしている。
「逢山君! こんな所で喧嘩しないで! こうしてる間にも、内通者がどこかに逃げちゃうかもしれないんだよ?」
リリアは燈を抑えながら訴えたが、逢山はリリアを睨み付けた。
「茜さん、あんた今回の内通者捜索には向かないですよ。誰であろうと疑って掛からないとこっちが殺られるかもしれないのに。七龍さんが内通者じゃないって証拠でもあるんですか?」
「そ、それは……」
リリアが言葉に詰まると、代わりに詩歩が逢山を睨み付けた。
「リリアさんになんて事言うの? リリアさんはこんな状況でも皆を信じてくれてるのよ? あんたみたいな馬鹿も含めてね。それをそんな馬鹿にするような言い方するなんて」
「ストップ! ストップ! ストップです!!」
混乱を極めた現場に、蔦浜祥悟が抱キナを後ろに連れて割り込んで来た。
「何だ、蔦浜か」
燈と七龍は口を揃えて興味なさげに言った。
蔦浜の割り込みに白熱していた口論は一気にシラケたように落ち着いた。
「あー、お呼びじゃないのは分かってるんですが、このまま言い争ってても埒が明かないと思うので、1つ提案を」
「はっ! 蔦浜が提案かよ」
燈は馬鹿にしたように言った。
七龍も鼻で笑っている。
「このまま各自が別々に動くと万が一内通者がその中にいた場合、把握出来ません。そこで、各クラス毎にまとまって内通者を捜索する。効率は悪いかもしれませんが、各寮長が10人全員を見る事で、寮長が内通者じゃない限り不審な行動は出来なくなります」
「あー、まあ、そうだな。効率は著しく悪いが、お互いいつまでもこんなくだらない事しなくて済むわな。蔦浜にしてはいいアイディアだ」
七龍は蔦浜の提案に納得し頷いた。
燈も逢山も扶桑も納得したようで落ち着きを取り戻していた。
「だったら茜さん、しっかりその人達の事監視しててくださいよ? あなた優し過ぎるから」
七龍はリリアに指をさして物申した。
リリアは小さな声で返事をした。
「話は分かったが、七龍の態度は許せねーな。大体、体特の寮長のカンナはどーしたんだよ?」
「カンナちゃんは、光希ちゃんと村に出掛けててまだ帰って来てないです」
蔦浜が気まずそうに答えた。
「あっそ。じゃあどーすんだよ? まさか、抱、お前がまとめんのか? このならず者達をよ」
燈はまだ腹の虫が収まっていないのか、蔦浜の後ろに隠れていたキナにも睨みを効かせた。
「いや、え、わ、私!?」
「序列的にカンナの次はお前だろ? 抱」
燈が問い詰めると馬蹄が近付いてくるのに気が付き、その場の全員が動きを止めた。
「何やってんだ! お前達! 内通者を見付けたのか?」
暗闇から颯爽と駆けて来た斑鳩爽は嘶く馬を巧みに手網で操りながらリリア達を見渡した。
リリアは斑鳩の登場に心の底からホッとしている自分がいる事に気が付いた。




