第94話~海の家の戦慄~
太陽が頭上でギラギラと輝いている。
カンナと和流が海の家へ食事を買いに行ったので、光希と蒼衣は2人で設営しておいたビーチパラソルの下で海を眺めていた。傍には光希が1人で完成させた砂の城がひっそりと聳えている。
もちろん、カンナと共に食事を買いに行こうとしたが、蒼衣が強引にそれを引き止めた。
蒼衣の魂胆はこうだ。カンナと和流を2人切りにして関係を深めさせる。そして、カンナと和流の間に愛を芽生えさせて斑鳩と別れさせる。
口では言わないがそうに違いないと光希は思っていた。
本当はそれを阻止するべく就いて来たのだが、カンナ本人が和流と2人で行動する事を了承した為、仕方なくいけ好かない青髪の性悪女と留守番をしている。
カンナも光希と蒼衣を仲良くさせたいと思っているところがあるのようなので、あまりその好意を無下には出来ない。それに、カンナは和流といると意外に楽しそうだ。無理に止める必要もないのだろう。
カンナの面食い男好きにも困ったものである。しかし、カンナと斑鳩との今の関係を考えると和流のように下心丸出しだが、カンナの事を好きだと言ってくれる男に心を動かされるのも分からなくはない。
本当はどちらがカンナにとって幸せなのだろうか。
光希も以前は斑鳩の事が好きだったので複雑な心境である。個人的には斑鳩と上手くいって欲しい。
一度斑鳩にカンナの事をどう思っているのか、何故抱いてあげないのかという事を問い質したいと思った。
だが、実際斑鳩と面と向かって喋れない光希にはそんな事を聞く勇気はない。
「ねー、ご飯食べたら篁さんも海で遊ぼうよ。そんな仏頂面してないでさー。あ、もしかして、貧乳って言ったの怒ってる?」
突然ニヤニヤしながら蒼衣が話し掛けてきた。
「別に。気にしてませんから。そんな事。胸なんて武術家には邪魔なだけです」
光希は適当に答えると蒼衣から顔を背けた。カンナには悪いがこの女と仲良くするつもりはない。
「かーわいーなー、篁さんは」
蒼衣は馬鹿にしたようにケラケラと笑った。
浜辺の近くの海の家はお昼時という事もあり人で賑わっていた。
焼きそばのソースのいい匂いがカンナの食欲をそそった。
「焼きそばにしない? 和流君」
「俺の奢りだ。好きな物を好きなだけ買ってくれ」
和流は腹を括ったような表情でふっと笑って言った。
「やったー! それじゃあ、焼きそば4つと……」
海の家の中のカウンターの前でメニューを選んでいると背後に気配がした。
「あれ? 和流さん?」
振り向くと黒縁メガネを掛けた女の子が立っていた。見た目からするにここの店員だろう。
「おー、雪愛ちゃん! もしかしてここでも働いてるの!?」
和流はその女の子に笑顔で話し掛けていた。
「こんにちは! はい、この時期は海の家の人手が足りないので昼間はここでバイトしてるんです」
黒縁メガネの雪愛という女の子と和流はどうやら顔見知りのようだ。
和流はキョトンとしているカンナを見た。
「澄川さんは初めてかな? この子は村の「居酒屋寿」の娘さんで寿雪愛ちゃん。俺が村当番の時よく世話になってたんだ。雪愛ちゃん、こちらは学園の序列4位の澄川カンナさん」
「あ、はじめまして。澄川です」
「寿です。よろしくお願いします」
和流の紹介に慌ててカンナが会釈すると、雪愛も軽く会釈した。
「あの、もしかして、和流さんと澄川さんて……その、付き合ってたり……?」
「ううん、ちが」
「そう見える?? 雪愛ちゃん!!」
カンナが否定しようとすると和流は嬉しそうに雪愛に同意を求めていた。
「とても仲良さそうに見えました。それに海に男女2人で来るなんて、そう言う関係なのかな……と。確かに、学園の授業は過酷って聞きますから、たまには息抜き必要ですよね」
「あの、勘違いしないで欲しいんだけど、私と和流君は付き合ってないです。ただの友達。他に女友達2人が浜辺で待ってますし、2人切りじゃないです」
カンナの丁寧な説明に成程と納得した雪愛をよそに、和流はつまらなそうな表情で溜め息をついていた。
「それじゃあ、私は仕事に戻ります。海水浴楽しんで行ってくださいね」
雪愛はニコリと微笑むと他の客の接客に戻っていった。明るく愛嬌があり接客にもかなり慣れた様子である。
「寿さんてさ、和流君の事好きなんじゃないの?」
カンナは和流の耳元で小声で言った。
「え? なんで? マジ?」
和流は声を殺しながら驚きカンナを見た。
「だって普通興味なかったらいきなり付き合ってるんですか? とか聞かなくない? 私が付き合ってないって言ったらちょっとホットしたような顔してたしね」
カンナがニヤリと笑うと和流は半信半疑で接客中の雪愛を見た。そして、うーむと唸りながらまたカンナを見た。しかし、その視線はカンナの顔を一度見るとすぐに胸の谷間に動いた。
「ちょっと、和流君? また胸見た? 今は寿さんの話してるんだけど」
カンナが頬を染めながら困惑して言うと、和流は慌ててカンナの顔を見た。
「ごめん! 無意識だった! そりゃあ目の前に澄川さんのおっぱいがあったらどんな状況だろうが見てしまうよ。男なら皆そうだ。うん」
和流も顔を赤くしてカンナから目を逸らした。
「あっそ。ま、別にいいけど」
「いいの? 良かったー、澄川さんは優しいなぁ」
カンナが許すと和流は嬉しそうに笑った。まったく、この男は。
「あの、お2人さん。ここでイチャつかれると困るんだよね。後ろ、お客さん並んでんでしょ。 どうすんの? 買うの? 買わないの?」
カウンターの奥からぬっと現れた店主の男性に
言われてようやくカンナと和流は我に返った。
「あ、ごめんなさい! えっと、焼きそば4つとペットボトルのお茶を4本……あと、イカ焼き……とラムネもいいかな?」
「ふふ、おっけー!」
和流はにこにこしながら親指を立てて快諾した。
「毎度! それじゃ、出来たら呼ぶから端で待っててな」
「はい」
和流が金を払うと、カンナと和流は店主の指示に従い店の端の壁に2人で寄り掛かった。
カンナは横目で隣の和流をチラリと見た。
筋肉質な引き締まった身体、太い腕と浮き出た血管。そして、整った顔。艶やかな髪。それらは全てカンナの女心を鷲掴みにしていた。見た目は好き。ただ、中身がドスケベの女好きという危うさがある。
きっと斑鳩という男がいなかったらこの男に溺れていたかもしれない。
カンナもよく変態とか男好きとか言われている。似た者同士、もしかしたら相性はいいかもしれない。
一度だけなら。一度だけの間違いなら許されるだろうか。カンナがこの男に少しでも触れたら間違いは起きる。それは確信していた。
いつからそんな事を考えるような女になってしまったのか。カンナの心の中の天使と悪魔はいつからかずっと戦い続けていた。
和流と目が合った。
「どうしたの? 澄川さん」
「あ、いや、ごめん、無意識だった」
カンナは恥ずかしくなり顔を背けた。
すると、和流はクスリと笑った。
カンナはハッとして和流の顔を見た。
「ホント可愛いなぁ澄川さんは」
可愛い、などと面と向かって言われると堪らなく恥ずかしくなる。だが、この気持ちは悪くはない。和流が言うとそれがお世辞などではなく本心だという事がひしひしと伝わってくる。この男は自分を愛してくれている。カンナ自身の『心』も『躰』も。
気付くとお互い見つめ合っていた。恥ずかしさでまたカンナは顔を背けた。
「あのさ、澄川さん。もし予定なければ今夜」
カンナが和流の言葉に聴覚を集中させたその時、やかましい男達の声が店内に響いた。
「おやおや? 雪愛ちゃんじゃねーか? こんなところでも働いてんのかい? 働き者だね〜」
見るとそこには大柄な男が5人、接客中の雪愛を取り囲んでダル絡みしていた。どうやら5人とも酔っ払っているようだ。男達の手には缶や瓶の酒が握られている。
「雪愛ちゃんおじさん達と遊ぼうよ〜。せっかく目の前にさ〜海があるんだからさ〜」
「そうそう〜、おじさん達雪愛ちゃんの水着姿見たいなあ〜」
男達はゲラゲラと大きな声で笑いながら雪愛の手や肩を触った。
「すみません、お客様。私今仕事中ですし、周りのお客様の迷惑になりますので……」
雪愛は申し訳なさそうな表情で頭を下げて男達に謝罪した。
「あんだよ冷めてなぁ〜。雪愛ちゃん居酒屋でも同じ事言ってたじゃんよ〜。それしか喋れないの? つーかさ、俺達迷惑掛けてなくね〜? なあ? お客さ〜ん、迷惑ですか〜? 迷惑だーって人挙手〜」
1番背の高い、恐らくリーダー格の男が手を挙げて周りの客を見回した。
しかし、誰も手を上げる者はおらず、皆関わらないようにと顔を合わせようとしない。
「はいー迷惑掛けてないー! ははは!!」
男達はまた大きな声で笑い始めた。
「て、店長〜」
雪愛が店主の男に助けを求めると厨房から焼きそばを焼いていた男が1人怯えながら出て来た。
「お、お客様……これ以上騒がれるなら、その、営業妨害ですので……その……自警団を」
「なんだジジイ!? 文句あんのかゴラ!! 自警団呼ぶだ? 良いこと教えてやるぜ。俺達がその自警団なんだよな!!」
リーダー格の長身の男は弱々しい店主に怒声を浴びせ近くの机をバンと叩いた。
店主はそれで腰を抜かし床に倒れてしまった。
自警団だと言う男の話が本当かどうか分からないが、どちらにせよあの店主ではこの騒ぎは収拾が着きそうにない。
「気分悪ぃーぜ、おい。ジジイ!! 酒と肉持ってこいよ! 客が気分害したんだよ! おら! 早くしろ! ぶっ殺すぞ!!」
男はいよいよ脅迫めいた事を言い出した。
カンナは右手の指を顔の前でパキパキと鳴らした。
それを見た和流がカンナの前に立った。
「澄川さん。ここは俺が」
「え、いやでも今日は和流君槍持ってないよね?」
「槍がなくても体術の授業はやってるし、大丈夫だよ。あのくらい」
「体術の授業……って」
槍という得物がない以上、槍特の和流よりもカンナが出た方が早く片付きそうなものだ。だが、どうやら和流は自信満々なようだ。カンナの見ている手前、格好つけたいのかもしれない。
何にしても、和流も武術の素人ではない。仮にも序列8位の男だ。それ程心配はいらないだろう。
「和流君、やるんならお店の中は迷惑だから外でね」
「分かってるって! おい! オッサン達! その辺にしときな!」
和流はカンナの忠告を聞き入れるやいなや、早速果敢に声を掛けた。
「何だ? 関係ねー餓鬼は引っ込んでた方がいいぞ? それともお前、喧嘩売ってんのか?」
リーダー格の男はタバコに火を点け、煙を口から吐き出しながら言った。周りの男達も和流を睨んでいる。
「お客さん達本当は迷惑だと思ってるし、店主のおっちゃんにも雪愛ちゃんにも迷惑だ! 痛い目に遭いたくなかったらさっさと消えな!」
和流のカッコイイ口上をカンナは腕を組んで聞いていた。しかし、その言い方だとこの場で乱闘が起きかねない。
「上等だ餓鬼! その喧嘩買ってやるよ」
リーダー格の男はまた机を叩き、和流の方へズカズカと近付いて咥えていたタバコを一度口から離すと和流の顔にタバコの煙を吹き掛けた。そして、またタバコを咥えニヤニヤと笑った。
「お客様、副流煙は周りに迷惑です」
和流は無表情で言いながら男の咥えているタバコを2本の指で奪い、先端の火を男の額に押し付けた。
「アッツ!!? この野郎!!」
「ふん! この木偶の坊! そしてその仲間達! 悔しかったら俺を捕まえてみろよ!」
男が額を押さえて悶えている隙に、和流は軽く男達を挑発して店の外に出て行ってしまった。
「逃がすな!! ぶっ殺してやる!!」
男達は和流を追って全員店を出て行った。
店内の客達は男達がいなくなるとザワついた。店主や雪愛を心配して声を掛けている。
「店主さん、寿さん、大丈夫ですか?」
カンナは腰を抜かしていた店主に手を差し出しゆっくりと立たせた。
「俺は大丈夫だ。雪愛ちゃんも怪我はないようだし……それより、彼は大丈夫なのかい? あの男達、自警団と名乗っていたぞ?」
「自警団というのは本当です。あの人達、実家の居酒屋の常連で、あの人達からよくその話聞かされてるんです。新入りみたいですけど、自警団である事に間違いはありません。いつも酔っ払って絡んで来て迷惑な方達なんです」
雪愛は眉間に皺を寄せてとても不快そうな顔で言った。
「それは大変だ! どうしよう……そうだ! 村当番の生徒に助けを求めよう! 雪愛ちゃん、すぐに村当番の生徒に」
「それには及びませんよ」
カンナは冷静な声で店主を宥めた。
「しかし、放っておいたら彼ボコボコにされるぞ? 自警団がとち狂ってるんじゃ、あとは学園の生徒くらいしか止められない」
店主の顔は汗でびっしょりだった。
「大丈夫です。店長。和流さん、彼も学園の生徒なので」
雪愛が言うと店主は驚いた顔で真実か確かめるようにカンナの顔を見た。
カンナは口元だけ笑って頷いてみせた。




