第93話~アリア、忘れ難し姉への想い~
蒸し暑い夜だった。
電気の通っていない学園にはエアコンなどという気の利いたものはない。冷蔵庫は気化熱を利用した手製のものを使っている。昔誰かが作ったらしい。
しかし、電気のある生活を知っている桜崎アリアにとってこの環境は地獄だった。
入学時よりは大分慣れたとはいえ、こんな苦労をしてまでこの学園にいる必要があるだろうか。
今までは、大好きな姉、マリアがいたからこんな生活も耐えられた。マリアといる時、傍に感じられる時が安心出来たし楽しかった。
しかし、2年前の学園戦争でマリアはあっけなく死んだ。その時はマリアの死を受け入れられなかった。マリアのいない世界で生きる自分を想像出来なかった。今でも受け入れてはいない。
死にたい。今まで何度そう思ったか分からない。だが、そう考える時、いつもマリアの最後の言葉が脳裏を過ぎった。
『後醍院さんを僕だと思って慕いなさい』
嫌だったがマリアの最後の頼みだと思いその時は聞き入れる事にした。
しかし、2年前経った今でも後醍院茉里の事を姉だと思う事など出来ない。いや、後醍院茉里でなく他の誰だったとしても姉だと思う事など出来ない。出来るわけがない。
アリアにとって姉はマリアだけなのだ。
自分と似たような境遇の女がいた。
体特の篁光希というアリアと同じツインテールの髪型の女だ。彼女も血は繋がってこそいないが、姉のように大切にしていた周防水音という女を失った。それが理由なのか、光希とは仲良くしてあげてもいいと思った。いや、仲良くしたかった。そして、現在は頻繁に食事や遊びに誘う仲になった。
よく分からないが、光希といる時も姉といる時と同じように心休まり安心感を感じた。この学園に残る理由になっているのではないかと感じた。
ただ、光希に対しては1つだけ理解出来ない事がある。
それは、失った姉、周防水音の代わりに澄川カンナという別の何の関係もない女を姉のように慕っている事だ。
それに関してはアリアの心は穏やかな気持ちではない。やはり、本当の姉を失った自分とは相容れないのだと思い、光希とは距離を置こうかと考えた事もあったが、光希のカンナといる時にだけ見せる表情はかつての自分を見ているかのようで心を打たれた。
何故自分はいつまでも姉の死を受け入れず、姉の願いを聞き入れず、自ら孤独に浸ろうとしているのだろうか。
真夜中。蒸し暑さでいつまでも寝付けないでいると、いつの間にか光希とカンナの事を思い出していた。
アリアは自分のパジャマの胸の辺りを掴み、パタパタと身体に風を送った。
隣のベッドを見ると、茉里がすやすやと寝息を立てて眠っていた。よくこんな蒸し暑いのに眠れるものだ。そう言えば、今日は大分帰りが遅かったような気がする。何をやっていたのかは知らないが、アリアが先にベッドに入ってから何時間か後に玄関の扉が開いたような気がする。
アリアはパジャマを脱ぎ服を着替えると、蛇口から水をコップに注ぎ一息に飲み干した。そして、ベッドの横に置いてある弓と矢筒を取り、真っ暗な外へと出て行った。
弓特の厩舎からこっそりと自分の馬を曳き、飛び乗るとすぐに学園の西の森の方へと駆けた。
辺りは月と星の明かりだけだが視界はある。馬に乗って掛けるととても心地よい風が身体を撫でた。アリアは静寂に包まれた夜の学園は好きだった。よくマリアと夜の散歩に出掛けた事を思い出した。
マリアが死んでから、眠れない夜はいつも散歩に出掛けた。隣をマリアが走っている気がするのだ。
15分程駆けたところで、少し拓けた場所に出た。
墓地である。
学園戦争で死んだ人間は皆ここで眠っている。
アリアは馬から降りて墓石の列の右端まで歩いて2つの墓石の前で腰を下ろした。
「お姉ちゃん、魅咲。今夜も来たよ」
姉のマリアと共に戦死した、弓特の涼泉魅咲の墓もここにある。
弓特の中で魅咲とは仲が良い方だった。上品で人当たりが良く、性格の歪んだ弓特の女達の中でもかなりまともだった。マリアと共に死んだ事でより一層魅咲への想いは大きくなった。
「お姉ちゃん、魅咲。この前の弓術の試験ね、私弓特で2位だったよ。やっぱり後醍院さんにはまだ適わないけど、いつか絶対私が1位になるからね。それで、序列仕合で後醍院さんも倒して私が弓特ナンバーワンになるからね」
アリアは笑顔で2つの墓石に話し掛けた。
もちろん、返事は返って来る筈もなく、虫の音と風が木々を揺らす音が聴こえるだけだった。
「お姉ちゃん……今日もね、篁さんとたくさんお喋りしたよ。楽しかった。相変わらず無表情でつまらなそうな顔してるけど、たまに笑ってくれるの。それが、なんか可愛くて……」
アリアは光希の事を話しながら、また茉里の事を思い出し俯いた。
「あ、あのね、後醍院さんとはまだ仲良くなれそうもない。やっぱりあの人はお姉ちゃんじゃないし友達でもない。今でも嫌い。どうしてお姉ちゃんはあいつに私を託したの?」
アリアの声は虚しく静寂の夜空へと消えていく。
それからしばらくその場で膝を抱えぼーっとマリアと魅咲の墓石を眺めた。夜風が心地よく、ここでなら眠れそうだ。
そう思った時、アリアの馬が辺りを見回し始めた。
アリアはすぐに立ち上がり馬の鞍に付けてある弓と矢筒を手に取った。
辺りの気配を窺う。
誰かが来る。
1人。
灯りを持った人影がこちらにゆっくりと歩いて来る。
「人の気配がすると思って来てみたら、弓特の桜崎さんでしたか」
木々の間から現れたのはランタンを持った体特師範の柚木透だった。
アリアはホッとして既に構えていた矢を矢筒に戻した。
「柚木師範。こんな時間にどうされたんですか?」
「僕は夜間の見回りですよ。いつもは海崎さんとその部下が見回りをしてくれているのですが、たまに僕のような気まぐれで見回りしている奴がいると敵に巡回のパターンを読まれにくくなっていいんじゃないかなと思いまして」
「敵……って」
「この前だって浪臥村から学園までの道中に青幻の部下が現れたじゃないですか。いつ奴らが学園に侵入するか分からないですからね。それより、桜崎さんはこんな時間にお墓参りですか? 女の子が深夜出歩くのはお勧め出来ませんよ」
「この学園の生徒なら男だろうが女だろうが関係ありませんよ。それに、私は序列11位。そう簡単にやられません」
アリアはピンク色のツインテールを右手で払って言った。
「油断は禁物ですよ? 青幻の部下はどんな手を使うか分かりません。あまり夜中に1人でこんな森の中へ来ないように。いいですね?」
柚木は真剣に心配してくれているようだったのでアリアは唇を尖らせつつも「はい」と返事をして馬に跨った。
「それでは、早く帰って寝てください。明日も授業があるんですから」
「分かりました。柚木師範もあまり無理なさらずに」
アリアが言うと柚木はニコリと微笑んだ。
アリアは馬腹を蹴り、弓特寮へと駆けた。
そう言えば、柚木は馬を連れていなかったが、歩いて見回っていたのだろうか。
気になり振り返ってみたが、もう後ろは夜の闇に包まれており柚木の姿は見えなかった。
****
日差しが肌に突き刺さる。
ここ最近急に気温が上がった。
だが、その暑さは浪臥村へ海水浴に来たカンナ達にとっては都合が良かった。
「いい感じに暑いなぁ。まさに海水浴日和だぜ!」
槍特の和流馮景は右手を目の上に翳し、日差しを遮りながらウキウキとした様子で浜辺を眺めていた。
この時期になると浪臥村の人々も海水浴をするので既に浜辺には何組か先客がいた。
「和流さんは準イケメン枠で特別に連れて来てあげたんですから、私達にイケメンなエスコートしてくださいよね」
弓特の水無瀬蒼衣は大きなツバの付いた白い帽子を被り、大きなサングラスを掛けて高飛車に言った。どこかのセレブのような風貌だ。風呂でも蒼衣のスタイルの良さは見たが、改めて水着を来た姿を見ると、やはり抜群なプロポーションである。胸もカンナと同じくらいで意外と大きい。水着は青ベースのビキニで白いフリルが付いている。胸元はこれでもかと自信満々に開いている。
カンナの水色の水着も露出は多かった。以前蒼衣に選んでもらった水着である。上はまだいいが、下がかなり際どい。サイドが紐で、後ろの布の面積もまあまあ小さいが、前の布はさらに小さく、際どいローライズだ。どう見ても下の毛の処理をしないと確実にはみ出してしまうようなものになっている。ただ、カンナの場合は遠目なら目立たないので、特に処理もせず、開き直って今回そのまま着て来た。和流の前に水着で登場してからは何度か下半身に視線を感じたが何も言われなかったので問題ないようだ。
カンナの隣には、ピンク色のビキニを着た篁光希がいる。ビキニを持っているのは意外だった。しかもカンナ程ではないがローライズで際どい。だが、光希はちゃんとムダ毛の処理をしているようだった。これも意外だった。
「あと、篁さんは貧乳枠だからせいぜい隣で私を目立たせてね」
蒼衣は笑顔でカンナの隣でつまらなそうな顔をしている光希に言った。
「だから来たくなかったんですよ。あの人。冗談が冗談に聴こえないんですよ」
カンナは、光希が蒼衣とももっと仲良くなれればと思い、半ば強引に連れて来てしまった。行きたくないと断られたのだが、和流も来る事を伝えると「よからぬ事が起きそう」と言ってついて来てくれた。
「水無瀬さん、光希をあんまりからかわないでよ。光希を怒らせたら私帰るよ」
「冗談ですよ〜! さあさあ、早く泳ぎましょ! 篁さんもおいで」
蒼衣はそう言うと帽子とサングラスを放り投げて、先に海の方へ走って行った。
「よっしゃあ! 水無瀬さん、捕まえちゃうぞー!」
蒼衣の後を和流だけが楽しそうに追って行った。海に入った2人はお互い水を掛け合いはしゃいでいる。傍から見ると仲の良いカップルだ。
カンナと光希は浜辺で腕を組んでそれを眺めた。
「カンナ。本当にあの人、友達なんですか? 普通にウザイんですけど」
「う、うん。ちょっとアレなところあるけど、根はいい子だから」
「私にはそうは思えませんね」
光希は頗る不愉快そうに言うと、持って来たバッグから小さなシャベルとバケツを出し砂を掘り始めた。
「あれ? 光希泳がないの?」
「気が向いたら。私は砂のお城を作ります」
光希は黙々と穴を掘り、掘った砂を積み上げていった。
ツインテールの女の子が1人、黙々と砂のお城を作っている様はどこからどう見ても可愛かった。
「澄川さーん! 和流さんがおっぱい揉んだー! もー最低」
「不可抗力だよ! わざとじゃないから!」
「不可抗力なら揉まないですよね? もみもみってしましたよね? 揉むなら澄川さんのでしょ??」
何やら言い争っているようにも見えるが、蒼衣と和流は2人で楽しそうに海の中でじゃれ合っている。
「和流君! 水無瀬さんに変なことしちゃダメでしょ! 光希、それじゃあ私は泳いでくるから気が向いたらこっち来なよ?」
「リョーカイです」
光希はカンナを見ずに黙々と砂を掘り続けている。
「澄川さーん! 早くおいでよー!」
カンナは和流に呼ばれ、走って和流の方へ走った。そして、和流の目の前で飛び上がり、和流の胸板へ飛び蹴りを入れた。
「うがっ!!」
和流は防御出来ずにカンナの蹴りをくらい海に沈んだ。
「水無瀬さん、大丈夫? 変態は倒したよ」
「さっすが、澄川さん! 素敵な飛び蹴りでしたよ!」
蒼衣は笑顔で言った。
「や、やるなあ、澄川さん」
海の中から和流が顔を出した。
「どさくさに紛れて女の子の身体触るとかダメだよ、和流君」
「なるほど。では、正式に申し込もう! 澄川さん、海の中で俺が澄川さんを倒せたらおっぱい触らせてください!」
「うわ! ちょっ! 何でそうなるのかな? そんな事ダメに」
「えー! 澄川さん、和流さんに倒されるかもしれないと思ってるんですか?? まさか、下位序列の人に負ける筈ないじゃないですかー!」
カンナは蒼衣の挑発につい乗ってしまった。
「はあ? 当たり前じゃん! いいよ、和流君。掛かって来なよ。それで、君が負けたらどうなるのかな?」
カンナは篝氣功掌の構えを取りニヤリと笑った。
「えっ……と、俺が負けたら今日の昼飯全員分奢ってあげましょう!」
「よっしゃー! 澄川さん頑張って!」
カンナが答えるより早く、蒼衣の声援が聴こえてきた。
和流は槍使い。槍を持っていない状態の和流を海に沈める事など赤子の手をひねるより簡単だ。
海の深さはカンナのへそより上くらい。
ふと、和流の視線が、カンナの胸へと動いた。
「隙あり!」
瞬間、和流の腕を取り、水中の足を的確に蹴りで払い、あっという間に投げ飛ばし海の中へと沈めた。
「はい、私の勝ちー」
「わーお、さすが澄川さん! かっこいい〜」
蒼衣が笑顔で拍手しをしてくれた。
すると、すぐに沈んでいた和流が水飛沫を上げて飛び上がった。
「くそぉー、瞬殺かよ! やっぱ最強体術篝氣功掌には適わないな」
「今のは柔道の技だよ。篝氣功掌に投げ技はないもん」
「え!? そうなの!? 速すぎて何も分からなかったよ。じゃ、じゃあ今度は泳ぎで勝負しよう」
「ダメー! もう私の勝ちなんだから。それに、体術で勝たなくちゃお触りはなしでーす!」
「マジかー! それは一生勝てる気がしねー!!」
和流が頭を抱えて嘆いているのを笑いながらスルーして蒼衣と押し寄せる波に飲まれながら海遊を満喫した。
大分砂の城は形になってきた。
日が高く昇り、日差しが強くなってきた。
「暑い……」
光希はシャベルを砂浜に突き刺すと立ち上がり、海の中のカンナ達の様子を眺めた。そこには、楽しそうに遊ぶ3人の様子があった。
「平和だな」
しばらく腕を組んで眺めていると、3人は海から上がりこちらへ戻って来た。
「光希ー! お昼にしよう! 和流君の奢りだよー!」
手を振るカンナに、光希は親指を立てて答えた。




