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第89話~停戦協定~

 ****


 焔安(えんあん)の王宮・焔皇宮(えんおうきゅう)に白髪頭の薄全曹(はくぜんそう)が長い黒髪の若い女と共に入って来た。

 その女が誰なのか、一目見ただけで確信した。

 神髪瞬花(かみがみしゅんか)だ。

 青幻(せいげん)は玉座から立ち上がり、神髪瞬花のもとへ階段を降りて近付いた。

 薄全曹が膝を突き拱手(こうしゅ)している傍らで、瞬花は槍を持ち直立して青幻を見ていた。

 瞬花が手にしている槍を良く見ると、穂先(ほさき)に『山都(やまと)』という名前が刻まれていた。そして、煌びやかな装飾と手の込んだ曼荼羅(まんだら)の模様。それは龍武帝国(りょうぶていこく)の槍作りの達人、山都三右衛門(やまとさんえもん)の傑作『矜羯羅龍槍(こんがらりゅうそう)』に相違ない。山都三右衛門は元来、神髪家に専属で槍を作っていた男だ。山都の作品の中で三大名槍と呼ばれたのが『不動明龍槍(ふどうみょうそう)』、『制吒迦龍槍(せいたかりゅうそう)』、そして、今目の前にある『矜羯羅龍槍』だ。青幻にとっては喉から手が出る程欲しい逸品である。

 青幻は薄全曹に手で立ち上がれと無言で合図をして立たせた。


「遠路はるばる蒼国(そうこく)の都、焔安までよくぞお越しくださいました。私が蒼国皇帝の青幻です。よろしくお願いします。神髪瞬花さん」


 青幻が挨拶をすると瞬花は青幻の腰の黄龍心機(こうりゅうしんき)を見た。


「噂に聞いていた賊徒の頭目は確かにただの賊徒ではないようだな。自ら皇帝を名乗るとは面張牛皮な男だ。それにしても、皇帝ともあろう男が帯刀しているとは余程臆病者なのだろうな。笑止千万」


 瞬花は嘲笑うように言ったが表情はない。


「神髪殿。陛下に対して無礼ですぞ」


 薄全曹が言ったが青幻は手で制した。


「ここは武人の国家。いかなる時であれ己の武を研鑽する。そして、それは皇帝である私も例外ではない」


「そうか。見上げた志だ。ところで、この白髪頭の男が、割天風(かつてんぷう)より強い男がいると言っていたから就いて来たのだが、見たところそれなりの風格はあるな。だが、割天風には遠く及ばない」


「あの偉大な割天風殿と比べられては敵いません。ただ、彼の亡き今、私が世界最強の武を持っているというのは嘘ではありませんよ」


 瞬花の眉がピクリと動いた。


「聞き捨てならんな。世界最強は私だ。貴様などではない。だが、学園の奴らよりは骨がありそうだ。そうだな、手始めに、先程から幽暗に潜みてこちらを鳥瞰(ちょうかん)している2人を呼べ。貴様の部下がどれ程の腕前か試してやろう」


 青幻はその言葉に眉をひそめた。


「おや、誰のことを言っているのでしょう?」


 すると、瞬花は部屋の天井の辺りを見回した。


「人のようで人でない。人ならざる者」


「ほう」


 青幻は思わず笑みを浮かべていた。まさか丁徳神(ていとくしん)越楽神(えつらくしん)の2人の気配に気付くとは。

 薄全曹は何のことだが分からずに首を傾げている。無理もない。丁徳神と越楽神の気配は薄全曹でさえ感じ取れないものなのだ。


「まあ、まずは長旅で疲れたでしょうから少しお休みください。食事も用意させていますよ」


「疲れてなどいない。今ここに2人を呼べ。2人纏めて戦わせろ。呼ばぬというのなら貴様ら全員を始末してから私が直接引きずり出してやるぞ」


 瞬花は突然殺気を放った。

 物凄い圧力を、感覚などではなく物理的に感じる程凄まじい殺気だ。


「ちゃんと後で戦わせてあげますよ。それに、あなたには今後その戦闘欲求を満たすだけの相手を毎回用意してあげます。だから今は私の言う通りにしてください」


「毎回? 貴様に従えば、私が満足するだけの相手を用意出来るというのだな?」


「ええ。約束します」


「もし、約束を守れなかったらその時点でこの国を滅ぼしてやるぞ」


「構いません」


 瞬花の瞳は青幻の瞳を覗き込んできた。数秒沈黙が続いた後、瞬花は踵を返し歩き始めた。

 それを見て薄全曹が慌てて瞬花を追い掛けた。


「ハンバーグはあるか?」


「……さあ、なければ作らせます」


「カレーも作らせろ。あと先に風呂に入りたい」


「かしこまりました」


 瞬花は薄全曹に注文を言いながら部屋から出て行った。

 その力は想像以上だった。実際に武を見たわけではないが、その相手を殺さんばかりの殺気、丁徳神と越楽神の存在を見抜く感知能力。流石、割天風がわざわざ見付けて来て調教しただけはある。


 傲慢というものの度を越しているが所詮は子供だ。

 今回の件は、学園に潜り込ませている間者の情報が初めて役に立った。

 学園に入れた間者からは神髪瞬花の制御情報の他に、馬香蘭(ばこうらん)が寝返り、多綺響音(たきことね)神技(しんぎ)神眼(しんがん)を持つ元学園の畦地(あぜち)まりかと共に龍武にいるという情報を得た。神髪瞬花の『人体実験』に関する資料が手に入れば周承(しゅうじょう)の研究の助けになるのだが、その情報だけが見付からないらしい。


 青幻が玉座の脇に控えている従者に黄龍心機を手渡すと、また誰かが部屋に入って来た。


魏邈(ぎばく)ですか」


 入って来たのは車椅子の宰相(さいしょう)魏邈だった。


「陛下、鼎国(ていこく)羅桔堂謁(らけつどうえつ)が陛下に謁見したいと申しておりますが、いかが致しましょうか」


「羅桔堂謁……なるほど、それは合わないわけにはいきませんね。通してください」


 すぐに男が1人入って来た。

 羅桔堂謁。鼎国のナンバー3にいる男だ。

 ナンバー3と言っても、鼎国宰相の褚天張界(ちょてんちょうかい)という男に政略の助言をしたり、皇帝である我羅道邪(がらどうじゃ)自信に軍事関連の助言をしたりと、実質ナンバー2となる策略家である。完全なる文官で、戦闘には参加しないようだが、実際に目の当たりにすると身体は細く、見るからにひ弱で確かに戦闘向きではない。しかし、その分文官としての才能は蒼国、龍武帝国の文官と比べるとずば抜けて優れている。勿論、今羅桔堂謁の隣にいる魏邈よりも上だ。


「羅桔堂謁が青幻陛下に拝謁致します」


 羅桔堂謁は床に丁寧に頭を付け拝礼した。


「頭を上げてください。羅桔堂謁殿。あなたのような方がわざわざお見えになるとは、一体本日は何用でしょうか」


 青幻は玉座に座ったまま皇帝らしく、堂々とした態度で言った。しかしながら、癖で言葉遣いは酷く丁寧なままだ。


「恐れながら。神髪瞬花の件でお話したい事がございます」


「申してください」


 羅桔堂謁はまた拝礼してゆっくりと話し始めた。


「貴国は亜務剡(アムソル)の戦闘にて、孤島の学園の序列1位、神髪瞬花を手中に収められたと聞いております。あの者は我が鼎国でもおよそ考えられる最大戦力を投入してでも手に入れたかったものでございます。先の戦では、たった1人の神髪瞬花に我が軍は手も足も出ず、(いたずら)に将兵を失いました」


「情報が早いですね。神髪瞬花を捕らえるには将兵の多寡でも、武器の数でもありません。必要なのは策です。神髪瞬花のことを知れば適切な策を講じることも出来ます。残念ながらあなた方は神髪瞬花のことを知らな過ぎた」


「仰る通り、返す言葉もございません」


「それで、わざわざ神髪瞬花を差し出せと言いいに来たわけではないでしょう」


「はい。神髪瞬花の件は争奪戦に敗れた我々に差し出せなどと言う権利はございません。本日は貴国と停戦協定を結びにやって参りました」


 青幻が答える前に、魏邈が笑い声を上げた。


「それはそれは、実に面白い話ですな。神髪瞬花を取られて勝ち目がないと見ると、すぐに尻尾を振ってきおったわけか。愚かな。そのような話に我々が乗る利点はない。それに、我々は武人の国家を作るのが目的だ。貴様らのような銃を未だに使い続けるだけの時代遅れ共とは相容れないことなど明々白々。陛下、この際、この男を斬って、鼎国ごと滅ぼしてしまいましょう。敗戦して間もない弱小国など、神髪瞬花を手に入れた我々には恐るるに足りません」


「魏邈。あなたは我羅道邪という男を知らないようですね」


 威勢のいい魏邈に、青幻は静かな声で言った。


「我羅道邪はこの銃火器が禁止された世界で、何万という兵達が手に出来る程の銃を集めています。そして、その入手経路は世界各国に強固に巡っています。恐らく、財も我が蒼国よりも莫大に蓄えている筈です。体裁上は世界から銃火器は鼎国以外からは消えたことになっていますが、実際は各国のほんの一部の地域で秘密裏に生産されそれが流通していると聞きます。そして、何より恐ろしいのは我羅道邪がまだ一介の武器商人だった頃、あの澄川孝謙(すみかわこうけん)を殺した事です」


「それは、自宅という心休まる場所で、妻との団欒の最中にいきなり幾人もの銃を持った男達から発砲されれば誰であろうと死にます」


「いえ、澄川孝謙の氣の力は尋常ではないと聞いています。例え暗殺者が気配を消したとしてもその氣は5キロ先でも正確な人数まで捉え、あらゆる物理攻撃を氣の力で完封し、見えない氣の刃で遥か遠くの敵を無力化する。つまり、敵が人間である以上、不意打ちは不可能。それを我羅道邪は易々と殺したのです。普通ではありません」


 話を聞いていた魏邈は青ざめた顔をした。

 羅桔堂謁は黙って(こうべ)を垂れている。


「し、しかし、こちらは神髪瞬花を手に入れました。その戦力は万人に匹敵する」


「確かにそうかもしれませんね。しかし、それは、神髪瞬花を完全に従えた時に言えること。万が一、今の状況で神髪瞬花を戦闘に投入し裏切りこちらを攻撃してきたら我々が敗北します。個人の戦闘では我々に勝機がありますが、大勢の兵を使った戦ともなれば、兵力のほぼ拮抗する蒼と鼎では勝敗は見えません」


 魏邈はもう反論も出来ずに俯いてしまった。


「……と、私が言うだろうと予想していたのでしょう、羅桔堂謁殿」


 頭を垂れていた羅桔堂謁はニヤリと笑って頭を上げた。


「さすがは青幻陛下。ご明察でございます。正直なところ、我が鼎国は蒼国に負けるとは思っておりません。ですが、勝てるとも思っておりません。あなた方にとって神髪瞬花は言うなれば核兵器。使いこなせれば最強ですが、初めて扱うあなた方には使い方も分からなければ管理方法も分からない。下手をすれば自らに大損害をもたらす危険のある代物。そして、いきなりその未知の力を持つ者を使い、我が鼎国に攻撃を仕掛けるような愚かなことを聡明な君主、青幻陛下がする筈はありません。万が一、私がこの場で斬られてしまえば我が(きみ)は全軍を持ってここ焔安を攻め落とすでしょう。その時、神髪瞬花が役に立つか賭けに出るのも良いでしょうが、神髪瞬花1人にこの蒼国の命運を委ねて良いものか。私を斬るか斬らないかは今お決め下さい」


 青幻は腕を組んだ。

 我羅道邪はわざわざ停戦などせずに蒼国を奇襲してしまう事も出来た筈だ。だが、敢えてこの羅桔堂謁を使者に寄越し、停戦を持ち掛けてきた。実際、今鼎国に攻撃されるのは不味い。今まではお互い様子見で攻撃はして来なかった。お互いが利用出来ると思っていたからだ。気付けばお互いの兵力も拮抗するくらいに国が大きくなった。その最中(さなか)、神髪瞬花を巡る攻防が起こり、それは蒼が勝利した。

 神髪瞬花を手にした国が勝つというのは、以前から言われていたことだ。

 だがそれは、神髪瞬花を完全に使いこなしてこそ言えることだ。神髪瞬花を抱えることは敵国への脅威でもあるが、同時に自国のリスクでもある。

 ましてや、鼎国が蒼国を攻めて来た時に、龍武が黙って静観しているとは思えない。龍武にとっては蒼国も鼎国も領土から発生した逆賊の国家に過ぎない。不利な方を攻撃してくるだろう。つまり、蒼国も鼎国もお互い潰し合わない方が今は都合がいいのだ。


「分かりました。羅桔堂謁殿。停戦に応じましょう。お互いの敵はまず龍武です」


「ご英断に感謝致します」


 羅桔堂謁は予想通りと言わんばかりの満足そうな笑顔でまた額を地面に付けた。

 隣の魏邈は納得のいっていないような表情で拝礼している羅桔堂謁を見ていた。


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