第86話~カンナとつかさ、禁断の接吻~
つかさの部屋のテーブルの上には途中まで組み上げられたプラモデルが置いてあった。カンナにはあまり馴染みのない道具も散らかっていたが、それらに紛れてカンナの目を引いたものがあった。
「あれ? つかさ、眼鏡掛けるの?」
「うん。プラモ組む時だけね」
「へー、そうだったんだ」
つかさのことなら何でも知っていると思っていたが、眼鏡を掛けるなんて知らなかった。つかさのことを知っているつもりでも、実は知らないことがカンナにはたくさんあるのかもしれない。
「掛けてみてよ、眼鏡!」
「なんでよ」
「見たいからー」
つかさはカンナの頼みを珍しく聞かずに、カンナに背中を向け、壁際のベッドの上の乱れていたシーツや布団を整え始めた。
部屋は少し暑く、つかさは薄手のシャツとショートパンツを穿いているだけのかなり際どい格好だ。窓が空いているのでいくらか風は入ってくる。
「つかさ、もしかして具合悪い? 何だか顔も赤いし……」
ベッドの上を整えるつかさの動きがピタリと止まった。
「そんなことないよ。顔が赤い? まあ、暑いからね。それより、座って。話があるんでしょ? カンナ」
「う、うん」
つかさはぎこちない笑顔を見せながらも先にベッドの上に座り、カンナに隣に座るように手で示した。
カンナは言われるままつかさの隣に、壁に背を付け膝を抱えるように座った。
つかさも同じく膝を抱えているが、膝に額を付けてしまっており、カンナの方からは黒い髪に覆われた横顔しか見えない。
「あ……カンナ、何か飲む?」
「いや、大丈夫」
「そう……」
少しの間、2人は沈黙した。
「カンナ。話って、何? 私、怒られるのかな」
先に口を開いたのはつかさの方だった。相変わらず髪の毛で表情は見えない。
「え? 怒られる? どうして?」
「いや……なんとなく」
つかさは顔を伏せたまま、弱々しい声で言った。
「何か私に怒られるようなことしたの? 何かあるなら言ってみて」
カンナは優しく言った。
「あの子から、何か言われたんじゃないの? 水無瀬蒼衣」
カンナは綾星が言ったことが1つ的中したのでなるほどと思った。
「あ……うん。でも、怒りに来たわけじゃないから、顔を上げてよ。つかさ」
カンナの優しい言葉に、つかさはようやく顔を上げてこちらを見た。
とても不安そうな顔をしている。
「水無瀬さんはね、ちょっとだけつかさのこと怖がってたよ。話聞かせてもらったけど、つかさは私が程突に連れて行かれたのは水無瀬さんのせいだって思ってるんだよね」
「……だってそうじゃん。あの子がカンナを村に連れて行かなければあんなことにはならなかった」
「でも、それは結果論だと思うよ。私はたまたま、水無瀬さんにあの日村へ誘われた。けど、もしかしたら別の子に誘われて村へ行ったかもしれない。村へ行かなくても、私が部屋で寝ている時に襲われて連れ去られたかもしれない。あの日あの時あの場所で、私が程突に攫われるなんて誰も予想出来ないでしょ?」
つかさはカンナの話に黙って耳を傾けていた。
「それにね、これは程突が言ってたことなんだけど、本当は学園に潜入して、後醍院さんや四百苅さんを殺してから私を連れ去るつもりだったんだって。私が村へ行かなかったら、2人に危険が及んでいたかもしれない。結局さ、悪いのは程突なんだから。水無瀬さんのこと、悪く思わないで」
つかさは膝を抱えたまま、黙ってテーブルの上のプラモデルを眺めていた。
「カンナがそう言うなら、分かった。もう水無瀬蒼衣のことは忘れる」
「あとね、つかさ。斑鳩さんのことも悪く思わないで欲しいの」
つかさは驚いたような顔をしてカンナの顔を見た。
「何で? それも水無瀬蒼衣が言ってた?」
「斑鳩さんが水無瀬さんを庇ったのはつかさが水無瀬さんのことを良く思ってなかったからだと思うよ。一緒の班にしたら任務に支障をきたすかもしれないからって。別に斑鳩さんが水無瀬さんのことを特別どうこう想ってるわけじゃないと思うよ。でも、つかさは私のことを想ってくれてるからこそ、そう感じちゃったんだよね」
つかさはカンナの目を見ながら口を開いた。
「それ、斑鳩さんが言ってたの?」
つかさの目付きと口調が少し怖かった。
「ううん。直接聞いたわけじゃないから私の想像だけど、私はそう信じてる。斑鳩さんは、みんなに平等に接してくれるから」
「カンナは本当に斑鳩さんのことが好きなんだね。そうだよね。斑鳩さんは誰にでも優しいからね。カンナが傷付いてないなら、私がどうこう言う話じゃないよね。ごめん。でもね、もし、斑鳩さんがカンナに冷たくしたり、裏切るようなことをしたら絶対私に相談してね!私、カンナのことが心配だから」
「分かったよ、つかさ。ありがとう」
カンナはつかさを抱き締めた。つかさが斑鳩のことを理解してくれたかは微妙な感じだった。
ただ、つかさは膝を抱えたまま、カンナの抱擁を黙って受け入れてくれた。
ふと、つかさの身体が異様に暑いのを感じた。
「つかさ、やっぱり熱あるんじゃないの? もしかして、蘭顕府の宿の時からなんじゃ……あの時もお風呂断ってたし……」
カンナの質問に、つかさはさらに顔を伏せ、身体を丸めてしまった。
「違うってば! 熱なんてない! 具合悪くない! お風呂断ったのは……その……」
つかさは少し苛立った様子で答えた。
「どうしたの? 私心配だよ。何かあるなら話してよ。つかさってさ、私には何も相談してくれないよね……」
カンナが言うと、つかさはハッとしてカンナの顔を見た。その顔はとても怯えたものだった。
「そ、そうだよね。私、カンナには相談しろって言ってるくせに、私はカンナに相談してない……ごめん。でも、ちょっと話しにくいって言うか……その……」
「そう……だったら、無理に話さなくてもいいよ」
「ううん。聞いて。カンナ」
つかさの目付きが変わった。全てを打ち明ける覚悟をしたような、そんな目だ。
カンナは頷いた。
「お風呂断ったのはね、あの時カンナと一緒にいた人達と一緒にいたくなかったんだ」
「水無瀬さん……は分かるけど」
カンナは綾星からつかさの茉里への感情も聞いていたが、敢えて口にせず、つかさから話すのを待つことにした。
「光希ちゃんと抱さんはいいんだけど、その……茉里がね」
「後醍院さん? 今まで普通に接してたじゃん?」
「うん……今まではね」
つかさが言葉を躊躇うようになってきた。やはり綾星の言う通り、つかさは茉里に苦手意識を持ってしまったのだ。その理由は────
「あいつ、カンナにキスした」
やはり、綾星の読みは的中していた。
本当にそのことで悩んでいたとは……。
「しかも、唇に」
つかさは唇を噛み締めて悔しそうな顔をしている。
「あ……うん。でも、あれはスキンシップでしょ? 後醍院さんなりの」
「カンナはそう受け止めたの? 友達として、受け止めたの?」
つかさの目は真剣だった。
カンナは思わず息を飲んだ。
「う、うん。そうだよ。私と後醍院さんは友達だし、それ以上の関係じゃないと思ってるよ」
「そっか……カンナはそう思ってるんだ。そっか……。私もね、カンナと茉里が仲良いのは知ってる。友達同士だって、そう思って受け入れてた。でも、あんなの見せられたら、なんか、変な気持ちになっちゃうじゃん」
つかさはまた目を逸らした。いつになく、つかさが女の子に見えた。その恥じらう姿はとても可愛らしく、愛おしく見えた。
「や、やだなー、変な気持ちって。でも、つかさが元気なくす程悩んじゃうなんて思わなかった。私の方から後醍院さんには言っとくね。ああいう事はしないでって」
つかさは目を逸らしたまま無言で頷いた。そして、おもむろにテーブルの上に置いた眼鏡を掛けてカンナに顔を向けた。
「話聞いてくれてありがと。大分スッキリしたよ」
つかさは眼鏡を掛けたまま、カンナに満面の笑みを見せた。
「眼鏡!! すっごく似合ってる!! 可愛いよ!! つかさ!!」
カンナもつかさの眼鏡を掛けて見せてくれた心からの笑顔にようやく緊張が解けた。これでつかさの悩みも解決……と、思ったが、まだ1つ話すことがあったのを思い出した。
「あ、そうだ! つかさ。燈と序列仕合するんだって? 本気なの?」
カンナは聞きたかったもう1つの話題を思い出し、眼鏡を褒められて鼻の下を伸ばしているつかさに尋ねた。
「あー! 忘れてた! あの人私に喧嘩売ってきたんだ! そう言えばまだ正式に仕合の話来てないな。あの人だけは1発ぶっ飛ばさないと気が済まない!」
突然つかさは声色を変え怒り出した。今まで落ち込んでいたのが嘘のようである。
「えっと……どうしてそんなに怒ってるの?」
カンナが首を傾げて尋ねると、つかさは拳を握り締めてカンナを見た。
そして、つかさは眼鏡を外し、またテーブルの上に置いた。
「あの人、私がカンナに特別優しくしてるのが気に食わないんだって! 意味わかんないでしょ? いいじゃんね? 私がいくらカンナに優しくしたってさ! そんなことに一々突っかかられたら堪んないわよ! だから私もあの人をちゃんと仕合でぶちのめして屈服させてやるの! もちろん、私が負けるようなことがあれば、あの人の言うこと聞いてやるわよ! まあ、負けないけどね!」
「そ、そうなんだ……」
つかさの迫力に気圧されて、カンナは愛想笑いしか出来なかった。一度キレるとやはりつかさは怖い。だが、つかさは燈とのいざこざには悩んでいないようだ。確かに、つかさの性格からすると、喧嘩を売られたら買う。そして、相手を打ち負かす。これ以外に選択肢はないのだろう。つかさにとっては、喧嘩を売られた方がやりやすいのかもしれない。燈の件に関しては、これ以上心配する必要はなさそうだ。
「それじゃぁつかさ、大怪我だけはしないようにね。前と違って序列仕合で死ぬようなことはなくなったとはいえ、大怪我されたら泣くからね。私」
「大丈夫だよ。あの人に大怪我させても、私がすることはないから」
「う、うん。まあ、程々にしてあげて……じゃあ、お邪魔しました」
カンナがベッドから立ち上がろうとすると、つかさが手を掴んだ。
「あ、あのさ、カンナ。茉里とのキスが友達同士のキスなら、私も、してもいいよね?」
先程まで怒りの表情だったつかさは、いつの間にか発情した雌の顔になっていた。
「え!? いや、そうだけど、今は……むぐぅぅ!!?」
動揺するカンナの唇につかさの柔らかい唇が重なった。
そして、つかさはカンナの下唇を甘噛みし始めた。
「は……つ、つかしゃ??」
カンナは身体の力が抜け、ベッドに仰向けに倒れた。つかさはそのままカンナの上に覆い被さるように倒れ抱き締めてきた。つかさの大きくて柔らかい胸がカンナの胸に押し当てられた。
つかさは何も喋らずにカンナの唇を唇で愛撫し、そして、カンナの口の中に舌が入って来るのを感じた。
「んんっっ……!?」
しかし、カンナは拒まなかった。
つかさにされるがまま、カンナは身を委ねてしまっていた。
斑鳩ほど上手くはないが、女同士の背徳感がカンナに未知なる刺激を与えている。
密に触れ合う女の躰同士の熱もカンナには初めての感覚だ。柔らかい胸も太ももも、カンナの躰に直接感触が伝わってくる。
次第にカンナは全身が熱くなり、物凄く興奮していることに気が付いた。
斑鳩とキスをしている時にも感じる快感の波。つかさとでも感じるのか……。
カンナの絶頂が近付いて来た時、ふと我に返り、下腹部に力を込め、自ら絶頂の快感を寸前で断ち切ってつかさの唇から唇を離した。カンナとつかさの唇は、2人の唾液が混ざった透明な糸を引いて繋がっていた。
「ご、ごめん! つかさ! これ以上はホントに駄目! これ以上続けたら私……ああ、あの、一線越えちゃうのは不味いでしょ? 女の子同士なのに」
カンナは荒い呼吸をしながら目の前の切ない表情をしているつかさに言った。
「ここまでしといて今更やめるとか、無理だよ。生殺しのまま私を置いて帰るっていうの?」
「ええー……そんなこと」
「ウソウソ。ありがとね、カンナ。これで私は茉里よりもカンナと仲良しになったね。カンナをギリギリまで気持ち良くさせたみたいだしね! でも、本当にいいの? 最後までしなくて?」
「つ、つかさってそう言うキャラじゃなかったよね!??」
「あははは! ウソウソ〜」
「もーー!! 何がホントで何が嘘なのよーー!!」
カンナが頬を膨らませると、つかさは楽しそうに笑った。その表情はとても幸福感に満ちていた。
その時、突然玄関の扉が開いた。
「あーーー!!!? つかささん、澄川さん?? 何してるんですかーー!!」
赤いロングヘアの綾星が荷物をたくさん抱えて帰って来たようだ。
「綾星!? 今日はやけに早くない?? まだバイト終わる時間じゃ……」
つかさは血の気の引いた顔をして言った。
カンナは頭がフワフワしていて上手い言い訳が浮かんで来ない。
もっとも、つかさとベッドの上で重なり合っているこの状況。正気であっても言い逃れは出来ないだろう。
「バイトは今日はお休みって言ったじゃないですかぁ~! あ~もう!! 2人でエッチしてたんでしょーー!! ズルいですよ!! 私も混ぜてくださいよ!! 3Pしましょー!!」
「大声出さないで綾星! 周りに聴こえるでしょ! ……って、えぇ!?」
綾星の発言にカンナ以上につかさが驚いた。恐らく、綾星がカンナを除外しなかったことに驚いたのだろう。正直カンナも驚いた。
「私以外の女とやってるのは納得行かないですけど、澄川さんなら、特別に許してあげます〜。だから、早くしましょ〜」
綾星は荷物を置くと、靴を脱ぎ、シャツのボタンを外し始めた。
「ま、待って天津風さん、私達エッチしてたわけじゃないし、それに私はもう帰るから、後はつかさとごゆっくり……」
カンナが起き上がろうとすると、シャツのボタンを外して下着が露わになった綾星がカンナの肩を掴んだ。
「どうして逃げるんですか〜? ここで逃げたら殺しますよ〜?」
綾星は恐ろしい笑みを浮かべ、カンナの耳元で囁いた。
「コラ! 綾星! カンナが怯えてるでしょーが!」
一瞬の隙をつき、つかさが綾星の身体を抱き締めてベッドに押し倒した。
「きゃー!!」
綾星は嬉しそうな悲鳴を上げた。
「カンナ、今のうちに!」
「う、うん、ありがと」
つかさの機転により、カンナはベッドから逃げるように飛び出した。
つかさは綾星をベッドに押さえ付けながら微笑みカンナに小さく手を振った。
綾星はさり気なくカンナにウインクした。
カンナは2人に笑顔で答えた。
部屋から出て扉を閉め、カンナはその場で大きな息を吐いた。
部屋からは微かに、つかさと綾星の楽しそうな話し声が聴こえた。
それだけ聞くとカンナはにこりと微笑み、槍特寮を後にした。
ただ、つかさの唇と舌使い。柔らかい胸や太ももの感触が身体に残っていて、カンナの身体を疼かせた。
初めて知った女同士の快楽。本当につかさは友達同士の意味での接吻をしたのだろうか。
友達同士というには生々しく、とても淫らな気持ちになってしまった。
途中で拒絶してしまったことを少し後悔している自分がいる。
それでも、つかさがまた元気になってくれたことは嬉しいことだった。
カンナは槍特寮の入口に待たせていた響華に跨り、足早に体特寮へ戻った。




