第85話~八門衆vs孟秦~
夏も近付きいくらか日差しも強い。
そんな中、学園のお気に入りの東の岩壁の上の広場で、澄川カンナは目を閉じ、座禅を組みながら潮風を浴びていた。
いつも通りの学園生活が戻って来た。
この場所で自分の中の氣を練っていると心も身体も研ぎ澄まされて気分が晴れる。
親友の斉宮つかさとは大陸側から帰還した後はちゃんと話していない。
天津風綾星とのつかさの悩みを解決するという約束をまだ果たしていない。課題が多く、何から解決すればいいのか、それを考えているうちに1日が終わってしまうのだ。
大陸側から帰還して今日で3日。そろそろ動かなければならない。
カンナは眼下に広がる青い海を見ながら立ち上がり大きく伸びをした。
この岩壁の上の広場の端には周防水音の墓がある。墓にはカンナと篁光希が定期的に供えに来ている花が置いてある。
カンナはそれを横目で見ると両頬をパチンと叩いた。
「よし! 決めた! 私がうじうじ悩んでる場合じゃない! 頑張ろう!」
カンナは少し離れた場所で草を食んでいた愛馬の響華に飛び乗ると、学園の方へ駆けて行った。
部屋で1人。
このところ、豪天棒を振っていない。カンナを救出して学園に戻ってから何故だか全てにおいてやる気が起きない。酷い倦怠感に苛まれていた。
つかさはローテーブルいっぱいに広げたバイクのプラモデルキットを組み立てながら深い溜息をついた。
今日は綾星が食堂のアルバイトで夕飯の時間まで帰って来ない。
つかさは趣味のプラモデルを作っている時が1番落ち着く。しかし、今は何故か心がソワソワしてしまい落ち着かない。
まだ授業が終わって1時間も経っていない為か、隣の部屋も人気がなく静かだ。
心のざわつきは、やがて身体の疼きに変わっていった。
つかさはプラモデルの組み立てを一通り終わらせると、この時だけ掛けている縁のない眼鏡を外しテーブルに置いた。
身体が疼くのはいつものことだった。誰かといればその気持ちは紛れるが、1人になると抑えられなくなる。下半身が熱い。過去に受けた凄惨な記憶は今も身体に刻みつけられているのだ。
つかさがまだ15歳の頃、両親によって身体を売られ、武器商人の男達に買われた。そこで1年間酷い陵辱を受けた。つかさは機を見て男達を棒で打ち殺し、1人放浪の旅をした。その後この学園島の噂を聞き、祇堂で浪臥村行きの船に乗り込み、学園に入学したのだ。
つかさには両親も兄もいて身寄りがないというわけではないが、もうあの両親に会いたいとは思わない。今生きているのか死んでいるのかも分からない。知ったところでもう会うことはないのだ。
しかし、兄は違う。今も大好きだ。でも、会うわけにはいかない。穢らわしい男達に汚されたこの身体。逃げる為に男達を殺し血に染まったこの手。つかさはもう純粋な兄とは違う世界の人間に成り下がってしまった。だからもう兄のことは忘れるしかない。
少し横になろう。こうなってしまってはちょっとやそっとでは収まらない。綾星が帰ってくるまでには終わらせよう。
つかさは淫欲で疼いて仕方のない躰をゆっくりベッドに横たえ、そして静かに目を閉じた。
****
白い仮面を付けた黒いローブを着た男はいきなり襲って来た。
全く気配を感じず、いきなり刃物で左肩を斬られた。
孟秦は肩の傷に構わず背中の大刀を抜いた。
仮面の男は鎖鎌を持っていた。鎌からは血が滴っている。
「八門衆だな」
孟秦が言った。
しかし、仮面の男は返事はおろか反応すらしないで仮面に開けられた2つの穴からこちらを見ている。
八門衆とは、孤島の学園にいる謎の組織である。
それは孟秦が2年前に学園を訪れた時にはいなかった連中だ。つまり、割天風の息の掛かっていない組織。
学園に潜入させている間者からの情報によれば、八門衆を指揮しているのは海崎という男だそうだ。海崎だけは唯一その素顔を晒しているが、その部下である8人の仮面の男達は素顔も本名も何もかもを隠している。確かなのはその武術の腕前だけらしい。
海崎の立場は、かつての割天風が雇っていた暗殺者、鵜籠と同じだが、その実力は桁違いだ。
手下の数も、鵜籠は数百人という大所帯を学園の内外に潜ませていたが、海崎はたったの8人で鵜籠以上の働きをしているらしい。神髪瞬花の監視をしているくらいだから、孟秦の目の前の男も相当腕が立つ筈だ。現に孟秦は仮面の男の気配を辛うじて感じられる程度で一度隠れられてしまっては見つけ出すのは至難の業だ。
孟秦は大刀を仮面の男に向けた。
「孟秦。それに、薄全曹に董韓世。蒼国の上位幹部が勢揃いとは必死だな。だが貴様ら如きに神髪瞬花は捕えられない」
「そうかもしれんな。お前ら学園の人間とて神髪瞬花を捕えられないのだからな、仮面の人よ」
仮面の男は少し間を開けて、また口を開いた。
「何にせよ、俺の姿を見た貴様にはここで死んでもらう」
仮面の男は素早い動きで右に左に跳びながら孟秦に接近。右下か。そう思ったが孟秦の大刀は背後を守った。
背中で鎌と刀がぶつかる音が聴こえた。
咄嗟に動いた大刀が背中を引き裂かれるのをギリギリ防いだ。
だが今度は脚を払われバランスを崩したところで鎖を首に巻き付けられ締め上げられた。
「ぐっ……!」
孟秦は唸りながらも大刀で鎖を叩き切り首から鎖を外すと、そのまま鎌だけを持つ仮面の男に突っ込み両手で握った大刀を振った。
仮面の男はただの鎌で孟秦の大刀を的確に受けている。武器の圧力では孟秦が勝っているにも関わらず、仮面の男を押すことが出来ない。
すると、仮面の男が鎌を上手く大刀に引っ掛け刀身を火花を散らして滑らせながら孟秦の懐に入り、鎌を孟秦の右肩に突き刺した。そして、仮面の男は孟秦の頭上で一回転しながらこちらに狙いを定めた。大技が来ると思い、すぐに反転して大刀で身体を隠した。
────しかし、
「大山鳴動拳・大爆一鼠」
仮面の男は回転の勢いを瞬時に殺し着地。頭上から来ると思って上部に大刀を回していたのでがら空きになっていた孟秦の腹へ1本指の突きが入れられた。
孟秦はよろめき後ろに重心を取られた。
────負ける────
孟秦が敗北を感じた時、突然仮面の男は孟秦から引き離されそのまま勢い良く背中から地面に叩き付けられた。
孟秦が体制を立て直し、仮面の男を叩き付けたのが董韓世だということを理解した時には、地面に倒れた仮面の男の心臓に董韓世の刀が突き刺さっていた。
「董韓世殿……」
「コソコソしていたのは八門衆だったのか。この仮面の模様……この男は『離』という名だ」
董韓世は離の身体から刀を抜き血を払い鞘に戻すと、離の仮面を剥がしその素顔を見た。
「俺が来なければ孟秦を殺れたのにな」
目を見開いたまま死んでいる男はまだ若く、30前半くらいに見えた。
孟秦は右肩に刺さっていた鎌を引き抜き足元に投げ捨てた。そして持っていた布切れで傷口を抑えた。
「助かりました。董韓世殿。お陰で八門衆の1人を始末出来ました」
孟秦が大刀を背中の鞘に仕舞いながら言うと董韓世は離の仮面を懐に入れた。
「八門衆がこれ程の力を持っているとなると厄介だな。1人なら勝てるが2人に襲われたら俺でも勝てぬやもしれん」
董韓世はそう言いながら地面に膝を突き、離の服を調べ始めた。何か機密情報がないかと探しているのだろう。
「ところで、董韓世殿、何故こちらに? 神髪瞬花はどうなりました? 爆発音も聴こえましたが」
孟秦が訊くと董韓世は離の口を指でこじ開け口の中を覗き込んだ。
「神髪瞬花は薄全曹殿が上手く蒼に来るように言いくるめた。今は2人で蒼へ向かっている。我羅道邪の兵は神髪瞬花に恐れをなし全員逃げ帰った。爆発は敵が自爆しただけだ。気にするな」
「そうですか。それは良かった。まさかこんなに早くカタがつくとは。さすがは薄全曹殿。では任務は完了ですな。我々も早く薄全曹殿の後を追いましょう」
董韓世は離から何も得られなかったのか首を横に振りながら立ち上がった。
「そうだな。死体は片付けておこう」
董韓世は離の死体を担ぎ上げ、乗ってきた馬を休ませていた場所へ歩き始めた。
孟秦もその後に続いた。
****
槍特寮の入口でカンナは響華を降りた。
「ちょっと待っててね」
カンナが響華の鼻面を撫でてやると響華はフンと鼻息で返事をした。
槍特寮に来たのは大陸側から戻って来て初めてである。
序列1位の神髪瞬花専用の建物がある為、槍特寮の敷地は他のクラスの寮に比べてかなり広い。神髪瞬花専用の建物は人が生活するような普通の家の外観をしている。しかし、2年前に行方をくらましてからは誰も使っていないようだ。
瞬花は今どこで何をしているのか。学園は八門衆を就けて監視を続けているらしいが、未だに捕まえることは出来ていないらしい。
以前、瞬花を捕まえる為に斑鳩爽や水無瀬蒼衣等も任務に派遣されたが、我羅道邪の軍隊に阻まれ失敗した。
カンナは槍特寮の外階段を昇った。
つかさの部屋の隣は和流馮景の部屋だ。
そう言えば和流とも学園に戻って来てから話していないし姿も見ていない。きっとまだ村当番なのだろう。
カンナはつかさの部屋の前に立ちながら、しばらく隣の和流の部屋を横目で眺めていた。
つかさの部屋の中から物音がしたのでハッと我に返った。
カンナは和流のことを頭から振り払った。
そして、深呼吸してから扉をノックした。
「つかさー。私ー」
カンナが呼び掛けるとすぐに扉が開いた。
「カンナ……」
3日ぶりに見たつかさの顔。
この扉から出て来たつかさの姿。どこか懐かしい感じがした。
まさにデジャブ。あの時と同じだ。
2年前、カンナが多綺響音に虐められていた時、カンナがつかさに助けを求めにここを訪れた。その時つかさは優しい笑顔でカンナを出迎えてくれた。
しかし、今は違った。
つかさの表情に笑顔はない。カンナを見て一瞬微笑んだ気がしたが、それは無理矢理という感じがした。そして、カンナから目を逸らした。
やはりつかさは悩んでいる。
「何か用?」
つかさは元気なく言った。
今までに見たことがないくらい弱々しいつかさ。
自分が力になってあげるんだ。その一心でカンナはつかさに笑顔を向けた。
「つかさ! お話しに来たよ!」
つかさは逸らしていた目をカンナに向けてまた少しだけ微笑んだ。
「入って」
カンナはつかさと部屋に入った。




