第69話~暗器と体術《斑鳩vs蛇紅》~
蔦浜から無線が入った。敵がこちらに向かっているらしい。だが近くに敵の姿は見えない。
斑鳩は眼前にカンナ達がいる岩山を捉えていた。
後少し……そう思った時には脇の斜面から女が1人馬で駆け下りて来て斑鳩目掛けて真っ直ぐ蹴りを入れてきた。攻撃は防いだが勢いは殺せず斑鳩は走行中の馬から叩き落とされた。
「斑鳩さん!」
並走していた蒼衣が振り向きざまに女に矢を射たが、女が片手で開いた扇子に簡単に遮られ打ち払われた。
「水無瀬! 俺に構うな! お前は先に澄川達に合流しろ! 合流したらそのまま龍武へ逃げろ!」
斑鳩は体勢を立て直しながら叫んだ。
「でも……」
「いいから行け! 命令だ!」
「……了解しました」
蒼衣は唇を噛み締め岩山へまた駆け始めた。
「男……か。君を放っては進めそうにないわね」
女は扇子を閉じ唇に触れさせて考えるように呟いた。その間女の目は蒼衣が駆けて行った岩山の方を見ていた。
「程突の仲間だな。邪魔するならここで死んでもらいますよ」
斑鳩は左右の腰のポーチに両手を添えた。
「そう。私も同じ事を考えていたの。奇遇ね」
女は目を細め斑鳩をキッと睨んだ。
****
カンナが洞穴の中から飛び出そうとすると蔦浜とリリアに腕を捕まれ止められた。
2人とも狙いはカンナなのだからここに隠れていろと言うのだ。
だがカンナはいても立ってもいられなかった。すぐそこに愛する斑鳩がいて、自分が加勢に行ける距離にいるのだ。
カンナが頬を膨らませていると馬蹄の音が近付いて来た。
氣を探るとどうやら蒼衣が到着したようだ。
すぐに蒼衣は馬を降り、洞穴の入口を見付け中に入って来た。
「澄川さん……! 良かった……無事で」
蒼衣はカンナの顔を見るなり完全に脱力して膝から崩れ落ちた。すかさずカンナが蒼衣の身体を支えた。
「水無瀬さんこそ無事で良かったよ。こんな危険な所に来てくれたんだね。ありがとう」
カンナが言うと蒼衣は首を振った。
「お礼なんて……、私のせいで澄川さんを危険な目に遭わせてしまったんです。本当にごめんなさい」
カンナは頭を下げた蒼衣の青い髪を優しく撫でた。
「あなたのせいじゃないよ。今回の件で悪いのは全部程突なんだから。それにあの事はもう許したでしょ? 水無瀬さんが気に病む事はもうないんだよ」
蒼衣はカンナの優しい言葉に目を潤ませて抱きついて来た。
「ありがとうございます! 早く一緒に学園に戻りましょう」
「うん!」
カンナと蒼衣の様子を見ていた蔦浜が顎に指を当てて呟いた。
「それにしても意外だったなー。カンナちゃんと水無瀬が仲良いなんて」
蔦浜の声にカンナの肩に顔を置いていた蒼衣が反応し蔦浜の方を見た。
「……えっと、どちら様でしたっけ?」
「はぁ!? ちょっ!! 嘘でしょ!? 2年前の学園戦争の時重症の君を担いで助けてやったこの蔦浜祥悟を未だに覚えてないわけ!?」
蔦浜が悔しそうに大きな声で喚いた。
「うるさいわね……冗談に決まってるじゃない……あ!」
蔦浜のリアクションに嫌悪の表情を浮かべた蒼衣はふとカンナの危うい格好を見て何か思い出したかのように洞穴の外へ出て行った。
カンナも蔦浜もリリアもお互い顔を見合わせ首を傾げた。
すぐに蒼衣は戻って来た。手には袋を持っている。
「はい! 澄川さん! あの時浪臥村で買った服と下着と靴です!」
蒼衣は言いながら袋ごとカンナに差し出した。
「嘘!? 本当!? 持って来てくれたの!? ナイスだよ水無瀬さん! うわー! ありがとう!!」
カンナは水を得た魚の如く歓喜し蒼衣を抱き締めた。
「良かったね、カンナ」
リリアもホッとしたように言った。
「ねーねーあの男の人が何だか残念そうな顔してますよ澄川さん」
蒼衣はまたも嫌悪の表情でカンナの後ろの蔦浜を指さした。
「そんな顔してねーし! 俺もリリアさんと同じで良かったなぁ! って顔だよ、コレは!」
蔦浜が慌てた様子で弁解していたのでカンナは蔦浜の目を見た。
すぐに蔦浜はカンナから目を逸らし1人岩の天井を腕を組みながら見ていた。
「蔦浜君はむっつりだから仕方ないよ。それより早く着替えちゃうね」
カンナは言いながら立ち上がり袋から下着を取り出し着替え始めた。蔦浜がまたこちらを見ていたが、カンナは気にせず上着を脱いだ。蔦浜に借りた上着を脱ぐともうカンナの身体を隠すものは何もない。洞穴の中とはいえ、全裸というのは川で水浴びをした時のような開放感がある。蔦浜もリリアも蒼衣も、何の躊躇いも見せず裸になったからなのか、言葉を失ってカンナの生着替えを見ていた。
「こら! 変態さん! どっか行っててよ!」
蒼衣が我を忘れてカンナを見ていた蔦浜の方に来てズイズイと外の方へ追いやっていた。
「わ、分かったよ! 外行くから押すなよ!」
「水無瀬さん、あんまり蔦浜君を悪者にしないでいいよ。蔦浜君も今回私を命懸けで助けに来てくれたんだから」
カンナは蒼衣の蔦浜への態度を優しく窘めた。
蔦浜も蒼衣も意外そうな顔でカンナを見ていた。
カンナは着替えを終えると蔦浜に借りていた上着を蒼衣が新しい服を持って来てくれた袋の中にしまった。新しい服は普段穿かないミニスカートだった事を少し後悔したが裸よりはマシである。
「蔦浜君、上着ありがとね。洗って返すから」
「いいよ、別に」
蔦浜がその袋を貰おうと手を伸ばすと蒼衣が先にその袋をひったくった。
「蔦浜君、駄目だよー? 澄川さんの香りが染み付いてるんだから、そのまま受け取ろうなんてデリカシーがないよ? 私が預かっておきます。さ、早く龍武へ戻りましょう」
蒼衣の言葉に蔦浜は顔を引き攣らせていた。
「ううん。龍武に戻る前に、斑鳩さんを助ける。私達全員で加勢すれば敵1人位余裕で倒せるでしょ?」
カンナはさも当たり前のように肩を回したり膝を伸ばしたりしながら言った。
「あ、いや、でも、斑鳩さんは私に澄川さん達と合流したら龍武に戻れって……」
「服と靴があればもう私は戦える。ご飯も食べたし。斑鳩さんが帰れって命令したんなら、私がその命令を破ったって言っていいよ。皆は私を止める為に就いて来た。それで行こう」
カンナの論理に皆呆れたように首を振っていたがリリアがニコリと微笑んでカンナを見た。
「全く仕方のない子ね、カンナは。確かに4人なら大丈夫よね。なら私も斑鳩さんの命令を無視して救援に向かうわ」
リリアが言うと蔦浜も蒼衣も顔を見合わせて頷いた。
「じゃあ全員で斑鳩さんを助けに行こう! 命令違反をカンナちゃん1人のせいには出来ないからな」
「分かりました。澄川さんの言う事なら従います」
「みんな、ありがとう!」
4人はすぐに洞穴から出てカンナは蒼衣の馬の背に乗せてもらい斑鳩の救援に向かった。
****
斑鳩は和服姿の女と睨み合っていた。
いつでも腰のポーチの闘玉を撃ち込む準備は出来ている。しかし、女は涼しい表情でパタパタと扇子を動かしているだけなのだが隙がない。
女は和服ではあるが、動きやすいように左脚の付け根の所からスリットが入っており白い生足が露出していた。その格好と武器を持っていない事から体術使いだろうと予想した。
「おい、程突が澄川カンナを連れ去った目的は何だ?」
「それが歳上の人に向かってものを尋ねる態度なのかしら? 名前も名乗らずに。ねえ? 坊や」
女は相変わらず扇子で顔を仰いでいる。黒髪を後頭部で団子に纏め、簪で飾っており、耳たぶには細い棒状のイヤリングが付いている。見た感じはただの女だが、その余裕のある佇まいに只者ではない事を確信した。
「失礼しました。俺は斑鳩爽。澄川カンナを連れ去った目的を教えて貰えますか?」
斑鳩は腰のポーチから手を離し姿勢を正して聞いた。
「私の名は蛇紅。澄川カンナを連れ去った理由ね。それは程突さんの汚名返上の為だと聞いているわ」
「汚名返上? やはりそういう事だったんですか」
「あら? どうやら察しはついていたようね。鋭いわね。程突さん、前回の任務でミスっちゃって、今頑張ってるのよ。だから邪魔しないであげて」
蛇紅という女は無表情で言った。攻撃してくる気配はない。
「澄川は俺達の仲間です。邪魔しないわけにはいきませんね」
「やれやれ。仲間だとかそう言う綺麗事……好きじゃないなぁ。君結構イケメンだから殺したくはないのだけれど……仕方ないわね。私は私の仕事をするだけ」
パタンと蛇紅が扇子を畳むと、一瞬で斑鳩の懐に入り込み扇子を首筋に振り下ろした。
斑鳩はそれを腕で受け蛇紅から距離を取った。扇子を受けた個所が服ごと少し抉れて血が出ていた。
5メートル以上は離れた位置にいた筈なのに、蛇紅は驚く程のスピードで斑鳩の懐を取った。闘玉を放つ隙などまるでなかった。
「鉄扇……それが武器でしたか」
「まあね。それにしてもよく素手で防いだわね。君、序列は?」
蛇紅は扇子に付いた斑鳩の血を舐めるとを再び開きパタパタと扇ぎ始めた。
「これでも序列は2位ですが」
「あら凄い! 私、当たりの男を捕まえたのね。神樂が知ったらうるさいだろうな」
斑鳩は余裕そうにパタパタと扇いでいる蛇紅に試しに両手で闘玉を1発ずつ放ってみた。
しかし、蛇紅は扇子をヒラリと巧みに優しく動かし、飛んで来た闘玉のスピードを殺し足下にポロポロと落としてしまった。
「ふふふ、残念でした。これも所謂暗器よね。私の仲間達は皆暗器使いよ。暗器使いが敵だった場合の対処法は勿論熟知している。君が暗器使いだという事は会った時にその立ち振る舞いから気付いていたわ。後は何を投げて来るかな……って楽しみに待ってたの。まさか、序列2位が暗器使いだったとはね」
「暗器使い……ね」
斑鳩はポーチから手を離した。そして、両手の拳をパキパキと鳴らした。
「無駄よ。私に暗器は効かないわ。あなたの戦闘スタイルでは私には勝てない。私の鉄扇は暗器を無力化する……」
蛇紅が言い終わらない内に斑鳩は蛇紅の懐に入り扇子を持った手首を掴んだ。
「何っ!?」
蛇紅はすぐに扇子を閉じて左手に持ち替え斑鳩の顔面に扇子を振った。斑鳩は蛇紅の手首を背中側に回しながら扇子を躱すと首を締めようと左腕を回す。だが、蛇紅も完全に首が締められる前に屈んで回転し、同時に手首を極めている斑鳩の腕を扇子を振る。しかし、その扇子は斑鳩の腕を打つ前にもう一方の手で止められそのまま回転し、あっという間に蛇紅の両腕を背中側で完全に極めた。
「くっ……放しなさいよ……」
「残念。俺は暗器使いである前に体術使いなんですよ。俺だって女性は殴りたくない。このまま大人しくお縄についてくれれば」
「分かったわ。降参する。だから放して」
「……本当ですね?」
斑鳩は小さく頷いた蛇紅を簡単に解放した。
蛇紅はあまりにも呆気なく解放された事に驚いた様子で斑鳩の顔を見ていた。
「まさか……、こんなに簡単に放してくれるなんてね……」
蛇紅は自分の腕を抑えながら言った。殺気はもうなかった。
「さ、扇子を下に置いてください」
「分かったわ……」
力なく言った蛇紅の言葉に斑鳩は騙されなかった。蛇紅の目は死んではいなかった。目が合った瞬間、蛇紅は開いた扇子の端に付いた刃を斑鳩の首元目掛けて振り抜いた。だが、それと同時に、斑鳩が腰の高さから放っていた闘玉が蛇紅の鳩尾に炸裂した。
「うっ……こんな……坊やに」
「坊やでも、序列2位ですから」
ジワジワと斑鳩の首筋から血が滲んだ。後少しこちらの攻撃が遅かったら首が飛んでいた。
ニヤリと笑い、意識を失った蛇紅が膝を突いたところを斑鳩が受け止めた。
丁度その時、岩山の方から自分を呼ぶ声が聴こえた。
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斑鳩は片手で蛇紅の身体を支えていた。
カンナは蒼衣の馬の背から大声で斑鳩を呼んだ。
「斑鳩さーん!!」
5日ぶりの恋人との再開。カンナは斑鳩の姿を見て喜びを抑えられなかった。蔦浜達がいるのも気にせず蒼衣の馬から飛び降り、斑鳩の胸に飛び込んだ。
「斑鳩さん! 会いたかったです……ずっと、ずっと、会いたかったです」
「俺もだよ。無事で良かった。本当に」
斑鳩は片手でカンナを抱き締めてくれた。
カンナがふともう片方の手を塞いでいる蛇紅を見た。
「蛇紅……もう倒しちゃったんですか? あ! 斑鳩さん、首の怪我……血が……腕も」
「これは大した事ない。少し掠っただけだ」
カンナが斑鳩の怪我に気付いた時、後ろから馬を止め降りて来たリリア達が近付いて来た。
「斑鳩さん、お疲れ様です。流石、もう敵を倒しているなんて」
「リリア、お前こそ程突から澄川を奪還して上手く逃げて来るなんて流石だよ。ありがとう。蔦浜も、良くやってくれた」
リリアも蔦浜も謙遜しながら顔を赤くしていた。
「いいなー、私も彼氏欲しいなー」
蒼衣の突然の発言にその場にいた全員が蒼衣を見た。
「私も……って?」
蔦浜が首を傾げて聞いた。リリアも不思議そうな顔をしている。
「あ、いや、その」
蒼衣は不味い事を言った事にようやく気付いたが、上手い言い訳を思い付かずしどろもどろだった。
「それより水無瀬、俺はお前に澄川を連れて先に逃げろと命令した筈だが?」
斑鳩が話題を変えた。
蒼衣はさらに困った顔をしていた。カンナはその隙に斑鳩の身体からさり気なく手を離した。
「私が命令を無視させました。斑鳩さんを放って逃げるわけにはいきませんから」
「命令無視は皆で決めた事です。カンナだけのせいじゃありません」
リリアがカンナをフォローすると蔦浜と蒼衣も頷いた。
斑鳩はカンナの目を見詰めた。綺麗な瞳がカンナの心を覗き込んでくるようだ。
「まったく、何の為に俺は命令なんて強い言葉を使ったんだか」
斑鳩は呆れたようにカンナの頭をポンポンと叩いた。
「それより、その人どうするんですか? まだ生きてるんですよね?」
リリアが尋ねると斑鳩は頷いた。
「殺すより、情報を聞き出すべきかと思ってな。とりあえず、一旦コイツを岩山に連れて行こう。作戦も練り直すぞ」
斑鳩の提案に皆素直に従い、また岩山の方へ戻る事になった。
斑鳩の無事も確認出来たカンナだったが、不安の種はまだ尽きてはいなかった。




