第67話~光希の大切なもの~
それは突然の事だった。
目の前で無線機を使い各班に指示を出していた畦地まりかが倒れたのだ。
すぐに響音と馬香蘭がまりかを支え横に寝かせた。まりかは身体中汗だくで呼吸が荒く意識が朦朧としているようで響音と馬香蘭の呼び掛けに反応しない。恐ろしいのは目がチカチカと青い光が輝いたり消えたりを繰り返している事だ。
「まりか! しっかり! ゆっくり呼吸しなさい!神眼はもう使わなくていいわよ」
響音の声はやはり届いていないようでまりかは今にも死んでしまいそうな位に苦しんでいる。
「神技が暴走しているのかもしれません。多綺さん、馬香蘭さん。あなた達、神技使いなら何か止める方法を知らないですか?」
柚木もまりかの傍に膝を突いて言った。
「あたしはこんなになるまで神技を使った事ないから……何も……」
響音は困った表情で馬香蘭を見た。
「え!? いや、私も分からないよ!」
馬香蘭も両手を胸の前で振った。
「なら、仕方ありませんね。多少手荒いやり方ですが……」
柚木はそう言うとまりかを抱き起こし、後頭部を目にも留まらぬ速さの手刀で叩き完全にまりかの意識を飛ばした。
まりかはぐったりとして下を向いた。目の光の点滅も収まったようだ。
響音も馬香蘭も口を半開きにしてその様子を見ていた。
今まで何も出来ずただ茫然と突っ立っていただけの光希はようやく落ち着いたまりかを見て脚の力が抜け、そのまま地面に座り込んでしまった。
「困りましたね。すぐに医者に診せたいところですが、この開徳府では青幻の手下達の目があるでしょうから、響音さんも馬香蘭さんも付き添いは無理ですね。僕達が連れて行ってあげたいところなのですが……」
柚木が難しい顔をして響音を見た。柚木の考えてる事は光希にも分かった。ようやくカンナの居場所を見付ける事が出来た今、柚木は一刻も早くカンナの下へ向かいたい筈だ。光希だってそうだ。しかし、柚木はカンナを発見する為にこんな事態になってしまったまりかを放ってはおけないのだろう。だから響音と馬香蘭にまりかを任せたいのだ。
ただ、光希は柚木の考えとは違う。大切な水音を奪った女が苦しんでいる。天罰が下ったのだ。放っておけば良いとさえ思った。水音はもっと苦しかった筈だ。光希も苦しいかった。今もその傷は癒えてはいない。そしてそれはカンナだって同じだ。
「あたしが連れてく」
光希が柚木に抱かれているまりかに憎悪の目を向けていると響音がハッキリとした声で言った。
「あたしがまりかを龍武の医者の所に連れて行く。柚木師範と光希はカンナをお願い。あたしもカンナを助けに行きたかったけど……」
「分かりました。畦地さんをお願いします。澄川さんは僕達が必ず」
柚木は響音に抱いていたまりかを託した。片手で支えるのが難しそうだったが馬香蘭がすぐに手を貸した。
「響音ちゃん……私も手伝うよ」
馬香蘭は心配そうな表情でまりかの肩を取って言った。
「ありがとう。蘭。なら、アンタの馬を持って来てもらえる? 流石に片手じゃまりかを運べないわ」
「おっけー!」
馬香蘭はすぐに木々の間を掻き分けて走って行った。
「ごめんね、あたしは役に立てなくて」
響音は申し訳なさそうに言った。
「澄川さんを見付けたのは畦地さんですが、その為に倒れた畦地さんを救えるのは今はあなただけです。それだけで十分です。またご縁がありましたら」
柚木は響音に微笑むと馬に乗った。
光希も馬に乗ろうとした時、響音が光希を呼び止めた。
「ちょっとこっちに来なさい」
「何ですか? 響音さん」
光希がまりかに肩を貸している響音の前に行くと響音は少し屈んで光希の耳元で囁いた。
「あなたがまりかを憎む気持ちは分かるわ。学園の情報は久壽居さんから聞いてたからね。まりかを許してあげてとは言わないわ。ただ、気付いてないかもしれないけど、さっきまりかが苦しんでいた時、あなた笑っていたわよ?」
「……え?」
それは光希自身も気付いていない事だった。響音は怒っているのかもしれない。怖くて響音の顔は見られずそのまま前を向いて固まってしまった。
しかし、響音は優しい口調で続けた。
「あなたを責めてるんじゃないの。あなたの姿が、かつてのあたしに似ていたから……一応忠告。あなたにはあたしの様な過ちは犯して欲しくないの。憎しみで周りが見えなくなれば、失いたくない大切なものを失うから」
「あの……ごめんなさい」
光希は小さく呟くように謝罪の言葉を言った。
それに対し響音は何も返さず、光希の身長に合わせて曲げていた膝を伸ばした。
「響音ちゃん! 馬持って来たよ!」
そこへ馬香蘭がどこからか馬を連れて戻って来た。
「ありがとう、蘭。悪いけどまりかを馬へ乗せて貰えるかしら?」
「合点!」
馬香蘭は馬に乗ったまま響音からまりかの身体を受け取り、軽々と持ち上げ自分の前に座らせた。
「それじゃあ、行くわ」
「分かりました。宜しくお願いします。多綺さん、馬香蘭さん。可能であれば畦地さんの様態を追って連絡していただけますか? 僕達も澄川さんの帰還を連絡しますので」
「勿論よ」
響音はニコリと八重歯を見せて微笑むと馬香蘭に合図を出し、道のない木々の中へ走って行った。
「じゃあねー、柚木師範、光希ちゃん!」
その後を追って笑顔で手を振っている馬香蘭もまりかを乗せて駆け出した。
「さ、行きますよ。篁さん」
「はい」
光希は馬に身軽に飛び乗ると先に駆け出した柚木の後を追った。
その道中、光希は響音に言われた事が引っ掛かっていた。左手で手綱を握ったまま右手を胸に当てた。
大切なものを失うとはどういう意味なのか。光希にはもう大切なものはない。水音だけが大切だった。しかしそれは無情にも奪われてしまった。だからまりかを憎んでいるのに……
その時、声が聴こえた。
光希は目を見開いた。声が耳に入って来たのではない。何度か経験した感覚。自分の中から聴こえてくる不思議な感覚。
水音?
『光希、今あなたにとっての大切なものが分からないの? そんな筈ないでしょ? 澄川さんでしょ?』
……カンナ?
『私達は澄川さんに憎まれても仕方のない事をしてしまった。でも、澄川さんは許してくれた。それどころか、青幻に連れ去られたあなたを命懸けで助けてくれた。そして、私の代わりにあなたの友達になってくれた。そうでしょ?』
うん。
『あなたがここに来た目的は何?』
カンナを助ける事。
『分かってるなら今は私の事なんか考えないで澄川さんの事だけを考えて。いい? 私はもういないの。今あなたが救えるのは澄川さんなの。響音さんが言ってたのはそういう事よ』
うん!
それきりまた水音の声は聴こえなくなった。
受け入れたくはない水音がいないという現実。だがそれは受け入れなくてはならない現実でもある。
光希は手綱を両手でしっかりと握り締めた。
「柚木師範! 私、絶対にカンナを助けます!」
突然の光希の意思表示に柚木は驚いた顔で振り向いた。
「そうですね。僕にとっても、篁さんにとっても、澄川さんは大切な仲間ですからね」
柚木が微笑むと光希は大きく頷いた。
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リリアが見えたのはまりかが倒れたという無線が入ってからすぐの事だった。
カンナと蔦浜は一度岩山の下の道に降り、白馬で駆けて来るリリアと合流する事に成功した。そしてまたすぐに岩山に戻り今度は斑鳩と蒼衣の到着を待った。
「良かった、合流出来て。無線持ってないから凄く不安だったのよ。でも、カンナが無事でほんと良かった」
リリアは岩山の前で馬を降りるとカンナに言った。
「リリアさん、助けに来てくれてありがとうございます。リリアさんこそ、程突から無事逃げられて良かったです」
「うん。……それより、まりかさん、大丈夫なの?」
無線を持っていないリリアには合流してすぐにまりかが倒れた事を伝えた。これから先はまりかの神眼の力を借りられない。それよりも、まりかの身に何が起きたのか、そちらの方がリリアも気になっているようだ。
「柚木師範からの通信によると、畦地さんは響音さん達が龍武へ連れて行って医者に診せると言ってましたから後は任せるしかないです。それで柚木師範と光希ちゃん、あと斑鳩さんと水無瀬もこっちに向かってるらしいです。俺達はその2班と合流する事になりました」
蔦浜が不安そうなリリアに言った。
「そう……その他の皆は?」
「その他の班は今それぞれ程突の仲間達と交戦しているようです。でもまあ、こっちの戦力も相当な手練ばかりだから上手く巻いて退却してきますよ!」
「そうね。そうだといいんだけど」
無線からの情報によると、海崎、詩歩、つかさ、綾星、の4人は、耶律柯威、賀樂神樂の2人と交戦中。そこから蛇紅だけカンナを追って離脱したらしい。また、燈、奈南の班と茉里、キナの班が李超、狼厳のいずれかと交戦しているようだ。程突の行方は今のところ分からない。
「今の状況だと、程突と蛇紅っていう女の行方が分からない事になるから、いきなり俺達を襲って来るかもしれない」
蔦浜が真剣な顔で言ったのでカンナは蔦浜に掌を見せて否定した。
「それは大丈夫。私から半径2キロ以内に近付いたら分かるから見付からないようには動けるよ」
「そっか! 流石カンナちゃん! それなら一先ずは安心かな」
「そうね。それならとりあえず、斑鳩班と柚木班が到着するのを待ちましょうか。それに、霜雪も休ませないと」
リリアは乗ってきた白い愛馬を撫でながら言った。
3人は岩山の窪みの中で待機する事にした。リリアが持っていたパンをカンナは少し分けてもらい食べた。蔦浜も自分の分の干し肉をカンナに分けてくれた。
「カンナも龍武までその格好じゃ可哀想よね。蔦浜君もさっきからチラチラと見過ぎだし」
ふとリリアが蔦浜に軽蔑の眼差しを向けながら言った。
「いやいやリリアさん! 俺見てないですよ!? カンナちゃんの顔しか見てないです」
カンナは焦る蔦浜が少しかわいく見えたので思わず微笑んだ。
蔦浜はその表情に驚いたのか、咳払いをするとカンナから目を逸らした。
「リリアさん、私は気にしてませんので大丈夫ですよ。龍武に入ったら蔦浜君に服買ってもらいますから」
カンナはニヤリと笑いリリアに言った。
「え!? そ、そうだね! 全然いいよ!? 」
動揺しまくる蔦浜の下へカンナは四つん這いで近付き耳元で囁いた。
「ごめんね、私今お金持ってないからさ。蔦浜君、私の裸見たでしょ? それくらいしてくれてもいいんじゃないかなあ?」
カンナが厭らしく微笑むと蔦浜は顔を赤くしてコクリと頷いた。
「冗談だよ! ちょっと立て替えておいておいてもらえる? 後でちゃんと返すから」
「カンナ! あの……お尻とか、丸見えだよ」
リリアの声にカンナは慌てて地面に尻を付いて座った。
「し、失礼しました」
カンナが顔を赤くしていると、カンナよりも顔を赤くしている蔦浜の脇に置いてある無線機に通信が入った。
『こちら斑鳩。間もなく岩山に到着する』
無線機からは斑鳩の声が聴こえた。カンナはすぐに氣を放ち斑鳩の場所を調べた。
「あ! 不味い! 斑鳩さんのところに蛇紅が向かってる!」
固まっていた蔦浜だったが、カンナの発言を聴くと、すぐに無線機で斑鳩にその事を報せた。
一瞬にしてその場に緊張が走った。
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