第48話~拷問部屋の罠~
響音がさと婆のところに通い続けて1週間が過ぎた。
いつものように青幻の幹部達を捜してあちらこちらの街を飛ぶように駆け回った。そしてその日の調査を終え、さと婆の食事処に顔を出そうと民家の屋根の上を走っていた。丁度その時だった。
以前見た5人の役人の男達が民間人を連れて開徳府の外れの方へ歩いているのを見付けた。5人の男達の周りには30人程の兵士達。
ただ事ではない。響音は気付かれないように出来るだけ近くに接近し捕まっている人物の顔を確認した。
「さと婆……!!」
響音は小声ではあるが思わずその名を呼んでいた。
さと婆が縄で身体を縛られ、男の1人に引っ張られるようにして歩かされていたのだ。
周りの兵士達は槍を握り締めながらキョロキョロと辺りを警戒している。
さと婆が連行されているという事は、響音との接触が青幻に発覚してしまったのだろう。
「あたしの所為だ……」
響音は唇を噛み締め、首を横に振った。
さと婆との接触は誰にもバレないように最新の注意を払っていたのに、まさかこんな事になるとは。
響音は頭を抱えたが、すぐに考えを切り替えた。
自分の所為で捕まったのだから自分が助けなければならない。響音は左手で刀の柄を握った。
30人の兵士と5人の役人の男。その程度の人数なら倒す事は簡単だ。しかし、さと婆が人質にされているとなると話は違う。
響音はひとまずさと婆が連行されるまで手は出さず様子を窺う事にした。
開徳府の外れの林の中に小さな施設があった。さと婆はそこに連行された。
日も沈みかけ、辺りは徐々に闇で覆われ始めている。
響音も開徳府近辺の調査は完了していたので勿論この施設の存在も知っている。普段は無人なようだが外からは何の為の施設なのかまでは分からない。
「よし、入れ」
役人の男の1人が縄を引き、さと婆を建物の中へと誘った。さと婆は抵抗する事なく、大人しく建物の中へと入って行った。そしてその扉は固く閉ざされてしまった。
響音は一通り施設の周りを捜索し、中に入れそうな場所を探した。しかし、施設には30人の兵士達が堅固に守備を固め、見付からずに容易に侵入出来そうな箇所はない。
響音が木の上からさと婆の奪還作戦を考えていると兵士達の笑い声が聴こえてきた。
「あの婆さん。あの歳で拷問なんか耐えられるか? 馬香蘭様の拷問はえげつないからなぁ。無邪気に楽しむようにありとあらゆる拷問をするって噂だぜ? ああ、恐ろしい」
拷問。その言葉に一刻の猶予もない事が分かった。
響音はさらに聞き耳を立てた。
すると、先程閉ざされた扉がまた開き、中に入って行った役人の男が1人で出て来た。
「おい、無駄話をするな。婆さんの拘束は完了した。俺はこれから馬香蘭様を呼んでくる。それまでしっかりとここの扉を見張っておけ」
役人の男は兵士達に指示すると外で待機していた他の4人の役人の男を連れ、また開徳府の方へ馬で駆けて行った。
状況を整理すると、どうやらさと婆はこの施設で馬香蘭に拷問されるらしい。拷問により聞き出す情報は十中八九多綺響音との接触についてだろう。そして役人の男達が開徳府へ馬香蘭を呼びに向かった。そうなると、今この施設には30人の見張りの兵士しかいないという事だ。
さと婆がいる部屋の中には今は誰もいない筈。つまり、この見張りの兵士達30人を役人の男達と馬香蘭が来る前に片付ければさと婆の救出はさほど難しい事ではない。
「なら、さっさとやるか」
響音はさと婆が監禁されている部屋の屋根の上に飛び乗った。
見張りの30人の位置は既に把握している。
響音は腰の柳葉刀を左手で引き抜き姿勢を低く構えた。
「『神歩・百連魁』」
響音は次の瞬間には屋根から消え、見張りの兵士達を1人ずつ一撃で的確に斬り倒していった。
次々に上がる断末魔。それを聴いた他の兵士達は何事かと慌てふためくが時既に遅し。断末魔が近付いてきた時にはもうその兵士の血飛沫が空高く上がっていた。
30人の見張りの兵士を1分も掛からずに全員斬り尽くした。
しかし響音は返り血すら浴びていない。
刀に付いた血を振り払い鞘に納めると、響音はさと婆の監禁されている部屋の扉を蹴破り中に入った。
まず響音が感じたのは充満した血の匂い。中は薄暗く蝋燭の火が仄かに部屋の中を照らしているだけだ。
部屋の中に足を踏み入れると、響音は驚愕した。
そこは所狭しと様々な拷問器具が並べられており、乾いた血の跡が至る所にべっとりと飛散していた。
まさに『拷問部屋』だ。
こんなものが龍武の支配下の時からあったとは思いたくない。しかし、建物の老朽化具合とこの飛散した血の量を見るともう何十人もの人間がここで拷問された事を物語っていた。
足元に転がった拷問器具を避けながら部屋の奥へと進んで行くと椅子に縄で縛り付けられたさと婆を見付けた。
「さと婆!!」
響音が駆け寄るとさと婆は目を見開いて響音を見た。
さと婆の口には布が噛まされていたのでそっと外してやった。
「響音ちゃん!? 助けに来てくれたのかい??」
「当たり前じゃない、さと婆。だって、あたしの所為でこんな酷い目に遭わせちゃったんだから」
響音は言いながらさと婆の身体を縛っていた縄を柳葉刀で切って解いた。
「大丈夫? 立てる? 怪我は?」
響音はさと婆に手を差し出した。
「大丈夫、何ともない。響音ちゃんの所為なんかじゃないよ。気にしなくていい。とりあえず、この趣味の悪い部屋から出ようか。吐き気がするよ」
「そうだね、とりあえずここから」
響音がさと婆の手を取りさと婆に背を向けた時、突然後頭部を掴まれ、物凄い力で木の壁に顔面を叩き付けられた。
響音の顔は壁を破壊しパラパラと木の破片と額から流れる血の滴が足元に落ちた。
「くっ……な、何だ」
響音は何が起きたのか分からずさと婆の方を顧みた。そして響音は自分の目を疑った。
「やっぱり来たー! 計画通りだよ、多綺響音さん!」
そこには今までいなかった筈の黒銀の髪の女がさと婆の喉を片手で掴んで宙に浮かせていた。
さと婆は苦悶の表情を浮かべ、苦しそうに呻きながら脚をばたつかせている。
「あんた……馬香蘭ね? さと婆を放しなさいよ」
響音は歯を剥き出しにし女を睨み付けた。
「私の事知ってるの? 嬉しいなぁー! でも響音ちゃんは私と会うの初めてでしょ? 私は初めてじゃないけど」
馬香蘭は笑顔で言った。暗い室内だがその不気味な笑みは部屋の蝋燭の灯りに照らされて良く見えた。
「は? 何言ってるの? お互い初めてでしょ? いいからさと婆を放しなさい」
馬香蘭はかなり余裕な表情をしていた。さと婆を人質に取っているからとはいえ、響音を出し抜く何かを隠し持っているに違いない。それよりも、そもそも馬香蘭がいつこの部屋に入って来たのかも分からなかった。元々この部屋に気配を消して隠れていたというのだろうか。
「このお婆さん? そうね。もう用無しだから殺しちゃおうか」
馬香蘭はさと婆の首をさらに強く締め始めた。馬香蘭は指抜きの黒い皮の手袋をしており、その露出した指がさと婆の喉の薄い皮に穴が空くほど食い込んでいる。
「放せって言ってんだろ!?」
響音が叫んだと同時に柳葉刀を抜き馬香蘭のさと婆を持ち上げている手首目掛けて刀を振った。
「……え!?」
しかし、響音の柳葉刀は空を切り、それと同時にさと婆が地面に落とされた。馬香蘭の姿はない。
「消えた? あの女、何処に……?」
馬香蘭の姿を探すが見つからない。しかし、気配はある。
「響音ちゃん、あたしは大丈夫だよ……気を付けな、あいつ殺す気だよ」
「そうだね。ごめん、さと婆、ちょっと隠れてて」
響音は喉を抑えているさと婆を部屋の隅の机の下に隠れるように促すとまた辺りを見回した。
「さと婆、あたしを捜してた女って、こいつでしょ?」
響音は周囲を警戒しながら尋ねた。
「……いや、違うよ」
「え?」
さと婆の予想外の答えに一瞬響音が動揺した時だった。
「こっちだよ」
突然、背後から馬香蘭の声がしたと思ったが既に後頭部へ打撃をくらい、よろめいて倒れかけたところへ下からの打撃が腹へとめり込み、そして今度は真上から後頭部に打撃が入りそのまま板張りの床に顔を打ち付けた。
全ての打撃が見えなかった。
「……な、何だよこいつ……攻撃が見えない……あたしより早く動けるのか?」
響音は顔中から血を流しながらゆっくり立ち上がった。
「そう言えばさー、響音ちゃん」
姿が見えないのに声が聴こえる。
「響音ちゃんて呼ぶな! クソ餓鬼!」
「うわっ! こわっ! 口悪〜。まあいいや。あの時はチョコレートありがとね」
「チョコレート……??」
姿の見えない馬香蘭が何を言っているのか響音には分からなかったのだが、ほんの少し考えると、最近チョコレートを食べたのが「あの時」しかない事を思い出し一瞬にして鳥肌が立った。
「あんた……もしかしてあの時!?」
「やっと思い出してくれた? 響音ちゃん。私達が初めて会った時の事」
そうだ。以前澄川カンナと共に托凌高の青幻の兵糧庫を襲撃した帰り道、カンナからチョコレートを5粒貰った時の事だ。響音は1粒しか食べていないのに残りが3粒に減っていた。1粒落としたのかと思ったが、その時ずっと妙な気配を感じていたのであまり深く考えずその場から離れたのだ。
「あの時、あたしのチョコをくすねたのはあんただったのね? あの気配も」
「やーっと理解してくれたんだ! そうそう、あの時ずーっと響音ちゃんの傍にいたのよ! でも、全然気付いてくれないから寂しかったなぁー。……とは言っても、バレるわけにはいかなかったから何もしなかったけどねー。あー、澄川カンナちゃんだけは私の方見てたから怖かったよー。もしかして私が見えてるんじゃないのかって」
響音の顔から流れる血と冷汗が筋を作り、その雫が床にぽたぽたと落ちた。
信じられない。つまり馬香蘭は『姿を消せる能力』を持っているという事になる。
「何よ。傍にいたなら声掛けてくれればいいのに、無言で傍にいるなんて気持ち悪いわ。……えっと、つまり、あんた『神技持ち』なのね」
「ふふ、御明答!」
答えた馬香蘭の姿はやはり見えなかった。




