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第47話~さと婆~

 動きがあったのは翌日だった。

 開徳府(かいとくふ)の中心街で騒ぎが起きていた。

 その現場は昨日響音(ことね)が立ち寄った食事処で、30人程の青幻(せいげん)の兵がおり、その周りには野次馬の人集りが出来ていた。

 響音が昨日と同じくローブを纏い、帽子にサングラスをして人集りに紛れて店の中を覗くと、中には客はおらず、兵士とは違う格好をしたやたらガタイの良い男が5人昨日の老婆を取り囲んで何か言っていた。


「もう一度だけ言う。昨日ここで多綺響音(たきことね)らしき怪しい女とお前がこそこそ話していたのを見たと言う通報があった。正直に答えた方がいいぞ」


「だから、女の方とは話したが、多綺響音ではなかったよ。右腕もあった。人違いだろ」


「おかしいなぁ婆さん。通報者からは終始左手だけで食事をしていたと聞いたぞ?」


「だが、右手は怪我をしていただけでちゃんとあったんだよ。もういいだろ?」


 問い詰められても老婆は響音の事を話さなかった。


「そうか。まあいい。婆さん、次にまた同じ奴が来たら必ず俺達に知らせろ。巡回している兵でも構わん。その女が多綺響音であろうとなかろうと必ず報せるんだぞ? もし報せなかったらここで商売が出来なくなるどころか、お前の命も危ういという事を忘れるな? いいな?」


 男達は老婆にそう吐き捨てる様に言うと、店の外に待機していた30人の兵を引き連れて引き上げていったので響音は野次馬から離れ近くの民家の屋根の上に瞬時に跳び身を隠した。

 野次馬も次第に解散していった。

 響音は舌打ちをした。

 もうあの店には行けない。老婆に迷惑が掛かってしまう。

 響音はまた屋根伝いに飛ぶように走り、男達を尾行した。


 男達は開徳府の役所に入って行った。どうやら役人か何かのようだ。30人いた兵達もまた街の巡回に戻っていた。

 響音は近くの建物の屋根の上でしばらく役所の入口の様子を窺っていたが、それきり男達が出てくる事はなかった。

 それからしばらく開徳府の街中を隅から隅まで屋根の上から偵察したが特に変わった様子はなかった。


 日も傾きかけた頃、響音はまた老婆の食事処の様子を見に行った。

 客はピーク時に比べると大分少なくなっており、老婆は店の裏口から1人で出て来て大きな木の下に置いてあった椅子に腰を下ろした。そして夕焼けに染まる空を眺めて黄昏ていた。

 響音は老婆が腰掛けた椅子の後ろの木に飛び移り身を隠しながら老婆を見下ろした。


「お婆さん。あたしの事を黙っていてくれてありがとう。恩に着るよ」


 老婆は突然どこからともなく話し掛けられたので驚いてキョロキョロと辺りを見回した。


「どこにいるんだい? 出ておいでよ」


「忘れたの? あたしと話してるところを見付かったらヤバいんでしょ?」


 響音の言葉を聞くと老婆は大きな溜息をついた。


「やれやれだよ、こんな国になっちまって。昔からの商売が出来てるからまだ生きていくには困らないけどね、あたしは力で弾圧する政治は嫌いだよ」


「誰だって嫌いだよ。そんなもの」


「お姉ちゃん何したんだい?」


「手配書の通り、殺人よ。青幻の幹部達を狙ったね」


「へぇ、何の為にそんな事してるんだい?」


 老婆は何故か穏やかな口調で言った。

 響音は木の上の太い枝に老婆に背を向ける格好で座り老婆の質問に答えた。


「あたしは青幻に大切な者を奪われたの」


「復讐だね。それなら納得だ。あたしもこの店を盗られたら復讐するものね」


 老婆の言葉に響音は言葉を躊躇った。


「……復讐……自分ではそんなつもりはない……つもりなんだけど、やっぱり他人から見たらそう見えるんだ……」


「奪われたから奪い返す、殺されたから殺す。全て復讐でしょうね。いいじゃないか? 復讐しても、何故復讐という事に引っ掛かってるんだい?」


 老婆はただ真っ直ぐ夕焼けの空を眺めながら独り言のように言った。


「知り合いに復讐はするなと、言われた。復讐は負の連鎖だからと。自分で終わらせないといけないと……」


「なるほどね。それは素晴らしい考えだね。でもね、それは理想論だよ。人間、復讐心を抱かないで生きていける奴なんていやしないさ。恐らく、その知り合いは大切な者を失ったのだろうよ。同じ苦しみを他人にさせたくない。大切な者を失うのは残された者にとっては想像を絶する苦痛だからね。何年も生きていくうちにそう悟ったんだろうよ。あたしも主人や息子、孫までをも亡くして長いけど、まだその考えの域には達してないね。知り合いは相当な精神力の持ち主だ」


 老婆が響音の話に余程興味を持ったのか長々と持論を展開させた。

 老婆の言う事は一理ある。長い年月生き、その中で数多くの大切な人の死を乗り越えた者であればそのような発言が出来てもおかしくはない。しかし、澄川(すみかわ)カンナは響音よりも若い。大切な者を失っているとはいえ、あの若さで老婆の言うような考え方に至るとは思えない。でも澄川カンナは復讐を悪とする考えを響音に解き、そして体現していた。一体澄川カンナとは何者なのだろうか。

 響音が少し黙っているとまた老婆が口を開いた。相変わらず夕焼けの空を眺めたまま黄昏れる様に呟いた。


「でもね、響音ちゃん。青幻達は悪だ。国を作ったからと言って、それまでにしてきた略奪や殺戮は消える事じゃないし、それに、今だって国の為に邪魔な者は容赦なく殺している。そんな奴を野放しにしていてはいけない」


「ちょ……待ってください、そんな事をこんなところで口にしては……青幻の者に聴かれでもしたら……」


 響音は老婆が、国の王である青幻の批判を始めたので流石に咎めたが老婆はそのまま話し続けた。


「事実を言っている迄だ。武術国家だかなんだか知らないが、龍武(りょうぶ)の方が平和だった。龍武は龍武で機織園(はたおりぞの)は無能だが、もっと伸び伸びと生活出来たもんだよ」


 響音は老婆の話に返す言葉が見付からなかった。


「さてと」


 響音が黙っていると老婆は立ち上がった。


「あたしはそろそろ仕事に戻るよ。またこっそり話し相手になってくれよ。こっちもこっそり点心ご馳走するからさ」


「何でお尋ね者のあたしなんかの為に……?」


 響音は老婆の後ろ姿に問い掛けた。


「さあねぇ。あたしには響音ちゃんがヒーローに見えるからかねぇ?」


「ヒーロー?」


「あたしにはこの国が嫌いだからって何かが出来るわけじゃない。ただ生きる為に青幻に従うしかない。でもあんたは、行動に移すだけの力がある。あたしは響音ちゃんがこの国を変えてくれるんじゃないかって期待しているのかもしれないね。例え響音ちゃんの目的が別のところにあっても、青幻を悪と思う気持ちは一緒だからね」


「お婆さん……」


「あたしは復讐が悪い事だとは思わないよ。でもね、相手を殺す事だけが復讐じゃないと、あたしはそう思ってる」


 それだけ言うと、老婆は店の方に歩き出した。


「お婆さん、まだ名前を聞いてなかった」


「さと。さと婆とでも呼んどくれ」


 老婆は振り向かずに答えた。

 響音は辺りに誰もいないのを確認すると木から飛び降りた。


「さと婆、また来るよ」


 老婆はやはり振り返らずに何度か頷きながら店の中に消えてしまった。


 それから響音は毎日店に通い続けた。

 夕方、さと婆が休憩しに店の裏口から出てきた時にこっそりと話し掛けた。さと婆は響音が来るようになって必ず2人分の料理を持って来てくれた。店の裏口のさと婆が座る椅子は表の通りからも近所の建物からも見えない位置にあるのだが、響音は決してさと婆にさえ姿を見せないように、大木の後ろに隠れるように腰を下ろし料理を貰った。さと婆はいつもの椅子に腰掛け1人で食事をしてる風を装う。

 響音は初め、さと婆の安否確認の為に訪れたつもりだったが、さと婆との会話がいつの間にか響音にとって楽しい時間になっており、青幻の調査を終えると毎日通うようになっていた。


 響音の両親は響音が物心ついた時にはいなかった。いたのは祖母だけだった。祖母は両親の事を死んだと説明した。しかし、それが本当なのかは分からない。周りには、自分達の生活に困って子供を捨てた者や奴隷として子供を売り飛ばす者もいた。本当は響音の両親も響音を捨てたのかもしれないし、売り飛ばしたのかもしれない。1つだけ確かな事は、祖母が育ててくれたという事実だ。その祖母も本当の祖母なのか分からない。しかし、響音は祖母だけは本当に血が繋がった家族だと信じている。

 その祖母は、響音が15歳の時に死んだ。死因は分からないが、ろくな物を食べていなかったから恐らく栄養失調だろう。祖母は響音に僅かな食料を譲ってくれていた。祖母自身はいつも1口くらいしか食べていなかった。そんな生活が続けば人は死ぬ。周りではよく強盗を見た。弱い者から食べ物を奪って生き延びていた。奪われた人間は泣きながらやがて行き倒れるか或いは自ら命を絶った。

 響音はそんな日常を見て確信した。


 ────強くならなければ生き残れない────


 その考え方は、動物界の基本原則『弱肉強食』そのものだったが、響音は祖母の死によりその考え方を自分の生きる指標とした。

 それから響音は自ら強くなる為に山の中を走り回ったり、野生の猛獣を仕留めたりして自分なりに鍛錬した。

 しかし、ついに無理が祟って響音は山の中で倒れた。死んだと思ったが、次に目が覚めた時には何故かあの学園にいた。傍には四百苅奈南(しおかりななみ)という女がいてずっと看病してくれたようだ。

 そして響音はその学園が武術の学園だと知ってそこで生活する事にした。

全ては強くなる為に。



「あたしはおばあちゃん子だったからね。さと婆と話すのはなんだか懐かしい気持ちで楽しいよ」


「奇遇だね。あたしも孫と話してるようで楽しいよ」


 響音もさと婆も笑った。響音の位置からはさと婆の笑顔は見えないがなんとなく想像できた。きっととても優しい顔をしているのだろう。

 さと婆と話していると人を殺し続けて荒んだ心が洗われるような気持ちになる。さと婆が言った「人を殺す事だけが復讐じゃない」という言葉の意味が分かった気がする。


「よし、そろそろ時間かな。ご飯美味しかったよ。さと婆。また来るね」


「ありがとね。また待ってるよ。響音ちゃん」


 響音は立ち上がりさと婆の方に振り返った。さと婆は夕焼けの空を眺めたままだった。

 響音はそれ以上声を掛けず、消えるようにそこから立ち去った。





****


「ねぇ、あんた達。多綺響音は見付けたの?」


 開徳府の役所の市長室で馬香蘭(ばこうらん)は黒銀の長髪を指で弄りながら高そうな革張りの来賓用の長椅子に脚を組んで偉そうに座って尋ねた。


「い、いえ。ここ数日捜索を強化しましたが見付からず……」


 部屋の中には5人の男がおり、その内の1人が申し訳なさそうに答えた。


「あの店は捜したのかなー?」


 馬香蘭は胸に垂れた髪を掴み、少しずつ指から落として遊びながら次の質問をした。


「あ、あの店も目撃情報があってからずっと張り込んでいましたが、多綺響音が現れた様子はありませんでした」


「へー! 張り込んでたんだ? それで私にいなかったって報告するんだ!?」


 馬香蘭は急に大きな声で言った。

 部屋の奥には市長が座っており、馬香蘭と男達の会話をただ黙って聴いていたが、馬香蘭が大きな声を出したので顔色を変え冷や汗を流した。

 兵士達は馬香蘭の態度に首を傾げお互い顔を見合わせた。


「多綺響音の目撃情報があってから今日で1週間だよね? あいつ、毎日あの店にいたよ? 裏口、ちゃんと見たの?」


「う、裏口……? そこまでは……」


 男達の1人が恐る恐る答えると馬香蘭は手をこまねいた。


「ふーん、ちょっと隊長君、こっちに来て」


 兵士達の中から男が1人馬香蘭の元に近付いた。


「この役立たずがっ!」


 馬香蘭の裏拳が隊長の男の頬に炸裂し勢い良く後ろに吹き飛ばされ待機していた男達の中に突っ込んで男達を何人か巻き込み倒れた。


「職務怠慢と虚偽報告により、あんた達全員しけーに処す!」


 馬香蘭は立ち上がり兵士達に人差し指を向けて笑顔で死刑宣告をした。


「ま、待ってください、馬香蘭様。どうか、その者達をお許し下さい」


 黙って聴いていた市長が立ち上がり頭を下げた。


「えーっと、市長って私より偉いんだっけ?」


 馬香蘭は小首を傾げた。


「い、いえ、滅相もございません」


「そうだよね? ま、いいや、市長に免じて今回だけは許してあげよう。ただし、今から言う私の作戦はミスっちゃ駄目だよ? ミスったらその場で私があんた達の首を胴体から引き抜くからね?」


 馬香蘭の不敵な笑みに男達は物凄い大声で返事をした。


****



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