第42話~私たち、友達ですよね?~
ビキニの水着を着るのは初めてである。
試着室の鏡に自分の水着姿を映して見ると、思いのほか似合っているのでカンナは喜色満面に溢れた。
蒼衣が選んでくれた水着は3着あり、どれも水色が入っていてとても爽やかで可愛らしかったが、如何せんデザインが破廉恥で際どいものばかりだった。
その中でもマシだったのは、ハイビスカスの柄が入っていて水色と白がとても夏らしさを際立たせたデザインのものだ。ただ、股上が極端に短く、前は隠すべき部分が隠れるか隠れないか、かなり際どい具合で些か不安に感じた。油断していると色々はみ出てしまう程小さいので、しっかりと確認しなければならない。しかし、他のスリングショットやただの紐のような水着よりはいくらかマシである。多少露出は多いがカンナの鍛え抜かれたボディーは引き締まり、無駄な肉なども気にする必要がないので股上の長さ以外はカンナにとってさほど問題ではない。
カンナはその水着を着て両手を身体の前で握り「よし!」と意気込んだ。
「澄川さーん、まだですかー?」
蒼衣の呼ぶ声が聞こえたのでカンナは試着室のカーテンを開けた。
「ど、どうかな?」
カンナは恥じらいながらも蒼衣を見て意見を求めた。
「いいです! いいですよ! めちゃくちゃ似合ってます! ちょーエロい! それにしたんですね! 澄川さん、やっぱりセンスがある! ってか、それ、下の処理もせずによく穿けましたね」
蒼衣は小さく拍手してカンナの水着姿を賞賛してくれた。
カンナが赤面しながら恐る恐る蒼衣の隣の和流に視線をやると、彼は顎に手を当てたまま絶句してカンナを凝視していた。
「す、凄く……いいですよ、澄川さん。なんて言うか、描きたい」
一呼吸置いて絞り出した和流の感想は本気の賛辞だった。
和流の視線は明らかにカンナの顔から胸、くびれ、腰、そして脚に至るまで吟味するように動いた。中でも、和流の視線はカンナの股の辺りを何度もさまよっていた。
「ありがとう、2人とも。じゃあ、これ買おうかな……あの、もういいかな? 恥ずかしいんだよね、そうやってまじまじと身体見られるの」
「え〜何〜澄川さん。和流さんに見られて興奮しちゃってるんですかぁ? いやらしい〜。じゃあ水着汚さないうちに次の水着いきましょうか」
「え!? 他のも着るの!? 他のはほぼ裸なんだけど」
「でも、裸じゃないですよ? ちゃんと水着ですよ?」
蒼衣が意地悪く言うと、隣の和流も裸という言葉に反応して鼻息を荒くして何度も頷いている。
「いや、本当に無理だから!」
ピシャッと試着室のカーテンを閉めるとカンナは手早くまた着替えを始めた。
恥ずかしいという気持ちと嬉しいという気持ちが入り乱れていた。和流を興奮させられたのなら斑鳩もきっと……そんな事を考えながらふと目の前の鏡を見ると、だらしなくニヤついた顔が映っていた。
それから蒼衣が選んでくれた服を数着試着して蒼衣と和流に見てもらった。和流はカンナがどの服を着ても物凄いリアクションで喜んでくれた。特に普段は穿かないミニスカートを穿いて見せた時が一段と鼻の下を伸ばし興奮していた。
結局、水着と下着を1着ずつと、蒼衣に選んでもらった服とスカートを1着ずつ、そして、ついでに靴も購入した。蒼衣は自分の分を袋いっぱいに買い込んで馬の背に重そうに括り付けていた。
水平線の向こうには夕陽が沈もうとしていた。
衣料品展の品々もほとんどが売れてしまい、関係者達は片付けに取り掛かり始めた。
和流の相方の叶羽は結局あれから姿を見せる事はなかった。
「よーし、それじゃあ俺は櫛橋さんと合流して通常の警備に戻るとするかな。澄川さん、俺が学園に戻ったらまた絵のモデルの続き、お願いするよ」
「うん。まずは村当番、頑張ってね!」
和流は乗ってきた馬に飛び乗ると颯爽と駆け去っていった。
「絵のモデル〜? 澄川さん、和流さんとどういう関係なんですか?」
蒼衣は意地悪くカンナに微笑み掛けると肩で小突いて来た。
「別に、友達だよ、友達。さ、もう日も暮れるし私達も帰ろっか」
カンナがそう言うと、蒼衣ははーいと素直に返事をし馬に跨った。
「水無瀬さん、今日は楽しかったよ。また、時間があったら出掛けようね」
響華の背を撫でながら蒼衣に言った。
「良かった〜! 澄川さんに喜んで貰えて! もちろん! また出掛けましょ?」
そう言って蒼衣は無邪気な笑顔を見せた。
カンナが響華に跨り出発しようとすると、前にいた蒼衣が背を向けたまま口を開いた。
「澄川さん」
「なに?」
カンナは蒼衣の方を振り返った。
「私達、もう、お友達、ですよね?」
蒼衣の声色が少し変わったような気がした。
「うん、そうだね。友達」
カンナが微笑み答えると蒼衣は満足そうに頷いた。
カンナと蒼衣は学園に向かい山道を馬で駆け上がった。
カンナが先行して蒼衣が少し後ろを駆けていた。行きは並走していたのに何故か蒼衣は先程からずっと少し後ろを駆けている。そして何よりずっと無言だ。
浪臥村を出て1時間ほど経った頃、ようやく蒼衣が言葉を発した。
「ちょっと澄川さん、ごめんなさい。具合が悪いの。少し休憩していい?」
蒼衣は辛そうな表情でカンナに言った。
日が沈んでしまうと山道を駆けるのは危険だ。もうだいぶ辺りは宵闇に包まれ始めている。しかし、具合が悪いと言ってすでに馬から降りてしまった蒼衣を放っておく事は出来ないのでカンナも響華から降りて蒼衣が腰掛けている丸太に座った。
「大丈夫?」
カンナは蒼衣の額に手を当ててみた。特に熱はなさそうで顔色も悪くはない。蒼衣の顔を覗き込んだが先程の具合の悪そうな表情は消え去っていた。
「澄川さん。お話があります」
蒼衣はカンナの顔を見ずに正面を向いたまま突然話し始めた。
「な、なに? 改まって。具合は?」
「具合? あぁ、嘘です」
「嘘!?」
蒼衣は平然と悪びれる様子もなく言った。
「澄川さん。私達、友達ですよね?」
蒼衣が笑顔で言うのでカンナは頷いた。
「友達なら私のお願い聞いてくれますよね? 私の一生のお願い」
蒼衣は両手を合わせて目を潤ませた。
「なに?」
「斑鳩さんを私にください」
蒼衣の予想外過ぎる願いにカンナは言葉を失った。
蒼衣はカンナに擦り寄りカンナの左手を両手で握った。子犬のようにカンナの目を見詰めてくる。
しかし、そんな事を言われてもカンナの答えは決まっていた。
「嫌に決まってるでしょ。冗談だよね? 水無瀬さん」
カンナが蒼衣の潤んだ目を見て問うと蒼衣は目を細めてカンナから視線を逸らした。
「冗談じゃないですよ。本気で話してますよ? 私と澄川さんはもうお友達なんだから、私の一生のお願いを聞いてくれる義務がありますよ。どうして……断るという選択肢を選んだんですか?」
蒼衣の声は冷たく寒気がした。
蒼衣の両手はまだカンナの手を握り締めている。
「あ、あのさ、友達だからって私の恋人を譲らなくちゃならないって義務なんてないでしょ? そもそも、友達にそんな事を頼むなんて」
「いいんですかぁー? 今のような楽しい学園生活が送れなくなっちゃいますよ?」
カンナは血の気が引くのを感じた。蒼衣の口元は笑っていた。
「私ねー、他人の仲を引き裂くの得意なんですよ。澄川さんのお友達……斉宮さんとか、篁さんとか? これからも仲良く過ごしたいですよねぇ?」
「脅迫するつもり?」
「ふふふふふ……あはははは!!!」
蒼衣はカンナの手を握り締めたまま突然笑い出した。
カンナは咄嗟に蒼衣の手を振りほどいた。
「澄川さん! 私ね、あなたには斑鳩さんは相応しくないと思うんです。あなただって斑鳩さんに完全に満足しているわけじゃないんでしょ?」
「え?」
「私聞いちゃったんですけどね、澄川さん、未だに斑鳩さんに抱いてもらえてないんでしょ? そんな事って有り得る?? 男の人が、付き合ってる女に手を出さないって事。その理由、何だか分かります??」
「……言わないで」
カンナは蒼衣の解答を目を伏せて拒絶したが、蒼衣は構わずに続けた。
「澄川さんとは身体の関係は持ちたくないって事ですよ!!!」
カンナは頭を抱えた。そんな事薄々分かっていた。2年もの間女としての身体を愛してくれないと言う事は蒼衣の言う通り、カンナとは関係を持ちたくないのだろう。
蒼衣は立ち上がり座ったままのカンナを見下す様に立った。
「そんなに辛いの? 私はそんな経験ないから分からないけど……あの、はっきり言って澄川さん、あなたは斑鳩さんより和流さんとの方が上手くやれると思います」
蒼衣が人差し指を立てて言った。
「え……和流君?」
カンナは眉間に皺を寄せた。
「そう! あなたも感じたはずです。和流さんのあなたの身体を見る視線。澄川さんが求めていたのはまさに自分への男の人の性的な関心。このまま斑鳩さんと一緒にいてもそれは一生得られない」
「なんで、なんで、水無瀬さんがそんな事分かるの!? 斑鳩さんはきっといつか」
「いつかっていつですか? 一体どのくらい付き合ってるんですか? もう長いんじゃないですか? これからもずっと同じですよ。それに、斑鳩さんだって立派な男性です。性欲だって溜まるはず。抱きたくない女といつまでも付き合い続けるわけがない」
カンナは歯を食いしばって蒼衣を睨み付けた。しかし、反論する言葉が見付からない。
すると蒼衣は少し膝を折り、カンナの耳元で囁いた。
「澄川さんだって、毎晩1人でするのは嫌でしょ? 和流さんのところに行ってみてくださいよ。すぐに澄川さんの望む事をしてくれますから」
カンナは深い溜息をついて俯いた。
確かに蒼衣の言う通りかもしれない。このまま斑鳩といても斑鳩も辛ければカンナも辛い。だが、和流の元へ行けば斑鳩の苦しみもカンナの苦しみも解消されるかもしれない。
しかし————
カンナは目を瞑り深呼吸して再び目を開け蒼衣を見た。
「私は斑鳩さんと一緒にいれることが幸せ。斑鳩さんは言っていた。私を抱かない事には理由があるって。その理由が、私の身体を拒絶しているからだと決まったわけじゃない。だから私は信じる。斑鳩さんにも何か大切な事情があるんだって。悪いけど、水無瀬さんのお願いは聞けない。分かって」
蒼衣は眉間に皺を寄せカンナの目を見ていた。
「ふーん。あ、そう。あなたの友達に危害が及んでもいいわけ?」
その言葉にカンナの中の何かが切れた。
それを感じたのか蒼衣は僅かに表情が曇った。
「水無瀬さんは、斑鳩さんの事が本当に好きなの? 私と仲良くなったのは斑鳩さんを奪う為?」
カンナはすくっと立ち上がり、1歩、また1歩蒼衣に詰め寄った。
突然カンナの様子が変わったので蒼衣の表情は完全に強ばっていた。蒼衣はカンナが近付く度に後ずさりした。
「そ、そりゃあんな優しくて強くてイケメンなんだもん、好きじゃないわけないじゃない? で、でも、澄川さんがそこまで言うならいいですよ……譲ってとは言わないわ。わ……私は斑鳩さんと一晩楽しみたいだけだから……一晩だけ……」
カンナは無言でゆっくりと蒼衣に迫った。
蒼衣の額からは大量の汗が流れていた。
「う、うそうそ! 今の嘘です! ごめんなさい! 仲良くしたのも本当は澄川さんから斑鳩さんを奪う為でした……でも、あの、澄川さんがそんなに怒るならもういいです……ご、ごめんなさい」
「いいって、何が?」
カンナは顔の前で拳を握り締めた。
蒼衣はいつの間にか木に背後を遮られそれ以上カンナから離れられない所まで追い詰められていた。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください! 斑鳩さんにもあなたのお友達にも関わらないから!!」
蒼衣は目を瞑り顔を伏せて喚いた。
「あなたの薄汚れた氣、私が綺麗にしてあげるよ」
カンナは握った右の掌に溜めた氣を蒼衣の左胸へそっと押し付けた。手には蒼衣の温かく柔らかい胸の感触が伝わった。カンナの氣は蒼衣の心臓の辺りにある『鼓動穴』というツボからすっと体内に入った。
蒼衣はうっと声を上げると膝から崩れ落ちカンナにもたれ掛かり気を失った。
そしてカンナはそっと蒼衣の身体を木に寄り掛からせて座らせた。
「私、あなたとの1日、本当に楽しかったんだよ」
カンナは気を失っている蒼衣にそう告げると、蒼衣の目からは一筋の涙が零れた。
カンナはそれを指で拭ってやった。
日はすっかり落ち、辺りは真っ暗闇に包まれていた。
蒼衣は直に目を覚ますだろう。そしたら暗くて少し危険だが学園に戻ろう。ここにいて熊等に襲われるよりはマシだ。
カンナは蒼衣の隣に腰掛けて蒼衣の頭を撫でながら一番星の輝く綺麗な空を見上げた。
水無瀬蒼衣という子もこの学園にいるという事は身寄りがなく、過去に辛い事があったのだろう。その出来事が、きっと彼女の性格や人間性を作り上げたのだ。心の奥底は汚れてはいない。そんな事は今日1日蒼衣と過ごして分かっていた。
だがそんな事を考えている時、完全に油断していたカンナは近くに潜んでいた者の気配に気付かなかった。
その者は突然カンナの頭上から襲い掛かってきた。
長い刀が閃いたのがカンナの目に映った。




