第35話~鎮魂歌~
カンナと響音そして、田噛が宝生の本営に到着したのは夕方近くになった頃だった。
到着してすぐに今居る宝生の本営から2キロ先の久壽居や将校達の幕舎で暗殺者による襲撃があった事、そして、戦が終結した事を留守を守っていた河端という守備隊長と宝生の護衛をしていた八門衆の坤という男から全てが伝えられた。宝生自身も本営に5千だけ残し、2万5千もの大軍を率いて出陣したという。その宝生はまだここには帰還しておらず、久壽居達と共に前線で戦後処理を行っているという。
こちらの犠牲は約8千。指揮官は将軍の木曽と下級将校の水主村が戦死したらしい。対して敵の損害の方はおよそ1万。部隊長の韓立という男は久壽居が討ち取ったが、孟秦も薄全曹も取り逃したらしい。
「久壽居がいてこれだ。敵さんもなかなかやる」
腕を組んで黙っていた坤が冷たい声で言った。
この男は宝生の護衛らしいが、カンナが宝生に会った時にその姿を1度だけ見た。その時は宝生の背後で彫像の様に直立していただけだった。外見は、カンナ達護衛任務の仲間達をここに導いてくれた八門衆の震とそっくりで、顔に付けている真っ白な仮面に刻まれた模様が多少違うかもしれない……という事と声が少し渋めな事くらいしか違いがない。ぱっと見ただけでは判別は不可能だ。
「久壽居さんは無事なのね?」
カンナの隣に立っていた響音が神妙な面持ちで言った。
「ああ。鼻を折る怪我をしたようだが大した事はないそうだ」
また渋めな声で坤が答えた。
響音はそれを聞くと少しほっとしたように息を吐いた。
2年前、カンナが久壽居と手合わせをした時の事を思い出した。あの時全くダメージを与えられなかった屈強な久壽居朱雀が、鼻を折る怪我をするとは俄には信じられない事だった。
カンナは愛馬の響華の隣で手綱を握りながら久壽居との手合わせの光景を思い出して俯いていると田噛が突然馬に乗り駆け出した。
「どこ行くの!? 田噛さん!?」
カンナが叫ぶと田噛は1度馬を止め振り向いた。
「宝生将軍の元へ! 何かお力になれる事があるかもしれないので! 多綺さん、澄川さん、また後程!」
田噛はそう言って馬腹を蹴り、颯爽と駆けて行ってしまった。
「まさか、私達の兵糧庫襲撃でこんな報復を受けるとは……これじゃあ勝ったんだか負けたんだか分からないですよ……」
田噛の後ろ姿を見送りながら、カンナは俯いて言った。
勝てると思っていた。実際戦には勝利した。だが、カンナは今回の戦は勝ったとは思えなかった。兵糧庫襲撃に成功すればこちらの犠牲もなく戦も勝てるとばかり思っていた。いや、勝手に思い込んでいたのだ。
悔しい。
カンナは唇を噛み締め拳を握り締めた。
「過ぎた事を悔やんでも無意味だ。そこで立ち止まるような人間は何の成果も挙げられない。肝心なのは、次にどう動くか」
カンナが響音の言葉に顔を上げると、響音は前を向いていた。落ち込む様子は微塵もなく、ただ腰に腕を当て田噛が駆け去った方角を見ていた。
響音はやはり大人だった。戦というものを考えるより前に、人間とはどうあるべきなのかを心得ている。
「ま、あたしが偉そうな事言える立場じゃないけどね」
響音はニカっと白い八重歯を見せて微笑みカンナの肩を叩いた。
「それじゃ、あたし達も宝生将軍の所へ行くわよ。人手は大いに越した事はないでしょうから」
「はい!」
カンナの返事を聞くと、響音は凄まじい速さで走り出した。
「では、俺も行くかな」
坤は近くの馬に飛び乗り響音の後に続いた。
カンナは坤が動いた事に驚いたが、2人ともみるみる離れて行ってしまったので、カンナも慌てて掛け声を上げ響華の腹を蹴った。
戦死者の収容を終えた頃には日はすっかり沈んでいた。
学園の生徒達や久壽居、将校達、それに八門衆の震と坤が宝生の営舎に集まった。
まずカンナの目を引いたのは、久壽居の顔が半分包帯で覆われている事だ。守備隊長の河端が言っていた通りだ。カンナがかつて手合わせした時には傷一つ付けられなかった最強の体術の達人が、負傷している姿を見る時が来るとは思わなかった。ただ、負傷はしていても久壽居はいつもと変わらず平然としている。
カンナが隣に目をやると、茉里が腕を組み、圧倒的に不機嫌な表情をして立っていた。その理由がカンナには分かった。それは、茉里の護衛対象だった将校の水主村が戦死したからだ。その事を自分の任務が失敗したと考えて気にしているのだ。茉里は過去に任務を失敗した事がない。つまり、初めて任務を失敗したと思い込んでいるのだろう。もちろん、水主村は茉里の護衛任務の対象外である戦場で死んだので茉里がしくじった訳ではないのだが、茉里の性格ではそのようには考えられないのだろう。
声を掛けてやりたかったが、宝生が話し始めたので一先ずカンナは宝生の話に耳を傾けた。
宝生の話は今回の戦での損害、犠牲となった木曽と水主村の話。そして、今後どうするかという話だった。勝利を喜ぶ事は一切なかった。
「敵の兵力は大分削った。しばらくは青幻の奴も攻めては来ぬだろう。本営は撤収。各々の幕舎も畳んで全員祇堂へ帰還せよ。久壽居は兵と共に南橙徳へ入れ。青龍山脈が青幻の手に落ちたと報告があった。すぐには攻めて来ぬだろが、念の為守備が必要だ」
「分かりました。しかし、南橙徳へは私1人ですか? 副官のような者は……?」
「案ずるな。ちゃんと就ける。ただし、人材不足故、歴戦の猛者というわけにはいかんがな。明日には到着するだろうからその者と共に南橙徳へ行け」
「御意」
宝生が久壽居に指示を出し終わるとカンナ達の方を見た。
「お前達は任務終了だ。ご苦労だった。明日の朝にでも学園へ帰還せよ。本当は半年は戦も区切りが付かぬと思っておったのだが、多綺響音、澄川カンナ、お前達2人のお陰で早々にケリが着いた。礼を言う」
「お礼なんて……戦が早く終わっても、犠牲は大きかったわけですから……私は……」
カンナは素直に喜べなかった。2年前にも学園内で小規模ではあるが戦を経験した。それと同じでやはり大勢が一気に死ぬという事実は受け入れ難い。
「結局さ、孟秦も薄全曹も程突って奴もぶっ殺せなかったんだろ? こっちだけ犠牲がでかいよな。あたしは絶対青幻一門を許さないからな! 何が蒼国だ! ふざけやがって!!」
突然燈が不満を漏らした。燈の目は少し潤んでるように見えた。
宝生の話では、カンナがここに来て最初に交戦した程突という暗殺者の男も仲間を連れ再度襲撃に現れたらしい。その襲撃を切っ掛けに薄全曹と孟秦は攻撃を仕掛けたのだ。程突は奈南に顔面を鉄鞭で殴られ、茉里に背中を矢で射られたにも関わらず逃走したらしい。本来なら死んでいる程の怪我だというから程突が只者ではない事は明白だ。
「火箸さん。君の気持ちは分かるよ。皆同じ気持ちだよ。でも、感情だけじゃ何も出来ない」
燈の隣の中性的な見た目の梵が諭すように言った。
「分かってるよ! そんな事……」
燈は梵の言葉に頬を膨らませて腕を組みそっぽを向いたがそれ以上は何も言わなかった。
燈の不平で乱れた話を宝生が纏めると場は静寂に包まれた。もう誰も口を開く者はいなかった。
それで話は終わり、「失礼します」と一言だけ言って、皆部屋を出て行った。カンナも流れに乗り部屋を出た。
部屋を出るとカンナは茉里の元へ行った。カンナだけではなく既に燈と奈南、そして、響音も肩を落として元気のない茉里の周りに集まっていた。
皆口々に茉里を励ます言葉を掛けていた。それに対して茉里は素直に頷いていたが一言も喋っていなかった。
すると突然茉里は燈達を押し退けて走り出した。
「お、おい! 後醍院!?」
「1人にしておいてあげなさい。大丈夫よ」
燈が茉里を追おうとするのを響音が静かに諭した。
奈南も黙って頷いている。
カンナはそんな3人の様子を見ていたが、どうしても放っておく事が出来ず茉里の後を追い掛けた。
「おい!? カンナ!? 放っておけって……!!」
「燈。行くわよ」
「は!? あたしは止めておいて何でカンナは止めないんだよ! 多綺!!」
「燈さん。カンナさんならいいのよ」
「奈南さんまで……! 意味分かんねーよ!」
背後で燈の大声が聴こえたが響音と奈南に止められたようだ。
カンナは駆け去った茉里を追った。
茉里を見失った。
しかし、茉里の氣で居場所はすぐに分かった。カンナは茉里の元へゆっくりと歩いて行った。
茉里は1つの幕舎の中にいるようだ。
カンナがその幕舎に近付くと綺麗な笛の音色が聴こえてきた。茉里の横笛だ。幕舎の周りには2人の兵がいるだけだ。
カンナは幕舎には入らずその壁に背を預け笛の音に耳を傾けた。見張りの兵も目を閉じてその笛の音に聴き惚れている。
カンナはこの音色がかつて聴いた事のある曲だという事に気が付いた。
──鎮魂歌──
カンナが茉里に初めて出会った時にピアノで弾いていた曲だ。2年前に1度だけ聴いただけなのに、何故かカンナはすぐに分かった。
しばらくその笛の音に耳を傾けながら夜空の月を見上げていた。
今宵は満月だ。
笛の音が止んだ。
そして啜り泣く声が聴こえてきた。
カンナは幕舎の中に入った。
「後醍院さん」
カンナは啜り泣く茉里の背後からそっと声を掛けた。
茉里の目の前には寝台に寝かされた木曽と水主村の遺体があった。部屋の隅にはいくつかの蝋燭があり、真っ暗な室内をかろうじて照らしていた。茉里は他には何もなその部屋の床に直に座り込んでいた。
「仲が良かったわけではないんですの」
茉里が涙を袖で拭い鼻を啜りながら話し始めた。
「ただ、わたくしがお護りすると仰せつかった方でしたから……まさか、こんな事になるなんて」
カンナは相槌を打ちながら茉里の話を聴いた。
「とても……厳格な方でしたわ。武人とは正に彼のような方を言うのだと……せめて、せめて孟秦や薄全曹を殺していればこんなに悔しい事はなかったのかしら……」
カンナはその問いには相槌を打たなかった。
すると茉里が不安そうにカンナの方を振り返った。涙が止めどなく零れている。
「例え敵を殺したところで、大切な人を失った哀しみは癒せません。復讐が生み出すものは復讐のみ」
カンナはそう言うと茉里の隣に膝を折り、そっと左肩に手を置いた。
「澄川さん……」
茉里はカンナの顔を見ると唇を噛み締めカンナに抱き付いた。
カンナも茉里を抱き締めた。
もうどこにも昔の情緒不安定で破壊衝動の見え隠れする危険な少女の面影はない。今はどこにでもいる人の死を悲しむ事の出来る優しい女の子だ。
カンナはよしよしと茉里の頭を撫でた。
「帰ろう。学園に」
カンナが言うと、茉里はカンナの胸の中でコクリと頷いた。




