薄汚れた人たち
倉庫街に到着したのは、すでに日が暮れた後だった。馬車を下りると潮風が髪や頬にまとわりつき、夜の海岸沿いは思ったより不快感がある。
メルージェは見つからず、もうヘンデスとダグラス様のところへ到着してしまったのかもしれない。
レンガが敷き詰められた道を小走りに駆けながら、私はユンさんに尋ねた。
「アレンは一体何をしようとしているんですか?」
ヘンデスが私を誘き出すために、ダグラス様の不祥事を利用した。そこまでは理解できたけれど、アレンが何をしようとしているのかがさっぱりわからない。
まさか乗り込んで剣を振るったりしないよね!?
いくら何でも、殺傷事件は起こさないで欲しいと思う。
「ご安心を、アレン様は理性あるお方ですからさすがに命を取ったりはしません」
ユンさんが朗らかにそう言うと、後ろを走っているアルノーが顔を顰めて言った。
「ソアリスが絡んで、将軍が理性的だったことはないと思うんだけれどな~」
やめて。
理性的であってくれないと、おそろしい事態になるから。
「あの倉庫です」
ジャックスさんが示したそこは、扉が開いていた。そして入り口には下働きのような男が一人倒れている。
「どうやらもう始まっているみたいですね」
「始まっているって、アレンは中に……?」
倒れている男は、意識がないだけで大したケガをしているようには見えない。とりあえず死体じゃなくて心底ホッとした。
――ギィ……。
半開きだった扉をジャックスさんが開ける。
ユンさんを先頭に、私、ジャックスさん、アルノーと続いて進んでいった。
「あれってルードさんですよね~。相変わらずきれいに絞めますね」
ジャックスさんはマイペースだった。
途中、男がもう三人倒れていたけれど、いずれも意識がないだけのように見える。
アレンたちは最奥の部屋にいると思われ、ユンさんはまっすぐにそこを目指して走っていた。
私はドキドキしながら、必死にユンさんについていく。
メルージェは無事かしら。
ダグラス様が妻に何かするとは思えないけれど、それでも万が一のことがあったら……。
悪い想像が頭をよぎり、泣きそうになるのを必死で堪える。
「あそこです」
扉は閉まっていて、中の様子は伺えない。
ユンさんは躊躇いなくドアノブに手をかけ、そしてジャックスさんが前に出てその背に私を隠した。
「開けるわよ」
「はい」
すでに制圧済み、という判断をしているみたいだったけれど、念のためユンさんとジャックスさんが先に入るつもりだと理解できた。
私とアルノーは一歩後ろで、その様子を固唾を飲んで見守る。
――バンッ!
勢いよく扉が開く。
薄暗い廊下から明るい部屋に入り、私は思わず目を細めた。
「……ユンリエッタ?」
アレンの声がする。どうやら無事みたい。
私はジャックスさんの背後からひょこっと顔を出し、アレンの姿を確かめた。
「ソアリス!?なぜここへ!?」
目の前には、黒い隊服を着た夫の姿。その横には小さなテーブルと椅子があり、震えながら何かを書いているダグラス様がいる。
そして、なぜかメルージェがルードさんに短剣を突きつけられていた。
「メルージェ!?」
なんでこんなことになっているの!?
息を呑む私。アルノーも驚きで声が出ないようだった。
もしかして、メルージェがダグラス様と一緒になって私を攫おうとしたと思っているの!?それとも夫婦だから連帯責任なの!?
顔面蒼白の私は慌ててアレンに訴えた。
「違うんです!メルージェは私を置いて……何も言わずにここへ!だから何も悪くないんです!お願いですからメルージェを放して!」
じわりと涙が滲む。
アレンは愕然としていて、私がここに来ることをまったく知らないようだった。
「お願い、何でもします……!メルージェを助けてください」
必死で頼む私を見て、ルードさんが慌てて説明してくれた。
「奥様、大丈夫です!違うんです、誤解です。我々はメルージェさんが共犯だとは思っていません」
「え?」
だったらこの状況は何なのか。
部屋の中をよく見てみると、テーブルの下には銀髪の騎士が倒れていた。
どうやら気絶しているらしい。
この人はどう見てもリヴィト・ヘンデスで、右側の顔が腫れている。
「か、書けました……」
ここでダグラス様が、震える手でサインした紙をアレンに渡す。
アレンはそれを黙って受け取り、ルードさんに視線を投げると軽く頷いた。
それを見たルードさんはメルージェから手を放し、剣を鞘に戻した。
「メルージェ!」
私はメルージェに抱きつき、無事を確認した。
「ソアリス!どうしてここへ!?」
よかった、元気そう。ケガもないし、いつものメルージェだった。
「なんで何も言ってくれなかったの!?相談してくれたら、私は……」
ボロボロと涙が零れてくる。
メルージェも大粒の涙を零し、互いに顔を見合わせるが視界が滲んでよく見えなかった。
「ごめ、んなさい……!だって、迷惑をかけるって思ったら言えなくて」
「迷惑って、アレンたちがいなかったらどうなってたか……!どれほど心配したと思ってるのよ!」
「言えるわけないでしょう?ソアリスはこれから楽しいことがいっぱいあって、ヒースラン将軍と幸せになれるのに、私の事情に巻き込めないわよ……」
「だとしても、メルージェに何かあったらそれこそ私は幸せになんてなれないわよ。もうこんなことしないで」
子どもみたいにわぁわぁ泣いていると、背後からルードさんの呟きに似た嘆きが聞こえてくる。
「なんだかこの様子を見せられていると、自分がいかに薄汚れているかを実感します」
薄汚れているとはどういうことなんだろう?
ちらりとそちらを見ると、ルードさんは苦笑いだった。アレンは不幸があったみたいな渋面で、沈黙している。
「一体、何がどうなったのですか?説明してください」
涙ながらにアレンに訴えかけると、ルードさんが代わりに説明してくれた。
「メルージェさんには、ご協力をお願いしたまでです。本当に傷つけるつもりなんてありませんでした。もちろん、事前にご説明しましたから、納得の上です」
私がメルージェの顔を見ると、彼女も深く頷いた。
事態が飲み込めない。
鼻をすすると、また涙がポロポロと零れ落ちた。
「彼女を人質に取ったのは、ダグラスに離婚届を書かせるためだ」
アレンが静かに口を開く。
さっきダグラス様が書いていたのは、ルードさんが用意した離婚届らしい。
「ダグラスは近衛の事務官を妊娠させたと思い込み、ヘンデスに脅されてソアリスの誘拐に加担した。ヘンデスは俺の妻を人質に取り、辞職を要求するつもりだったんだ。だが結果はこの通りで、この男は国外追放は免れない。ダグラスも爵位没収の上、国外追放になるだろう」
「追放……」
ダグラス様は、椅子に座ったまま茫然としていた。
もうおしまいだ、と悟っているのがわかる。
「夫が問題を起こした場合どうなるか、ソアリスならわかるだろう?」
「っ!」
メルージェは文官だ。夫が犯罪者になれば、これまでのように王女宮には勤められない。浮気が原因で別居していたとしても、退職を余儀なくされるだろう。
「今ここに離婚届がある。ダグラスの処分よりも先にこれを貴族院に提出すれば、メルージェは王女宮を追われずに済む」
アレンは、サイン入りの離婚届をルードさんに手渡した。後はもう、貴族院に提出して受理されるのを待つだけである。
「これからも、一緒にいられるのね……?」
メルージェは少しだけ笑って、何度も頷いた。
「よかった……」
安心したら腰が抜け、私はへろへろとその場に座り込む。
アレンがすぐに近づいてきて、私の隣に片膝をついた。
「大丈夫か?」
「ええ、ちょっと腰が抜けただけで」
背を撫でられると、ホッとして笑みが零れる。
ルードさんがメルージェを斬るような人じゃないってことは十分にわかっているけれど、目の前でその光景を見たら頭が真っ白になってしまった。
「いつからヘンデスの企みを知っていたんですか?」
「随分と前から。ダグラスの動きを把握したのは、つい三日前だが」
「そう……ですか」
見上げると、アレンは叱られた子どもみたいな目をしていた。
「すまない、こんな風に泣かせるつもりではなかった」
彼はその指先で、私の目元をそっと拭う。
「いえ、勘違いして勝手に泣いてしまって……」
「今度からは秘密裏に片付ける」
また何かあるの!?
私は絶句してしまった。
もう金輪際、こんなことはないと願う。
「立てるか?」
私はアレンに支えられ、ゆっくりと立ち上がった。抱き上げようかと提案されたが、それは丁重にお断りした。




