妻の知らないところで夫が××してるらしい。
その日、私は仕事帰りにメルージェの部屋へ向かっていた。
朝からメルージェの様子がおかしくて、何か私に言いたいことでもあるんじゃないかって思えたから。
アルノーも違和感を抱いていたらしく、三人で夕食でも……ということになり、美しい木々を横目に城内を歩いている。
ジャックスさんは少し後ろをついてきていて、まったく威圧感のない平凡な彼は完全に私たちに馴染んでいた。
アルノーともすっかり仲良くなって、最近ではお友だちのような空気を醸し出している。
「今の時期だと、食堂に新鮮な魚が入っているかもな~。素揚げした紅玉魚に甘いタレを絡めたヤツ、うまいよね」
あまり食堂を利用せず、手軽に食べられるパンやスープばかり好むアルノーだが、魚は好きだった。紅玉魚は目が宝石みたいに赤い白身魚で、身がぷりぷりしていてとてもおいしい。
でも私はちょっと体重が気になるので、最近は控えめな食事内容に変えていた。
「結婚式までは、なるべく油物は控えるわ。紅玉魚……おいしいけれどやめておく」
泣く泣く諦めた私を見て、メルージェが慰めてくれる。
「そんなに太っていないわよ。元が痩せすぎだったんだから、今ぐらいがちょうどいいわよ」
と言いつつも、私の腕をむにむにするのはやめて欲しい。
「ううっ、でもダメなの。ドレスの腰回りだけはもう変更がきかないの!もうこの時期になると美醜の問題じゃなくて、お針子さんたちへの配慮なのよ……」
メルージェは苦笑いだった。
ただでさえ、短期間でドレスを縫ってもらっているのだ。
この状況で「太りすぎましたのでもう一度糸を解いてください」とは絶対に言えない……!
寮の一階へ到着すると、メルージェは階段の手前で足を止める。
「私は一度部屋に戻るから、先に食堂へ向かっていて?」
にこやかに手を上げて、階段を上っていった。
食堂は1階にあるので、私とアルノーはそのまま直進する。ジャックスさんはいつの間にか前にいて、扉を開けてくれるつもりらしい。
気づかぬうちにさりげなく立ち位置を変える身のこなしは、やはり護衛の騎士なんだなと思った。
メルージェと分かれたことで、私は気になっていたことを切り出した。
「元気そうだけれど、何かおかしいよね」
隣のアルノーをちらりと見ると、彼も頷いた。
「うーん、俺とジャックスさんがいない方がいいのかもなー。女同士の方が話しやすいこともあるだろうし。あぁ、おかしいといえばさ、最近やたらと騎士に会うんだけれどソアリス何かあったの?」
「え?私?」
確かに、騎士が多いなとは思っていた。けれど、私が何かしたっていうのは心外だ。
「特務隊の人たちがやたらと王女宮の周りにいるよね。あれってソアリスが逃げないように見張ってるの?それとも外から襲撃でもされるわけ?」
「なんで私が逃げるのよ。それに外から襲撃って、私を狙って相手に何の利益があるの?」
「ないよね。将軍の妻なんて狙うだけ悪手だし、ソアリスが個人的に恨みを買ってるとは思えないし」
「一応、目立たず出しゃばらず、平凡に生きてきたんだけれど……」
アレンが帰って来るまでは、私なんて誰の目にも止まらない金庫番だった。今何かあるとしたら、アレンが絡んでいると見て間違いないだろう。
「ま、いいんじゃない?王女宮の警備が手厚くなったと思えばそれで。陛下の寝室くらい安全かもよ、今の俺たちの職場は」
食堂に着くと、すでに十人以上の文官や騎士がいた。
皆それぞれに座って食事をしていて、窓際の四人掛けのテーブルが空いていたので私たちはそこへ陣取る。
メルージェが来たらカウンターで注文をして、一緒に食べようと思っていた。
けれど、待っても待ってもメルージェが部屋から降りてこない。
てっきり十分程度でやってくると思っていたのに。
「ソアリス、ちょっと見て来てくれない?」
「わかった」
アルノーは男性だから、上階へは行けない。私は彼を残して食堂を出て、歩き慣れた階段を上がっていく。
「あの、ジャックスさんも来るつもりですか?」
気づけば当然のように背後にいる。
「ええ、護衛ですから」
「でも、ここからは男性の立ち入りは認められていません」
さすがに規則を破るのは、と思ったけれど、ジャックスさんは笑顔で言った。
「ソアリス様を一人で行かせるわけにはいかないんです。俺、護衛なんで。もしもメルージェ様の部屋で不測の事態が起きたとき、おそばにいなくては守れません」
「それはそうですよね」
誰かに叱られたら、そのときに考えればいいか。
まったく引くつもりがなさそうだったので、私はジャックスさんと一緒に階段を上がって行った。
すれ違う文官の女性たちの視線が……と心配していたけれど、護衛騎士を連れて歩く私の立場がどういうものか、皆よく理解しているらしく、むしろ「大変ですね」みたいな憐みの目を向けられた。
皆さんとても優しい人たちだった。
メルージェの部屋に着くと、私はいつもどおり軽くノックをする。
ーーコンコン。
「メルージェ?遅いから迎えに来たんだけれど、どうかしたの?」
中からは何の音もしない。
人がいる気配がなく、私は困ってしまった。
「どこかへ出かけたのかしら。でもそれなら一言声をかけてから行くわよね」
胸騒ぎがする。
どうしようか、と悩んでいると、ジャックスさんが当然のようにドアノブを握り、根本からそれをゴキッと折ってしまった。
「っ!?」
「開きました~」
何やってるの!?
何で扉を壊しているの!?
絶句する私に、ジャックスさんは笑顔を向ける。
「中で倒れていたら大変ですから」
「……入ります」
あとで話し合いは必要だとして、今はもう開けちゃったから入るしかない。
けれど私が入る前に、ジャックスさんが先に部屋に踏み込んだ。
もしかして第三者がいたら、って警戒してる?そんなに危険な状況があり得るのか、とちょっと怖くなってきた。
「メルージェ様~?」
「メルージェ!」
しんと静まり返った部屋は、何一つ乱れてもおらず、ただ部屋の主が留守なだけ。
書机の上には数枚の手紙と本、椅子にはガウンが掛けてあった。
「いないわね」
戻ってアルノーに知らせなきゃ、そう思っていると、ジャックスさんが容赦なくメルージェの机の上にあった手紙を開く。
「ちょっと!?」
勝手に人の手紙を、と咎めるより前に、ジャックスさんがそれを持って私のところへ近づいてきた。
「ダグラスからです。ソアリス様を連れて、海岸沿いの倉庫まで来いと……」
私は、その手紙を奪うようにして凝視する。
「なんで私なの?ダグラス様と私はあまり面識もないのに」
詳しいことは書かれていなかった。もしかして、ほかにも手紙があったのか、それとも直接会って話をしたのか。
「頼むから助けてくれ、ってどういうことなのかしら」
とにかく、ダグラス様が必死なことは伝わってきた。
まさか、私を誰かに引き渡せばダグラス様が助かるの?それでメルージェに、私を連れてこいと?
「しかもこれって、今日じゃないの!メルージェは一人で行ったの……?」
どうして言ってくれなかったのか。
「メルージェのためなら、私は断らなかったのに」
うろたえる私の隣で、ジャックスさんはいつも通りの声音で言った。
「だからじゃないですか?話せば、ソアリス様は絶対に一緒に来てくれるから。だから言わなかったんじゃ」
「そんな!」
今すぐメルージェのところへ行かなきゃ。
まさかダグラス様がメルージェに何かするとも思えないけれど、心配だから放ってはおけない。
けれど、飛び出そうとした私の腕をジャックスさんが掴む。
「ダメですよっ!アレン様に叱られます!危ないことに首突っ込んだらダメです!」
私は必死でそれを振り払おうとする。
「離してください!メルージェに何かあったらどうするんですか!!私は行きます!それに、私に手紙を見せたのジャックスさんですよ!」
場所だってわかってるんだから、今から走ればメルージェに追いつくかも。
「すみません!何も考えずに見せてしまいました!!でもダメです、城内と邸以外の場所へは行かないでください!」
「そんな!この倉庫に入る前に止められれば、何とかなりますよね!?メルージェを連れ戻したいんです!」
「海沿いの倉庫なんて、何棟あると思っているんですか!?百はくだらないですよ!?お願いですから、アレン様が事態を収めるまでここで待っててください!」
その言葉に、私はピタリと動きを止めた。
「どうしてここでアレンが出てくるの?」
探るように見つめると、ジャックスさんは「しまった」という風に気まずそうな顔になり、ふいっと目を逸らした。
「アレンはこのこと知っているの?どうして?メルージェが私の親友でも、そこまで把握しているのはおかしいんじゃない?」
「えーっと、色々と事情がありまして」
「色々って何ですか?」
「まぁ、祭り?的な」
祭りって何?
収穫祭はまだ先だわ。そろそろ開かれる精霊祭りは、祭りって名前がついてるだけで家族でお祈りするだけだし……。
「ジャックスさんは何を、どこまでご存知なんです?」
じりじりと詰め寄る私。
逃げ腰のジャックスさん。
「俺はただ奥様を城と邸のほかへは行かせるなとしか聞いてなくて……!おまえは顔に出るから、ってルードさんから何も聞かされていません。とにかく奥様から離れるな、と」
しかしここで、まさかの味方がやってきた。
「あぁ、ソアリス様、こちらにいらっしゃいましたか」
騎士服のユンさんが、壊れて開きっぱなしの扉から現れた。アルノーも一緒だ。
「うわっ、何これ。壊したの?」
穴の開いた扉を見て、アルノーが口元を引きつらせる。
「アルノー!メルージェがダグラス様に呼び出されて……!」
「はぁ!?」
すでに握りつぶしてグシャグシャの手紙。私はそれをアルノーに見せる。
「行かないと……!」
すぐに飛び出そうとするアルノー。しかしここで、ユンさんが笑顔で提案した。
「では、皆で参りましょう。私はそもそもそこへ向かうつもりで、ソアリス様をお迎えに来たんです」
「え?」
あれほどジャックスさんは渋っていたのに、迎えに来たってどういうこと?
首を傾げる私に対し、ユンさんは妖艶な笑みを浮かべて言った。
「きっとこれから起こる血祭りで、アレン様がとても素敵に見えるはずです。ですので、ぜひご覧になった方がいいかと」
「「血祭りって何!?」」
ぎょっと目を見開く私とアルノー。
ジャックスさんは苦笑いしている。
「説明は、馬車の中で」
ユンさんはそう言うと、私たちに部屋から出るよう促がした。
「いやいやいや、ダメですよ。ソアリス様は絶対城内から出すなって言われています」
ジャックスさんが慌てて止めに入るが、この二人だとユンさんの方が立場が上らしく、結局はジャックスさんが押し切られた。
「どうせ安全なんだから、いいじゃない。アレン様とルード様がいれば、ソアリス様に危険はないわ。私たちもいるんだから」
「ですが、アルノーさんは誰が守るんですか?」
私の安全を第一優先にするからには、アルノーが危険になってしまう。
だがこれは、本人があっさり大丈夫だと告げた。
「俺はすぐ逃げますから!お気遣いなく!」
さすが自称・最弱文官。
それでいてついてくると言い張るのは、メルージェが心配なんだろう。
「さぁ、お早く。馬車は用意しています」
「はい!」
私たちは足早に寮を出て、騎士団の敷地内に停めていた馬車に乗り込んだ。




