将軍は待ちきれない
「そんなに気になるなら、迎えに行ったらどうですか?」
アレンディオの私室にて、何度も時計に目をやる主人を見てルードが尋ねる。
ソアリスは「メルージェのところへ寄ってから邸に戻る」と連絡を寄越したが、もう城門が閉まる時間になっても馬車は邸に到着していなかった。
「入れ違いになることはないでしょうから、迎えに行けばよろしいのでは。馬車なら書類も持っていけますし」
書類持参は決定事項なのか。
アレンディオは嫌そうにルードを見る。
「気軽に迎えに行けと言ってくれるが、そんなことをすれば邸で待つこともできない夫だと思われるだろう。監視されていると思われたらどうする」
「事実、そうでしょう」
「……」
すべては、妻に嫌われたくないという心配から。
アレンディオはイライラした様子で乱暴にペンを置き、騎士でも竦みあがるような威圧感を放った。
しかしルードは、飄々とした顔つきで立っている。
「監視していますよね~?奥様の周囲に騎士を増員したの誰でしたっけ?」
「……」
「今のところリヴィト・ヘンデスに動きはないので、ノーファとエリオス、ゾットに王女宮の見回りをさせておけば昼間は何もできないと思いますよ」
御前試合の後、ソアリスが感じた視線はアレンを敵視する近衛騎士のものだった。諜報を主としている者の情報によると、先日の一件で左遷されたヘンデスはとうとう婚約者にも愛想を尽かされたそうで、逆恨みが募っている可能性があると報告が上がっている。
「父親のヘンデス侯爵には、王家からやんわり忠告を送っていますが、バカ息子がどう出ますかね~?建国以来の名家の御子息ということで、かなり大目に見てきた結果がこれとは情けない。それなりに腕は立つはずなのに気位が高すぎて扱いにくいですし、近衛もさぞ持て余していたことでしょう。いっそ、こっちから罠を仕掛けますか?」
あははと陽気に笑うルードを見て、アレンは顔を顰めた。
「何もしていない状態でこちらから手を出せば、悪しき前例を作ることになる。いくら今回はこちらに正義があったとしても、これからもそうだとは限らない。俺が将軍を退いた後、私利私欲のために権力を使うことが慣習として残るのは問題だ……なんだ、その顔は」
「いえ、まともなこと言ったなぁと思いまして。アレン様って、そういうところは真面目ですよね。権力を行使したなんて、言わなきゃバレないのに」
「組織で人を使う以上、どこからもバレないということは考えにくい。バレなかったとしても、それは運がよかっただけだ」
ルードは腕組みをして考え込む。
「それも一理ありますが、向こうが何かするってわかっているのにじっとしているのは性に合いません。部下には、ただ殺りたいだけっていう危なっかしいのもいますしね」
それは抑えろ、とアレンディオは呆れた目でルードを見る。
「何か罪状をつけて、捕縛しておきたいところです」
どうにかリヴィト・ヘンデスを捕縛できないものか。ルードは思考を巡らせた。
が、アレンは意地の悪い笑みを浮かべ冗談交じりに言う。
「知らないのか?本当に悪いことをするときは、必ず単独でやるんだ。それが一番確実だ」
「…………何する気ですか?やめてくださいね、後始末が大変なことは。3年前に、あなたが敵の野営地に単独で斬りこんでいったのは本当に肝が冷えたんで、あんな暴挙は絶対にやめてくださいね?」
「そこまでのことは、さすがにしない」
ルードは思った。
見張っておこうと。
「バレなければいいんだろう?」
そう念押しされると、ますます主人から目を離せなくなる。
「勝手に行かないでくださいね?」
「そうだな。だがその場合、おまえの休暇はなくなるが」
「……そういうことになりますよね」
ため息を吐くルードを見て、アレンディオはくっと喉を鳴らして笑った。
しかし次の瞬間、南側にある邸の門が開く音がかすかに聞こえ、アレンディオは即座に立ち上がる。
それを話の終わりと受け取ったルードは、将軍の妻と共に戻ってきた婚約者に休日返上の言い訳をしなくてはと苦笑いを浮かべた。
「書類は後で片づける」
「はい。どうか存分に奥様を迎えて来てください」
アレンディオはすぐに部屋を飛び出し、玄関へと向かった。使用人が妻の到着を告げるまでもなく、颯爽と階段を下りて行く。
家令より侍女長より、誰よりも早く玄関に到着した主人は、今か今かと妻を待つ。
その姿を見て慌てて集まってきた使用人たちは、アレンディオの喜びようを見て秘かに笑みを浮かべる。
――ガチャ……。
夜間の護衛に当たっている騎士・ノーファが邸の前でソアリスを出迎え、そして大きな扉を開けた。
中でアレンディオが待ち構えていると気づき、本来なら自分が先に入るところをあえてソアリスに進むよう促す。
「ソアリス!」
「っ!?」
玄関に入るなり駆け寄ってきた夫の姿に、ソアリスは驚いて肩を揺らす。
しかし使用人たちが彼女の姿を目にするより先に、逞しい腕がしっかりと包み込んでその姿を隠した。
「おかえり」
「ただいま戻りました。あの、アレン?なんだか早くないですか?」
アレンディオは驚くソアリスを抱き締めたまま、その髪に頬ずりをして額にキスを落とす。
「たまには君を出迎えるのもいいだろう?普段は俺の方が遅いから」
「それは、そうですね……。ありがとうございます」
まさか待ち構えていたのでは、とソアリスは想像するが、まさか本当にその予想が当たっているとは思わなかった。夫の執念の深さを、まだ完全には理解していない。
家令のヘルトや使用人たちにも帰宅を告げると、ソアリスはアレンと共に二階へと向かう。
「食事はメルージェと済ませました。ユンさんに何か軽食を」
「かしこまりました」
ヘルトは笑顔でそう答えると、ここでノーファと護衛を入れ替わるユンリエッタと共に食堂へと移動した。
アレンは妻と二人きりになりたいからと使用人を全員下がらせ、ソアリスの肩を抱いて部屋まで送る。
「メルージェはどんな様子だった?」
「はい、気落ちしていましたが、それでもたわいもない話で笑い合えるくらいには元気で安心しました」
「そうか」
「これから、また寮に住むそうです。時々、メルージェの様子を見に行ってもいいですか?次はパイを差し入れするって約束もしたんです」
「構わない。そばにいてやった方がいいだろうから」
「ありがとうございます」
ただ友人の様子を見に行っただけなのに、労わるような目を向けるアレンディオ。
ソアリスは、夫の気遣いをうれしく思う。
(私が落ち込んでも仕方ないわ。アレンのためにも、元気で笑っていなきゃ)
「大丈夫か?仲のいい友人が落ち込んでいると、君も心労があるだろう。ソアリスは優しいから心配だ」
「心配してくださってありがとうございます。でも、こういうことは時間が解決してくれるといいますから、今はただ心穏やかに過ごせればと思っています」
「そうか」
穏やかな笑みを向けるアレンディオを見て、ソアリスは思う。
(私は本当に幸せね。こんなに大事にしてもらえて)
自分は何か返せているのだろうか、そんな思いがふと湧き上がる。
きっと今日も、仕事をしながらも自分の帰りを待っていてくれたんだろう。忙しい日々を過ごしているのだから、先に休んでいてもいいはずなのに。
ソアリスはアレンディオの蒼い瞳をじっと見つめ、彼が向けてくれる愛情に感謝した。
「どうした?」
「いえ……」
すでに私室の前に到着し、この先はもう湯あみをして就寝するだけ。未だ寝室を別にしている二人は、ここで分かれるのが当然だった。
扉の前で立ち止まると、ソアリスは俯いて考え込んでしまう。
(私ったらいつも素直になれなくて、アレンに嫌な思いをさせていないかしら?アレンほど露骨に好きだとか愛しているとか言えないけれど、少しくらい私だって素直に気持ちを伝えないといけないわよね……)
う~んと悩み始めた妻を見て、アレンディオは困惑した。
(何かまずいことでも言ったか……?いや、さすがにそれはないはずだ。もしかして何か悩みができた?女同士のやりとりを、俺が踏み込んで聞いてもいいのだろうか)
二人して考え込むこと数分。
先に顔を上げたのはソアリスで、何か言おうと深く息を吸い込んだ。
が、じっと見つめ合うと言葉がすぐには出てこない。
(いきなり「好きです」とか「愛しています」っていうのはおかしいわよね!?脈絡がなさすぎるわ。どうしよう……!)
気持ちが通じ合っていることは確かで、お互いその認識はあるはずなのに、喉の奥に何かつっかえているような感覚になってしまう。たった一言が言えず、ソアリスは口をハクハクさせて挙動不審になっていた。
(何だ!?ソアリス、何か言いたいことがあるんだな!?何でも聞く!何でも聞くから、言ってくれ!!)
廊下の端では、使用人たちが固唾を飲んで二人を見守っている。
(((旦那様!そのまま部屋に押し入ればいいんです!!)))
だが彼女たちの願いは届かず、アレンディオは微動だにせずソアリスの言葉を待っていた。
「あの……」
「あぁ」
「その、ですね?」
「うん」
「「……………」」
ソアリスは両手で顔を覆い、再び項垂れた。
(こういうとき、普通の夫婦ってどうしているのかしら。そもそも、日ごろから好きとか愛しているとか言っているものなの?日常生活のマナーの教本に、そんな記載はなかったけれど)
正解がわからない。
これまでは勉強をすれば試験に受かり、仕事でもわからないことは人に聞くなり教本を見るなりすればそれでよかった。
こんなにも正解が見つからないことは、ソアリスにとって初めてだった。夫が絡むとこうも壁にぶつかるのかと思うと、自分の不器用さが悔やまれる。
しかし、目の前には辛抱強く自分の言葉を待っていてくれるアレンディオがいる。
じっと見つめていると、その優しさがとてもうれしく思えてきた。
「アレン」
「?」
恐る恐る腕を伸ばし、ぎこちなくもその逞しい身体に抱きついてみる。
衣擦れの音がわずかにして、自分の心音が速くなるのがわかった。
「ソアリス!?」
事情は呑み込めないが、愛する妻からの抱擁は初めてのこと。驚いて目を見開きながらも、アレンディオはしっかりと妻の背中に手を回す。
(かわいすぎる。ずっとこうしていたい……)
アレンディオは、自分とはあまりに違う華奢な身体を抱き締め、幸せを堪能する。
一方、妻は妻できつく目を閉じ、夫に気持ちが伝わるよう念を込めていた。
(ううっ、やっぱり口で気持ちを伝えるのはまだ無理。何かきっかけでもないと私からは言えない……!せめてこれで、気持ちが伝わってほしい。私はあなたのことが好きですよ!)
まったく伝わっていないが、アレンディオは喜んでいた。
妻の髪を愛おしげに撫で、長い間こうしていた。
(もしかしてソアリスは不安になっている?俺が浮気するかもしれないと)
明後日の方向に思考がずれるアレンディオ。
ソアリスがはにかみながらゆっくりと顔を上げると、その愛らしさに思わず理性が飛びそうになる。
「いきなりすみません」
「いや……」
もしかしてこれは好機なのでは。アレンディオはじっと妻の顔を見つめる。
だが「今夜は一緒にいよう」と言おうとしたとき、妻の方がわずかに先に口を開いた。
「待っていてくれて、ありがとうございました。おやすみなさい」
するりと解ける妻の細い腕。
笑顔で「おやすみなさい」と言われてしまえば、こちらも笑顔で同じように返すしかなくなってしまった。
(((ヘタレですか、旦那様……?)))
使用人たちは露骨にがっかりする。
ただし、この場で一番落ち込んでいるのはアレンディオであり、ソアリスは夫に向かってさらに追い打ちをかけた。
「今日、ルードさんがいらっしゃっているんですよね?ユンさんから聞きました。アレンの部屋におられるのですか?あまりお待たせしては申し訳ないですね」
「いや、いい。ソアリスのためなら朝までだって待たせても大丈夫だ。それに、あいつだって子どもじゃないんだから、俺が戻って来なければ勝手に帰る」
「ふふっ、またそんなこと言って。ダメですよ、補佐官は大事にしなくては。あぁ、私もご挨拶した方がいいですか?」
昨日の今日で、わざわざ顔を見に行くことはない。それはわかっていたが、ソアリスは念のために確認した。
アレンディオは静かに首を振り、「いらない」と告げる。
「では、また明日。おやすみなさい」
「…………あぁ、おやすみ」
穏やかな笑みを浮かべる妻に、アレンディオは触れるだけの軽いキスをする。
もう何度もこうしているのに、視線を落として恥じらいながら、逃げるようにして扉を開けて身を滑り込ませる姿は堪らなくかわいいと思った。
ーーパタンッ……。
ソアリスが部屋に入ってしまうと、廊下には静寂が広がる。
(妻の口説き方がわからない)
茶色の大きな扉を前に、重い空気を放つアレンディオ。
再会して四ヶ月、確実に妻との心の距離は縮んでいるはずなのだが、決定的に踏み込めないのは「夫婦だけれど婚約者」という訳の分からない提案のせいだけではない。
(よし、まずは目先の憂いを消し去ろう)
堅く拳を握って振り返ると、廊下の向こうからユンリエッタとルードが歩いてくるのが見えた。
「アレン様?どうかなさいました?」
軽食を手にしたユンリエッタがそう尋ねる。これから二人して、アレンの私室へ向かうつもりだった。
ルードは、主人が仄暗いオーラを放っている理由ならだいたい想像がつくのであえて尋ねない。
ぎりっと歯を食いしばったアレンディオは、二人に向かって歩き出した。
「「アレン様?」」
殺気を放つ主人を見て、二人は顔を引き攣らせた。
「…………ぞ」
「「はい?」」
アレンディオは、それだけで人を射殺せそうなほど鋭い目つきをしていた。
「邪魔者は消すぞ、全権力を行使する!憂いを取り払って、存分にソアリスと平和な暮らしを享受する!」
まさかの宣言に、ルードは思わず右手で半分ほど顔を覆う。
「さっきと真逆のことを言ってますね!?」
「うるさいっ!そもそも、俺が退いた後のことなど知るか!後のことは、後のやつらが考えればいいんだ!どれほど悪名が轟こうとも、俺は今すぐ権力を使ってソアリスを守る!」
絨毯の敷かれた廊下を、乱暴に踏み締めて歩くアレンディオ。どこへ行くのか、とルードとユンリエッタは後についていく。
「さすがです、アレン様!それでこそアレン様です!さぁ、やりましょう、奴の臓腑を引きずり出して生まれてきたことを後悔させてやりましょう!」
「ユンさん、悪ノリしないでくださいますか!?惨殺すると証拠が残りやすくなるので、できればあっさりお願いします!我が国の歴史を見ると、深く追求されない溺死に見せかけるのが一番証拠が残りにくいです!」
「知らしめましょう!将軍の非情さを!見せしめのために、血祭りを希望します!」
「ほんとやめて!?アレン様よりやる気にならないで!?」
ソアリスの知らないところで、事態は刻々と変化していた。




