妻は友を案じる
いよいよ御前試合の最終戦。今、勝ち残っている10人の騎士は、この時点で翡翠の勲章を授かることが決まっている。翡翠の勲章は「武に長けた者」としての証であり、5つ獲得すると平民騎士でも爵位がもらえるらしい。
アレンと共に会場へ戻ってきた私は、王族の登場より少し前に特別席へとエスコートされた。
本来なら、案内係の騎士が私を連れて行くのだが、アレンが彼に任せることはなく……周囲のアツい視線を浴びながら私はそっと腰を下ろす。
「ここでゆっくりしていて」
アレンはそういうと私の右手を持ち上げ、甲に軽くキスをした。
相変わらず、夫は周囲にムダな警戒心を抱いている。私に誰も近づけたくない、と目が語っていた。
「すぐに戻ってくる」
「はい。お待ちしております」
そっと手を離すと、彼は名残惜しそうに目を細める。こういうところを見られたら、また尾ひれがついた噂が回るのだろうな。
「ダメですって、アレン様。あまりすぐに終わらせないでください。御前試合の優勝者が一瞬で地に伏したら、場がしらけるに決まっています」
背後にいたルードさんに注意され、アレンもさすがにまずいと気づいたのか黙って頷く。
「適度にがんばってくる」
「どうかご無事で……」
いくら木剣での模擬戦とはいえ、何かのはずみでケガをする可能性はある。
私は祈るような気持ちでアレンを見送った。
去っていく後ろ姿はもう私がいつも見ているアレンでなく、凛々しいを通り越して険しい雰囲気になっていた。さきほどまで黄色い声援を上げていたご令嬢方も、さすがに近づけないらしい。
ちらちらっと視線を向けては「やっぱり無理よ!」と話しかけるのを断念するのが見てわかる。
安心していいのか、それとも塵ほどもない社交性を嘆かないといけないのか。
私は複雑な胸中になる。
アレンの様子を見ている限り、ダグラス様のように浮気の可能性はなさそうだ。
「ソアリス様」
一人座っていると、ユンさんがやってきた。
私はパッと振り返り、メルージェのことを尋ねる。
「どうだった?」
修羅場は回避されないだろうな……。
「シェリーナさんという方には、私の立ち合いのもとで事情を説明しました。ダグラスには金輪際、彼女に近づかないと約束させ、彼女は寮へ帰宅しました」
「そう」
城内にある食堂のウェイトレスの女の子だったらしく、ダグラス様は二度とその食堂へは近づかないと誓ったそうだ。
ユンさんによると、騎士が使える食堂は三つあるというので、一つ使えなくなったくらいどうってことないらしい。
「ダグラスはシェリーナさんに求婚し、いい返事をもらえたところで『実は妻がいて、君には第二夫人になって欲しい』と話すつもりだったようです」
「そんな自分勝手な……!」
彼女からすれば、天国から地獄に突き落とされるような気分になるのでは?
それで求婚を受ける人なんているの?
私が顔を顰めると、ユンさんはしらけた顔で言った。
「平民が、男爵で騎士の己と結婚できるなら、第二夫人でも喜ぶという驕りがあったみたいですよ。まぁ、実際にそういうタイプの女性も、このご時世ならいるにはいますが……。シェリーナさんのようなタイプではないですね」
結局、ダグラス様はメルージェの意思なんてどうでもよかったってこと?
第二夫人をメルージェが受け入れて当然って思っていたってこと?
「酷いわ。メルージェにもシェリーナさんにも失礼よ」
「はい、本当に腹が立ちます」
「慰謝料というか、お詫びはどうしたの?」
騙していたんだから、慰謝料が必要なのでは……と私は思ったけれど、ユンさんが小さく首を振った。
「ダグラスは仮にも男爵です。シェリーナさんは平民ですから、ただ声をかけて騙したくらいでは慰謝料など取れません。子でも孕んでいれば一大事ですけれど」
「えっ」
「あ、まだ未遂でした。街でデートはしたそうですが、手を繋いだだけでキスもしていないとシェリーナさんに確認は取れています」
びっくりした……!まさか独身だと偽って、シェリーナさんの純潔を散らしているなんてことがあったらとんでもない事態だった。
いくら婚約中から身体を重ねてもいい空気であっても、さすがに婚約もしていないのに、しかも既婚者とっていうのは外聞が悪すぎる。
まして、ダグラス様は薔薇をメルージェに贈ったのだ。あれは、浮気はしたけれど妻を選んだという意思表示。本当に勝手な言い分だけれど、ダグラス様にシェリーナさんと結婚する気はまったくなかったんだろう。
考えれば考えるほどひどい。ムカムカしてきて、拳をぎゅっと握り締める。
ノーグ王国の女性は気が強いって周辺国の男性からは言われているらしいけれど、私だって例に漏れず、ダグラス様に文句を言ってやりたいくらい腹が立って仕方がなかった。
でも一番怒っていて、悲しんでいるのは妻であるメルージェのはず。
彼女の気持ちを思うと、胸が苦しくなった。
「それで、メルージェは?」
見たところ、この会場内にはいないみたい。
「一度、お二人で話し合いをということで自宅に戻られました。私はメルージェ様をお送りして、ここに戻ってきました」
「ユンさん、ありがとうございました」
「いえ、私は別に。ダグラスに蹴りを入れてきましたので、むしろ役得かと」
「ええっ、もうユンさんったらそんな冗談を……」
「え?本当に蹴りましたよ。冗談ではありません」
強い。
ユンさんはどこまでも我が道をゆく女性だった。
「だって腹立たしいじゃないですか。メルージェ様に対して必死で頭を下げて謝っていましたが、そもそも男爵程度の近衛騎士補佐の謝罪にどれほどの価値もありませんよね?代わりはいくらでもいるんですから」
「ええっ」
「それに、謝ったら許してもらえるだろうみたいな浅はかさが透けて見えるところも苛立ちました。あんな男は、身ぐるみ剥がれて辺境の山奥にでも捨て置かれればいいのです。自分の無能さを知るでしょう」
「き、厳しい……!」
メルージェは大丈夫かな。
心配で、今すぐここから抜け出してメルージェの家に行きたい気分だ。
「話し合いで、どうなると思う?」
何気なくユンさんに尋ねる。
「さて、どうでしょうか。メルージェ様は怒りもせず泣きもせず、ただ鬱々としておられたような気がします」
「メルージェは、夫の不義理を噂で聞いても、それでも本当は何もないかも知れないって心の奥底では信じていたんです。それなのにこんな形で……」
「いきなり浮気相手と対面は堪えるでしょうね。ただ、私が気になったのは」
「?」
「浮気相手が一人とは限らないなと」
ユンさんがまさかの予測を立てる。
あの手のタイプは、複数の女に手を出しているはずだと。
「まさかそんな」
シェリーナさん以外にも、浮気相手が?
私は思わず顔を顰め、慌てて扇を広げて顔を隠した。
「浮気って一度に複数できるものなの?近衛騎士補佐って忙しいんじゃ」
いずれは近衛の部隊に上がるんだ、今は補欠みたいな位置でも仕事はたくさんあると思うんだけれど。
「いえ、ソアリス様。騎士団はクズの巣窟ですから、あぁいう男は実はたくさんいます。どれほど仕事が忙しくても、浮気する男はするのです。だってクズなんですから」
酷い言われようだ。騎士の皆さん、何をやっているんだろう……。
「あの手のタイプは、最初は軽そうな派手な女をターゲットにして、自分がモテていると勘違いして図に乗っていくんです。けれどしばらくすると、純朴そうな子を相手にしてみたくなるのです。遊びを知る女ではなく、純朴な娘からモテることでさらに自分はいい男だと思い込むといいますか」
「えええ、これが初犯じゃなかったらメルージェが傷つくじゃない……!」
腹が立ちすぎて、眩暈がしそうだわ。
もうほんとに今すぐここから出てメルージェのところへ行きたい。
「まぁ、火種をぶちこんできましたから悪いようにはならないかと」
「火種って?」
「火種です。メルージェ様が幸せになれる、とっておきの火種」
「?」
ユンさんと見つめ合うこと数秒。
一体、火種とは何なのか?トラブルの元のような気がしてならないんだけれど?
「まさかそれって」
アルノーを呼んだの……?
そう思ったとき、ついに王族が登場するファンファーレが鳴り響いた。
国王陛下と王妃様、そしてローズ様が静々と壇上に上がる。
人々は初めて公式行事に出席するローズ様を見て、その美しさに目を奪われ感嘆した。
緊張気味に歩くその姿がまた庇護欲をそそる。
私のいる場所からローズ様の椅子までわずか二十メートルほど。
じっと見つめていると、空色の瞳が私を見つけて「あっ」と呟きと共に輝いた。
静かに頷く様は、がんばりますという意思表示だろうか。私も微笑んで頷いた。
ユンさんは一歩下がり、私の斜め後ろに立って護衛の顔になる。凛々しい女騎士のユンさんにもファンがいるらしく、ご令嬢方の一部はユンさんに熱視線を送っていた。
「此度は大義であった。皆の者、存分にその力を奮ってくれ」
陛下のお言葉を受け、並んでいた騎士たちが一斉に胸に手を当て礼を取る。
「我が妃、並びに妹のローズも皆の活躍を祈っておる。勝者には最高の栄誉を授けよう」
威圧感たっぷりの陛下の声は、色めきだっていたご令嬢方を静まり返らせるには十分だった。
陛下は最後に私を見て、二ッと不敵な笑みを浮かべる。
怖い。
ものすごく怖い。
おまえの命は今日までだ、みたいな空耳が聞こえる。
「ソアリス様、多分あれは友好の笑みです」
ユンさんが前を向いたまま、小声で教えてくれた。
あれが友好の笑みなの……?
陛下はこれまでどれほどの誤解を生んできたのだろう。
口元を引き攣らせつつも、私は笑顔を返す。
満足そうに頷いた陛下の反応を見る限り、やはりさきほどの笑みは友好の笑みだったらしい。
再びファンファーレが鳴り響き、王族の前で決勝戦が始まった。




