将軍と妻と補佐官と【後】
驚いて目を見開く私。アレンは嫌そうに眉根を寄せた。
「ソアリスに、騎士の愚行を教えなくていい。騎士がみんな浮気や二股をする男ばかりだと思われたらどうする」
アレンが私を抱き寄せ、ルードさんに苦言を放った。
自分も同じだと思われたくない、アレンの雰囲気からはそんな風に聞こえる。
「いやいやいや、あなた様は浮気なんてしないでしょう。10年も会わずじまいの奥様にそこまで執着できるなんて、もはや狂人です」
「誰が狂人だ」
「それにどこに浮気する時間があるんですか?ただでさえむさくるしい男所帯で、周囲には常に目があり、ちょっとでもあなた様が歩こうものなら注目を集めるではないですか。そもそも、奥様の待つ邸に早く帰りたいからって王妹殿下の護衛を引き受けたくらい奥様のことしか考えていませんよね」
「え?」
ルードさんの口から信じられないことが飛び出し、私はアレンの顔を見る。
アレンはものすごく険しい顔でルードさんを睨み、ぎりっと歯を噛みしめた。
「アレン?なんで怒っているんですか?」
「…………」
意味がわからず尋ねると、彼はちらりと視線だけこちらに向けた。窺うような、探るような。私の反応を気にしているらしい。
「本当なんですか?早く帰りたくて、護衛を……」
え、王妹殿下の護衛だと早く帰れるの?
忙しくなるんじゃないのかしら?
「アレン?」
「…………」
夫が苦い顔をして黙ったままなので、ルードさんが代わりに説明してくれた。
「王妹殿下の護衛を引き受ければ、陛下が近衛の人員を少しこちらに回してくれるとおっしゃって。しかも、護衛中に騎士団の書類仕事をしてもいいとまで。そうなると、前よりも早く邸へ戻れますから、アレン様はそれが目当てで護衛を引き受けたのです」
以前、アルノーが口にした噂を思い出す。
将軍が積極的に、王妹殿下の護衛に名乗りを上げたというあの噂を。
まさか、早く帰りたくて?
じっとアレンを見つめると、観念したようにため息をついて私を見た。
「知られたくなかった。ソアリスに会いたいからと言って早く帰れるように護衛を引き受けたなど……」
「どうして知られたくなかったのです?私が悲しく思うなどはありませんけれど」
「愛が重いと、嫌われたくないから」
「愛!?」
思わず声が大きくなってしまった。
はっきりと「愛」と口にされると、耐え切れないくらい恥ずかしい。
以前にも「愛している」と告げられたことはあったけれど、あれはすれ違ったことでの勢いというか二人きりの甘い雰囲気のときにだけ言ってくれる戯れというか。
「重いも何も、私たちは夫婦ですから……。それに嫌うだなんて、あり得ません」
顔が見られなくて、つい俯いてしまう。
結婚しているのに、恋とか愛とかそんな言葉を口にしていていいのでしょうかね……?
もっと落ち着いた関係でなくていいのでしょうか……?
じゃあ、その落ち着いた関係って何って言われるとわからないけれど、でもとにかく恥ずかしくてむずがゆい感じがした。
アレンが戻ってきてから、私の気持ちに波風が立ちすぎる。
平穏でいたいのに、なんだか気持ちが落ち着かない。
今だって、自分ではどうしようもないくらい赤面してしまった。
「ソアリス」
「…………はい」
俯く私に向かって、アレンがそっと声をかける。
「ソアリスに知られたくはなかったが、王妹殿下の護衛を引き受けたのは君ともっと一緒にいたかったからだ」
「そうですか……」
「決して暇なわけではないんだが、仕事が終わり次第ソアリスのもとへ帰りたい。…………それでもいいだろうか?」
「!?」
どうして許可を求める必要があるの?
アレンはときどき、ものすごく他人行儀なことを言う。それに、あの邸はアレンの邸なのに。
「当たり前です。早く、帰ってきてくれたらうれしいです」
自分の気持ちだけは伝えておいた。
正解がわからないけれど、とにかくアレンが早く帰れるようになるのはうれしいわけで。
「そうか」
「はい」
「それなら、時間が合う限りは一緒に帰ろう」
私はほとんど毎日同じ時間に馬車に乗り、同じ時間に邸に到着する。
アレンがそれに合わせようと無理しないよね?
顔を上げると、邸にいるときみたいに柔らかな表情でアレンは私を見下ろしていた。
ううっ、直視しがたい甘さ!
これって先に視線を逸らした方の負けなの……?
そういう勝負じゃないってわかるけれど、何だか目を逸らすことができなくなってしまった。
「はぁ、新婚っていいですね~」
「「!?」」
「ってあれ、11年目でしたっけ」
ルードさんがニヤニヤしながら、わざとらしくそんなことを言う。
「あ、でも奥様。うざいと思い始めたら早めにおっしゃってください。このように書類を積んで、アレン様を引きとめますから」
「やめてくれ。もう書類は見たくない」
ルードさんが手にしているのは、やはりアレンの決裁待ちの書類だった。ひらひらとそれを振られると、今ここでこうして私的なことを話している時間すら申し訳なく思う。
「あの、すみません。こんな風に引き留めてしまって」
「いや、もともとソアリスがいるなら少し外へ出てみようかと気分転換がてら行ってみただけだ」
そう言ってもらえるとホッとした。
「え、あんなに無理やり時間を捻出しておいて、今さら隠すんですか?君のために時間を空けたって言った方が、アレン様のお気持ちが伝わると思いますけれど」
「おまえは本当にもう何も言うな。謹慎させるぞ」
「あ、では三日ほどお願いします。ユンさんが指輪を注文しに行けってうるさいんで」
そういえば、ルードさんっていつ休んでいるんだろう。
もしかして、ずっと働いている……?アレンが休みの日も、将軍代行で何かしらの行事や任務を監督しているのは知っていた。
アレンは「好きにしろ」とだけ告げ、立ち上がってルードさんに近づく。
その手から書類を奪うと、また私の隣に戻ってきてそれに目を通し始めた。
「それでは、一時間ほどでまたお迎えに上がります」
「あぁ」
ルードさんは笑顔を浮かべたまま、医務室を出て行った。
残された私は、どうしていいかわからず置き物と化す。
「あの……」
「ん?」
「なぜ膝枕なのですか?」
「効率がいいと思って」
アレンは私の膝に頭を乗せ、仰向けで書類を読んでいる。
「隣に座ると、書類の文面がソアリスに見えてしまう。妻と言えど、情報漏洩は避けたい。かといって、離れたくはない。背中合わせだと、ソアリスが何をしているか見えないから心配だ。その結果、消去法でこうなった」
「…………そうですか」
どうやら、離れて座るという選択肢はないらしい。
しんと静まり返った医務室で、アレンは随分と長い時間をかけて書類に目を通していた。




