王妹殿下は唆される
「ホント、お似合いだわ……」
ひとり言が口から漏れる。
じっとカップの中を見つめるローズ。
すると、ゴドウィンが心配そうに尋ねた。
「何か悩みごとでも?」
いつも優しいゴドウィンに、心配をかけたくない一心でローズは微笑む。
「何でもないの。少し疲れただけ」
「そうですか」
自分に対しては言葉遣いを気にせず話して欲しい、そう言ってくれたのはゴドウィンだけ。ローズは下町訛りを気にするあまり、城へ来てから口数が少なくなっていたのだが、彼の前では普通に話すことができるようになった。
「近頃は笑顔が増えて喜ばしいと思っておりましたが、ここでの暮らしに急に慣れることはありません。どうか、気を張りすぎないでください」
「ありがとう」
「ヒースラン将軍とご夫人には、随分とお心を開いておられるようで安心いたしました」
「そうね……。とても、素敵なご夫婦だから」
控えめに微笑むローズを見て、ゴドウィンは言いにくそうに告げる。
「ですが、彼らはあくまで臣下であることをお忘れなく。ローズ様のお心深くに、ヒースラン将軍を迎えることはなさらないでいただきたい。あの方は、奥様以外を恋い慕うことはない方ですから」
「え!?」
まさか世話役にそんなことを言われるとは。
ローズは慌てて否定する。
「心深くにって……好きになるってこと!?私はただかっこいいなって、憧れるなって思ってるだけでそういう意味で好きだなんて……!!」
「だとよろしいのですが」
少し赤くなった頬。市井育ちの姫と侮る者は多くとも、この美貌は誰しもが認めざるを得ない。
ゴドウィンは、この美しい姫君が叶わぬ恋に泣く姿は見たくないと思っていた。
娘か孫か、王妹殿下に抱くには不敬な気持ちかも知れないと思いつつも、彼は彼なりにローズのことを大事に考えている。
「甘い菓子でも用意いたしましょうか?」
食が細いローズを心配し、夜食か軽食を用意することはいつものことだ。
だが、ローズはちらりと時計を見て言った。
「こんな時間に?太っちゃうわ。ただでさえ、お城の食事はいつもおいしいのに」
「少しお痩せになられたので、ちょっとくらい甘いものを食べても大丈夫ですよ」
「そうかしら……。ゴドウィンさんは、ちょっとくらいふくよかな女の子の方がかわいいと思う?」
「そうですねぇ。健康的な方がよいという男性は多いと思いますよ?なれど、姫様はそのようなことを気にするまでもございません。とてもおかわいらしいですから」
「一般論じゃなくて、ゴドウィンさんの意見が聞きたかったのに」
「こんな老骨の意見など、役に立ちませんよ。どうかお好きなように召し上がってください。それくらいの自由はあっていいのです」
ゴドウィンの厚意に押され、ローズは「少しだけなら」と菓子を食べることにした。
「では、すぐにお持ちいたします」
パタンと静かに閉まる扉。相変わらず部屋の前には騎士が2人立っているが、今この部屋にはローズただ一人。
「気づきたくなんて、なかったな……」
ローズの心の中にいるのは、たった一人。
けれど、彼には大事な人がいる。ローズではない、長年連れ添った最愛の妻が。
(どうして私じゃないの?もっと早く出会いたかった)
目が合うとドキドキして、次はいつ来てくれるだろうかと気になって仕方がない。
会ったばかりでも、また会いたくなってしまう。
そばにいないときは「今何をしているだろう?」と気にかかり、講師に褒められたときは一番に報告したくなる。
けれど、彼の本音を聞きたいとは思わない。
だって叶わぬ恋だから。
「私のこと、どう思っていますか?」「優しくしてくれるのは仕事だからですか?」
答えは聞かなくてもわかっている。
彼はローズのことを、恋愛対象には見てくれない。それどころか、庇護対象として子どものように扱ってくるのだ。
「バカよね、私。絶対に報われない恋をしちゃうなんて」
ローズはテーブルに突っ伏して、ぎゅっと目を閉じた。
そして、苦しげに呟く。
「どうして30歳以上も離れているの?どうして奥様がいるの?こんなにゴドウィンさんが好きなのに……」
王妹は、筋金入りの爺専だった。
ちなみに初恋の相手は、取引のあった商会の隠居した60代会長である。
(私って、近い年頃の相手と政略結婚しても、相手のことを好きになれないかもしれないわ……。ゴドウィンさんの第二夫人になりたいけれど、さすがに無理よね)
ソアリスが不毛な嫉妬を感じている頃、ローズも不毛な恋に悩んでいた。
――コンコン。
突然にノック音が聞こえ、ローズは慌てて姿勢を正す。
「はい!います!大丈夫です、逃げていません!!」
反射的にそう返事をすると、扉の向こうから笑いをかみ殺しながらルードが顔を覗かせた。
「失礼……、少しよろしいでしょうか?」
しまったと思ったローズは、顔を赤くして静かに頷く。
部屋に入って来たのはルード一人。扉は開いたままで、扉の前には黒い隊服の騎士が数名立っているのが見える。
護衛とはいえ、私室で異性と二人きりになることは外聞が悪いのでこうした策を取るのが普通だが、ローズは「なぜ扉を開けたままなのだろう」ときょとんとした顔でルードを見つめた。
座っているローズの隣に立ったルードは、柔和な笑みを向けて用件を告げる。
「遅くに失礼いたします。どうにも、昼間だと侍女長や近衛のガードが固いのでこんな時間に参りました」
人懐っこい笑顔に、ローズはついつい気が緩む。
「どうかしたのですか?」
ほわんと穏やかな空気を発する王妹を見て、ルードは優しい声音で尋ねた。
「近頃、ご不安に思っていることはないですか?そろそろ城内の人間関係がお辛くなってきた頃でしょう」
「どうしてわかるの!?……はっ、いえ、あの、何でもないです」
ぎょっと目を瞠ったローズは、すぐに自分の失言に気づいて慌てて否定する。
が、ひな鳥のような王妹が騎士団一の腹芸上手といわれる男を躱せるはずもなく――
「私も辺境の出身でして、いきなり城へやってきた辛さは僭越ながら共感する部分がございます」
大げさなまでに、胸を痛めているというポーズを取る。
ローズの空色の瞳には、自分のことを心底心配しているような男の顔が映っていた。
「まぁ、あなたも?」
「誰を信用していいかわからないという不安は、とてつもなく大きいものですよね」
「ええ、ええ、そうなの……!」
思わずルードの隊服の裾を握ったローズは、縋るように彼を見つめた。
誤解を生まぬよう、その手をそっと握って彼女の膝へ戻したルードは、まっすぐに目を見て静かに話す。
「殿下、私はアレンディオ・ヒースラン将軍の直属の補佐官です。騎士ではありますが、ヒースラン家の使用人でもあります。ソアリス夫人の部下ともいえる立場ですので、殿下の味方です」
「私の、味方?」
「はい。ルード・ディレインと申します。お気軽にルードとお呼びください」
「ルードさん……」
将軍の隣にいるニコニコした人、としか覚えていなかったローズは、名乗られてすぐに名前を復唱した。
「お二人からは、くれぐれもローズ殿下のことを頼むと言われております。何か気になることがあれば、何でもおっしゃってください」
「将軍と、ソアリスさんが?」
目を輝かせるローズを見て、ルードは笑顔でしっかり頷いた。
(ちょっと警戒心がなさすぎますね。舞踏会を途中で抜けてきた甲斐があった。誰かに洗脳される前で助かりましたよ、孤独なお姫様)
ソアリスのことをジャックスに任せ、黒の隊服に着替えて城へ来たルードは、目論見通りローズに接触できた。
悪いようにはしない、ルードの腹のうちに気づかないローズは完全に彼を信用してしまっていた。
情報を聞き出す時間を稼ぐために、厨房近くの廊下でゴドウィンの足止めまでされているとも知らずに。
「あの、実は……、マルグリッドさんのことで……」
「マルグリッド嬢と申しますと、筆頭侍女の方ですね」
わずか十分程度。
アレンディオとソアリスへの信頼を、そのままルードに転嫁したローズは胸の内をあっさりと引き出された。
「すべてお任せください。内密にお調べしておきます。このことは、決して誰にも明かさないでください。私たちはローズ様の味方ですからどうかご安心を」
「ありがとうございます!とっても心強いです!!」
輝くような笑顔を浮かべたローズは、安心した様子で紅茶を飲む。
「では、これにて失礼いたします」
「はい、また来てくださいね!」
幸か不幸か、この瞬間にローズは特務隊の援護を受けられることになる。しかしながら、あくまで将軍の利益とその妻の安全のために監視下に置かれるのだということを本人は知らない。
ルードは、有益な情報と純粋な姫の信頼を得て颯爽と去っていった。




