お久しぶりのあの人
舞踏会は滞りなく行われ、ニーナは何人かの騎士や貴族令息とダンスを踊り、今日という日がいい記念になったように見えた。
王太子殿下と踊っていたときは、もうこのまま倒れてしまうんじゃないかって心配したけれど、しばらく休憩を挟むとすっかり復活して「このまま手ぶらで帰れないわ!デビューしたからには、満喫しなきゃ!」と意気込んで人々の輪の中に入って行った。
我が妹ながら、とても頼もしい。
私はというと、ルードさんの次に父と踊り、そのままお誘いはやんわりと躱して食事を楽しんだ。
ルードさんはすぐにご令嬢方に囲まれていたけれど、「今日は将軍の奥様の護衛も兼ねていますので」と体よく断っていた。
ここにユンさんがいないのが残念だわ。美男美女が優雅にダンスを踊る姿が見たかった。ユンさんも指導できるくらいうまいけれど、ルードさんもとても優雅にリズムを取って私をリードしてくれた。
騎士というより貴公子といった方がルードさんには合っているような。
ダンスがお上手な恋人同士、今度はぜひユンさんとルードさんが踊るところを間近で拝見したい。
そうこうしているうちに舞踏会中盤となり、私はルードさんと共に休憩のために控え室へと向かった。将軍の妻は特別待遇なので、専用の部屋がある。
父と母はすでにそこでゆっくりしていて、さすがは元成金の夫婦だけあり、豪華な調度品や煌びやかな空間にも緊張などしていなかった。
私は慣れない空間に居心地の悪さを感じつつも、おとなしく座ってアレンを待つ。
「立派な奥様っぷりでしたよ」
「ルードさんに褒められると、よくできたかもって思えるから不思議ね」
くすりと笑うと、彼もまた目を細めた。
とはいえ、ここに来てから緊張続きで全身が悲鳴を上げている。毎日仕事だけをしていると、貴族の奥様であることを忘れてしまいそうになるのよね……。
指先まで意識して、常に見られていることを考えて姿勢を維持するのは本当に大変だった。
家が没落してからの約7年、いかに自分が貴族とかけ離れた暮らしに染まっていたかを自覚する。
まだ舞踏会は終わったわけじゃない。
油断して隙を見せて、アレンの評判を下げることにならないようにがんばらねば。
休憩中も気が抜けない。
するとそこへ、三カ月ぶりに会うサミュエルさんが正装で現れた。
貴族でない金貸しの彼が公爵家の舞踏会へ来るなんて、と驚いていると、どうやら彼はルードさんに用があったらしい。
2人は何やら言葉を交わし、サミュエルさんがメモのようなものをルードさんに渡していた。
裏社会の情報でも流しているのか、私が立ち入ってはいけないような雰囲気を察知する。
「嬢ちゃん、久しぶりだな」
短めのアッシュグレーの髪は、前髪だけ横に撫でつけられている。普段は明らかに労働階級の男性にしか見えないのだが、こうして正装を纏って立派なお邸にいるとまるで貴族のように見えるから不思議だ。
「お久しぶりです。お元気そうで、サミュエルさん。今日はどうなさったんですか?」
意外な再会に、私は表情を取り繕うのも忘れて声を上げる。
サミュエルさんは「今日は仕事だ」と言い、ルードさんをちらりと見た。
二人は私が誘拐されたときから面識がある。
あのとき、サミュエルさんは取り調べのために騎士団に連行された。もっとも、彼は被害者に近いので尋問などは受けず、軽い事情聴取を受けただけ。その後は一晩客室に泊まっていたと聞いている。
「ルードさんとは、あの誘拐事件以来ですか?」
サミュエルさんは私の問いに軽く頷く。
「俺への疑惑は晴れたらしいから、情報屋として取引してんだ」
「疑惑って?」
誘拐には関わっていないと、あの場でわかっていたはずなのに。
「嬢ちゃんとの間に、何かなかったかっていう疑惑だよ」
「はぃ!?」
目を丸くする私を見て、ルードさんが苦笑した。
「サミュエルさんには、奥様が随分と信頼を置かれていたようでしたので、失礼ながら調べさせていただきました。万が一、お二人が恋仲であった場合、アレン様が発狂しかねないと思ったからです」
「えええ……」
「すみません、補佐官の仕事はアレン様に平穏無事な暮らしをしてもらうことも含まれますので致し方なく。もちろん疑惑は晴れましたので、今ではこうして健全なお取引をさせていただいています」
サミュエルさんが「どこが健全なんだよ」と呟いていたが、それはまぁ気にしないでおこう。裏社会の情報は、金貸しのサミュエルさんなら確かによく知っているはず。
ルードさんはアレンのために、色々と手を回してくれているんだろう。
「今日は酒場で落ち合うつもりだったんだが、ここに来ればニーナや嬢ちゃんに会えるって聞いてな。ついでだよ、ついで」
「ふふっ、わざわざ来てくださってうれしいわ。ニーナ、キレイだったでしょう?」
あのわんぱく娘のニーナがデビューの日を迎えたのだ。サミュエルさんは保護者みたいなものなので、きっと見届けに来てくれたんだろう。
招待状を手に入れてくれたルードさんにお礼を言うと、にっこり微笑んでくれた。
「ニーナもそうだが、嬢ちゃんも立派な奥様になったもんだ。とても俺に蚕の世話のバイトを紹介してくれって言ってきた没落姉妹には見えねぇよ」
「その話はもう金輪際、封印していただけません?」
まだ王都に出てくる前、生活のために普通の人があまりやりたがらない仕事に精を出していた時期もあった。そのときのことを持ち出され、私は慌てて口止めする。
「くくっ、イメージに傷がつくようなことは秘密か?まぁ、黙っていてやるよ。それにしても、ドレスがよく似合う奥様になってよかった」
「どうもありがとうございます」
「でも、ちょっと無理してんじゃないか?さっきホールにいたのを見たが、嬢ちゃんは表情が硬い。肩ひじ張りすぎっつーか、あっちにもこっちにも気を遣ってんのがわかった」
「そうですか……?」
指摘され、私は首を傾げる。
「どうせ、将軍の妻だからってあれこれ気を回してがんばりすぎてんだろう。せっかくいい男を捕まえたんだから、たっぷり可愛がってもらってラクすりゃいいのによ」
いい男を捕まえたという表現は、ちょっと心外である。そんな利益目的で結婚したみたいな……って、よく考えたらおもいっきり家柄目的での政略結婚だった。
にやりと笑うサミュエルさんに対し、私は反論する。
「がんばるのは当然でしょう?私はアレンの妻として、しっかり務めるって決めたんですから」
けれどサミュエルさんは、私のことをどうしようもない子みたいに呆れて笑った。
「嬢ちゃんはホント苦労性だな。早死にするぞ」
「死にませんよ、丈夫なところが取柄なんですから」
王都で出稼ぎをしてもうすぐ6年になるが、誘拐された翌日から数日熱を出した以外で病気になったことはない。もちろん、大きなケガをしたことも。
「気苦労は一番身体に悪いんだぞ。もっと気楽に生きろよ、倒れるぞ?」
「今のところは元気ですよ」
勉強で夜遅くなってしまうことはあるけれど、どこにも不調は来していない。仕事だって繁忙期はもう終わるし、お休みもアレンに合わせて取っているから前より元気なくらいだと思う。
「女はちょっとくらい頼りない方が、かわいげがあるんじゃないか?」
「うっ……それは、そうかもしれませんが。守ってあげたくなる存在がいいって言うんでしょう?あいにく、これまで守られたことなんてないんですから、守ってくれる人を待っていたら飢え死にしてしまいます」
「今は将軍がいるだろう」
「あいにく、私はアレンに守ってもらいたくて結婚を続けたわけじゃありません」
「そりゃごもっともだ。愛があるから結婚を続けたんだろう?10年間待ち続けた純愛だもんな」
例の創作純愛物語を話題にされ、私は遠い目になった。
知らない人ならともかくとして、一部始終の真相を知っている人に純愛だなんて口に出されると冗談だとわかっていても恥ずかしくて死にそうだ。
「もう、余計なお世話です」
つい拗ねた口調になる私を見て、サミュエルさんは意地悪く笑った。
ところがその後すぐ、急にまじめなトーンで話し出す。
「でも、身体には気をつけろよ。将軍は早くに母親亡くしてんだろ?嬢ちゃんがしなきゃいけねーのは、役立つ妻になることじゃねぇ。何が何でも長生きして、夫を看取ってやることだ。あんまり無理すんじゃねぇぞ」
急にアレンのお母様のことを持ち出すなんて、何かあったのかしら?
不思議に思ってルードさんを見ると、彼は周囲には聞こえないように声を落として教えてくれた。
「アレン様の母上が患っていた病が、また流行っているのですよ。ローズ様のお母上もその病で亡くなったそうで、国としてそろそろ本腰を入れて特効薬を作らなくてはという話になっています」
「まぁ……」
「で、例のキノコの魔除けを崇めている薬師の村まで医師団を派遣する予定なんですが、その護衛を騎士団で請け負うことになりそうなんです。それで、サミュエルさんに情報と交換で儲け話に一枚かんでいただこうということになっています」
「そういうこった」
なるほど。
そういう話があったから、サミュエルさんはそれで私にがんばりすぎるなと、健康でいろと言ったのか。
「相変わらず世話焼きですね。もう私は22歳なんですよ?大人です」
「嬢ちゃんは嬢ちゃんだ」
出会ったとき、サミュエルさんは今の私と同じ22歳で、私は14歳だった。今も私はあの頃のままだと思われているみたいね。
情の厚い借金取りは、いつまでも親切だった。
「でもルードさん、特効薬なんてすぐにできるんですか?」
薬づくりは、その家や一族の秘伝ということも多い。薬師の村へ行っても、レシピを教えてくれるとは限らない。
ルードさんはもちろんそれを承知で、実はもう一つ目的があると話した。
「レシピは無理でも、薬草の苗を手に入れることも目的なんです。それを国の管轄の薬草園で増やします。さらには、ローズ様に薬草園の計画の旗印になっていただくことで、好感度を上げようという裏事情がございます」
「あら、思いのほか打算がおありですね……」
そういえば、ローズ様は侍女の陰口を聞いてしまったと話していた。
市井育ちのお姫様を敬遠する層は、まだ多いらしい。
「花屋の孫娘だったローズ様は、国民人気は高いんです。しかしながら、血筋を重んじる一部の貴族からは反感が目立ちます。彼らの口を表向きだけでも封じるには、わかりやすい貢献度があればいいということになりまして。自分たちが世話になるかもしれない特効薬をローズ様が中心になって育てているとしたら、滅多なことは言えませんからね」
城の上層部が考えそうなことだ。
「苦労が絶えませんね、ローズ様。あんなにがんばっていらっしゃるのに」
天真爛漫な笑顔は、本当にお美しい。
守ってあげたくなる人だと、女の私でも思う。
毎日そばにいたら、アレンもローズ様に特別な感情を持ってしまうのでは。守りたくなるような女の子、可憐なお姫様。なんといっても絶世の美女……。
あぁ、またモヤッとしたものが。
小さな不安と嫉妬が、胸に巣食う。
いつかアレンが私に見向きもしない日が来てしまったら。あの笑顔を、私以外の人に向ける日が来たら。
ううん、そうならないためにもがんばらないと。うじうじ悩んでいる時間があるなら、少しでも彼の役に立てるよう努力しなきゃ。
嫌な考えを振り切りたくて、私は笑顔を無理やり作ってみせる。
「サミュエルさん、私は大丈夫ですから。あなたこそ、どうか諸事お気をつけて」
「あぁ。そろそろ投資の方に仕事の比率を移そうと思ってるところだ。もうバカに巻き込まれるのはうんざりだからな」
「さすがに、賭博の借金を誘拐して返済しようなんて人はそうそういないと思いますよ?」
「そう願うよ」
サミュエルさんは用事が済むと、すぐに控室を出て行った。
帰り際、思い出したように彼は言う。
「そういえば俺も薬師の村に商いがてら行こうと思うんだが、あの化け物のぬいぐるみを気に入ってるんだってな。何ならいくつか仕入れてきてやろうか?」
まさかのキノコ増殖!?
何体も欲しいものではないんだけれど、それにしてもいつから私があれを気に入っているということに?確かに安眠グッズにはなっている。だとしても、何体も欲しいと思えるほどかわいくはないわけで……。
「売れそうだと思うなら、仕入れてきてください。私はもうあの1体で十分ですが」
そう答えると、サミュエルさんが死んだ魚みたいな目を向けてきた。
「あんな趣味の悪いもん、将軍以外に買うやついねぇよ」
失礼ね。
アレンは別にあれを見て選んだわけじゃないのに。
「ルードさん、ユンさんにどうですか?」
なにげなく隣を見てそう尋ねた。
しかし、やや被せ気味に返された答えは辛辣だった。
「あんなものをユンさんに贈って、私にぶん殴られろと?」
「そんなにだめですか?あれ」
キノコの魔除けは、不評だった。
奇数日更新ですので、明日も更新があります。




