デビューで瀕死になる妹
舞踏会が始まってすぐ、歓談中の人の輪がさーっと引いて道ができたと思ったら、深紅のドレスを纏ったヴィクトリア妃殿下が登場した。
艶やかな黒髪はすっきりと結い上げられ、薄茶色の瞳は切れ長で凛々しい。
胸元が大きく開いたセクシーなドレスは、細かなレースが上品で、妖艶さと気高さを感じさせる見事な衣装だった。
「さすが、サロン・エドモンドのドレスだね~」
「っ!」
私の背後からスッと現れたのは、紺色の正装姿のアルノーだった。今日はスタッド商会のお兄さんの名代として参加すると事前に聞いていたけれど、突然背後から現れるのはやめてほしい。
「王妃様御用達になるのは、道が遠そうだなぁ」
「そんなことないわよ。とても素敵よ?お姉様のサロンで仕立てていただいたドレス」
自分が着ている紫色のドレスに目をやると、シャンデリアの光を浴びてドレープの生地がキラキラ輝いていてとても美しい。サロン・エドモンドは王妃様や高位貴族の間で昔から愛されているけれど、お姉様のサロンもかなり勢いがあって人気が広がっていると聞く。
アルノーは私の隣にいたルードさんとも挨拶を交わし、私たちにシャンパングラスを渡してくれた。
私は彼にニーナを紹介し、今日がデビューなのだと説明する。
「はじめまして。ニーナ・リンドルと申します」
かわいらしくカーテシーをする姿を見ると、成長したなぁと親バカならぬ姉バカな気分になる。
アルノーは温和な笑みを浮かべ、お決まりの褒め言葉を並べ立てた。商家の息子は口達者で褒め上手である。
そんな彼に対し、ニーナは少しだけ頬を染めて「お世辞でもうれしいです」と答えていた。
うん、騙されてはいないみたいでお姉ちゃんは安心したよ?
お世辞がうまい人は、それだけ女性と知り合っているということだからね?
「さすがはソアリスの妹君だね、しっかりしているよ」
「ふふっ、ありがとうございます。姉のこと、今後ともよろしくお願いしますね?」
「あぁ、よろしく頼まれるよ」
アルノーは王都での保護者みたいな存在なので、両親も彼のことは非常に信頼している。
父にとって、アルノーは親商会のご子息ということもあり、できればニーナをもらって欲しいみたいな雰囲気も醸し出していたがやんわり躱されていた。
ニーナにも「私と結婚しても、先方に利益がなさすぎるわ!」とばっさり切られていたので、父はしょんぼりだった。親心としては娘の良縁を……と必死になるのはわからなくもないが、嫁いだ後にニーナが肩身の狭い思いをするのはかわいそうだと私は思う。
シャンパンに口をつけ、煌びやかなドレスの花が舞う舞踏会の様子を眺めていると、ルードさんがそっと私に耳打ちをしてきた。
「そろそろです」
グラスを給仕の人に手渡し、ニーナの化粧や髪形、ドレスに乱れがないか確認する。
「練習通りにね?ニーナ」
「わ、わかった……!」
純白のドレスのチュールをぎゅうっと握り、深呼吸する妹は小動物のよう。これから王妃様から直々にお声かけいただくというヤラセに挑むのだ、緊張するのは無理もない。
王妃様は私たちと面識はないけれど、ルードさんが私の隣にいるので彼を目印にやってくる。
王妃様にお声かけいただくということは、「この娘は素晴らしい女性ですよ」という保証みたいなパワーがあるという。体面を重んじる貴族にとって、それはとても栄誉なことなのだ。
アレンの義妹だからといってそんなズルをしていいのか、と思わなくもないが、王妃様は実際に「働いて家計を支える逞しい子爵令嬢」なニーナを気に入っているんだとアレンから聞いた。そして、私のことも。
元騎士である王妃様は、逞しい女性が好きなんだそうだ。
私も初対面なのでドキドキしていると、王妃様は予定通り私たちのそばへやってきた。
「久しぶりですね、ソアリス・ヒースラン。ニーナ・リンドル。よく顔を見せてちょうだい」
これまでにも交流があったかのようなお言葉。
私たちはスッと顔を上げ、麗しい王妃様のお顔を見つめる。第一印象は厳しそうな方だと思ったけれど、ふっと微笑んだその顔は慈愛に満ちていた。
「今宵は、ニーナのデビューでしたね。はるばる王都まで、よく来てくれました」
「もったいなきお言葉にございます」
唇がヒクヒクしているけれど、ニーナは噛まずにどうにか返事をする。
母は少し後ろで、ハンカチを手にして涙ぐんでいた。40代の母は、国王陛下と王妃様のご成婚パレードを若いときに見ているので、私たちよりもさらに王妃様への尊敬の念が強い。
自分の娘が王妃様からお声かけいただく日が来るなんて、と今にも泣き崩れそうなほど喜んでいるのが伝わってきた。
「本日は非公式の場です。それほどかしこまらずとも、ゆるりと過ごしなさい」
「「ありがとうございます」」
ここでゆるりとできる精神力があれば、私たちは本当にどこでも生きて行けるでしょう。
残念ながら、震えが止まらない。
しかしここで、王妃様がさらなる贈り物を繰り出した。
そう、予想外すぎる贈り物を……!
「ジェイデン、こちらへ」
「「!?」」
ジェイデンとは、王太子様のお名前だ。
ノーグ王国では一般的な名前でめずらしくないけれど、王妃様が呼ぶジェイデンは……。
「これはお美しい姫君たちですね」
まさかの本物の王子様!!
王妃様の黒髪とお顔立ち、そして陛下の碧眼を受け継いだ正真正銘の王子様!
身長は185センチほどで、御年18歳。陛下から厳つさと恐ろしさを除いた美青年だ。そのあまりの美しさに、ニーナが「ひぇっ」と悲鳴をかすかに漏らしたのがわかった。
王女宮で勤めていても、ジェイデン様に会うことはない。王子宮へ行くことも絶対にないので、式典以外で喋って動いているお姿は初めて見た。
王妃様がわざわざ王太子様を呼んだ、ということは……。もうこれは気絶してもいいと思う。
「ジェイデン、今日はニーナの記念すべき日です。2人でダンスを」
「はい。光栄です。ニーナ嬢、ぜひお相手を」
「…………」
妹の意識は、ない。
ぴしりと固まってしまっていて、目は開いているけれど焦点が合っていない。
「ニーナ、ニーナ!しっかり」
「はっ!?」
呼びかけると意識を取り戻したけれど、麗しい王子様から手を差し出されている現実に耐え切れず、またもやニーナは意識を飛ばした。
こうなるのも無理はない。
だって「王子様みたいな人と踊ってみたい」なんて邸で話していたけれど、まさか本物の王子様に会えて、ダンスのお相手を務められるなんて誰も想像していなかった。
ニーナはまるで夢遊病者のように王子様の手を取り(というより強引に掴まれ)、ふわふわとおぼつかない足取りでダンスの輪へと入っていった。
「もしやニーナは男性が苦手でしたか?年頃の令嬢であればジェイデンと踊りたがると思い込み連れてきましたが、いらぬ世話だったかしら」
ヴィクトリア妃は、ぎこちなく踊るニーナを見て苦笑した。
私はハラハラしながら妹を見守り、王妃様に謝罪する。
「申し訳ございません。あまりの栄誉に動転し、あのようなことに……!」
王子様にリードされたニーナは、顔を真っ赤にして俯きながら踊ってる。眩しくて顔が見られないんだろう。
わかる、わかるわニーナ。いくらアレンで美形耐性がちょっとついていても、また違ったタイプの美形だものね。しかも王子様だし……。
王妃様はニーナの様子を見て、幼子を見るような目で微笑んだ。
「デビューの日、あのようになる娘はよく見ます。本当に、かわいらしいものですね。わたくしにはあのような時代はありませんでしたが、愛らしい娘たちを見ると心が和みます」
「そのように温かいお心を向けていただけるなんて、本当に何と申し上げていいのか……」
雲の上の人すぎて王妃様の人となりは知らなかったが、とても心の広い方でよかった。
「こちらが先にそなたに申し訳ないことをしたのです。陛下がご自身の顔が怖いことを忘れ、そなたに負担をかけた詫びはこれでも足りないでしょう」
「いいえ、めっそうもございません。こちらが勝手に勘違いを」
陛下が怖すぎて、別れろと言われていると勝手に思い込んだのだ。それに予約の取れないレストランで食事をさせてもらったり、ニーナの衣装で光っている宝石をいただいたり、十分すぎるほど詫びていただいた。
「まさか、王子様と踊れる栄誉まで」
没落子爵家にこんな転機が訪れようとは。
ちなみに、母は号泣して周囲に迷惑がかかりそうだったので、父が早々にテラスへと連れて行った。
「栄誉かどうかは、ニーナの心次第ですが。迷惑をかけたなら、わたくしがすまないと申していたと伝えてくださいな。ふふっ、それにしてもアレンの言った通り、ソアリスは妹想いのよき姉です。わたくしも、故郷の姉を思い出しました。いつまでも仲のいい姉妹でいなさい」
「はい。ありがとうございます」
颯爽と歩いて行くヴィクトリア妃は、凛としたダリアを思わせる風格だった。
ノーグ王国の女性たちが憧れる強さを持つ、まさに理想のお妃様。あの国王陛下の伴侶であることが、ものすごく納得できる。
「素敵ね……」
私を含め、周囲の女性たちは見事に王妃様の後ろ姿に見惚れていた。
しかしアルノーの言葉で、現実に引き戻される。
「なんていうか、金持ちの優しさってだいたいハタ迷惑なことが多いんだけれど、王妃様もここまでするかっていうくらいに手厚すぎる謝罪をぶつけてきたね~」
「ちょっと、失礼よアルノー」
「言葉で謝るのは王族の権威が失われる、とか何とか周りがうるさいから、王妃様なりにできる限りのことはしてくれたんだろうね」
だとしても、申し訳ない。
そもそも私が勝手に勘違いして、アレンに泣きついただけなんだから……。
「これ以上、妙な謝罪が来ないといいね」
「その予言めいたこと言うのやめてくれる?」
アルノーはあははと笑っているが、私はまったく笑えない。
じとっとした目を向けていると、周囲の人たちが私たちをちらちらと見ているのに気づいた。
「ソアリス、そろそろルードさんと踊らないと。将軍にほかの男とは踊るなって言われているんだろう?」
「何で知っているの?」
「何となく。え、やっぱりそうなんだ?」
予想してしかも当てておいて、ちょっと引くのはやめてほしい。
「アレンは心配性なのよ」
「そういうことにしておこうか」
いってらっしゃい、という風に手をひらひら振られ、私はルードさんから差し出された手を取った。
「一曲お願いいたします。奥様」
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします」
ちょうどニーナがこちらへ戻ってくるタイミングで、私たちは入れ替わりにホールの中央へ進んでいった。




