噂話はだいたい誇張されている【後】
ニーナはルルーカさんと年が近いということで、すぐに親しげに会話を始めていた。
貧乏子爵家の次女と、公爵家の一人娘。身分差はあれど、表面的なものではなく打ち解けているのを感じられて姉としてはホッとした。
社交界デビューは結婚相手を探すためだけれど、ニーナは王都に知り合いがいないから、こちらで友人ができたらそれはそれで好ましい。
両親も同じ考えらしく、楽しそうに笑い合うニーナとルルーカさんを見てうれしそうにしていた。
「もしかして、アレンは宰相様のお嬢さんをニーナに紹介してくれようとして……?」
隣の夫を見上げれば、彼は静かにうんと頷いた。
「こちらに知り合いがいた方がいいと思ったんだ。ルルーカ嬢が明るく穏やかな性格なのは知っていたから。ニーナと友人になってくれたら、と思ってこの舞踏会をデビューに選んだ。第一、そうでもなければむやみにソアリスを宰相様に紹介したりしない」
「え?」
「人に会わせる機会が増えれば増えるほど、ソアリスの素晴らしさに気づく者が増える。必要がなければ、君を誰か紹介したくない」
アレンの言葉に、宰相様がクックッと笑いを漏らす。
「うちに息子がいたら、きっと紹介してもらえなかっただろう。副宰相のところは未婚の息子が2人もいるから、『妻に会わせたくない』とばっさり言い切られておったわ」
「そんなことが……!?」
アレンの過剰な護りは、国の重鎮たちを驚かせているんだとか。
「ソアリス夫人をひと目でいいから見てみたいと、誘いはあまた届いているだろう?だがこやつは、一度たりとも言い返事を寄越していない。私的な催しに呼ぶことができたのは、我が家が初めてだ!」
誘いが来ていたことすら、私は知らなかった。
ヘルトさんがすべてを仕切っていて、招待状はアレンが目を通して却下しているんだろう。ちらりと隣を見上げると、気まずそうに目を逸らしていた。
私に何も教えず、誘いをすべて断っていたから気まずいんだろう。
別に怒ったりしないけれど、宰相様が言うにはものすごい数の招待状が来ていたというのだから、それを私がまったく知らずにいるのは相手に失礼なのでは。
参加しないなら参加しないで、お詫びの返事もしないといけないだろうし。ヘルトさんがうまいことやっていてくれそうだけれど、せめて教えて欲しかったわ。
「アレン?」
「…………報告を怠ったのはすまない」
業務連絡みたいに言われて、私はふっと笑いを漏らす。
「守ってくれているのはわかりますが、そんなに心配してくれなくても大丈夫ですよ?それに、断るなら断るで私にもお返事を書くお手伝いをさせてください」
ただでさえ、アレンは睡眠時間が短いのだ。
最近は早く帰ってくるとはいえ、彼でなくてもできることなら私も手伝いたい。
「今度からは、ちゃんと教えてくださいね?」
「…………怒らないのか?勝手に招待状を捨てたこと」
え?捨てたの?
それはダメなんじゃないかな!?
いや、でもアレンが捨てていても、ヘルトさんがフォローしてくれている可能性はある。帰ってヘルトさんに確認しよう。
「お返事もせずに捨てたのですか?」
「いや、主要人物には返事をした」
「主要人物」
アレンの基準がわからないから、その主要人物が誰が見当もつかない。
「それは困ったわね。きちんとお返事をして最低限の礼儀は守っておきたかったのに」
「ソアリスの手を煩わせる者は敵だ。返事などいらない」
「もう、アレンったら」
もしかすると、私が一度「将軍の妻は重荷だ」なんて言ったから、それを気にしているの?
たくさんの招待状を見たら、私が逃げたくなるんじゃないかって心配してる?
今はもう、アレンの妻としてがんばろうって思っているのに。彼はわりと繊細なところがあるから、まだ気にしているのかもしれない。どうすれば信じてもらえるのか。
困っていると、宰相様がまた大きな声で笑って言った。
「たまには怒らなければいけませんぞ、ソアリス夫人。この男は執着が過ぎる。これでは先が思いやられるわ」
せっかくの忠告も、アレンは眉根を寄せて聞く耳を持たない。
私の肩を抱き、真っ向から反論する。
「妻は私のすべてですから」
「アレン、あなた何を……」
やめて!人前でそんなこと宣言しないで!宰相様はちょっと引いている。
奥様と娘さんは楽しそうで何よりだけれど、私は恥ずかしすぎて俯いてしまった。
もう何か言うと墓穴を掘るだけだ。
このまま黙ってやり過ごそう。
宰相様は苦笑いでアレンに言った。
「その様子なら、ほかの女に目移りすることはなさそうだな」
「当然です」
何を当然なことを、とでも言う風にアレンは答えた。
しかしここで、奥様が扇を手にちらりと宰相様を見る。
「どなたかと違って、アレンディオ将軍は浮気の心配がなくて素敵ねぇ。おモテになるのに、ご立派だわ~」
「……もう時効だろう。許せ、マーサよ」
宰相様は若い頃に浮気をしたのね?
奥様の視線が冷たい。
しばし睨んでいた奥様だったが、今度は私に向かって爽やかな笑顔を向けた。
「ソアリス様、万が一アレンディオ将軍がよそ見をしたら、ぜひわたくしに連絡してね?とっておきの復讐を教えてさしあげるから」
「復讐、ですか?」
小首を傾げると、奥様は意味深にふふふと笑った。
「復讐しても何も生まないとか、意味はないっていう人もいるけれど、私はとーってもすっきりしたわ。覚えておいて、復讐はすっきりするって」
「は、はい……?」
とーってもすっきりする復讐って、それはどんな内容なのかしら!?
宰相様が蒼ざめているから、よほど恐ろしい復讐を受けたに違いない。
でも、アレンは誠実な人だから浮気なんて……
しないといいな。
夫の顔を見て、私は小さく笑った。
「アレンを信じていますから、大丈夫です」
「うふふ、そうね。それが一番よね」
私の方が愛想を尽かされないように、がんばらなくては。見た目はそんなに底上げできないけれど、私と結婚してよかったとアレンにも思ってもらいたい。
「長く引き留めて悪かった。もうすぐ王妃様も到着なさるだろう。舞踏会を楽しんでくれ」
「ありがとうございます」
宰相様へのご挨拶が終わると、私たちは控室を出る。
アレンは廊下まで来て名残惜しそうにしていたけれど、舞踏会が終わったら一緒に帰ろうと声をかけるとうれしそうに笑って頷いてくれた。
「ソアリス、ダンスは……」
最後に思い出したようにそう言われ、私はふっと笑って言った。
「ルードさんとお父様としか踊りません。ほかの方からお誘いはないでしょうが、アレンの心配には及びませんよ?」
誰とも踊らないのは、舞踏会を楽しんでいないということになり失礼に当たる。だから、今日だけはルードさんと父とは踊っていいとアレンが渋々認めていた。
ルードさんは「心が狭すぎます」って顔を顰めていたけれど、私だって知らない人と踊るのは嫌なので実はアレンの束縛がありがたいのだ。
「いってきますね」
「あぁ、気を付けて」
そういうとアレンは私を引き寄せ、一瞬だけ触れるキスをした。
「楽しんで、俺の平和の女神」
「!?」
人前で……!!
しかも両親もニーナも見ている前で……!!
固まっている私を見て、アレンは満足げに微笑んでいる。
扉の前にいた警護の兵は、気を遣ってくれてわざとらしくあさっての方向を見ていた。
「ルード、ソアリスを絶対に一人にするな」
「かしこまりました、って奥様!?」
一刻も早く消えたくて、私はドレスの裾を両手で抱えて走り出す。
ルードさんが追ってくるのはわかっていたから、振り返りもせずに廊下を駆け抜けた。
体力のない私は、どうせルードさんを撒けない。
角を曲がったところで壁にもたれ、両手で顔を覆っていたところをすぐに追いつかれた。
「奥様、ご無事ですか?」
「無事じゃないです」
メンタルが瀕死です。
もうおうちに帰りたいです。
ルードさんは苦笑いを浮かべ、私を気遣いように会場までエスコートしてくれた。
「心中、お察しいたします。追われる側は気苦労が絶えませんよね……」
「ルードさん、今度ゆっくりお話しましょう」
謎の一体感が湧いていた。




