将軍モードの夫は怖いです
執務棟の裏口。
強めの風が吹き抜けるここで、私たちの無意味な睨み合いは行われていた。
けれどそれは、ヘンデス様の真後ろからやってきたアレンによって終止符が打たれる。
「何をしている」
黒い隊服に黒いマント、紅い宝石のついた勲章がきらりと輝く凛々しい姿の夫は、私たちを見て眉根を寄せた。
「アレン!」
「「アレン様」」
サプライズで差し入れを持ってきたのに、まさかここでアレンに見つかってしまうなんて。
アレンはヘンデス様を一瞥すると、すぐに私の方へ歩いてきた。
「どうしてここへ?これから邸へ戻ろうと思っていたところだ」
「あ……」
ヘンデス様と私たちの間にずいっと割り込んだアレンは、まるで彼がいないように振舞った。それがさらにヘンデス様のプライドを傷つけたようで、その顔は怒りで真っ赤になっている。
本来であれば、将軍のアレンがここに登場した時点で、ヘンデス様は下がって礼を取らなければいけない。無視されようが睨まれようが、彼に文句を言う権利はないのだ。
でもアレンを敬う気持ちがまったくないヘンデス様に取れば、今の状況は屈辱的なものだろう。
「ソアリスがいるような気配がしたから来てみれば、まさか本当にいるとは思わなかった」
「気配?」
冗談かしら。それとも本気?
「いつもより空気が軽いような気がした」
「空気が?それはどういう……?」
尋ねようにも、アレンはそのご尊顔を蕩けさせ、私の右手をそっと持ち上げると唇を寄せた。
「会えてうれしいよ。外で見るソアリスもまた愛らしいな」
「っ!」
今朝も一緒にいたのに、そんなに喜ばれると困る。しかも愛らしいだなんて、もう22歳の立派な大人に……。
しかもユンさんたちもいるのに、恥ずかしすぎる!
「で?なぜここへ?」
私の手を自分の頬に当て、優しい眼差しでアレンは問う。
愛情過多な言動に気が遠くなりそうだったけれど、とりあえずここへ来た目的だけでも話さなくてはと無理やり気合を入れた。
「差し入れを持ってきたのです……!アレンと、特務隊の皆様に」
「甘い匂いがするな」
アレンは私の左手にあるバスケットに視線を落とす。
そして私の手を解放すると、当然のように腰に手を回した。
「とにかく中へ入るか。ここは棟と城の間だから風が強い。ソアリスが風邪を引く」
くるっと背を向けたアレンに向かい、ヘンデス様がとうとう切れた。
「待て!」
「なんだ、おまえは」
私の腰を抱いたまま、アレンは不機嫌そうに彼を睨む。
ユンさんが、すかさず「例の謹慎騎士です」と告げる。
するとアレンは私を広い背中に隠し、ヘンデス様から完全に見えないようにした。
「ソアリスの視界に入るな。また謹慎にされたいか。その態度だと、まったく反省していないのだろう」
「はっ、権力に物を言わせるのか?さすがは卑怯者の集団のトップだな」
負け惜しみのようにそう言うヘンデス様に向かって、アレンは不思議そうに言う。
「権力?あるものは使って何が悪い。バカをいちいち説得するのか?そんな手間と時間をかけるくらいなら、俺は妻を愛でたい。忙しいんだ」
ひぃぃぃ!!
アレンが堂々ととんでもないことを宣言した!
一瞬で顔に熱が集まり、私は苦い顔でアレンの腕をひっぱる。
「あの、もう行きましょう?これ以上は……」
私が羞恥心に殺されます。
けれどアレンは違う意味で受け取った。
「すまない、こんな奴と一緒にいたくなかったか」
「なっ!?」
火に油を注ぐアレン。しかし横からさらに燃料が投下される。
「この無礼者が、さきほど奥様の腕を掴もうとしました。もちろん防ぎましたが、それからも謝罪はなく、あろうことかアレン様がアカデミーの入学試験で不正をしたと嘘まで吐いて、奥様がそれはそれはお心を痛めておいでです」
ユンさん、私は心を痛めていませんよ!?
あぁ、アレンが冷えたオーラを急激に放っていく。
「ソアリスに嘘を吹き込み、傷つけるとは……!」
「アレン!私は傷ついていません!そんな嘘、まったく信じてもいませんから!!」
誰かー!ルードさーーーーん!!
敷地内で殺傷事件が起きそうですよー!!
心の中でそう叫ぶも、悲しいかな仲裁役は誰もいない。
ヘンデス様が今すぐ謝り倒してくれれば何とか収まるかもしれないけれど、彼はまったく引くそぶりを見せなかった。
「おまえは確かに不正をしたはずだ!家庭教師もいないのに、トップになれるはずがないんだ!本当ならヘンデス侯爵家の息子である私がトップになるはずだったんだ!」
すごい逆恨みだった!
あまりにお粗末な事情に、開いた口が塞がらないとはこのことだなと思った。
「証拠はある!おまえが入学しなかったことが何よりの証拠だ!!」
「「「は???」」」
私たちの声がハモった。入学しなかったことが証拠だなんて、とんでもない妄想証拠だわ。
あまりの言い草に、アレンの怒りのオーラも少々鎮まる。どうしたのか、と見上げると、彼は残念なものを見る目でヘンデス様を見つめていた。
「…………ジョナス殿が気の毒になってきた」
アレンが隊長さんの心配をしている。こんな部下を持ってかわいそうに、とその表情にしっかり浮かんでいた。ユンさんも「そうですね」と悲しそうな顔に変わる。
「差し入れ、近衛の待機室にも持っていきますね」
「あぁ、そうしてくれ」
「おいっ!私を無視するな!何とか言ったらどうなんだ!!」」
今のうちに逃げたらいいのに、とさえ思ってしまった。
私はアレンの腕を掴んだまま、万が一にも剣を抜かないよう縋りつく。
「うるさい。ソアリスが怯えているだろう!」
怯えてません!怖くて縋っているのではありません!
誰か、もう本当に助けて!!
私のメンタルは瀕死だった。
ジャックスさんは「奥様、元気出して」と小声で話しかけてくるが、笑いを堪えているのがわかる。
そして引っ込みがつかなくなったヘンデス様は、今度は私に矛先を向けた。
「英雄将軍のくせに、女の尻に敷かれるなど情けないにもほどがある!やはり将軍など、過大な評価だったのだ。はんっ、尊い血筋の私を敬いもしない、おまえに似合いの女だな!」
「似合い、か。今さら機嫌を取りに来たのか?」
「誰が!おまえにはその程度のブスが似合いだと言っているんだ!」
「っ!」
あぁ、神様。
もっとしっかりアレンの腕を捕まえておくべきでした。
――ガシッ!!
「んがっ!」
気づいたときにはもう遅い。
アレンは長い腕をまっすぐに伸ばし、なんと素手でヘンデス様の顔面を掴んでいた。
そして背後にあった円柱状の巨大な柱に押し付け、殺気だった顔で彼を睨んでいる。
「おのれ……ソアリスを侮辱するのか」
「アレン!」
顔面蒼白の私は、とても近寄ることができない。
心臓が早鐘のように打ち、アレンがこのままヘンデス様を殺してしまうのではと不安がよぎった。
「アレン様、いけません!撲殺なら密室で!」
「ユンさん、違う。止めてください!殺さないで!!」
そうしている間にも、ヘンデス様の頭は柱に押し付けられてグリグリメリメリと嫌な音を発している。
「ぐぁっ……!やめろ、騎士同士の私闘は禁止されているだろう……!?」
「問題ない。これは私闘ではなく、騎士則違反での処分だ」
「なっ!」
「あぁ、決闘の方がいいか?処分なら惨殺はできないが、決闘ならはずみで惨殺してしまっても許されるだろうからな」
アレン、それはさすがに許されないのでは。はずみで惨殺って何!?
ここでとうとう限界を迎えたヘンデス様は、必死で決闘を避けようと言い訳をした。
「やめて、くれ……!私は、縁故採用だから、決闘は、無理、だ」
え?縁故採用だと実力がないの?
ただしアレンは、そんなことでは見逃してくれない。
「問題ない。入隊基準をクリアしている近衛騎士だ、相手に不足はない。それに俺はもともと一般志願兵だ。むしろ貴様の方が上ではないか?」
「あがっ……!」
謝ってー!
今すぐ謝ってー!!あなたが助かる道はそれしかない!
オロオロする私に向かい、ユンさんがそっと耳打ちする。
「ソアリス様、こういうときのアレですよ」
「アレ?」
そういえば、アレンが暴走したらこう言えってずっと前にアドバイスされていたような。
「え、本当に言うんですか?」
「はい。お早く」
迷っている時間はない。
1人の命がかかっている。それに、絶対に勝てるとわかっていても決闘なんてして欲しくない。
私はそそそっとアレンに近づき、もうどうにでもなれと勢いよくその腰にぎゅっと腕を回して抱きついた。
「アレン、さみしいです。私にかまってください……」
「!?」
パッと手を離したアレンは、ゆっくりと振り返る。
その向こう側で白目のヘンデス様がずりずりと地面に崩れ落ちるのが見えたけれど、よそ見をしている場合ではなかった。
私なんかの上目遣いでどうにかなるのかしら、とほとほと疑問ではあるものの、ユンさんの指示通りに行動する。
「早く、行きましょう?ね?」
コテンと首を傾げる角度は、こんな感じでよかったのかな!?
こんな風に甘える仕草はやったことがないから、もう1つパンが欲しいときのニーナのおねだりをイメージしてやってみた。
「ソアリス、放っておいてすまなかった!」
「きゃぁぁぁぁ!!」
ぐぇっと獣のような呻き声が漏れるほど、きつく抱き締められる。
「ソアリスに危うく殺されるところだった。そんな風にねだられては、心臓が潰れるかと思った」
こっちは今、現在進行形で内臓が潰されそうです。
「俺の妻が世界一かわいい。こんな奇跡がこの世にあるとは」
アレンは私の頭にスリスリと頬を寄せ、それが終わるといきなり抱き上げる。
「きゃっ……!?」
「一緒に昼食をとろう。ソアリスとの時間は1秒たりとも無駄にできない。さぁ、行こう」
「は、はいっ」
膝裏に手を回され、私の目線はアレンよりもやや高くなる。
思わず放り出してしまったバスケットは、ジャックスさんが見事にキャッチしてくれた。ユンさんにそれを手渡すと、気絶しているヘンデス様を乱暴に引きずる構えを見せて私たちに手を振る。
あ、送り届けてくれるんですね?
よろしくお願いします!
「食事をしたら、街へ寄ってみよう。ソアリスに似合いの靴を買って、一緒に歩きたい」
「え?靴ならちゃんとありますよ?今日はヒールでもないですし」
「父が君にプレゼントしたんだろう?俺も君に靴を贈りたい」
「あ……、覚えていたんですね」
数か月前、アレンにそんな話をしたことがあったなぁと今さら思い出す。
どうやらアレンはずっと靴のことを気にしていたらしい。記憶力がいいというか、繊細というか。思わず苦笑してしまう。
買ってもらってばかりで気が引けるが、断るのは無理だろうな。
アレンは私を抱えたまま、執務棟の中へ入って行った。
「あの、えっと」
「ん?」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
尻すぼみになる声だったけれどしっかり聞こえたみたいで、アレンはパァッと顔を輝かせた。さっきまで殺気を放っていた人とは思えない変わりようである。
けれどここで私の羞恥心は限界だった。
「下ろしてくださいぃぃぃ」
両手で顔を覆い、半泣きでお願いする。
「職場でこんなことをしては、将軍の威厳というものが」
「問題ない。皆忙しいから、家族がここへ来ることは一部の部屋に限って認められている。家庭円満は職務遂行に繋がると、元帥閣下のお言葉だ」
心が広すぎるでしょう、元帥閣下。
今はもう半分引退していると聞くけれど、騎士団のルールを作っているのは元帥閣下らしい。
アレンは渋々ながら私を下ろしてくれたけれど、大きな手で私の肩を抱きよせてごきげんに歩いて行くのだった。




