将軍の妻は屈しません
赤レンガの壁に沿い、甘い香りのするバスケットを持った私たちは足早に進む。
騎士団の訓練場を通り過ぎ、執務棟まではもう少し。アレンに内緒でやってきた私は、ドキドキしながらユンさんとジャックスさんに挟まれて歩いていた。
サラサラと水の流れる人工の小川を横目に、差し入れを持ってきたと知ったアレンは驚いてくれるだろうかと期待に胸を高鳴らせる。
「予定より遅くなってしまいましたね」
ユンさんが苦い顔で言った。
今日は何かしらの物資の納品が多かったのか、通用門への1本道が混雑していた。顔パスならぬ馬車パスだった私たちだが、予定よりも大幅に時間をオーバーしてここへ到着した。
「アレン、もう訓練は終わったのかしら」
「そうですね、おそらく執務棟へ入られたかと」
「入れ違いになったら悲しいわね。せっかく内緒で来たのに……」
アレンのことだ、きっと執務棟で残務をさっさと片付けて邸へ戻るつもりだろう。それこそ、昼食も取らずに。
一緒に暮らし始めて約4か月、何となく夫の考えることがわかってきた。
「カツレツとチーズのサンドウィッチを用意してもらったのに」
アレンに会えなかったら、私たちが帰りの馬車で食べるはめになってしまう。
何としてもアレンに会わなくては。ジャックスさんが私に気を遣って、いつもより早い速度でずんずん進んでいく。
すれ違った何人かの騎士は、「何事だ?」と驚いていた。まさかサプライズ差し入れのために、私が必死の顔つきで早歩きしているとは思うまい。
だがこんなときほど、アクシデントは発生するもので。
もうすぐで執務棟の裏口という場所で、会いたくない人に遭遇してしまった。
「これはこれは、何のご用でしょうか?」
急ぐ私たちを目ざとく見つけたのは、近衛騎士のリヴィト・ヘンデス様だ。ローズ様と出会ったときに、私に言いがかりをつけて3日間の謹慎処分になってしまった、あの方である。
グレーに近い銀髪を後ろで1つに結んでいて、人を見下したような表情は相変わらず。
今日も近衛の深い緑色の騎士服に剣をはいている。
尊大な態度と口調、嫌味な顔つきでなければそれなりの美形なんだけれど、どうにも底意地の悪さを感じるので苦手だ。
けれど、私は将軍の妻だ。どんなに嫌な相手でも、ニコニコと笑顔を貼り付けてやり過ごすに限る。
…………と、思っていたのだが、一歩前へ出たユンさんがいきなり喧嘩を売った(買った?)。
「まずは名前と階級を名乗りなさい。無礼者」
「なっ!?」
ひぇぇぇ!!
ユンさんったらどうしてそんなに強気に出たの!?
まるで彼よりも私の身分が高いような言い方だ。
「無礼なのはおまえだ!」
「はーん?謹慎明けの無礼者に、無礼だと言われる筋合いはありませーん」
「ぶはっ」
完全にバカにした口調のユンさん。そして耐え切れずに噴き出したジャックスさん。
私はサーッと血の気が引くのを感じた。
しかしユンさんは強かった。激昂する近衛騎士に冷たい目を向け、淡々と言葉を紡ぐ。
「ここは騎士団の管轄です。階級や実力がすべてと忘れましたか?ここにいるジャックスと私は将軍直属の特務隊、つまり一級騎士。かたや無礼者様は、近衛の二級騎士。出自や家柄は関係ありませんので、私たちのことは上官と同じ態度で接するのが礼儀です。それに、こちらの方はヒースラン将軍の奥様ですよ。気安く声をかけていい存在ではありません」
え、待って。どうしてそうなるの?私はただの妻で、騎士じゃないから階級なんてないし、この中では一番低位では?
オロオロしてユンさんとジャックスさんの顔を窺うが、2人は堂々と胸を張っていた。
どうやら私の地位は、何の実力もなくても上位らしい。
ヘンデス様はわなわなと怒りに震えているが、ユンさんに反論はできないようで二の句が継げずにいる。
ユンさんは「わかればよろしい」というオーラで、冷酷かつ麗しい笑みを浮かべて騎士の隣をすり抜けようとした。
私は困ってしまって眉尻を下げつつも、アレンが帰ってしまうといけないのでパタパタと駆け足で彼の横を通り過ぎた。
ところがそのとき、キッと私を睨みつけたヘンデス様が突然私の腕を掴もうと手を伸ばす。
「待て!」
「きゃっ……!」
驚いて肩を竦めると、その手が届く直前でユンさんのサーベルがヘンデス様の手を突き刺す勢いで割って入った。
「っ!」
「奥様への暴行は許しません!」
切っ先をヘンデス様に突きつけるユンさんは、私を背に庇い殺気を放つ。
か、かっこいいいいいいい!!
そんな場合ではないと自覚しつつも、あまりの凛々しさにキュンと胸が高鳴ってしまった。
物語の騎士様みたい!
子どもの頃、主人公のピンチを救ってくれる騎士様に憧れていた時期があったけれど、ユンさんはまるでその騎士様みたいにかっこよかった。
思わず熱視線を送ってしまう。
ヘンデス様はぐっと押し黙り、じりじりと後ろに下がった。
「暴行などするつもりはない!」
彼の顔には焦りが滲んでいた。
それを察したユンさんは、笑顔でさらにサーベルを突きつける。
「それを誰が証明するのかしら~?ここには私たちしかいないから、奥様に暴行しようとしたって訴えればあなたはよくて辞職、悪くて禁固刑よ?ふふふ、どうやって苦しめようかしら~?」
あれ、正義の騎士じゃなかった。
暴行をねつ造して残酷な刑を執行しようとしている。
私の方が慌ててしまい、ユンさんの背に縋って止めた。
「ユンさん!もういいです、もういいですから!」
「こういう羽虫は初期段階で潰さねば」
「誰が羽虫だ!」
睨み合う2人。
どうにか止めて欲しいと思いジャックスさんを見ると、「処刑日和ですね」と朗らかに笑っていた。お願いだから、仲裁に入って欲しい。呑気に笑っている場合じゃありませんよ!?
しかしここで、ヘンデス様は私にターゲットを変更し、まるで負け惜しみのように言った。
「何が将軍の妻だ、偉そうに」
偉そう!?私、偉そうなことした!?
困惑していると、さらに相手の態度は増長した。
「英雄の妻は知っているのか?あいつがかつて、アカデミーの入学試験で不正をしトップ合格を掠め取ったことを」
「え?」
この人は何を言っているんだろう。
唖然としていると、ヘンデス様はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「あいつは不正がバレて、アカデミーには入学できなかったんだ。そんな卑怯な男が英雄だ?将軍だ?バカバカしいにもほどがある」
「不正って……」
アレンがアカデミーに行かなかったのは、騎士になるって決めたからと聞いている。
合格発表の日、詳しくは知らないけれど喧嘩をして傷だらけになったところで私と出会い、騎士になろうと決めたと言っていた。
第一、アレンが不正をするなんて考えられない。
ユンさんもジャックスさんも同じ気持ちだったようで、三人揃って「それはないんじゃないかな」と首を傾げた。
「アカデミーでトップ合格すると盾が贈られ、将来の地位が確約される。あいつはその栄誉を金で買ったんだ」
そう嘲笑うヘンデス様は、アレンが不正をしたと嘘をついているのではなく、本当にそうなんだと信じ込んでいるように見える。
私はそっとユンさんの手に触れ、サーベルを下げてもらい、まっすぐにヘンデス様を見つめて言った。
「アレンディオ様は、そんなことしません」
「ほぉ、夫を信じていると?」
「ええ。彼はまっすぐな人ですから」
きっぱりと言い切った私を見て、ヘンデス様はぎりっと歯噛みした。
蒼褪めて涙を浮かべるとでも思ったのだろうか?そんな風に思われていたのなら心外だ。
「私の夫は誠実な人です。それに、アカデミーの試験で不正をするというのはどう考えても無理でしょう。先生方は賄賂を受け取るような方々ではないと聞きます。あなたの言うことが真実であると、その証拠はどこにあるのですか?」
「それはっ……!」
「証拠もないのに不正をしたとおっしゃるのなら、それはアカデミーの先生方のことも貶める嘘です。誇り高き近衛騎士であるならば、まずは証拠を掴み、訴訟機関に提出するべきではないでしょうか?」
しかも、入学試験でトップになったからといって学費が免除されるわけではない。当時、名誉ならヒースラン伯爵家にはすでにあったのだ。名誉をお金で買うなんてことは、どう考えてもしない。
そもそもあの当時のヒースラン伯爵家は、成り金子爵家の娘である私を妻として迎えるほどに困窮していた。お金を払って名誉を買いたかったのはリンドル家の方で、ヒースラン伯爵家ではない。動機がなさすぎる。
「私は将軍の妻であると同時に、王女宮の金庫番です。怪しいお金の流れがあるなら、徹底的に調査します。なんなら、教育部の方に事実確認を依頼してみましょうか?その場合は、あなた様に査問員会から呼び出しがあると思いますので、証拠の提出をお願いいたしますが……」
ヘンデス様は絶句し、私を睨みつけるだけになってしまっていた。
きっとこの人は将軍の妻にあらぬことを吹き込んで、傷つけたかったんだろう。もしかして、将軍が妻を溺愛しているっていう噂を本気にして、夫婦仲を拗れさせようとした?
いや、もう本当にね。そんなことわざわざしてくれなくても、こっちはとっくに拗れまくったんだから!これ以上の波風はごめんだわ。
この人がアレンを嫌っているのは伝わったけれど、こんな低俗な嘘を吐くなんて近衛騎士としてあるまじき行為だと思う。
だんだんと腹が立ってきた私は、ヘンデス様に再度宣言した。
「アレンディオ様は、絶対に不正なんてしません!」
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