英雄は真正面からぶった切る
「お呼びでしょうか」
午前の業務が終わってすぐ、アレンディオはローズに呼び出されて王城の一角にいた。
ここは、王妃・ヴィクトリアが故郷の花々を集めた庭園。城を挟んで、騎士団とは真逆の位置にある。
(早く帰りたいんだが……)
今日の訓練は、近衛からの要望で急遽予定にないものを組んだ。ソアリスが休日なのだから、アレンディオが早く帰りたがるのは無理もない。
訓練を終え、常人では考えられない速度で書類仕事を片付けると、食堂で昼食も取らずに帰るつもりだった。
そこへローズからの呼び出しとなると、アレンディオは顔にこそ出さずとも己の不運を嘆いていた。
「王妃様が、見頃の花が散る前にここの花を配ってもよいと。それで、ヒースラン将軍にはいつもお世話になっていますのでぜひ持って帰っていただこうと思ったのです」
庭師が整えた花を、器用な手つきで花束にしていくローズ。アレンディオはそれをじっと見つめ、ふと表情を和らげた。
「光栄です。妻が喜ぶと思います」
ノーグ王国では見たことがない、淡いピンクと濃いピンクの花弁が交互になっているユリ。これならきっと、ソアリスも喜ぶに違いない。
今朝、キスをしたことで真っ赤な顔で目を合わせることもできないほど動揺していた妻を思い出すと、自然に口元がほころぶ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
王族所有の庭園で、王妹自ら花を下賜する。
これは一部の高位貴族には、大層な栄誉とされる。ソアリスは社交をほとんどしないが、そんな妻にも栄誉なことになるに違いないというのはアレンディオにもわかった。
礼を述べて受け取ると、ローズは不思議そうにアレンディオの顔を見た。
(この人、ちゃんと笑うのね……。なんてきれいな男の人なのかしら。花が好きなの?ソアリスさんの言っていた優しい人だっていうのは、本当かもしれないわね)
王妹はまた違った方向で解釈したのだが、アレンディオにとってはどうでもいいことだった。
「呼び出してごめんなさい。本当は昼食をとりながらお話もしたかったのだけれど、補佐官さんから『将軍は本日午後はどうしても外せない予定があります』って聞いたからまた今度お願いしますね」
「お気遣いくださり、ありがとうございます」
ルードの根回しは完璧だった。
これで昼食を、と言われれば「業務外です」ときっぱり断っていただろう。それによってローズが恥をかかされたと激怒することもないだろうが、万に一つということもある。
それに、騎士は守秘義務という建前が使えるので、その絶対に外せない予定というのが妻の顔を見にすぐに邸へ戻るという予定だったとしても内容を教えなくて済む。
アレンディオは遠巻きに立つ近衛らに目で挨拶をすると、ローズと共に庭園を出た。
居住区に繋がる扉の入り口まで送り届けたら、お役御免となる。
庭園から続く道はどこも美しく彩られていて、花屋の孫娘だったローズはここが好きだと話した。
「おじいちゃん、おばあちゃんは元気にしているかしらって毎日思います。将軍は、ご両親はお元気ですか?」
ローズは愛らしい笑みを向ける。
アレンディオは相変わらずの無表情で、護衛らしい態度と距離感でさらりと答えた。
「父は領地で息災です。母は私が10歳のときに亡くなりました」
「そうなんですか。私と一緒ですね。私も小さい頃に母を亡くしました。祖父母が親代わりで育ててくれたので、淋しいと思うことは少なかったですが、今も母が生きていたらどうなっていただろうってたまに思います」
先王の御手付きになり、秘かにローズを産んだメイド。聞くところによれば、ローズに似てとても美人だったらしい。肖像画すら残っていないが、その信ぴょう性はローズを見れば真実だとわかる。
アレンディオは、少し淋しげに笑うローズを見て少しだけ同情した。
(確かソアリスも、1人で王都へやって来たのは16歳の終わりだと言っていたな。親元を離れて1人で働き始めるなど、きっと心細かったに違いない。王妹殿下のように故郷を思い出し、心を痛める日もあっただろうな)
自分のそばで、幸せそうに笑う妻。離れていた間、どれほど苦労をしたのだろうとアレンディオは思う。
そして思った。
今すぐ帰りたい。
ソアリスに淋しい思いを少しもさせたくない。
だが任務を放棄するわけにはいかない。
たとえ、妻が今ごきげんで騎士団へ向かっていようともアレンディオはそんなことを知る由もない。
今も淋しげに笑う庶民育ちのお姫様は、寄る辺ない雰囲気を放っていた。
(王妹殿下がもっと心安らかに過ごせる相手が必要だな)
気づけば哀れみを含む声で、感情を漏らしていた。
「殿下もお辛かったでしょう。けれど、フィリップ陛下は異母兄とはいえ血のつながった兄です。もっと甘えてみてはいかがですか」
突然の提案に、ローズはぎょっと目を瞠った。
「陛下に、甘える……?」
あの顔の怖い陛下に、甘える?この人は一体何を言っているのだろう、ローズは困惑の色を浮かべる。
(え、無理だわ。怖いもの。しかも国王陛下ってノーグ王国の一番偉い人だし、兄だって言われても40歳だし……。お父さんって言われた方がまだ素直に受け入れられたかもしれないわ)
「か、考えてみます」
それきり会話がないまま、二人は歩き続けた。
そしてローズがもっと話を広げようとしたそのとき、大きな丸い柱の奥で侍女たちが立ち話をしているのが目に入った。
(ローズ様の侍女か。友人候補として侍らせていると陛下から聞いたが、あまり親しくはなさそうだな)
侍女2人は、ローズとアレンディオが近づいてきたことに気づかない。死角に近い位置でお喋りをしているのは、あえてサボっているのだろうなとアレンディオは思う。
侍女を咎めるのは業務のうちではないので、そのまま通り過ぎるつもりだった。
が、ここで思わぬ言葉が耳に入ってしまう。
「ねぇ、今日もまた散歩でしょう?花ばかりご覧になられて、下町暮らしを引きずっているなんて困ってしまうわ。言葉遣いをごまかそうとしているに決まっています。いつになったら、きちんと社交ができるのかしら」
「そうですねぇ。それに未だにドレスの裾を踏んで汚すでしょう?きれいなのは見た目だけで、所作も何にも身についていらっしゃらないから、会話の途中でもつい気になってしまうわ」
名前こそ出さないものの、彼女たちが誰を嘲笑っているのかはすぐにわかった。
ローズは立ち止り、ぎゅっとドレスのチュールを掴んで俯いている。
「それにほら、手が未だに汚いわよね。爪の色が悪くて、お手入れも大変そう。やっぱり下賤な仕事をしていた人は、どれほど取り繕っても完璧にはならないわよね」
泣くまいと唇を噛むローズだったが、その眦にはじわりと涙が滲んでいた。
アレンディオは顔を顰め、長い脚でさっさと侍女たちの元へ向かう。
「あー、もうこれからまた話し相手をしなきゃって思ったら大変だ、わ……?」
ずんっと巨大な影が落ち、恐ろしい顔をした将軍モードのアレンディオに気づいた侍女は顔面蒼白となる。そして、その背後にいたローズの姿を見ると、さらに恐れおののいた。
「「ひっ……!」」
まるで獣にでも遭遇したかのような反応で、侍女はガクガクと震えている。
アレンディオは彼女たちに容赦なく鋭い目を向けると、静かに言い放った。
「散れ。二度と姿を見せるな」
「「あ、う、あ……!」
怯えて声も出ない侍女は、少しずつ後ずさる。
「おまえたちの着るものも、食べるものも、愛でる花もすべては誰かのおかげで手に入っている。下賤な仕事とは一体どういうことか。おまえたちが言う美しさなど、その心根の醜さが露見すれば何の意味もないものだ。少なくとも、俺にはおまえたちがとても汚らしい人間に見える」
それだけで人を殺せるかのような冷酷な目。厳しい口調でそう告げたアレンディオは、腰を抜かした侍女たちを放置してローズの元へ戻った。
ローズは涙をポロポロと零しながらも、アレンディオが自分を庇ってくれたことに呆気に取られていた。
(私のために怒ってくれたの?なんて優しい人。身分や出自に寛容な方なのね)
目の前に立つ男が、途端に怖くなくなってくる。
「これを」
渡されたハンカチを受け取り、そっと涙を拭う。
彼女たちとは仲がよかったわけではないが、話し相手として一定の信頼は置いていた。向けられてきた笑顔が全部嘘だったのか、と絶望すら感じる。
「ううっ……」
また涙がこみ上げてくる。
侍女の陰口に心を抉られ、気分はどん底だ。
(私が先王の娘だなんて、自分が一番信じられないもの。あの子たちがあんな風に言うのも当然だわ)
「すみません、みっともないところをお見せして。手が荒れているのは本当です。文字も汚いし、振る舞いも美しいとは言えないし……。食事のマナーもやっと10歳レベルだって言われました。やっぱり、下町で働いていたような私には王族なんて務まらないんです」
大好きな祖父母の笑顔が脳裏に浮かぶ。
どうしてこんなことになってしまったのか。ローズは、大声で泣いて喚いて逃げ出したい気分になっていた。
「優雅で美しいお姫様になんて、私はなれない」
アレンディオは泣き出したローズを見守るだけでしばらく黙っていたが、彼女が落ち着いてきた頃合いで静かに口を開く。
「働くことは、素晴らしい」
「え……?」
顔を上げると、そこには幾分か表情を和らげたアレンディオがじっと自分を見下ろしていた。
その目には、子どもに向けられるような慈愛の色が感じられ、普段との違いにどきりとする。
「誰かのために、懸命に働くことは尊い行為だと思います。それに、何かに向けて努力する姿勢は美しい。それこそ、顔貌や育ちの良さなんかよりもずっと周囲の人間の心を掴むものだと思います」
「ヒースラン将軍……」
アレンディオは、妻がたびたび夜更かしをして社交や貴族のしきたりについて勉強をしていることを知っていた。今度、領地での披露目や妹のデビューがあるからだ。
それに、これから先は少しずつ社交の機会が増える。将軍の妻という役割にこだわらなくていいとは言ったものの、ソアリスは彼女なりにアレンディオのために役に立ちたいと知識を増やそうとしていた。
ヘルトやユンリエッタには「あまり無理をさせないように見張ってくれ」と頼んでいるが、ときおり眠そうにしているのを見ると愛おしくて堪らなかった。どうにかして甘やかしたい。「何もしなくていい」と言い続けてはいるが、自分のためにソアリスが何かしようとしてくれていることがうれしいと感じていた。
「学ぼうとする姿勢や、誰かを思いやる心は大切です。働く姿も、一生懸命に学ぼうとする姿も、人を美しく見せるものです。あなた様の言う『美しいお姫様』がどんなものか私にはわかりませんが、花屋の娘だったことを恥じることなど何一つありませんよ」
ローズは涙に濡れた瞳で、アレンディオを見つめる。
(花屋で働いていたことを蔑んだりしないのね?がんばっている姿は、美しいと言ってくれるのね?)
(働く妻は誰より美しい。だから働いていた過去を安心して誇ってください)
涙が止まったローズを見て、アレンディオはそっと歩みを促す。あまり遅くなっては、遠巻きにこちらを窺っている近衛たちも心配するだろう。声までは聞こえてないので、さきほどから困った顔でこちらを見ている。
少し歩き始めたところで、ローズが上目遣いに尋ねた。
「あの、ヒースラン将軍。これからは、アレン様とお呼びしてもいいでしょうか?」
この人は信頼できる人だ、ローズはそう感じていた。もう怖いとはまったく思えず、優しい人だと思えた。
アレンディオは突然の提案に目を瞬かせる。
そしてそう長く時間を置かず、はっきりと答えた。
「お断りいたします」
「…………なぜ!?」
距離が近づいたと思っていたローズは、驚きで目を瞠る。
「王妹殿下に愛称で呼ばれるなど恐れ多いです。それに妻に不安を抱かせたくないので」
きっぱりと断られ、ローズは絶句していた。
そういえば愛妻家らしい。そんな噂を思い出し「そうですか」と言って苦笑する。
「愛称で呼びたいなら、近衛騎士から何人か見繕っておきましょう。侍女があの様子では、友人づくりはまだ時間がかかりそうですが、近衛であれば愛称で呼べる関係性が築けると思います」
「あの、侍女がダメだったから将軍を友人にしようっていうわけでは……」
ここでローズは自分でも「ん?」と疑問を抱く。
(私ったらなぜ将軍のことを愛称で呼びたいと思ったのかしら……。そうよ、さっき陛下が異母兄だって話になったから、陛下じゃなくて将軍がお兄様だったらよかったのにってそんな気がしたんだわ)
ここまであっさり断られるとは思わなかった。ローズはがっかりしつつも、こんな風に裏表なく本音を言ってくれるアレンディオにすっかり心を許した。
「では、お兄様って呼んでもいいですか?」
これにはさすがのアレンディオも、ぷはっと軽く吹き出した。
「お断りいたします」
「ですよね」
ローズはクスクスと笑い、ハンカチで涙を拭った。
「愛称のことは、お忘れください。私も、奥様に不安を抱かせることは望みませんので」
こんなにまっすぐに愛されるなら、どれほど幸せだろう。ローズは、かの「将軍の妻」に理想をみる。
「あぁ、そうです、陛下に伝えておきましょう。きっとお喜びになりますよ、ぜひ陛下のことを名前で呼んであげてください」
「え!?………………お断りいたします」
「それは残念です」
二人の会話はそれきりだったが、確かにこれまでよりは和やかな空気に変わっている。
「参りましょう」
「はい」
アレンディオはローズを連れ、足早に通用口へと向かっていくのだった。
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