将軍は怖がられていました
授業という名のおしゃべりは順調に続き、気づけば早くも1時間ちょっと経っていた。ここでシフォンケーキやぶどうなどの果実盛りがテーブルにセッティングされ、休憩を経て解散ということになる。
「ソアリスさんにも食べてもらいたくて、休憩の時間を早めてもらったの」
顔を綻ばせるローズ様は、ため息が漏れそうなほど愛らしい。
私もにこりと笑い、ありがたくお菓子をいただくことに。
ティーセットの準備されたテーブルへ移動すると、どこからかやってきた給仕係の人にそっと椅子を引かれ着席を促される。至れり尽くせり、厚遇されているのを実感する。
「あれから、マナーと食事の時間は分けてもらえたんです。だから、お昼もきちんと食事はいただいています」
えへっと笑うローズ様。幸せそうで何よりだ。
そもそも学んだばかりのマナーを実践しながら食事というのは、気が休まらないはず。王族なんだから「できて当たり前」というのは酷だと思った。
「おいしいですね、このケーキ」
甘いクリームはふわふわで、文官用の食堂のスイーツより数倍は手が込んでいるのがわかる。
ローズ様も満面の笑みでケーキを頬張り、感情を顔に出し過ぎるところや一口が大きすぎるところに侍女長の顔つきは芳しくないものの、今は見逃してくれるらしい。
「そういえば、ソアリスさんはどう思われました?廊下にずらーっと並んだ騎士さんたちのこと。すごいですよね」
ローズ様がふとそんなことを口にする。
「私が一度いなくなったりしたものだから、護衛の数が増えちゃって」
しょぼんと肩を落とす姿は、いけないことをしてしまったと自覚はあるけれど現状に不満もあるようだった。
「もう逃げたりしないのに、しばらくはこのままなんだそうです」
「そうですか……」
毎日、四六時中あの騎士たちに囲まれているのかと思うと、私も気が滅入りそうだ。かといって、一度逃げてしまったんだからしばらくは我慢するしかない。
「早く信頼回復できるといいですね」
苦笑いを浮かべていると、ローズ様はちょっとだけ声量を落として秘かに言った。
「ソアリス様は、さっきヒースラン将軍と一緒にここまで来ましたよね?どうでした?」
質問の意味がわからず、私はティーカップを置いて小首を傾げる。
「どう、とは?」
「将軍ってものすごく怖くないですか?」
「怖い?」
目を瞬かせる私を見て、マルグリッド様や侍女長はぎょっとしていた。
あぁ、ローズ様は気づいていない。私が、ソアリス・ヒースランであることに……。その怖い人の妻だということに……。
「怖くなどありません」
そう答えると、ローズ様は腑に落ちないという風に眉を顰める。
「そうなんですか?私は怖くて仕方がないんです。いつも無表情だし、がんばって話しかけても必要最低限のことしか返ってこないし……。威圧感もあるし」
それはそうだろうな、と私は笑うしかなかった。
任務中の騎士はそんなものだろう。ニコニコしているのはルードさんくらいだが、彼の場合は笑っていても気が緩んでいるわけではない。
「任務中の騎士は、皆様そのような感じだと思いますよ?私もあまり詳しくはありませんが、笑顔の彼らを見ることはほとんどありません」
「そうなんですね~」
ルードさんから聞いた話では、アレンの存在は周囲への牽制だという。市井育ちの王妹様を、表立って批判する者が出ないように。だから、そのお役目を全うするには威圧感たっぷりの恐ろしい男でいた方がいいはずだ。
「あの、ローズ様。そのあたりで……」
これ以上、アレンの話をすると私が怒るかもしれない。そんな風に察した侍女長が、紅茶のお代わりを注ぐタイミングでスマートに話を遮断する。
が、ローズ様は止まらなかった。
「将軍って、いっぱい人を殺しているんですよね。だから、やっぱり怖いのです」
「「「!!」」」
ピシッと空気が凍るような気がした。
ローズ様以外の3人は、この発言に思わず息を呑む。
16歳という年齢は、大人でもなければ子どもでもない。成人年齢は16歳だが、実際には判断力がついているとはいいがたい。けれど、王妹として救国の英雄にこの発言はダメだ。
侍女長とマルグリッド様は、ガクガクと震えながら私を見る。
私からアレンへこの話が伝われば、きっとただでは済まない。そう思っているに違いない。
どうしたものか、と思ったけれど、私はローズ様に率直な気持ちを伝えることにした。
「さきほども申しましたが、私はアレンディオ様を怖いとは思いません。彼はとても優しい方なんですよ?」
「そうなんですか?」
静かに頷く私。ローズ様は、無邪気な子どものように私の話に耳を傾ける。
「戦は、悲しいものです。ローズ様がおっしゃるように、アレンディオ様や騎士の方々は敵国の兵と戦い、命を奪うこともありました。けれどそれは、私たちの代わりに戦ってくれたに過ぎないのです」
「私たちの代わり……ですか?」
「誰も好き好んで、人を傷つけたいとは思いません。でも戦では、戦わなくては大切な人を守れないのです。本来であれば、私たちも自分の手で自分の大切な人やものを守るべきなのでしょう。残念ながら、多くの人にそんな力はありませんが……。だからこそ、騎士の皆様が私たちの代わりに苦しみや痛みを肩代わりして戦ってくださったのです」
アレンや騎士たちは、その手を汚してもこの国を守ってくれた。
何が正しいかは私にはわからないけれど、彼らのおかげで私たちの命や誇り、生活は守られていると思う。
「アレンディオ様は将軍にまでなった方ですから、その苦労は想像を絶するものがあったでしょう。きっと騎士の中でも、多くの痛みを背負ってくれたのだと思います。私はそんな彼を誇りに思いますし、これからは幸せになって欲しいとも思います」
物語の騎士様なら、戦地から戻ってきた後はすんなり幸せになれるかもしれない。
けれど、アレンは戻ってきても私がいるのを夢じゃないかと思ったり、夜中に不安になって確認しにきたり、完全無欠の理想の騎士様なんかじゃなかった。
彼の心に平穏が訪れるまでには、きっと途方もない時間がかかる。
今だって涼しい顔をしていても、その奥底には哀しみが潜んでいるのかも。
だからこそ、私はアレンに誰よりも幸せになってもらいたいと思う。
「ローズ様の御心はローズ様のものですから、どう思われるかはあなた様次第です。私の意見は偏ったものに過ぎませんので、そのまま信じる必要はありません。ただ、どうか彼の本質を見抜いてください。どのような人物なのか、信頼に値する者なのか、知っていただけたらと思います」
「はい……」
ローズ様は、しゅんと肩を落とした。
悲しいかな、純粋で無垢な街娘ではいられない。自分が王妹であり、発言には注意しなくてはいけないと気づいて欲しい。
アレンや騎士たちを怖いと思ってしまう彼女に悪気はないのだろう。
貴族子女や街娘の中には、戦いに身を置く者を野蛮だと感じる人もいると聞く。
いくら私がアレンの素晴らしさを説いたところで、実際に深く関わってみなければ印象が変わることはない。
人の心は、簡単には変えられないものね。
ローズ様のお気持ちを私にどうすることもできないけれど、ただ、アレンが好き好んで人を斬ったのではないと知って欲しかった。
冷えた紅茶をいただくと、部屋の中に気まずい沈黙が落ちる。
視線をティーカップからローズ様に移すと、さきほどとは打って変わって何かを思い立った顔つきになっていた。
「私、がんばります!」
「え?」
何を?
思わず目を瞬かせる。
「将軍のことをしっかりと見極められるように、どんどん話しかけてみます!ソアリスさんのおっしゃるように、もしかしたらいい人かもしれませんし!きっと、がんばって話しかけたら少しは会話してくれるはずですよね!あ、騎士の皆さんにたくさん話しかけて、一人一人がどんな方で何を考えているのか知りたいです!がんばります!!」
「ローズ様!?」
「そうだわ!私も剣を習ってみようかしら?そうすれば、戦う人の気持ちがわかるかもしれないもの!」
「あの、それは絶対におやめください」
ふんっと気合を入れる王妹殿下を見て、侍女長がついに額に手を当てて目を閉じた。「違います、そういうことではありません」とその姿が物語っている。
控えていたマルグリッド様は、私が怒っていないことにホッとしていた。
ただしその顔は、侍女長と同じく苦悶に満ちている。
「ほどほどに、お願いいたしますね……?」
困惑する私たちをよそに、ローズ様は天真爛漫に「はい!」と返事をした。
大丈夫、よね?
おかしなことになったりしないよね?
かすかな不安が胸に生まれるも、まだ何も起こっていない以上どうしようもない。
侍女長さんにがんばってもらうしかない。
引き攣った笑いを浮かべていた私は、定刻に迎えに来てくれたジャックスさんと共にローズ様の部屋を後にした。




