大役を仰せつかる妻
夕食の後は、約束通りサロンでまったり過ごしながら本日の報告でも……と思っていたところ、まさかのルードさん登場で私はちょっとだけホッとした。
アレンと2人きりになると、どうしてもさっきの続きの話にもなりそうだったから。
「ようこそいらっしゃいました!」
救世主でも現れたかのような反応に、ルードさんがじとっとした目でアレン様を見る。
「喧嘩でもしたんですか?こんなに奥様に歓迎していただけるなんて。今度は何をやらかしたんです」
「今度はって何だ。第一、まだ何もしていない」
不愛想モードに入ったアレンは、さっさとサロンへ向かってしまった。
まだ、何もしていないってどういうことかしらね……?何かする気なのでしょうかね……?
私はユンさんとルードさんと共に、後からサロンを目指す。
丸テーブルには色とりどりのお菓子が並び、ヘルトさんがレモングラスのハーブティーを淹れてくれた。
ルードさんがやってくることはすでに連絡が来ていたらしく、アレンにいたっては元から知っていたそうな。
「えっと、どのようなご用件でしょう?アレンとはこれから話をする予定でしたので、まだ何も聞いていないのです」
4人だけになったサロンで、私はそう切り出した。
ルードさんはお茶を一口飲んだ後、柔和な笑みで話し始める。
「奥様が王妹殿下を見つけてくださったのは、近衛からの報告で聞いています。食糧貯蔵庫からの移動中に、迷っていたローズ様を見かけて声をかけたということでお間違いないでしょうか」
私は「はい」と頷いた。
「この件に関しては、すでに決着がついています。近衛は外からの襲撃に警戒していて、まさかローズ様がいなくなるなんて思ってもみなかったようです。自分たちの警護のやり方を顧みて、現在は猛省中です」
王族が自分から逃げ出すなんて、これまでの数十年でなかっただろう。
まさか窓から王妹殿下がいなくなるとは、近衛騎士はさぞ肝が冷えたと思う。
「今日の午後からは、近衛騎士だけの当番だったんです。私たちは騎士ですから捕虜を逃がさないために内側の警戒も日頃からしているんですが、彼らは純粋な警護要員ですので……」
「外からの襲撃だけに備えていたんですね」
とはいえ、騎士団からの護衛メンバーも王族の警護なんて初めてのこと。何かと思うようにいかないことはあると言う。
「捕虜なら繋いでいればいいし、牢や隔離部屋から動かないんでラクなんですけれどね。まさか、王族の方に対して逃走しないように衣服を剥いでおくこともできないですし」
うーんと唸るルードさんが怖いことを言い出したので、アレンがすかさず制止した。「ソアリスの前でそんな話はよせ」とアレンは顔を顰める。
「これは失礼を。そもそもの話にはなるのですが、王妹殿下があそこまで憔悴するような教育予定を組んだのも間違いでした。生まれながらにして王族の暮らしをしていた姫君たちと、同じように日々を過ごせるわけがないのです。ですが、教育係筆頭のシェリー夫人やアメルダ女史は、ローズ様の戸惑いや不安に寄り添うことができませんでした。『王族なんだから、これくらいできて当たり前。やって当然』という考え方が根底にあったようです。陛下は、妹君を思いやれなかったとお心を痛めておいででした」
陛下はお優しい方なんだなぁ。
顔は怖いけれど。
王族に仕えるような人たちは庶民の暮らしを知らないし、成人してから教育を受けることになった者はいない。
手探り状態で始まった教育が、王妹殿下には過酷すぎたんだろう。
「ローズ様は、城に上がってからずっと怯えているような様子でした。まずは暮らしに馴染むことから始めればよかったのですが」
「そうですね……」
王女宮のはずれで会った、儚げな王妹殿下の姿を思い出す。可憐で、美しくて、寄る辺ない不安を抱えたお姫様。これからは少しでも笑顔の時間が増えて欲しいと願う。
気を落とす私を見て、アレンがそっと手を握ってくれた。
「ソアリスがローズ様を見つけてくれてよかった。いくら教育予定が厳しかったとしても、逃げ出したということが広まれば姫にとって害にしかならない。捜索の第一段階で見つかったから、騎士団や近衛でも一部の者だけが知ることとして処理できた」
「私は何も。ただ、迷っているとおっしゃったので近衛騎士の方がいらっしゃるまでおそばにいただけですから」
ここで私は、はたとクッキーのことを思い出す。
「ルードさん。王妹殿下はクッキーについて何かおっしゃっていましたか?」
内輪だけでも話しておいた方がいいだろう。アレンには話すつもりだったし。
案の定、ルードさんは何も聞いていないと言った。王妹殿下は黙っていてくれたんだ。
お腹を空かせていたローズ様にまかないクッキーをあげたことを話すと、ルードさんはぷはっと噴き出して笑った。
「あはははは、構いませんよ。毒見もなさったならなおさら」
「よくない。ソアリスが毒見など……!」
アレンは顔を顰めるけれど、毒なんて入っていないとわかりきっていたから食べて見せたのだ。さすがに不審物を毒見する度胸はない。
「今後は、さすがに控えていただけると助かります。ソアリス様に何かあった場合、私たちが諸々を隠蔽することになりますから」
「隠蔽……?私を逮捕じゃなくて?」
「はい。例え奥様が人を殺めたとしても、私たちはそれを隠蔽します。それが将軍の妻です」
「!?」
え?冗談ですよね?
ゆっくりと首を傾げると、ルードさんも同じ方向に首を傾げ、にっこりと笑った。
いやいやいや、笑い事じゃありませんよ?
私って人を殺しても隠蔽してもらえるの?もらえるっていう表現もおかしいけれど……。
「冗談、ですよね?」
「そうですね、諸々のところは冗談です。何があっても隠蔽します、の方が正しいかと」
「そっちですか!?」
怖い。
将軍の妻の権力が怖い。
「そんなことしません……!皆さんに隠蔽なんてさせたくないです」
怯えていると、アレンが私の肩をそっと抱き寄せた。
「はい、そこ。自然に奥様に触らない。話の途中ですよ」
「妻に触れて何が悪い」
「アレン様の気がそぞろになるからです。反論できますか?」
「…………」
しばらく黙ったアレンは、すっと姿勢を正して元の位置に戻った。
ユンさんは静かに頷いている。「それでよし」とばかりの反応だ。
なんだか、アレンが一番の問題児みたいな扱いだわ。
将軍なのに……。
おかしくなってクスッと笑ってしまう。
「えっと、まぁ本日の報告のすり合わせはそんなところなんですが、私が来たのは奥様への依頼がありまして」
突然のことに、私はきょとんとしてルードさんを見つめた。
「ご依頼、とは何でしょう?」
何か頼まれるようなことがあったかな。
アレンを見ても、まだ何も聞いていないようだった。ちょっと不機嫌そうに眉根を寄せているから、初耳だと思われる。
「実はですね。ローズ様が奥様のことをいたく気に入られたようでして、ぜひともご自身の教育係の一員に加えて欲しいとご要望がありました」
「え!」
「なっ!?」
私も驚いたけれど、それ以上にアレンが大きな声を上げた。
「教育係って、私がですか!?私は、王族の方に何かを教えるほどの教養なんて持ち合わせておりません!ただの金庫番の人間ですから……」
「あぁ、それはもちろんそうなんですが、実は算術や書き取りを教える枠がありまして。内容は十歳前後のものと考えていただければよろしいかと」
ルードさんによると、必要最低限の各教科を3段階に分けた教育をしているらしく、私にやってもらいたいのは算術と書き取りの初級だという。
王妹殿下は花屋の商売に必要な読み書きと計算しかできず、特に書き取りに関しては花の名前や挨拶程度しかできないのだとか。
「私がそんな大役を……?」
「十分に務まりますよ?何より、勉学の成果よりもローズ様のお心を癒す存在になっていただきたいと申しますか、要は利害関係のない話し相手が欲しいというのが本音です」
「話し相手、ですか」
あのかわいらしい殿下の話し相手と言われると、断る理由もないように思える。
「ソアリス、断ってもいいんだぞ?」
「えっと、どちらにしろ私だけでは返事はできません。金庫番の仕事を抜けられるのか、そのあたりを長と話し合わなくては」
何と言っても、私はしがない勤め人だ。自分で自分の予定を組むことはできない。休みを返上してアレンとの時間を削ってまでやってみたいとは思わないし、あくまで調整がつくならということになるだろう。
ところが、有能補佐官はすべて話を通していた。
「大丈夫です。金庫番の方は近衛からすでに話が伝わっていると思います。詳しいことは明日、奥様に長と話し合っていただくことになりますが、先方としては繁忙期にかからなければそれでいいとすでに返答が」
「早っ!もう受ける方向で話が進んでいるわ!」
どちらにしろ、王妹殿下からの直々のお誘いだから私に拒否権などない。
「まぁ、私としては金庫番とアレンを優先できるならお断りする理由もないですし……」
「ですよね!ありがとうございます!アレン様も護衛でいますから、顔を合わせる回数は増えると思いますよ?」
それは公私混同では!?
アレンだってさすがにそれは望んでいないはず。
「ねぇ、アレンはどう思います?」
念のため尋ねると、彼は苦い顔をした。
「俺は反対だ。ソアリスの身体に負担がかかったらと思うと心配だ。それに近衛には近づけたくない」
「近衛に?」
そういえば、今日会った騎士の一人は敵意を向けてきた。あぁいうことが頻繁にあるんだろうか。
「近衛と騎士団はあまり仲がよろしくないのですか?」
隊長さんはいい人そうだったけれど。
私の質問には、ルードさんもユンさんも苦笑いで頷いた。




