王妹と不愛想な将軍
夏の終わり。清々しい青い空は高く、雨が降る日はかなり少ない。
しかしどういうことか、今日は薄曇りでどんよりとした空が広がっている。
王城へ入った王妹・ローズは、自分のこれからが暗雲に満ちているかのような気分になっていた。
到着してすぐ、侍女たちにあれでもないこれでもないと衣装を着替えさせられ、慣れない豪華なドレスを纏い、踵の細い靴を履き、兄だと教えられた国王陛下・フィリップと謁見した。
従僕になる男性と侍女たちから教えられた、付け焼刃のカーテシー。それをみっともないと咎めることもなく、国王は異母妹に温かな目を向けていた。が、周囲から見れば鋭い目を向けて妹を睨む兄という構図にしかなっていない。
ローズはあまりに顔が恐ろしい異母兄を前に、今にも失神しそうな状態であった。
「それは我が妃の選んだドレスだが、よく似合っている。妹を迎えることができて幸いだ」
「はい……あ、ありがとうございます」
王都の花屋の娘でしかなかったローズは、もともとその名が知れ渡るほどの美貌だった。飴色に近い金の髪はふわふわのウェーブ、澄んだ空のように青い瞳はキラキラと輝いている。
白い肌にほんのり赤い唇、おとなしそうな雰囲気は庇護欲をそそる。ドレスに着替えたローズは、どこからどうみても可憐な姫君だった。
それだけに、凶悪な顔の持ち主である兄王の前でガクガク震える姿は周囲の同情を誘う。
(((あ~あ……かわいそうに)))
近衛や騎士らが見守る中、予定通り謁見を終えたローズは広い私室へと案内された。
これからここが自分の居場所になる。
想像をはるかに超える豪華な部屋、見たこともない煌びやかな衣装、楚々とした所作の侍女たち。これまで生きてきた16年間との圧倒的な環境の違いに、ローズは言葉を失った。
「ローズ様のお世話は、わたくし共にお任せください。どうか、なんなりとお申し付けを」
燕尾服を着た初老の男性は、代々王族の暮らしを支えてきた世話役・ゴドウィン。白髪まじりの50代は、和やかな笑顔でローズを迎え入れる。
「よろしくお願いします」
優しげな微笑みに、ホッとしたのも一瞬のこと。
続々とやってきた7人の男たちに、ローズは身を強張らせた。
その先頭に立つ騎士は、王都で知らぬ者はいないほどの有名人だ。
「本日より警護の任に就きました、アレンディオ・ヒースランです。どうぞお見知りおきを」
「はっ、はい……!」
屈強な男たちは、にこりともしない。
この部屋でただ一人、椅子に腰かけている王妹に向かい礼儀正しく整列している。
アレンディオとその少し後ろにいる騎士は黒い隊服を、ほかの5人は深い緑色の騎士服を纏っている。その違いが何なのかローズにはわからなかったが、彼らが全員ローズを護るために集められたことはすぐにわかった。
(あの人は優しそうだわ)
ローズはじっと、茶髪の騎士を見つめる。
視線にきづいた騎士がニコッと笑うと、侍女長がそれに気づきやや眉を顰めた。
(こんなにピリピリした空気じゃ、ローズ様がかわいそうだな)
侍女長にもにっこり笑って見せたルードは、ふんっと無視されても慣れたもの。自分が浮いているとは自覚があるが、それでも自分まで険しい顔で立っていると王妹殿下が泣き出しかねないと思っていた。
そしてそれは、当たっている。
これから毎日、この屈強な騎士たちに囲まれて暮らすのかとローズは怯えていた。
市井育ちのローズにとって、彼らの厳粛な雰囲気は重すぎて耐えがたい。すでに泣きそうになっている王妹殿下を前に、近衛やアレンディオらはどうしたものかと思っていた。
怯えさせたいわけではないが、護衛がへらへらしているわけにもいかない。
ルードは特殊で、彼らがそれをまねしたところできっとうまくはいかない。つまり、護衛が恐ろしいのは耐えてもらうほかない。
威圧感や鋭い空気は、それだけで牽制になるのだから。
「ローズ様の警護は、将軍や部隊長を筆頭に入れ替わりで担当いたします。近衛や騎士が補佐官含めて常に5名ずつ、御身に侍りますのでどうかご理解ください」
「わかりました……」
「お召替えやご入浴、お食事の際はまた別の者がおそばにつきまして、女性騎士もおりますのでどうかご安心を。何かご用やご質問がございましたら、そちらの侍女たちにお伝えください。殿下には、より健やかにお過ごしいただきたいと思っております」
近衛の部隊長・ジョナスの説明に、ローズはただただ怯えて頷いていた。
初日から騎士に囲まれてはさすがに息が詰まるだろう。そう考えたジョナスは、今日ばかりは部屋の外に3人、中に2人で配置を見直す。
「では将軍、本日の夕刻にまた」
「承知いたしました」
ジョナスの方が家格も年齢も上だが、アレンディオはノーグ王国の英雄。敬う姿を部隊長の自分が見せることで、部下たちがいらぬ軋轢を作らぬように牽制する。
アレンディオもそれがわかっているから、部隊長には最大限に敬う姿勢を見せた。
部屋の中にはルードとアレンディオだけが残り、侍女たちはローズのためにお茶を淹れたり、着替えを用意したり、今後の予定を説明したりと動きだす。
ローズはアレンディオのことをちらりと見ては目を逸らし、しばらくそれを繰り返していた。
(こんなきれいな男の人いるんだ……。パレードのときはブーケを売っていてまったく見ていなかったけれど、皆が騒ぐだけのことはあるなぁ。確かものすごい愛妻家なのよね。こんな人の奥さんって、どんな人なのかしら)
どれほど視線を送ろうが、アレンディオから反応が返ってくることはない。
(将軍っていうだけあって、さすがに強そう。でももっと粗野で荒々しい感じなんだと思っていたわ。意外にスマートなのね)
ひとしきりアレンディオを観察したローズは、ふぅっとため息を吐いた。
慣れないドレスにヒールの高い靴で、もう脚はクタクタだ。長い裾の中でそっと靴を脱いで指を曲げ伸ばししていると、年嵩の侍女長がコホンと咳払いで注意してきた。どうやら、見えていなくてもバレているらしい。
ローズはひぇっと肩を竦め、気まずそうに視線を落とす。
「本日は、陛下のお心遣いにより晩餐まで予定は入っておりません。ですが、急ぎテーブルマナーだけでもおさらいしていただきます」
厳しい声色に、ローズはまた泣きそうになった。
どうして王妹というだけで、祖父母と引き離されて城で暮らさなければいけないのか。贅沢できると喜ぶ気持ちはまったく湧いてこない。
もともとそこまで貧しい暮らしではなかったし、花屋の娘としての暮らしを気に入っていた。教養も何もないけれど、それでもいつかは好きな人と出会って結婚し、祖父母の手伝いをして夫と子どもと暮らすのだと思っていた。
それがまさか、王妹として城で暮らす日が来るなんて。
速やかに準備される白い食器とカトラリー。やりたくないと言ってもやらなければいけない。
ため息が出そうになるのをどうにか堪え、用意されたテーブルセットへ移動しようと立ち上がった。
しかし長いドレスの裾を踏みつけ、勢いよく身体が倒れ掛かる。
「きゃっ……!」
ヒールの高い靴では、踏ん張ることもできない。
ぎゅっと目を瞑ったローズは、これほどふかふかの絨毯ならば転んでも痛くないだろうと心の中で願う。
「大丈夫ですか?」
「あ……」
しかし身体が床に投げ出されることはなく、いつしかそばにいた男の腕がお腹に回されていた。驚いて見上げると、国の英雄が自分を支えてくれていた。
自分とはまったく違う、逞しい体躯に力強い腕。慌てて体勢を起こすと、彼は何も言わずに一歩下がる。
「ありがとうございました」
「ご無事で何よりです」
そっけない、義務的な言葉。見下ろす目は、無機質で何の感情もないように思えた。
(こ、怖い……!)
(ドレスに慣れるまで、せめて靴だけでもブーツにしてやればいいのに)
アレンディオは侍女長に視線を送るが、言いたいことがわかったのか「ダメです」と目だけで返された。
それを睨み合っていると捕らえたローズは、さらに委縮する。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「姫様?」
「わたくしが悪ぅございました……喧嘩はやめて……ごめんなさい」
半笑いで謝り続けるローズを見て、侍女たちは不思議そうな顔をする。この場には、誰も彼女のことをわかってやれる者はいない。
王侯貴族は、生まれたときから大勢の使用人に囲まれている。ただそれだけのことに、恐怖心や猜疑心を抱くなど想像もできないのだ。
「どうぞ」
仕方なく手を差し伸べるアレンディオ。なるべく威圧感は消しているつもりだが、ソアリスがいない場所でにこやかな顔ができるほど社交性のある人間ではなく、その作られたような美しい顔すらもローズを怯えさせる要因になってしまっていた。
おずおずとその手を取ったローズは、無言で席に着く。
その場にいた全員が、同じことを思っていた。
前途多難だ、と……。




