王妹殿下と将軍の噂
すっきりとしない曇天。今日は、いつもより肌寒い日だった。
金庫番の制服を着た私は、繁忙期が終わったので落ち着いて業務に臨んでいる。
納品書の確認のために厨房や侍女長室などを回り、王女宮と城の管理棟を行ったり来たりしていた私は、今日はなんだか周囲がそわそわしているなと感じていた。
「今日は何かあったのかしら」
王女宮は隔離された空間なので、王女殿下のおでかけがあったり、同盟国の視察団が訪れたりするとき以外は静かなものだ。
隣を歩くアルノーは、巡回の兵を見て「あぁ」と何か思い出したらしい反応を見せる。
「今日は王妹殿下が城へ上がる日だったんじゃないかな。近衛や騎士団の配置が変わってて、人が多いのはそのせいだ」
国王陛下とは約25歳も離れた、ローズ様とおっしゃる姫君。16歳の王妹殿下は、それはそれは美しい人だとすでに噂になっていた。
いずれは王女宮におられる2人の姫君とも、親しく交流なさるのかしら?
これまで面識はなかったけれど、一応は姪と叔母の関係になるのだから。
「今日だったのね。アレンはいつも通りだったけれど、そういえば何日も前にそんなことを言っていたような。市井育ちの姫が侮られないように、近衛と将軍で警護をするって」
王女宮はものすごく平穏で、身分差を理由にした露骨な嫌がらせや苛めはない。少なくとも、私が貧乏子爵家出身だということで、何か不利な扱いを受けたことはなかった。
ただ、国の中枢を担う人たちの中にはそういう人もいるとは聞く。上層部に近くなれば近くなるほど、身分による上下関係は厳しいらしい。
騎士団は、アレンが将軍という事実上のトップについたときから実力主義に大きく舵をとり、3年も経った今ではすっかりそれが定着している。けれど、近衛は戦地に赴かない王族の護衛であって、未だに身分による階級制が色濃く残っているとアレンが話していた。
英雄としてアレンを慕う者は多いけれど、近衛全員が一枚岩ではなく、個々の考え方や染みついた選民意識までは取り除けない。きっとアレンを妬んだり侮ったりしている者もいるだろう。
彼自身は「どうでもいい」と言っていたが、なるべく私は近衛に近づかないようにと言われている。
王女様を護る近衛の方々は皆さん好意的な印象だったけれど、それだって笑顔の裏で何を考えているかまではわからない。もしかすると、アレン同様に私のことも敵視してくる人がいるかも……というのは予想できる。
「慣れないお城暮らしで、王妹殿下がお疲れにならなければいいけれど」
いきなりお城にやってきて、きっとおつらいこともあるだろうなと思う。
アルノーは私の言葉に同調する。
「まぁ、どうしたって苦労はするだろうな。環境ががらりと変わるから。でも結局はどこかの子息に嫁ぐんだから、城にいらっしゃるのも2~3年のことだよ。永遠にここで暮らすわけじゃないから、今だけって思って淑女教育をがんばるしかないさ」
「そうなのよね。遅くて20歳くらいまでかしら。早ければ18歳くらいには、どなたかに降嫁って形になるでしょうね」
10歳の王女殿下にも婚約者がいるくらいだ。その下の王女様も、8歳になったら婚約者を定めるだろうと言われている。王族の結婚はその時々の事情にもよるが、基本的には18歳前後でどこかへ嫁ぐのが慣例だった。
「そういえばさ、アレンディオ将軍が王妹殿下の警護に積極的に手を挙げたって聞いたけれどなんで?」
アルノーは当然のようにそう尋ねる。
けれど、その話は初耳だった。
「なんで、って言われても……。そうなの?」
「あれ、何も聞いてない?」
私は黙って頷く。
国王陛下に直々に警護を命じられたっていうことは聞いたけれど、積極的に?アレンが?
「ただ命じられて、それを受けたとしか聞いていないわ」
「そうなんだ。おかしいと思ったんだよね。きっと、間違いだね」
あはは、と曖昧に笑うしかできなかった。
噂の真偽を確かめるんだったらアレンに直接聞けばいいけれど、何だか胸がモヤモヤする。
「仕事なんだもの、積極性があるのはいいことだと思うわ」
「本当にそう思ってる?」
からかうようにアルノーがそう尋ねた。
人の顔色を読むのはやめて欲しい!ここは、何も見なかったことにしてくれればいいのに。
「それは、ちょっとは気になるけれど……。絶世の美女だって評判の姫様を警護するなんて、アレンがぐらっときちゃったらとは思うけれど、でも仕事なんだから仕方ないわ」
一緒にいて恋が芽生えるなら、私とアルノーはどうなるのか。
どんなに気が合っても、一緒にいる時間が長くても恋が芽生えないことがあると私は身をもって知っている。
「大丈夫だって。将軍はソアリス一筋だから。あれで浮気したら世も末だよ」
「世も末って」
「それに美女が好きなら、ソアリスにひと目惚れしていないって」
「直球で失礼だわ!本当のことだけれど」
どうせ平凡顔の妻ですよ。どこにでもいる顔ですよ。
「親戚の子に似ている」「妹に似ている」「どこかで会ったことがある」そんな感想は、聞き飽きるくらいにもらっていますよ。
不貞腐れていると、アルノーがくすっと笑って私の頭をくしゃっと撫でた。
「大丈夫だよ。将軍はソアリスしか見ていないから。もしも本当だったとしても何か理由があるんだよ……って、まずい。つい触っちゃった。また決闘を申し込まれる」
「ふふっ、まだ一度も申し込まれていないわよ」
「あー、ダメだな。一度自分の態度を見直さないと。これじゃ、いつ将軍に斬られるかわからない」
アルノーは大げさに震えて見せた。
そんな誰でも彼でも斬るような人じゃないですよ!?
「以後気を付けます」
「そうね。私も気を付けなくちゃ」
アレンを好きになったことで、嫉妬する気持ちというものがどういうのか知ることができた。不本意ながら、私も嫉妬する気持ちは抑えられない。せめて顔に出さないようにしなきゃ……。
「さ、今日は納品書を整理すれば仕事はおしまいだ。早く帰って、将軍と話す時間をゆっくり取れば?」
前を歩くアルノーは、にやりと笑って振り返る。
最近、私とアレンの夫婦仲をからかうのが趣味になっているみたいで、反応をおもしろがっている様子がわかる。
「そうね、ゆっくりさせてもらうわ」
「明日休む?最近ずっと遅くまで残っていたし、たまには寝坊するようなことをしなよ。あんまり焦らすと将軍が泣いちゃうかもね」
「…………大きなお世話です」
「そう?」
じとっとした目で睨むと、アルノーはあははと軽快に笑った。
別に私が焦らしているわけじゃないんだけれど。
婚約者ごっこを言い出したのはアレンなわけで。あぁ、でも私の心の準備のためって言っていたような……。
「仕事中は仕事のことを考えます!」
「あ、逃げた」
ぷいっと顔を背け、早足で歩く。
アルノーは何も言わずに追ってきて、そのまま無言で王女宮の扉をくぐった。




