妻だって嫉妬する
揺れを抑えた馬車は快適で、美しい茜色の空を眺めながら邸へ向かう。
隣に座っているアレンは、私の右手を握ったままずっと黙って窓の外を見ていた。
横顔も凛々しくて、つい見惚れてしまう。切れ長の目に高い鼻梁、薄い唇は、彫刻家が計算して作ったかのような見事な配置だと思った。
本当にきれいな人。
夫の横顔を見てぼんやりとそんな感想を抱く。
私の髪には、さきほどのお店で買ったバレッタが留まっている。
花模様の透かしレース風の細工は、「繊細な意匠なのに強度がある」とスタッフのイチオシだった。
色やデザインもあんなにあったのに、どうして強度で選ぶのか。
きっとアレンのこんなところを見られるのは妻の私だけ。あぁ、ルードさんなら私よりもアレンを知っているかもしれないけれど、世間のイメージとはかけ離れた彼のことを知れるのは妻の特権だと思うとうれしくなる。
「ふふっ」
真剣に髪飾りを選ぶアレンの姿を思い出し、つい笑みが零れた。
「どうした?」
「いえ、あの、ちょっと思い出してしまって」
アレンは、突然笑い出した私を不思議そうな目で見る。
「うれしくて。アレンが私のために髪飾りを選んでくれたのが」
「そんなことで?」
「はい。そうなんです」
「これがそんなに気に入ったのか?」
私がこれを気に入ったのは、アレンが選んでくれたからだけじゃない。中央についている赤い小さな鉱石が、特別に気に入ったのだ。
「……紅い色が好きか」
「ご不満ですか?アレンが選んでくれたのに?」
上目遣いで尋ねると、アレンはぐっと押し黙る。
きっと、蒼い色の方がよかったのだろう。アレンの瞳は深い蒼で、よく見ると少しだけ紫がかっている。とてもきれいで、いつまでも見ていて飽きない。
「私がこれを気に入ったのは、あなたの隊服についている勲章と同じ色だからです。勝手にお揃いにしたんです。ふふっ、私もあなたのファンと変わりませんね」
アレンが不思議そうな顔をした。
「あなたのファンの間で、紅い宝石のついた髪飾りや紅いリボンが流行っているのですよ。ご存じないですか?」
「知らなかった」
「皆さん、蒼い色は私に気を遣って選ばないのだとか。代わりに、勲章の紅を将軍としてのあなたの色だとして、皆さん身に着けているのですよ」
蒼は遠慮する、という暗黙のルールがあるらしい。私もメルージェに聞いたときは、とてもびっくりした。
ファンの気遣いがちょっと恥ずかしいような……。
「おかしいと思いません?私ったら、あなたの妻なのにちょっとそれが羨ましかったんです。私だって、あなたが隊服を着ているときには紅い色を身に着けてお揃いにしたいのにって、ちょっとだけ思っていました」
「ソアリス……」
アレンが驚いて目を丸くしている。
私だって、自分がこんな気持ちになるなんて驚かずにはいられない。王国で一番人気のある人が、私をただ一人の妻だと愛してくれて、そばにいてくれる。
それなのに、これ以上を求めるなんて私はいつのまにこんなに欲深くなったんだろう。
「これもきっと、嫉妬なのでしょう。夫婦そろって仕方のないことですね」
アレンが帰ってきて、まだたったの数ヶ月。ほぼ他人と思っていたアレンのことを、いつの間にか嫉妬するほどに好きになっていた。
「それにさきほど、帰り際にエフィーリア様と何かお話になっていたでしょう?私に聞こえないように」
「…………」
アレンは気まずそうに沈黙した。
「わかっています。きっとアレンは、私のためにエフィーリア様に何か頼んだのでしょう?」
「すまない、今度は気づかれないように頼む」
認めてしまうのが、アレンのかわいいところだ。
「私だって、ちょっとくらいは嫉妬します。あなたは気づいていないでしょうが」
言うつもりなんてなかったけれど、つい口が滑る。けれど言ったら言ったで、急に恥ずかしくなってきて。
私はアレンにバレッタが見えるように後ろを向き、わざと明るく尋ねた。
「どうですか?似合いますか?」
「あぁ、よく似合う」
アレンは握っていた手をほどき、するりと私の肩に腕を回す。
両腕がしっかりと私の身体を捕らえ、彼は縋るように頭を埋めた。
「……今日は、すまなかった。みっともなく嫉妬して、嫌な気分になっただろう?」
「まさか。驚いただけです」
「俺はおかしいのかもしれない。未だにこの暮らしが夢じゃないかと思うときがあるんだ。この10年、君が他の男に奪われるのではと何度も思った。だからこそ、今の平穏がなかなか信じられない。ソアリスがいてくれて、俺を好きだと言ってくれる日々が幻かもしれないと思う瞬間がある」
そんなことを思っているなんて、まったく知らなかった。
いつも私を思いやってくれて、優しいこの人が不安を抱いていたなんて……。
「いくら理由があったとしても、この手は誰よりも汚れているに違いない。それはどう言い訳をしても、変えられない事実だ。そんな俺がソアリスに触れて、幸せな日々を過ごしていいのか。そんなことが許されるのかと」
幸せそうに笑っている時間も、きっと嘘ではない。でも、拭いきれない不安があったんだ。
ここで私は、はたと思い当たる。
「だから夜中に私の寝室へ覗きに来るのですか?ちゃんと私がいるかどうか確かめたくて」
「…………」
アレンは夜中に戻ってくると、相変わらず私の寝室へこっそり忍び込んでくる。寝顔を見てキスをして帰っていくから、さすがに気配で目が覚める。寝たふりをしているけれど、まさか不安に駆られて来ているなんて思ってもみなかった。
しっかりと回されたアレンの腕に手を添えて、私は目を閉じる。両の肩に乗る腕の重みが心地よく思えた。
「私はちゃんとアレンのそばにいますよ。たくさんすれ違ってしまいましたが、私はアレンの妻です。ずっと、あなたと一緒にいます」
こんな言葉では安心できないかもしれない。
けれど、この先ずっと言い続けることでいつか彼の気持ちが安らぐときが来て欲しい。
「ルードには愛が重いと言われ、ユンリエッタには限界まで突き進めばいいと言われ、ほかの者には引かれていると最近気づいた。俺はソアリスにとっていい夫ではないのかと思うこともあるが、普通がわからないし、わかったところで自分を抑えられる気もしない」
え、騎士の皆さんに引かれているの?
アレンが人前でも甘すぎるから、そんなことになったのかしら?
私はしばらく考え込んでしまったけれど、正直な気持ちを伝えることにした。
「すみません。私はあなた以外から好きだと言われたことがないので、愛が重いかどうかは判断できません。比較対象がありませんし、王女宮の予算のように数値化できないのでよくわからないです」
恥ずかしかったり、困ったりすることもあるけれど、何か不自由しているということはないわけで。
「私は、あなたと幸せになりたいんです。手を汚したなど……私にとってはアレンはアレンですから。もう絶対にこの手を放したりしません。いつまでも、一緒です」
アレンが頭を起こして少し離れたので、私も体勢を戻してみる。隣を見上げると、いつものように柔らかで優しい笑みを浮かべたアレンがいた。
「私はあなた以外には目もくれませんので、どうかご安心を。これほどまでに素敵な方が夫なのですから、よそ見なんてしていたらすぐにほかの女性に奪われてしまいそうです」
笑ってそう言うと、アレンは苦笑した。
本気にしていないようだけれど、現実問題としてどう考えてもあなたを狙う人の方が多いと思う。
なんといっても、英雄将軍であり王国一の美丈夫だ。
ほとんど毎日会っていても、未だに慣れたとは言い難いものがある。
微笑み合っていると、アレンが突然いたずらな笑みに変わる。
「さて、俺のことが好きな奥様?」
「ふふっ、何でしょうか?嫉妬が過ぎる旦那様」
「キスしても?」
ピシッと固まってしまった私を見て、アレンはふっと噴き出した。
あぁ、崩れた表情もまたかっこいい。凛々しい姿はいつでも見られるけれど、きっとこういうかわいらしいところも見られるのは私だけ。
ただ、キスをしてもいいかと聞かれてもはっきりとは答えにくいもので。
目を伏せて、私は拗ねたように言った。
「そういうことは聞かないでください」
「それは失礼」
長い指が顎にかかり、少しだけ上を向くと唇が重なった。緊張してぎこちない態度になってしまうのは、仕方がない。何度も重なる唇は、吐息までも飲み込まれそうで胸の奥が痛くなる。
「っ!アレン!もうおしまいです、もうおしまいです!」
そろそろ邸に着くのではないか。
キスをしていたと使用人にバレたくない私は、いつまで経っても放してくれないアレンに涙目で抵抗する。
「続きは部屋で?」
妖艶な笑みを浮かべる夫は、私の唇を指で拭う。
「しませんよ……!」
心臓が爆発して死んでしまう。
一体、どんな顔であなたの誘いに乗ればいいのか。
拗ねてそっぽを向く私は、アレンに抱きつかれて捕獲されたような状態で邸へ到着した。




