パン切りナイフじゃ戦えない、戦う気もない。
お義父様と別れた私たちは、王都の貴族街に近いドレスサロンへと移動した。
ニーナのデビュー用衣装を依頼していて、仮縫いまでが完了したと連絡があったからだ。
邸まで来てくれるという申し出は辞退して、レストランの帰りにお店に寄りますと返事をしてある。
出迎えてくれた主人のマダムは、スタッフ総出で丁重にもてなしてくれた。
「ヒースラン将軍の妹様に着ていただけるとなれば、もう皆が気合を入れてしまって」
義妹ですけれどね!
将軍御用達という言葉は、今のノーグ王国で最も強力な宣伝文句らしい。
ちなみにここは、アルノーのお姉さんのドレスサロンだ。私がパレードで借りたドレスも、もともとはここの衣装だった。
ニーナが着る予定の純白のドレスは、腰のバックリボンや袖のレース編みがかわいらしい素敵な仕上がりで、私は思わずうっとりしてしまう。
「素敵ね……!本当にきれい」
ドレスを着たトルソーを前に、ほぅっとため息が漏れる。
あとは来月にニーナがこっちへ来たときに、最終的なサイズ合わせをすればいいだけだ。
私は社交界デビューの機会がなかったから純白のドレスを着ることはなかったけれど、自分ができなかったことを妹が叶えてくれると思ったらとてもうれしい気持ちになった。
「見て、アレン。この細かい飾りは薔薇模様だわ。なんてかわいいのかしら」
白いレースを手にそう言うと、アレンの視線がドレスではなくこちらを向いていることに気づく。
「あぁ、本当にかわいい」
「アレン、ちゃんと見ています?」
「もちろん。ソアリスをちゃんと見ている」
アレンは幸せそうに微笑む。
スタッフの女性たちから「きゃあ」っと悲鳴が漏れ、何人かが口元を手で押さえて苦しみ始めた。
ダメだわ。美形の微笑みは破壊力がすごすぎる。
かくいう私も直視できないくらいには射抜かれてしまっていて、慌ててアレンと距離を置く。
「えっと、アクセサリーはどちらかしら?」
ニーナの髪色は私とまったく同じキャラメルブラウンなので、似合う色は決めやすい。そして、その妹本人はドレスより食い気なので「お姉様が決めておいて、私にはわからないから」と丸投げだった。
「妹様にはこちらをご用意してあります」
2種類のリボンとバレッタ。
まだ宝石はこれからはめ込むので、銀細工の軸と光沢ある生地を見て決めていく。
「ソアリスたちの髪色には、金より銀がよく映える。きっとニーナも喜ぶだろう」
「アレン、あの、近いです」
私の髪を持ち上げて、彼はまた笑みを深める。
長い指で毛束を掬い、それを弄ったり口元へ寄せたり、この人は私を気絶させにかかっているのかしら?
「ソアリスのデビューが見られなくて残念だ。君にも何か贈りたいんだが」
「そんな、もう十分いただいています。それに、ニーナにこれほど用意してもらえたことで十分です」
これらの衣装や装飾品は、アレンがすべて用意してくれた。
持ち直してきたとはいえ、貧乏子爵家に新しい衣装を特注で揃える余裕はないから「デビューなんてとんでもない!」とニーナが狼狽えたのは記憶に新しい。
けれどアレンは「ソアリスの妹のためなら」とすべて任せろと言ってくれて、しかも国王陛下から謝罪の代わりにと宝石までいただいた。
おかげさまで、どこぞの王侯貴族の姫君かと思うほどの素晴らしい衣装が仕上がりそうになっている。
「妹の晴れ姿を見られるなんて、思ってもみませんでした」
こんな日が来るなんて嘘みたいだ。あるときはパンのおかわりを泣いてせがみ、あるときはスープに入れてと謎の草を持って帰ってきたニーナが社交界デビューだなんて。
煌びやかなドレスを着るなんて、リンドル子爵家にはもう一生縁のないことだと思っていたのにな。
「夢みたいだわ」
しみじみと喜びを噛みしめる私のそばで、商売上手なスタッフは「奥様のために髪飾りはいかがでしょう?」とアレンに勧めていた。
さすがは商魂たくましいスタッド商会のドレスサロン!将軍という上客を逃さないんですね!?
アレンは嫌な顔一つせず、私の髪にどれが似合うのか真剣に髪飾りを手にして悩んでいる。
「どれも似合いそうだが、普段使いできるものの方がいいか。ソアリスはどう思う?」
「そうですね、ドレス用のものはすでにたくさんいただいていますから」
将軍の妻へ、となるとどの店もはりきって一級品ばかりを揃えてくれる。けれど、私は基本的に社交は最低限しかしない勤め人なのだ。日常生活で、華美な飾りは必要ない。
「強度があるのはどれだろうか。防具のことならまだしも、女性の装飾品については全部同じに見える」
アレン、髪飾りを強度で選ぶ人はいないと思う。
「強度、でございますか……?」
スタッフの女性が返答に困っている。ただし夫は真剣だった。
私も苦笑していると、店の奥のらせん階段から見知った顔がやってくる。
「あぁ、よかった!間に合ったね」
下りてきたのはアルノーと、豪華な深紅のドレスを纏った美しい女性。アルノーとよく似た茶色の髪はすっきりと結い上げられていて、左手の薬指にはきらりとサファイアが光っている。
切れ長の目は睫毛が長くて妖艶で、大人の色香が漂う美人だ。
「はじめまして。弟がいつもお世話になっております。姉のエフィーリアでございます」
優雅な所作で挨拶をされ、私は慌てて同じようにカーテシーを行う。
この人がアルノーのお姉さん!?
ドレスサロンのオーナーで、ものすごく気が強いと噂の……!
アルノーによると、今日私たちがここへ来るとスタッフから連絡を受け、姉を紹介するためにわざわざ来てくれたんだとか。私はお姉様にドレスを借りたお礼を伝え、妹のドレスの制作に尽力していただいていることも感謝を伝える。
「お手紙で十分にお気持ちは伝わりましたわ。今度は急ごしらえのドレスではなく、ウエディングドレスでわたくしのサロンの実力を発揮してみせましょう。奥様の美しさをさらに引き立てる一着を仕上げて見せますわ」
ほほほ、と優雅に笑うお姉様はとても頼もしかった。
アルノーは「外面はいいんだ」と笑って言う。
アレンは愛想がいいとはいえない顔つきだったけれど、アルノーの姉ということで比較的柔らかい態度で挨拶を交わした。口数は少なくても、「そこがまたクール」「冷静沈着な将軍」という評価になるんだから、美形はすごい。
「エフィーリア姉さんは、将軍のファンなんだ。騎士団への寄付も、将軍のためになるならって増額したくらいで」
「まぁ……!ありがとうございます」
私がお礼を言うと、お姉様はうふふと控えめに微笑んだ。
「アレンディオ将軍はお顔も素敵だけれど、何といっても立ち姿が堪らないのよねぇ。だから遠くから見るのが一番いいの」
「あ、それでけっこう距離を開けているんですね?なんか遠いなって思っていました」
「いい男は遠くから愛でるもの。それがわたくしのポリシーなのです。奥様は大変ですわね、毎日近くにいなくてはいけないのですから」
「そ、そうですね」
私たちがお喋りしていると、アレンは再び髪飾りを熱心に見ていた。どうやらスタッフの人が、素材の強度を調べてくれたらしい。すごい……!客の疑問を徹底的に解消してくれる姿勢がすごいわ!
困らせてすみません、と私が口にすると、スタッフの人は笑顔で首を振る。
「あれ、ソアリス、髪に何かついているよ」
「え?」
アルノーがふっと近づき、私の後頭部に触れて糸くずを取ってくれた。さっきニーナのドレスや髪飾りを見ていたとき、髪色に生地を合わせたからだろう。
「ありがとう」
「どういたしまして」
糸くずをつけて歩くのは恥ずかしい。
私はホッとして表情を緩ませる。
ところがその瞬間、またしてもサロンに冷気が漂い、和やかな雰囲気が一変する。
「「「!?」」」
私たちが揃って振り向くと、アレンが眉間にしわを寄せて硬直していた。
「アレン!?」
慌ててパタパタと走りよると、はっと気づいたアレンはすぐに普段の彼に戻る。
アルノーは顔を引き攣らせ、恐る恐る尋ねた。
「え、あの、もしかして俺ですか?ソアリスの髪に触れたから?」
「…………いや、そういうわけでは」
気まずそうに目を伏せるアレン。自分でもまずいと思ったんだわ。
私は彼の右手をきゅっと両手で握り、彼の顔を覗き込むように見上げた。
「心配いりませんよ?何もないと証明するのはとても難しいのですが、アルノーと私は友人です。今も糸くずが付いていただけで、それを取ってくれたんです」
1ミリも、恋愛感情なんていない。それは双方、確認しなくてもわかる。
「疑っているわけじゃない、アルノーがいいやつだとは知っている。ただ気になっただけなんだ。少し距離が近すぎると感じただけでそれをどうこう咎める気も口出しする気もない」
「めちゃくちゃ気にしていますよね!?」
アルノーがますます顔を引き攣らせた。
まさか夫がこんなにも多方面に嫉妬深いとは思ってもみなかったわ。
こんな平凡顔の妻に、何をそこまで……。
私は半ば呆れつつ、ちょっと自虐的になる。
「あなたと離れていた10年だって、私は誰かを好きになったことも好きになられたこともありません。この先も浮気なんてしませんよ?」
浮気はダメ。絶対にダメです!
「君はこんなに愛らしいのに、好きになられたことはあるだろう」
スタッフの目もある中で堂々と盲目っぷりを披露するアレン。私はぎょっと目を瞠り、慌てて否定した。
「まさか!そんなことを言うのはアレンだけですよ。からかわないでください……」
「ソアリスを奪われるくらいなら、決闘も覚悟の上だったが」
何ていう恐ろしいことを言うの!?
決闘とか申し込まないでね!?
アルノーは絶対にごめんだと、顔の前で大きく両手を何度も振った。
「ないないない!ソアリスを将軍と取り合うなんて、絶対にありえません!!だいたい、恋愛感情なんて一切ないですし!それに言っちゃあなんですが、俺はパン切りナイフくらいしか刃物は持ったことがないですよ?決闘とか無理です、文官の中でも弱い方だと自信があります!」
うん、パン切りナイフしか持ったことない人が決闘はしちゃダメよ……。
しかも好きでもない女のために決闘だなんて。アルノーにメリットがなさすぎる。
エフィーリアお姉様だけは「将軍の決闘、見たいわ」と呟いていたが、絶対にそれはやめてほしい。
「すまなかった、言いがかりをつけてしまったようだな」
「いえ、わかっていただけてよかったです」
再び和やかな雰囲気に戻ったところで、私はスタッフの皆さんに平謝りしてアレンと共に店を出た。




