国家最高権力者に目をつけられた妻
ダンスを終えても、のんびり食事や歓談というわけにはいかない。
国家最高権力者へのご挨拶というメインイベントが控えているのだ。
「アレン、国王陛下ってどんな方なの?」
金庫番の仲間や侍女のサブリナにも同じことを聞いたけれど、とにかく「顔が怖い」という情報しか集まらなかった。
私たちは王女宮で働いているけれど、基本的に王族に会うことはほとんどなく、お二人の王女様でさえお通りになるときに礼を取るか、お散歩している姿を遠目に見るだけで接点はない。
国王陛下なんて、式典で豆粒のような姿を拝見するだけ。
金髪なことは知っているけれど、内面に関する情報なんてゼロなのだ。
『怖い』
『声をかけられると心臓が止まる』
『目が合うと石化する』
役に立つ情報がまるでなかった。
とにかく怖いらしい、ということしかわからない。
アレンはしばらく考えた後、端的に答えた。
「普通の人だが?」
「普通の人って何!?」
国王陛下が普通ってどういう意味?この国の頂点に君臨する国王陛下が、普通であるはずがないと思うんですが!?
首を傾げると、アレンは自分の言葉足らずに気づいて補足をくれた。
「普通に話が通じるお方だ。情には厚いと思う」
「アレンにとっては、いい人なのね?」
「いい人かどうかはわからないが、これまで理不尽な命令を受けたことはないな。騎士に憧れを持っているから、俺たちにはとても友好的で信頼もしてくれている。それから、言いたいことを言っても不敬だと機嫌を損ねることもない」
「お心の広いお方なのね」
前評判よりは、いいイメージができた。
ただ、アレンが最後にやっぱり「顔は怖いが」と付け加えたので、やはり見た目は相当恐ろしいらしい。
「宰相様の方が、貴族らしい考え方をする。為政者として、割り切った考え方をされると言うべきか。陛下は気に入った者への愛情が深い方で、非情になりきれないお方だと俺は思う」
「そうなのね」
「ソアリスのこともきっと気に入ると思う」
「だといいけれど」
騎士でも何でもないので、不安はある。だとしても、私にできることはアレンの隣で、なるべく笑顔でいることだけだ。
陛下がおられるという部屋の前。
アレンと腕を組んだ私は、緊張を和らげたくて深呼吸を繰り返した。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ」
「今緊張しなくて、いつするの?」
相手は、国のトップ。緊張しなくて大丈夫といわれても、自然に身体が強張るのだ。
「俺がついている」
「ええ、頼りにしているわ」
国王陛下の侍従がやってきて、私たちは部屋の中へ招かれた。
深緑色の絨毯を踏みしめゆっくりと進んでいくと、最奥の椅子にその人はいた。
「陛下、アレンディオ・ヒースラン将軍ご夫妻をお招きしました」
「あぁ」
どっしりと構えた貫禄ある姿は、前評判を裏切らない威圧感がある。近づくのも恐れ多いほど、王族特有のオーラがあった。
「よく来たな、アレン。待ちくたびれたぞ」
「ご冗談を。さきほどまで自室におられたと伺いましたが?」
アレンの言葉に、そんなこと言ってもいいのかと私はぎょっと目を瞠る。
けれど二人は当然のように会話を進め、親しさが伝わってきた。
「ほぉ、そなたがアレンの妻か。これはまた……」
きた。
平凡顔の妻を見て、困惑していますね陛下!
愛想笑いを浮かべ、黙って礼を取る。
「名を」
ようやく挨拶をするお許しが出て、私は緊張気味にカーテシーをする。
「ソアリス・ヒースランと申します」
陛下の顔が怖すぎて、目を合わせることができない。
声が震えていなくてほっとした……!
王族とは初対面で目を合わせないっていう作法に、これほどまでに感謝したことはない。逆の作法だったら、怖すぎて震えて動けなさそうだわ。
「それほどにかしこまらずともよい。さぁ、もっと近くへ」
「!?」
陛下の要望に、内臓が浮き上がるかと思った。
え、近づくの?
アレンをちらりと横目に見ると、少しだけ微笑んでくれて手を差し伸べてくれる。
おずおずとその手を取った私は、アレンと共に陛下の御前まで進んだ。
…………怖い!!
近くで見ると、威圧感がすごい!
「此度はご苦労であった。そなたが妻を伴い参加することで、今日の舞踏会がより華やぐであろう」
「それはどうも」
「いつもはむさ苦しい騎士に囲まれておるのだ、たまにはこのような催しもよいとは思わんか?」
「特には。妻さえいれば、場所がどこであろうとそう違いはありませんので」
私はアレンと陛下が話している横でただニコニコしているだけなんだけれど、胸がドキドキして、未だかつてない緊張感が走る。
「それでは失礼いたします」
早っ!
アレンは私が何か話す隙をまったく与えず(ありがたいことに)、国王陛下の視線を遮るように私を背に隠した。
「まだそなたの妻と何も話しておらんぞ!?」
「その必要がどこに?妻は私の妻ですから、陛下といえど無意味に会話なさっては困ります」
アレンは、どこまでもマイペースだった。私は彼の背に隠されたまま、黙って様子を見守る。
「話し相手が欲しければ、陛下の侍従かうちのルードを呼びましょう」
折れる気のないアレンを見て、陛下は諦め感たっぷりのため息を吐き出した。
「おまえは本当に遊び心がないな。まぁ、今日は構わん。またいつでも機会はあるだろうからな……下がっていい」
ようやく下がれることになり、私は心底ほっとした。
「夫人も、また会おう」
「は、はい!」
しまった。
元気がよすぎたかもしれない。
アレンはそんな私を見て、くすっと笑って愛おしそうに目を細めた。
「ソアリス、行こうか」
「ええ」
エスコートされて部屋を出ると、抱え込んでいた不安や緊張が一気に解放される。
このままベッドに飛び込んで眠りたい、そんなことを思った。
この後、かつてないピンチに見舞われることも知らずに――――――
30分後。
私は迎賓館の一室で、チェスに興じていた。
顔が怖すぎる国王陛下と!!!!
なんでこんなことになっているのか?
陛下への挨拶を終えて歩いていると、アレンが宰相様に呼ばれて少しだけ時間が欲しいと言われたのだ。
アレンは私を一人にできないと言って断ろうとしたが、仕事の邪魔をしたくなかったので、「私は休憩室で待っています」と言って彼と離れた。
絶対にここから出ないでと念を押され、私は約束通り休憩室から一歩も出なかった。
給仕の人からシャンパンをもらい、広いテーブルに一人きりで過ごす。緊張感から解放されて、すがすがしい気持ちだった。
しかしそこへ、なぜかさっき会ったばかりの陛下が現れたのだ。
「また会ったな」
「!?」
慌てて立ち上がると、「今は非公式の場だ」と言って手で制された。
震えあがりそうになるのを必死で堪え、一体何の用なのかとドキドキしていると、なぜか陛下が私の向かい側に座り、「チェスはできるか」と聞いてきたのだ。
アルノーとしかしたことはないけれど、できないわけじゃない。
形ばかりですが、と返事をすると、こうして陛下とチェスをする羽目になってしまった。
「次はそなたの番だ」
「はい……」
ひぃぃぃ!!
ときおり無意味に見せる笑顔が怖い。
何がきっかけで笑っているのか全然わからないから、なおさら怖い。
強くも弱くもないチェスでもまた「普通」の私が、なんで国王陛下とゲームをしているんだろう。
動揺で、白と黒のマス目が霞んで見えるわ。お願いだから、アレンに早く帰ってきて欲しい。
国王陛下はチェスが強いみたいで、私の駒はじわじわと取られていっていて、そろそろ負けそうだということはわかる。絶対に勝てないこともわかる。
接待チェスをしているわけではないけれど、陛下が何の苦労もなく勝ってくれることに感謝した。ここで私が勝つっていう選択肢は絶対にないから、陛下が強いことはありがたい。
ただ、不敵な笑みが怖い。
コンッという軽い音が、今日ほど重く感じたことはなく、私の指は小刻みに震えている。
無言のまま指し続けていると、国王陛下がおもむろに口を開いた。
「アレンディオとの暮らしはどうだ」
まさかの質問に、私はドキリとする。
アレンとの暮らし?まだ2カ月だけれど平穏無事ですが?
陛下は何を聞きたいのだろう。
ビショップを斜めに動かすと、私は恐る恐る顔を上げて質問に答えた。
「とても、よくしていただいています。お優しい方ですので……」
何て言えば正解なのかがわからない。無難な返事を選ぶと、陛下の鋭い目が私をまっすぐに捕らえる。
「そうか」
「はい」
私は今、泣きそうな顔をしているに違いない。
「10年か……長かったであろう」
アレンが戦地にいた10年間は、長かったと言われれば確かに長かった。でも夫を待っていたわけではない私にとっては、心労があったわけではなく。
小さな声で「はい」と言った私は、陛下の次の言葉を待つ。
コンッと高い音がして、陛下が駒を進めた。
「これまでご苦労であった」
「っ!」
それはどういう意味ですか!?
ドキドキと冷や汗が止まらない。
労いの言葉をかけられたんだと、思いたい。決して裏の意味があるなんて思いたくなかった。
「ありがたきお言葉にございます」
私の順番が来ているのに、はっきり言ってゲームどころではない。
ドクンドクンと激しく心臓が打ち付ける音が聞こえてくる。
盤を見つめる陛下の顔を、私はこっそり盗み見た。するとそれに気づいた陛下が、いっそう低い声で言った。
「これからどうすべきか、わかっておるな?」
「!?」
射殺されそうなほど碧の瞳が鋭く光っていて、私は思わずビクッと肩を揺らす。
「アレンディオは、我が国になくてはならない男だ」
「え、ええ。そうです」
もう駒の配置なんて全然わからない。
今私は何をしているのだろう。次に何を言えばいいのだろう。
動きを止めた私に、陛下は何も言わない。
思わず目を伏せるも、唇が震えて声を発することができなかった。
長い沈黙の後、陛下は私の駒をご自分の指でつまむと次の手を指す。
まるで子どもにチェスを教えるように、次の手を教えるように。
「もうこれしか手はない」
「あ……」
そして、陛下は最後の駒を置く。
チェックメイト。
ゲームは終わった。
チェスボードに視線を落としたまま、私は茫然としていた。
「なかなかの腕前であったぞ。ツメが甘いがな」
「……」
国王陛下は満足したらしく、ワインを飲んで笑みを浮かべている。
怖い。
まるで自分が駒みたいだと感じた。
陛下は駒を指で弄びつつ、口元だけの笑みを作る。
「まだ内密の話だが、今度アレンディオに我が妹の警護を頼むことになった。先王の隠し子でな、まだ16歳という若さだ。平民として育っていたが、このたび城へ上がることになったのだ。兄としてできる限りのことはしてやりたいと思っている」
陛下はご自身の妹が見つかったことを、喜んでいるように思えた。年の離れた異母妹がきっとかわいいのだろう。
「アレンディオを警護につけるのは、まだ何もわかっておらん姫をあらゆる苦難から守ってやれる頼もしい騎士が必要だからだ。将軍がそばにいれば、姫の育ちを面と向かって非難する者はおらんだろう」
「…………」
「これはアレンディオのためでもあるのだ」
陛下の鋭い目がまっすぐに向けられた。
王妹殿下の警護をすることが、アレンのため?もうこれ以上、名誉も出世も彼は要らない。
と、なると残る可能性は一つ。
陛下は、王妹殿下とアレンを……。
十分に考えられる。
陛下は、私に身を引けとおっしゃっているんだ。
アレンのためを思うなら、私よりも王妹殿下と結婚した方が利になると。
彼は将軍で、国の象徴ともいえる存在だ。
今思うと、彼が私のために辞職願いを出したことに陛下はお怒りかもしれない。こんな没落子爵家の娘が、国の英雄の妻だなんて認めたくないと思っていても当然だわ。
俯いていると、侍従から国王陛下に声がかかる。
「そろそろお時間です」
「そうか」
陛下は立ち上がり、席を離れる。
「また会おう」
「はい……!」
私も慌てて立ち上がり、その場で陛下を見送った。
まさかこんなことになるなんて、思いもしなかった。
アレンが私を選んでくれて、私もそれに応えようとして。私たちの結婚は、2人の問題だと思っていた。
私は、将軍という象徴が国にとってどれほど重要かわかっていなかったみたい。
「お加減が悪いのでしょうか?お顔色が真っ青です」
給仕の男性がそっとそばにやってきて、水の入ったグラスを差し出してくれた。心配そうに私を見つめるその人は、おしぼりも渡してくれる。
震える手でそれを受け取った私は、「ありがとう」と呟くように言う。
水を飲むと、ようやくまともに息が吸えたような気がした。
「ヒースラン将軍を探してまいりますね」
彼は私を気遣い、アレンを呼びに行ってくれた。
どうする?
陛下とのやりとりについて、アレンに話す?
でもそれでアレンが怒って、陛下に直訴したら?反逆罪にならない?
わからない!!!!
私の葛藤は、アレンが戻ってきてもずっと続くのだった。




