婚約者(?)になりまして。
書籍1巻の続きはここからですが、Web版と書籍の内容がかなり異なります。
書籍とはつながらない部分がございますことを、あらかじめご理解ください。
ソアリス・ヒースラン、22歳。
英雄将軍で、由緒正しい伯爵家の跡取りで、王国一の美形とも称されるとにかく立派な夫・アレンディオ様が帰還して約3ヶ月が経った。
「おはよう、ソアリス」
「っ!起きてたんじゃないですか……!」
家令のヘルトさんから、『アレンディオ様がお目覚めにならない』といわれて彼の寝室へやってきて数分。比喩ではなく現実的に目が眩むほどの美貌の彼が、ごきげんである。
私たちは現在、絶賛「婚約者ごっこ」を継続中。
10年間の離れ離れと心のすれ違いを経て、どうにか再スタートをきった私たちの暮らしだけれど、日々加速していくアレンの愛情表現に私は翻弄されている。
「こんなことしていたら、時間がなくなっちゃいますよ!?」
起こしに来た私の手首をつかみ、ベッドへ引き込もうとするアレンは確信犯。美形の朝は特に危険。ものすごく危険。
いつもキラキラと輝いているように見える美形が、さらに寝起きのアンニュイな感じも相まって色香を放っているからだ。これは襲われても文句を言えないわよ!?
「朝からソアリスがいるなんて、俺は世界一幸せだ」
「っ!」
平凡顔の私をここまで熱心に求めてくれるのはうれしい限りだけれど、この10年間まったく恋愛なんてしてこなかった私にとって、彼との接触は毎回心臓が破裂する危険性をはらんでいる。
毎日が、ある意味で修羅場になってしまっていた。
「アレン!離して……!」
ぎゅうっと抱きしめられると、寝具の香りと彼の匂いがする。彼は私の髪に顔をうずめ、ほぅっと息をつくのがわかった。必死で抵抗すると、彼は私の限界を察したのかパッと手を離して解放してくれた。
「一人で起きられるんじゃないですか」
恨み言を言うと、彼は悪びれもせず笑顔を見せる。
ベッドの上で肘をついて腕を枕代わりにし、「ごめんね?」と微笑まれるともうだめだ。
なんでこんなに美しい人が、私のことを好きなんだか。もしかして、私は前世で世界を救った?徳を積みすぎた?
そうでなければ、こんな奇跡が起こるわけがない。
「今日も愛している」
「っ!!」
真っ赤な顔でぷるぷる震えていると、アレンはようやくベッドから身を起こして着替えるそぶりを見せた。
「あの」
「何?」
「前にも言いましたが、せめてシャツを着てください。私の精神衛生上よろしくないので」
彼は上半身裸で、ゆるい黒のボトムを穿いているだけ。
このやりとりはもう3度目になるけれど、寝るときは上裸が基本らしい。戸惑っていると、アレンはにっこり笑って言った。
「俺のすべてはソアリスのものなんだから、慣れたらいい」
「慣れません……!」
艶のある肌に、ところどころに残る傷跡。ここまでの道のりが、決して容易くなかったことが見てとれる。
均整の取れた体躯は彫刻みたいで、でも傷跡は生々しい。彼が生きている人間なんだと思い知らされる。
「大丈夫だ。別に痛みが残るような傷はないから」
不躾に視線を送っていた私を咎めることも、照れることもなく彼は言った。
黒いノーカラーシャツを頭から被ると、あとは隊服を羽織るだけの状態になる。
最初に彼を起こしたとき「それしか着てないの?」と尋ねたら、鎧や防刃シャツを身につけることはあっても基本的に薄着だと言っていた。
着込んでいると、ケガをした場合すぐに手当てができないからだと。
普段は私に甘い、やさしいアレンだから忘れがちだけれど、やはりこの人は常に身の危険を感じて生きてきたんだなと改めて思った。
今の幸せがあるのはこの10年間のおかげであって、それを否定する気にはなれないけれど、大切だと思えば思うほどに小さな傷さえもが怖くなってしまう。
「あの、私は先に食堂へ」
「ありがとう。また来週もお願いすることになると思う」
「今度からはご自分で起きてください!」
「それはどうだろうか」
くすりと笑うアレン。
起こすという仕事はもう終了したので、私は逃げるように去っていく。
――パタン……。
扉に背中を預け、言葉にできない羞恥心に苛まれる。
ねぇ、あの人は誰!?
帰ってきたときも同じことを思ったけれど、本当にあの無口で無表情で何を話しかけても無反応だったアレンディオ様!?
もう絶対に起こしに行かない!
結婚しているとはいえ、婚約者ごっこ継続中なんだから、寝室への立ち入りは遠慮しよう。それがいい!
そう固く決意してヘルトさんに視線を送るも、どうにも家令は主人の味方らしい。睡眠時間が短くて、アレンがなかなか起きそうにないときは私に依頼してくるのだ。
「ヘルトさんなら、起こし方をわかっているのでは?」
聞けばこの人は、アレンの乳母だった女性の夫らしい。アレンとの付き合いは生まれたときからで、もう25年も彼を見守ってきたのだそうだ。
「まさか。それにお忙しい旦那様に、少しでも幸せをと思うと奥様にお手伝いいただくしかないのです」
白髪交じりのダンディなヘルトさんは、爽やかな笑みでそんなことを言う。
私はため息交じりに、食堂へ向かった。
「旦那様は、本日も奥様と一緒にご登城なさるそうです」
「夜中というか、朝方に戻ったばかりなのに?」
「はい。勤務は午後からですが、奥様と一緒にいたいからと」
アレンは結局、将軍を辞められなくて未だに軍部のトップに座ったまま。
彼が辞意願いを提出したとき、議会や軍部は阿鼻叫喚だったとルードさんから聞いた。
私のために将軍を辞めた彼だったけれど、国の象徴でもあり最強の戦力を易々と手放せるわけもなく、仕事を減らすからと皆に泣きつかれて将軍職を続行した。
私も将軍を辞めることについては、さすがに申し訳なかったのでこれでよかったと思う。
今辞めたら、病気なんじゃないかとか実は重大な後遺症があるんじゃないかとか、多方面に憶測を呼びそうだし、私のためだけに辞めるのならそれは撤回してくれと頼んだ。
国王陛下は何も見ずにサインしたことをとても後悔しているそうで、今後はしっかり目を通すとおっしゃったそうだ。
アレンの勤務状況や仕事量、顔見せなどのイベント出席に関することはルードさんが全面的に調整してくれて、将軍を続ける代わりに6日に1度の休日と、結婚式後の蜜月休暇15日間をもぎ取ってきてくれた。
優秀な補佐官がいて何よりだわ。
アレンが働きすぎで死んだらって、ちょっと心配していたからうれしい。
けれど、戦後処理の案件だけはまだ時間がかかるらしく、昨日のように帰宅が明け方になることはたまにある。そのたびに私が起こしに行って、ベッドに引きずり込まれかけるという……。
アレンは気持ちを確認し合って以来、容赦なく私との距離を詰めようとしている。
計画的なのか本能なのかはわからないけれど、突然増えたスキンシップに私はついていけていない。
落ち着くの。
平常心よ、平常心。深呼吸して、一度気持ちを落ち着かせればきっと大丈夫。
食堂の椅子に座り、目を閉じてアレンを待つ。
けれど私の平常心は一瞬だった。
「待たせてすまない」
「っ!?」
足音もなくやってきたアレンは、背後から私の肩に腕を回し、包み込むようにしたと思ったら頬にそっとキスをする。
衣服こそ着ているものの、こうしたスキンシップに慣れていない私はまたもや心臓が止まりそうになる。
「かわいい」
固まる私の顔を覗き込み、彼は幸せそうに微笑んだ。
もうやめて。
私を襲撃しないで。
お願いだから、1日1回にして!
私が両手で顔を覆っているうちに、アレンは私の斜め前に座った。
広いテーブル。
「正面だと遠い」と嘆いたアレンは私の斜め前に座るようにしている。
手の届く距離、しかも自分の左側にいて欲しいんだと懇願されて私はそれを受け入れるしかなかった。
突然襲われたときも対処できるように、と彼は言う。
邸の中で、食堂で襲われるってもうそれは絶望的な状況なのではと思ったけれど、1度誘拐されてしまった手前「大丈夫よ」とは言えなかった。
「ソアリスのせいで、ちょっと時間が押しているな」
「私のせいじゃありませんよ。アレンが起きないからです」
きれいな所作で食事をしながら、彼はいたずらな目でそんなことを言う。
「君のせいだろう?君が俺を誘惑するから、寝室から出られないんじゃないか」
「その言い方は語弊がありますよ!?」
顔普通、胸普通サイズ、スタイル普通の私がどうやってあなたを誘惑すると?
じとっとした目で見つめると、アレンは笑いを堪えてグラスの水を飲んだ。
「でもアレン、私と同じ時間に登城するよりもう一度眠った方がいいんじゃない?明け方に帰ってきたってユンさんに聞いたわ」
倒れたらどうするのだ。
心配する私を見て、彼は静かに首を振った。
「ソアリスは、俺と一緒にいたくないのか?」
窺うようにそう言われ、不覚にもきゅんときてしまった。
もうこれは絶対に、私が「一緒にいたい」というのを待っている。
どうにかしてスルーしようと、黙々と料理を食べていると、その間もずっとじぃっと期待のまなざしが向けられ続ける。
「…………………私も」
「うん」
「一緒に、いたいです」
たったそれだけ。オウム返しのような言葉なのに、アレンはパァッと顔を輝かせた。
あぁ、もう、私はこの表情に弱い。
いつもは凛々しくて鋭い剣みたいな人なのに、こんな風に子どもみたいな顔をされたらときめいてしまう。
おかしい。
政略結婚11年目。なんでこんなことになったんだろう。
当初の予定では、今頃は離婚しているはずだったのに。
「もういっそ、ソアリスの寝室で寝起きしてもいいと思うが」
「そ、それはさすがにまだ無理です……!お願いですから今のままで」
渾身のお願いは、無事に聞き届けられた。甘い声で「待つよ」と言われたら、耳が溶けるかと思った。
私たちは、この邸で一緒に暮らしている。
寮はまだ引き払ってはいないけれど、生活の拠点はもうこちらになっていた。
「早く結婚式を挙げたい。聖堂を押さえなくては」
独り言を呟くように、幸せに浸るアレン。
この人がこんなにも乙女な思考だったなんて、まったく知らなかった。
あれ、私は結婚式まで生きていられるのかしら?
いつ頃に式を挙げるかは、まだ決まっていない。そもそも3ヶ月前まで、アレンは王都にいなかったのだから。
それに英雄の結婚式は、「やりますね~」みたいな軽い感じではできないらしい。
もう戸籍上は夫婦であっても、「ひっそりとはできませんよ」と将軍監視員に釘を刺されてしまった。
「俺たちの結婚式と、ニーナの社交界デビューも急がないといけないし、それにデートもしないと」
「アレン、今しれっと予定を増やしませんでした?」
「ん?そうかな」
この10年、彼の中では色々と理想があったらしく、私よりもあれこれ希望があるみたい。
強引なときもあるけれど、私が本気で抵抗するとあっさり引いてくれて、この人なりに私との付き合い方を計っているんだと思う。
「今日も遅くなるから、気を付けて帰ってくれ。夕刻、ユンリエッタが迎えに行くから」
「わかりました」
「淋しい?」
「…………ソウデスネ」
こんな風に甘やかされては、不本意ながらもう一人の生活には戻れそうにない。
すでに食事を終えたアレンは、ニコニコと笑みを浮かべて私を見つめている。
婚約者ごっこは想像以上にハードだけれど、こんな日々も悪くないかなって思ってしまうくらいには私自身も変わり始めていた。
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
よろしければ↓の星のところを
ぽちっと&ブックマークをお願いいたします。




