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【3巻8/2】嫌われ妻は、英雄将軍と離婚したい!いきなり帰ってきて溺愛なんて信じません。  作者: 柊 一葉
10年分のすれ違いを清算しよう

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英雄は妻を逃がさない【前】

 誘拐事件から数日が経ち、私はずっとアレンディオ様のお邸の中にいた。

 翌朝から熱を出し、寝室の住人になってしまったことが原因だ。


 ユンさんがずっとそばにいてくれて、ニーナとエリオットは私のことが心配だからと言ってまだここに滞在している。父も気にしてくれていたけれど、商会の仕事を放置するわけにいかないので田舎に帰ってもらった。


 医師の見立てではただの疲労なので、大事には至らないしね。


 アレンディオ様とは、あの日以来まだ1度も会えていない。

 事件の取り調べや貴族院への根回しなど、通常業務に上乗せでやらなければいけないことが発生したため、邸にすら戻れない日々が続いている。


『少し、時間をくれないか』


 彼は私にそう言った。どういう結果になるのか、私にはわからない。


 もう愛想を尽かされたかもしれないという気持ちと、まだ好きでいて欲しいという願望がせめぎ合い、私の胸の中はずっとモヤモヤしていた。


 熱を出したおかげで、アレンディオ様とのことをゆっくり考える時間が持てた。ベッドの上で、熱に浮かされながらずっと彼のことを思い出していた。


 帰還後、すぐに会いに来てくれたときのこと。

 力いっぱい抱き締められて失神しそうになったこと。


 いきなり帰ってきて、この邸で一緒に暮らそうって言われたこと。この邸を私が気に入るか心配していたこと。


 驚いたけれど、いつだってあの人は私のことを気にかけてくれていた。


 たった1か月。

 あの人が帰ってきて、まだ1か月しか経っていないなんて嘘みたい。


 これまではそっけない15歳の彼の顔が朧げに記憶にあるだけだったのに、今は柔らかな笑みを浮かべる顔がすぐに思い出せる。私のことを好きだと、まっすぐに愛情を伝えてくれた蒼い瞳が記憶から離れなくなっていた。


 ベッドの上で、私はメッセージカードを毎日眺めている。

 5年前から毎年誕生日に贈り物と一緒に届いていた、アレンディオ様からの言葉。


 くすんで色が変わっているのは5年前のもので、もう掠れてグレーになってしまったインクを指でなぞると少しだけ胸が痛い。でもそれと同時に、愛おしさや気恥ずかしさ、くすぐったいような思いを抱く。


『勝手をしてすまない。君が誇れるような男になったら、必ず迎えに行く』

 史上最年少で司令官に出世した彼は、本気で私を迎えに来てくれるつもりだった。ずっと、私のことを覚えていてくれた。


 いずれのカードにも、誕生日おめでとうの文字と一緒に恋人に贈るような言葉が書かれていて、一体あの人はどこでこんなセリフを覚えたのかしら。


『君の髪に触れられるこの銀細工が羨ましい。ひと目でいいから会いたい』

 22歳の彼は、まるで絵物語の王子様みたいなキザな言葉を書いて送ってきていた。


『愛おしいソアリスが、健康で穏やかに過ごせるように祈る』

 23歳の彼は、まさかこのメッセージと共にキノコのばけものみたいなぬいぐるみが届いているとは思っていなかっただろうな。


『翡翠は恋心を成就させるらしい。これがなくとも君を得た俺は幸せ者だ』

 ヘルトさんによると、ブレスレットを贈るのは束縛心の表れだと言われているらしい。本当のところはどうなのかしら。


『もうすぐ帰れる。戻ったら、君に一番に会いに行く』

 会えないまま10年が経過した私たち。これは、たった4か月前のメッセージだ。宣言通り、アレンディオ様は私に真っ先に会いに来てくれた。


 過ぎてしまった時間と、こんな形で向き合うことになるなんて。私のことを心から想ってくれていた、アレンディオ様の一途さにはただただ感服だった。


 きっと他の人との政略結婚だったら、戦地から贈り物ではなく離婚届が送られてきていただろう。彼は私への気持ちだけで、2人の関係を保ち続けてくれていた。


 10年。

 自分のことで必死だった私と違い、想い続けてくれていた彼の時間は途方もなく長いものだと思う。


 5枚のメッセージカードは、1つの封筒に入れて大切に保管することにした。

 かけがえのない私の宝物だ。


 そういえば、熱が下がってすぐルードさんが私に会いに来てくれた。


『様子を見に行けと、アレン様が……。いえ、特に命じられたわけではありませんが、今の時期なら桃が熱さましにいいらしいとか、どこそこの茶屋で売っているハーブティーが滋養強壮にいいらしいとか、会話の端々にそんなことを挟んできまして』


 私が熱を出していると報告を受けたアレンディオ様は、しきりにルードさんにそんなことを言っていたという。


『本当に忙しくて、決して奥様を放っておいているわけではありませんからね?』


 必死にフォローしてくれるルードさんを見て、申し訳ないけれどクスッと笑ってしまった。


『大丈夫です。アレン様がお優しいことは、誰よりも私が存じていますから……』


 目の下にクマを作っているルードさんも忙しいだろうに、ここまで来てくれたことにお礼を言ってすぐに城へ戻ってもらった。差し入れとして焼き菓子を持って帰ってくれたので、アレンディオ様の口にも入ったらいいなと思う。


 帰り際、ルードさんは部屋の前で「お加減も、お心も大丈夫そうでよかったです」と笑った。

 私がもっと落ち込んでいると思っていたのかもしれない。


 微笑んで返すと、そのとき彼はとてもホッとした顔をした。「アレン様が使いものにならなくなったら困りますので……」その呟きに似た言葉には、私は苦笑するしかなかった。


 今日は誰か来る予定もなければ、アレンディオ様が戻ってくるという報せも相変わらずない。ニーナが私のためにゼリーを作るのだとはりきっているので、それをいただくくらいしか予定はない。


 窓際でぼんやりと外の様子を眺めていると、どうしたって彼のことを思い出す。


『ソアリスは、俺と離婚したい?』


 アレンディオ様の質問に、私はあのとききちんと答えることができなかった。

「わかりません」と、逃げてしまった。


 英雄将軍の偉大さに臆して、自分にできることは何もないと最初から諦めてしまっていた。


 彼の想いや誠実さに応えるなら、逃げるのではなく自分が何をしてあげられるのかを考えるべきだったのに。


 離婚という彼の望まないものを突きつけるのではなく、これからどうしたらいいかをほかでもないアレンディオ様に相談すればよかったんだ。


 自分一人でどうにかしようなんて、そこがそもそも間違っていたんだわ。心配してくれる人がいる分、助けになってくれる人もいるはずなのに。


 10年離れ離れだった私たちは、お父様の言ったように幸いにもどちらも生きている。


 私はこれからまた10年かけて、彼にふさわしい妻になれるように努力したらいい。


 それほど長い時間を共に過ごせれば、今は何もない私にだって、アレンディオ様のために何か一つくらいしてあげられることができているかもしれない。


 ベッドの上で反省した私は、秘かに決意していた。


 今さらって言われるかもしれない。

 もう終わりにしようって、彼は決めているかもしれない。


 でも、どうしても自分の口から伝えたいことがあった。


 アレンディオ様が会いに来てくれたら、そのときは――――




 静かな部屋。日当たりがよくつい微睡んでしまいそうなお天気だけれど、この数日ずっと休養を取っていたのでさすがにもう眠くはならない。


 ベッドから起き上がり、カーテンを開けて窓の外を眺めた。いいお天気で、つい身体を動かしたくなってしまう。


「ソアリス様。今日はお身体の調子もよさそうなので、バラ園を歩かれてはいかがでしょうか」


 侍女服のユンさんが、そう提案してくれた。

 昨日まで1歩も寝室から出ていない私は、喜んでそれを受け入れる。


 ユンさんはあの事件以来、私のことを名前で呼ぶようになった。距離が近づいたみたいで、ちょっとうれしい。

 ニーナは「お姉様が2人になったみたい」と言って喜んでいて、エリオットはユンさんが規格外の美人だから緊張して未だに慣れないらしい。


 シンプルなワンピースに着替え、私はバラ園へと向かう。

 入り口にあった立て看板は、約束通り撤去されていた。アレンディオ様が私の願いを聞いてくれたらしい。


 1人でバラ園を歩いていると、長袖1枚でちょうどいい気候だった。甘い香りが鼻を掠め、とても癒される。


 つい数日前に誘拐されたなんて嘘みたいだなと思った。それくらい平和で、でもここにアレンディオ様がいないことが淋しい。


 小路に沿って奥まで歩くと、黄色いバラが満開だった。この黄色いバラは棘が少ない品種なんだと、ヘルトさんが言っていたのをふと思い出した。


 花の下にそっと手を添えてみると、柔らかでずっと触れていたくなる。庭師のジンさんに頼んで、何本か部屋へ持って帰れるようにしてもらおうかな。


 そう思っていると、背後から名前を呼ばれてドキッとした。


「ソアリス」


 聞き覚えのある、低い声。

 振り返ると、そこには紺色の隊服を着たアレンディオ様がいた。


「アレン……?」


 帰ってくるなんて聞いていなかった。

 てっきり、まだ数日は会えないものだとばかり思っていた。


「部屋へ行ったら、ここにいると聞いて追ってきた」


 そう話すアレンディオ様は、その腕に溢れんばかりのユリの花束を持っている。真白い花が盛大に咲き誇っていて、艶のある紅いリボンで纏められていた。


「あの……」


 驚いていると、押し付けられるようにそれを渡される。反射的に受け取ってしまい、私は目を瞬かせた。


「「…………」」


 私はユリを、彼は私を見たまま何も話さない。


 たっぷりと時間をかけて、ようやく飛び出したのは「待たせたか?」という普通の言葉だった。


「えっと、待たせたとは?」


 約束をしていたわけじゃない。待ち合わせなんてしていない。

 顔を上げて尋ねると、彼は少し緊張気味に言った。


「この間の返事だ」




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