夫がお迎えに来たらしい
終わる気配のない仲間割れ。
ジリジリと、着実に移動する私とサミュエルさん。
扉まではまだ遠いけれど、彼らが私のことを放置している今なら隙をつけるかも。
「催涙煙は使いたくねぇなぁ」
狭い小屋の中、上着のポケットをまさぐるサミュエルさんは、心底めんどくさそうな顔をした。
助かりたい一心で、私は彼に縋る。
「使ってください。どれくらい目が痛いか想像もつきませんが」
彼は、ちらりと私を横目に見て嘆いた。
「まず目と鼻が痛い。その後、3日くらいは鼻水が出っぱなしになる」
「それは、なかなかですね」
「だろ?」
サミュエルさんの骨ばった手には灰色の小さな棒が握られていて、煙はそれを2つにパキッと折ると発生する。
この状況から逃げられるなら、鼻水くらいは受け入れようじゃないのと私は思った。
しかしここで、小屋の外から大きな声が突然聞こえてくる。
「君たちは!完全に包囲されていまーす!首が繋がったままでいたければ、今すぐ人質を連れて出てきなさい!」
ドンドンと鳴る太鼓の音。
そして、聞き覚えのあるこの声はルードさんのものだ。
驚いた男たちは焦った顔で窓際に張り付き、外にいる騎士の姿を確認して狼狽えた。
「なぜだ!!」
「動きが早い!」
「なんでここがバレた!?」
小屋に着いてわずか20分。
時計はないけれど、多分それくらいしか経っていない。
あまりの早さに私も驚いて目を瞠った。
「くそっ、まさかこんなに早く見つかるなんて……!お前が何かしたのか!?」
そんなわけがない。
何かできるならしているけれど、あいにく私にそんな技量も知識もなく、ただおとなしく捕まっていただけなんですが?
「僕は関係ない、僕は何も悪くない」
赤毛の青年は、隅の方で震えている。ようやくことの重大さに気づいたらしい。
サミュエルさんが彼に近づき、自首しろと促した。
「おまえも同罪になるぞ!」
「はっ、あいにく俺は誘拐には手を貸してねぇし、この嬢ちゃんを買い取るつもりもさらさらない。おまえたちが勝手にやったことだ。捕まったところで、一晩くらい牢に入れられて解放だよ」
「ぐっ!なんで僕がこんな目に」
賭博場で借金をして、関係のない私を誘拐しておきながら、なぜ被害者みたいな言葉が出るのか。更生は無理そうだな、と他人事ながら思う。
「自首するしかないのか」
主犯の青年が諦めかけたそのとき、実行犯の男たちが最後の悪あがきに出た。
「仕方ねぇ、こっちに来い!」
男が短刀を私の首に突きつける。
「おいっ!やめろ!」
サミュエルさんが手を伸ばすも、私は喉元に刃を突きつけられて逃げることはできなくなってしまった。
背後に回り込まれ、男に捕まった状態で外へ出る。
「おい!騎士は全員下がれ!この女がどうなってもいいのか!!」
扉を開けると、目の前には小屋を囲むように等間隔に騎士がいた。
黒い隊服の彼らは、街にいる警吏隊よりも屈強で凛々しい。騎士団に疎い私にでも、ひと目で精鋭だとわかった。
しかし私が一番驚いたのは、ルードさんだった。
………………なんでキノコのぬいぐるみを小脇に抱えているの!?
あれって私の?
それともルードさん個人のもの?
もしかして私が知らないだけで、騎士団で流行ってるの?マスコットキャラだったりするのかしら。
予想外すぎて、じぃっとキノコを見つめてしまう。
「早く下がれ!聞こえないのか!!」
狼狽えた男が、じりじりと前へ出る。
私も押されてゆっくりと前に進んだ。
でも騎士たちは微動だにせず、ずっと犯人を睨みつけている。
「今すぐ馬を用意しろ!」
「「「…………」」」
ルードさん含め、騎士は男の要求に一切返答をしない。まるで何かを待っているみたいに見える。
さすがにおかしい、そう思った瞬間だった。
私たちの頭上から、恐ろしく低い声が降ってきたのは。
「貴様が俺の妻に懸想し、連れ去った男か……!」
「は?」
上を向く余裕もなく、ズバッという音がした。
「ぎゃぁぁぁ!!」
私を抑えていた男が叫び声を上げ、急に腕の力が緩む。
これは今、振り返らない方がいい。男がどんな状況なのか、見なくても想像はついた。
けれど振り返らずにはいられなかった。
恐る恐る振り返ると、そこには血の付いた剣を手にしたアレンディオ様がいた。
ん?さっき、もしかして上から降ってきた!?
屋根から飛び降りたらしいアレンディオ様は、犯人に斬りつけ、他の2人も一瞬で無力化する。
殺してはいなさそうだけれど、剣の柄でそれぞれ鳩尾とこめかみに一撃を入れられた男たちは意識を失っていた。
さすがは戦場で武功を立てて、将軍になった人だ……!
雇われて悪事を働く程度の男たちが束になったところで、将軍に上り詰めた騎士に勝てるわけがない。段違いの強さだと、素人の私にもわかる。
「うううっ……!」
私を捕らえていた男はアレンディオ様に右腕を斬られ、真っ赤な血を流して苦しんでいる。地面に蹲り、苦しみもがく男を騎士らが捕縛した。
「ソアリス、もう大丈夫だ」
抱き寄せられて、私は安堵から目を閉じる。
「怖かっただろう、もう心配はいらない」
ぎゅっと肩を掴む手に力が篭り、もう一方の手は優しく背を撫でてくれた。
「すまない、ソアリスに血を見せてしまった」
私が誘拐なんてされてしまったばかりに、彼に人を斬らせてしまったんだ。
「ごめんなさい、私が勝手に外へ出たから」
「謝らないでくれ。君が美しいことに罪はない」
……………………ん?
一体何を言っているんだろう、抱き締められた状態のままゆっくりと顔を上げる。
アレンディオ様は今まで見たことがないくらい怒りを孕んだ顔つきで、右腕を斬った男を睨みつけていた。
「貴様、俺の妻と知っていてこんなことをしたのか?ソアリスに離婚申立書を書かせ、連れ去って己のものにしようなど許されることではない!」
「え?」
待って、待ってアレンディオ様。
一体何がどうなってそうなったの!?
許さんと言われた男も「は?」って呆気にとられた顔をしている。
一瞬、痛みを忘れるくらいびっくりしている!
「あの、アレン?あなた何を……」
使用人と間違われたんですけれど?身代金目的なんですけれど?
茫然としていると、アレンディオ様はさらに続けた。
「ソアリスを攫った罪、ソアリスを視界に入れた罪、ソアリスに触れた罪、ソアリスの声を聞いた罪、ソアリスに懸想した罪、ソアリスと同じ時間を過ごした罪……その命をもってして償ってもらうからな!」
罪状が酷い。
それって最初の罪以外、何の罪にもなりませんからね!?
ぽかんとしている私の前に、ルードさんがキノコ片手にやってきた。
「えー、奥様。ご無事で何よりです。遅くなりすみません」
「いえ、ありがとうございます。早かったです……」
「それでちょっとお伺いしたいんですが、彼らはなぜ奥様を狙ったのですか?」
私が説明するより先に、犯人の男が口を開いた。
「奥様って、奥様!?まさか……アレンディオ・ヒースランの妻!?英雄の妻!?」
連呼しないで。恥ずかしいから。
それじゃない感で間違えて、絶望しているのね!?わかるけれど!
「あの、私のことは使用人と間違えて誘拐したみたいです。身代金を奪うつもりで、または身代金が取れなくても将軍がケチだって悪評を立てられればいいって言っていました」
「なるほど」
「小屋で震えている、ヴィッツリーの何とかっていう人に依頼されたみたいです。あ、そこのサミュエルさんは私と同じで被害者みたいなものなので、捕まえないでください」
「承知しました」
ルードさんは満面の笑みで小屋の中に入っていった。
私にキノコを押しつけて……。
え、やっぱりこれは私のだったんだ。
そうよね、これが2つとあるわけないものね。もふもふの感触はやはり一級品で、とても癒される抱き心地だった。
「君が無事で本当によかった」
「アレン、助けてくれてありがとうございました」
彼は心の底から心配してくれたようで、私の頬を大きな手でなぞると目元を和ませた。
「怖かっただろう?こんなものまで書かされて」
「え?」
軍服の上着から取り出した1枚の紙。
それは、私が書いた離婚申立書だった。
「それ……!」
「君が誘拐された場所に落ちていたそうだ」
そう言うと、彼は容赦なくそれを破いた。
――ビリッ……!
「もう大丈夫。こんなもの、信じたりしない。脅されて、書かされたんだろう?」
「脅されて???」
騎士に連行される犯人たち。
私たちの周りには、すでに誰もいない。
ぽつんと寂れた小屋の前、彼はビリビリに破いた離婚申立書を風に乗せて捨てた。
あぁ、キレイな紙吹雪が舞っている。
私はそれを茫然と見つめていた。
「ソアリス、ケガはないか?気分は悪くないか?」
彼は私の肩や髪、頬に触れて無事を確認する。
「ちょっ、あの」
頬やこめかみに次々とキスをされ、これはこれで別の危機に襲われている!真っ赤な顔で抵抗するも、力で敵うわけはなく、目を閉じて歯を食いしばるしかできなかった。
「あぁ、ソアリス。かわいそうに。もっと早く助けてやれず本当にすまなかった」
赤い線のついた手首を持ち上げ、彼はそこにも唇を当てる。
羞恥心で意識が遠ざかり、私は彼に殺されるのではと思った。
そうこうしているうちに、小屋の中からヴィッツリーのお坊ちゃんと言われていた青年が連れ出され、ルードさんがにこにこと笑って縄を引いてやってきた。
「アレン様、この件はいかがいたしましょう」
やけに芝居がかった声でルードさんは尋ねる。
アレンディオ様は私をきつく腕に抱いたまま、低い声で言った。
「そうだな。将軍の名に傷をつけたかったということらしいが、あいにく俺はソアリスさえ無事ならば名に傷がつこうがなんとも思わない。あぁ、でも世間的には将軍の妻が誘拐されたというのは、恥ずべきことなのか?」
「そうですねぇ。誘拐されたなんて話が広まれば、奥様にいらぬ噂も立つかもしれませんしね……。これは秘密裏に処理しないといけませんね。ええ、それはもう秘密裏に」
なぜかしら。ルードさんの笑顔がとっても黒いものをはらんでいるように見えるのは。
これは絶対に気のせいじゃない。
「そいつの処分はルードに任せよう。秘密裏に、速やかな処分を期待する」
「承知しました」
半狂乱になって泣き叫ぶ青年を連れ、ルードさんはここから去っていった。
アレンディオ様は再び私をぎゅうっと抱き締め、この場から動こうとしない。
「あの」
さすがにごまかせない。黙ってはいられない。
意を決して声を上げた私を、彼は心配そうな目で見つめる。
「私、…………ました」
「ん?どうした」
アレンディオ様は顔を近づけて尋ねる。
私は大きく息を吸い、今度ははっきり聞こえるように真実を告げる。
「離婚申立書は私が書きました。あなたに渡すために、ずっと持っていたものなんです……!」




