「将軍の妻、コレじゃない感」がもたらした悲劇
「おとなしくしていろ。金さえもらえば、無事に帰してやる」
「…………」
王都のはずれ。誰も近づかないような、貧民街の手前にある林の中。鬱蒼と生い茂る木々が少しだけ途切れた場所に、私はいた。
家というよりは物置に近い、木造の平屋。ログハウスなんて立派なものではないけれど、一昔前の薄暗いテーブルランプや食器棚を見る限りは誰かが生活していた痕跡がある。
邸の外にうっかり出てしまった後、ニーナとエリオットもきっと間違って出てしまったに違いないと思い、仕方なく正門に向かって歩いていたら、男たちに短刀を突きつけられて誘拐された。
抵抗してバッグを投げ、袖を掴まれて上着を落とし、それでも逃げることはできずに捕まってしまった。
「あっさり捕まるなんて……」
護身術などの心得はない。
一対一でも分が悪いのに、複数人の男から逃げられるわけもなく、ほんの数十秒で馬車に乗せられてしまった。
「おいおい、あっさりだと?あれだけ暴れてよく言うぜ。ったく」
男が腹をさすりながら嘆く。
そういえば暴れて何かを蹴ったんだったわ。この男の腹部に直撃したらしい。
「貴族のお嬢さんだってのに、えらいじゃじゃ馬だな」
あぁ、どうしてこんなことに。
自分の不甲斐なさに打ちひしがれる。
幸いにも、殴られたり蹴られたり、貞操の危機に見舞われることがないだけホッとした。彼らは私を誘拐し、身代金を取るつもりらしい。
この国で貴族子女の誘拐は、かなり成功率が低い。貴族院が高い税金を取っているだけあって、必死で消息を追ってくれる。
捕まると、犯人は容赦なく絞首刑。もしくはその場で斬り殺されることもある。
しかも本人だけでなく、一族も厳罰に処されるほど刑が重い。
だから身代金だけ取って、人質には何もせず解放する犯人がほとんどだ。殺したり傷つけたりしなければ、この世の果てまで追ってくるなんてことはないから。
私が着ている服は、アレンディオ様からいただいた上質な物。貴族には見えているはず。
犯人は私のことを傷つけないと言ったし、態度からもそれは本心だとわかった。
けれど、私は今とても困っている。冷や汗がダラダラと流れてくる。
なぜなら……
「なぁ、どうせなら将軍の妻を攫った方がよかったんじゃねぇか?」
男の1人がそう口にする。しかしリーダー格の男に、すぐさまそれは否定された。
「ばかやろう。将軍が妻に惚れ込んでるのは有名だろう!妻を誘拐なんてしたら、無事に帰したとしても絶対に絞首刑じゃねーか」
「そうか。言われてみればそうだな。だから使用人の女にしたのか」
まさか、使用人と間違われて誘拐されるなんて!!
私特有の「将軍の妻コレじゃない感」がもたらした悲劇だった。
幌付きの荷馬車に押し込められたとき、使用人だと思われているのは知った。
「将軍の邸の使用人は、貴族ばかりなはず」と犯人が口にしたからきっと身代金目当てだろうなとは思っていた。
男たちはまさか将軍の妻がここにいるとは、想像してもいない。
ごめんなさい!
高貴な雰囲気がまったくなくてごめんなさい!!
どうかバレないで、と私は神様に祈る。
彼らは3人。どう考えても、私がここから自力で逃げることはできない。全員が寝たとしても、ここがどのあたりかわからないので逃げられそうにない。
しかも貧民街が近いことはわかるから、外へ女性が1人で出て行って無事でいられるわけもなく……。
つまり、今はここにいるのが最善。
彼らは私がこんなにドキドキしているとも知らず、好き勝手にしゃべっている。
「あんたもついてないなぁ。将軍の邸の使用人なんていくらでもいるのに、なんで俺らが張り付いてたタイミングで外に出てきたんだか。使いにでも行く途中だったのか?」
「……はぁ」
「俺たちは身代金が目当てだが、英雄将軍なら軽く払えるくらいの金額を請求するつもりだから安心しろ。払わないって拒否されたとしても、依頼人から金がもらえたらすぐにあんたのことは返してやるよ。将軍が使用人を見捨てて身代金をケチッたなんてことになれば、民衆はすぐにあいつのことを悪く言うだろうな。そうなれば、ヴィッツリーの坊っちゃんも喜んでくれる。目的はあんたじゃないから安心しな」
手を縛られ身動きを封じられ、安心しろと言われても。
じっとしていると、男たちは勝手なことを言い始める。
「将軍って噂じゃ恐ろしい男だって聞くが、実際はどうなんだ?貴族の坊っちゃんが部下の手柄を積み重ねて出世しただけなんじゃねーか?」
「どうだかなぁ。帰還の行軍で見たときは、すげぇ顔のきれいな男だなってくらいにしか思わなかったぞ。威圧感はあったが、軍のトップだけあって何の感情もなさそうな雰囲気だったさ」
この人たちはアレンディオ様のことをまったくわかっていない。
将軍モードのときは確かに怖い雰囲気だって聞くけれど、あんなに優しい人はきっとどこを探してもいないのに。
「使用人風情に情けをかけて、金出してくれっかなぁ。しょせんはお貴族様だしな」
「まぁな。今頃、身代金の要求書を見て破り捨ててるかもしれないぜ?すでに死んだものとして無視されてたらどうするよ」
「かわいそうになぁ、あんた」
散々に好き放題言う男たちを見ていたら、無性に腹立たしくなった。
何にも知らないくせに……!
私は自分が人質ということも忘れ、男たちを睨んだ。
「アレンディオ様は立派な方よ。部下のことも使用人のことも、大事になさる優しい方だわ。勝手なことばかり言わないで」
反論虚しく、彼らはまるで信じてはいない雰囲気だった。
「しかし本当に金を払ってくれんのか?ヴィッツリーの坊ちゃんだって、そろそろ家の金を自由に使えなくなってきてるんだろう?家を継いだ兄貴がうるせーとかで」
「その場合は、そうだな」
男の1人が私を舐め回すように見る。
「この女を売って、仕事料の代わりにするか」
「っ!」
目的は私じゃないって、さっきそっちの人が言ったのに!
どうやら彼らも一枚岩ではないらしい。
下品な視線と仮定の話に、私はぞっとして身構えた。
無事に帰れるかどうかはわからないなんて、突然恐怖が思考を支配する。
俯いて唇を噛むと、アレンディオ様の顔が頭に浮かんだ。
まだ私が攫われたことを知らないかもしれないけれど、あの人はきっと助けに来てくれる。それこそ、自分の危険なんか顧みずに。
夕暮れというには早い時間だから、今頃ようやくお城を出たくらいかも。私が誘拐されたと知れば、彼は自分のせいだと責めるだろう。
このまま会えなくなるのは絶対に嫌だと、心の底から思った。
「あーあ、泣いてんのか?使用人とはいえ貴族のお嬢さんだから、誘拐されたとなれば嫁にいけねーって心配か?」
「はっ、だったら俺が嫁にもらってやろうか?」
「あはははは、そりゃいい」
あまりの言い草に、私はキッと彼らを睨んだ。
「お?泣いてねーじゃねーか」
リーダー格の男が近づき、私の顎を掴んで顔を寄せた。
「気の強い女は嫌いじゃないぜ」
私は顔を必死で背ける。こんな男に触れられるなんて、全身に蕁麻疹が出そうだった。
「離して。無事に帰してくれるんでしょう?私はこんなところにいる暇はないの」
精一杯の抵抗も、男の力には敵わない。
しかも後ろ手に縛られているから、逃げようがなかった。
「おい、やめとけ。使用人だからって傷つけたらやばい」
背後から制止する声がして、ようやく男は私から手を離した。
強がってはいたけれど、男が離れると心臓がどきどきして呼吸が乱れる。
こ、怖かった……!!
言い返すなんてやめておけばよかった!!
絶対に無事に帰りたい、改めてそう思ったとき、小屋に誘拐犯とは別の男たちがやってきた。
赤毛の男は身なりがよくて、まだ若い。外見から判断すると、貴族だと思われる。
「うまくいったようだな」
「「ああ」」
彼は私を見て、にやりと笑った。
そして一緒に入ってきた男は、おもいきり顔を引き攣らせている。
「おいおいおい、一体あんた何で借金を返そうとしてんだ?ヴィッツリーの坊ちゃんよ。こういうのは困るんだが」
これまで恐怖でガチガチだった私は、突然のサミュエルさんの登場に呆然としてしまった。
なんで馴染みの借金取りがここへ!?
彼も私がここにいると知らなかったようで、口元がピクピクしている。
主犯と思われる赤毛の青年は、サミュエルさんに言い訳を始めた。
「賭博で負けた金は、英雄から身代金を取って必ず返す!もし金が取れなくても、この女は担保だ!おまえにくれてやる」
サミュエルさんはぎょっと目を見開き、すぐに怒りをあらわにした。
「くそっ!面倒ごとを持ちこみやがって!あんたバカなんだな!?バカだと思ってたけれどここまでだとは思わなかったぜ!」
「バカとは何だ!高貴な血筋の僕に、そんな暴言は許さんぞ!」
何かしら、このバカな人は。
人のことバカって言っちゃいけないと思うけれど、この人に関してはいいんじゃないかなって思ってしまった。
身代金で借金を返済しようなんて、愚かにもほどがある。
サミュエルさんは巻き込まれたのだ。私としては知り合いが来てくれてラッキーだけれど、彼にとっては災難以外の何ものでもない。
「俺はな、人買いはやってねぇんだよ!しかも将軍の……どこまで怖いもの知らずだ!?どうせすぐに捕まるに決まってる!」
サミュエルさんは苛立ちをぶつけた。
けれど青年は、ふんと鼻を鳴らして嘲笑うような態度で言った。
「捕まったところで公にはならないさ。いくら使用人とはいえ貴族の娘は、誘拐されたなんて世間に知られたら嫁にいけなくなる。口をつぐむしかないのさ」
「っ!本当にバカだな!!」
「なんだと!!」
頭を抱えるサミュエルさん。
彼は知っている。私が使用人ではないことを。
「とにかく!今すぐこの娘を街中へ戻せ!こんなことはやめて、すぐ親に泣きついて金をもらってこい!」
そういうとサミュエルさんは私に近づき、ポケットからナイフを出して私の手を縛っていた縄を切ってくれた。
背後にしゃがみこんだ彼は、ぼそっと呟くように話しかける。
「何やってんだ。奥様が1人で出歩くんじゃねーよ」
「ごめんなさい。でも会えてうれしいわ」
「俺は涙が出そうだよ、ツイてねぇ」
赤い線がついた手首を交互にさすり、私は彼らがどうするかを見守る。
金はどうする、今すぐ払えと仲間割れが始まった。サミュエルさんは私の隣で、呆れた目で男たちを見ていた。
「走れるか?」
「ええ、ケガはしていないわ」
どうやら一緒に逃げてくれるらしい。
私たちはタイミングを窺った。




