補佐官も大変です
ソアリスが父親と話していた頃。
アレンディオは邸へ向かうために、ルードと2人で馬車に乗っていた。
揺れを抑え快適性を重視した馬車も、大量の決済書類と報告書が同乗していては、乗り心地などどうでもよくなってくるなとアレンディオは思った。
窓際で肘をつき、早くソアリスに会いたいと思考を逸らすアレンディオに、ルードは立て続けに報告を上げていく。
「退団希望者の身の振り方は、あらかた話し合いが終わりました。休暇を取っていた者も、5日後には戻ってきます」
「そうか」
「あと、例のエバンディ伯爵の件ですが」
ソアリスと妹を買おうとした、悪徳貴族の末路。アレンディオが直接乗り込んで斬り捨てるのを防ぎたかったルードは、あらゆる権力とツテを使い、エバンディ伯爵による役人への賄賂の事実や脱税の証拠を集め、貴族院に提出していた。
「ずるずると出るわ出るわで、すべて突きつけたときの怯えた顔は見ものでした。笑いが止まらなくて困りましたよ」
「それは何よりだ。いずれ出す膿だ、早い方がいいだろう」
アレンディオは少しだけ口角を上げる。
(いい見せしめにもなるだろう。俺の妻に手を出そうとしたらどうなるか、ほかの奴らも思い知るといい。せいぜい派手に始末してやる)
主人の機嫌が少しばかり浮上したところで、ルードは最後の報告を上げた。
「先日の王太子殿下襲撃事件については、どうやら狙いは別にあったようです」
「だろうな」
本気で命を取りにきたとは思えない、子ども騙しの襲撃。単なる嫌がらせと思えたその事件の犯人は、国内のならず者だった。もちろん、彼らははした金で雇われただけで主犯は別にいる。
「属国化した敵の生き残りならばともかく、政権争いのない自国唯一の王子をこのタイミングで襲撃する意味はないからな」
「ええ、そうですね」
犯人の5人中、2人が拷問にかけると脅しただけで白状した。
「将軍が護衛中の王子を狙うことで、あなたの名に傷をつけたかったのだと」
「俺?」
「はい。あなたです」
アレンディオは眉根を寄せて、ルードを見た。
今さら名に傷がついたところで痛くも痒くもない、そんな気持ちを露骨に表して。
「まぁ、アレン様は大して興味がないでしょうが、あなたに恨みを持つ者からすれば些細なことでも溜飲が下がるというものなのではないでしょうか」
「くだらない」
将軍になるまでに、味方からの恨みを買ったという自覚はある。
貴族しか司令官になれない仕組みを変え、平民でも実力のある者や才能のある者は重要なポジションにどんどん取り立てた。
そうすれば戦を早く終わらせられると思ったからだ。
実際、アレンディオが実力主義を徹底してからは瞬く間に戦況がよくなった。
だが、貴族令息というだけで優遇され、手柄を立てられる位置にいた者たちは不満を募らせたのも事実で――。
「横領事件の一件が絡んでいると思われます」
ルードの言葉に、アレンディオは不機嫌そうに顔を歪める。
「ヴィッツリー侯爵家の次男か。名前は……忘れた」
「ベルン・ヴィッツリーですよ。21歳、中尉から一般兵に降格した」
「あぁ、やたらと髪形を気にするあいつだ、赤毛でくせ毛の。今やっと顔が浮かんだ」
援助物資の横流しと金品の横領。侯爵家のはみ出し者と前評判からすでに最悪だったその青年騎士は、戦場にいながら遊ぶ金欲しさに横領を重ね、商人から賄賂を受け取り物資の横流しをしていた。
アレンディオは容赦なく捕縛し、見せしめに刑を執行しようというルードの意見に許可も出したが、事務方から「それだけはやめてくれ」と嘆願されて降格処分を下した。
「父親はまともなのにな。子の教育まで手が回らなかったか」
「そうですね。親と子は別の生き物ですから、そういうこともあるかと」
ヴィッツリー侯爵は、かつて王族の剣術指南役だった。
心技体、すべてにおいて立派な人物だった父親がいても、その実子はどうしようもない放蕩息子だから嘆かわしい。
「で?戦場から戻った今、俺に嫌がらせとはよほど暇を持て余しているらしいな」
「そのようです。でも金はあるんで、反王政派と繋がってあれこれ行っているみたいですよ。あなたへの嫌がらせも、四方八方手を尽くしているみたいですが今のところ成功していません」
証拠はすでに揃っていて、後は貴族院の連中から捕縛の許可をもぎ取るだけだとルードは話す。「例え反対されても捕えます」と付け加えると、アレンディオはそれでいいと頷いた。
「念のため、ソアリスの周辺を護衛で固める」
「よろしいのですか?」
これまでは、ソアリスが嫌がると思って護衛で囲むことはしなかった。しかし狙いが自分である以上、ベルン・ヴィッツリーを捕縛するまでは護衛をつけるとアレンディオは決める。
「報告は以上です」
言うべきことは言った。報告を終わらせたルードに向かって、アレンディオは怪訝な顔で尋ねる。
「まだだろう」
その一言に、思い当たる節のないルードは眉根を寄せる。
「いえ、もうこのほかには」
「ユンリエッタ」
「は?」
アレンディオは、補佐官の私的なことに口を出すような男ではない。だが、これだけは言っておかねばと苦言を呈する。
「どうするつもりだ?話し合いはまだついていないんだろう。ユンリエッタの父親から、ルードを説得してくれと俺のところに使いが来た」
つい昨日のことだった。
アレンディオはどちら側にもつく気はないと追い返したと告げると、ルードはいつものように柔和な笑みを浮かべたまま「すみませんでした」と答える。
「謝罪はいい。どうするつもりかと聞いている」
「どうするもこうするも、4年前に婚約は解消しています。今さら復縁することはありません」
「だが解消したのは、いつ戦地から戻れるかわからないからという理由ではなかったか?もう戦は終わって、2人とも王都にいるじゃないか。何を躊躇うことが?」
「…………」
ルードはめずらしく表情を崩して、しかめっ面になった。よほどこの話をしたくないんだな、とアレンディオは思う。
「半分は意地です。半分は、ユンさんにはもっといい人がいると思うからです」
ルードは辺境の伯爵家の次男で、騎士として身を立てる以外に今のところ道はない。
ユンリエッタは名門侯爵家の三女で、身分的には釣り合っていないと言える。
「ほかにもっといい人が、と言ってもユンリエッタがおまえがいいというのなら仕方ないだろう。身分がどうのという前に、長引く戦で男が不足しているんだから侯爵家としてもルードが結婚してくれるなら異論はないらしい」
使いの者から、聞いてもいない事情を聞かされたアレンディオ。半ばげんなりした表情でルードに告げる。
「ユンリエッタの姉2人も、政略結婚ではないと聞いた。あの家の娘は、揃って気が強いと……」
「ええ、それはもうとてつもなく」
侯爵家の娘が、1人は出入りの商人に、1人は15歳も離れた文官の後妻になるなど普通では考えられない。
しかし、恐ろしく我の強い娘たちはそれを成し遂げてしまった。
狙われた相手に同情する声まであったくらいだ。美しいが恐ろしい、それがユンリエッタら三姉妹への評判である。
「ともかく、おまえも一度は好きで婚約したんだろう?意地を張っていないで、さっさとユンリエッタと話し合え。結婚はいいぞ」
「いや、りんどうお悔やみ案件に最も近かった人から結婚はいいぞと言われましても」
意地の悪い顔で笑うルードを見て、アレンディオもにやりと笑う。
「断るなら断れ。その代わり」
「?」
「地獄の果てまで追いかけられることになる」
「それ、私に選択肢なんてないですよね!?」
その後、2人が言葉を交わすことはなかった。




