騙される妻
騎士団の執務棟は、訓練場や寮のすぐ北側にある。ここは下級兵は入れない区域で、上官だけの特別区。
アレンディオ様やルードさんはもちろん、メルージェの夫であるダグラス様もここにいるとのこと。
警備兵に身分証を提出するまでもなく、平凡顔の金庫番制服な妻は顔パスだった……!
ねぇ、もっと確認して?
どこにでもいる顔だから、あなたの間違いかもしれないわよ?
心の中では警備兵に掴みかかって訴えたけれど、実際にはそんなことができるわけもなく。
「ありがとうございます。失礼いたします」
静かにお礼を言って、中へ入るだけだった。メルージェは夫に会えるのがよほどうれしいらしく、ニコニコ顔で廊下を行く。
「四階に司令官の部屋があるのよ。アレンディオ様はさらに上ね」
別に行くつもりはないので、教えてもらわなくていいのだけれど。
あくまで私は、メルージェの付き添いですからね!?
すれ違う騎士や文官、警備兵は9割が男性で、私たちはものすごく目立つから早く帰りたい。
所在なさげに歩いていると、四階の司令官室から見知った人が出てくるのが見えた。
向こうも私に気づいたようで、驚いて声をかけてきた。
「どうなさいました!?奥様!」
「ルードさん、お久しぶりです」
まさかここで遭遇するとは。
私は、メルージェの夫に会いに来たのだと用件を告げる。
するとルードさんは自分の持っていた鍵で扉を開け、メルージェを中へ入れてくれた。わざわざ夫を呼んでくれて、きめ細かいおもてなしだわ。
「じゃ、将軍によろしくね」
「え?」
待って、私のことを置き去り!?
やだやだと彼女に縋ると、ルードさんが悲しそうな顔で言った。
「実はアレン様が……」
思わせぶりな態度に、私は顔を顰める。
「何かあったんですか?」
無情にもパタンッと扉が閉まった。
廊下にルードさんと2人きり。正確には警備兵もいるけれど、彼らは数に入らない。
「今日の午後、王太子殿下の護衛で街へ出たときに奇襲を受けまして」
「奇襲!?」
もしかして、ケガでもしたのではとゾッとする。
「執務室で横になっておいでですが、しばらく起き上がれるかどうか……」
「そんなっ!!」
私の顔から血の気が引き、慌ててルードさんに尋ねた。
「どこですか!執務室はどこです!?」
「こちらです」
さらりと案内され、私はすぐに5階へ向かった。
「急いでください!アレンディオ様が死んじゃったらどうするんですか!」
半泣きの私を見て、ルードさんはちょっと困っていた。
「いえ、あの、死にはしないと思います。多分」
「多分って何ですか!起き上がれないのに、死なないって保証がどこにあるんです!?」
5階の最奥の部屋。
ダークブラウンの大きな扉を開けると、そこは本棚に三方を囲まれた書斎みたいな部屋だった。
正面の書机には誰もおらず、広い部屋だが病人が眠れるようなベッドはない。他に続き間があるようにも見えず、私は「え?」と声を漏らした。
「アレンディオ様は?」
振り返ると、ルードさんは部屋の中へ入っておらず、扉の向こうで申し訳なさそうにしていた。
「そちらのソファーで寝ています」
彼は、大きな背もたれのソファーを指差す。恐る恐る背もたれから向こう側を覗くと、仰向けで眠っているアレンディオ様がいた。
青白い顔は、生きているか不安なほど。
けれどルードさんは、私の想像と違う言葉を続けた。
「もう4日ほど寝ていなかったので、今日の午後なら4時間ほど眠れるかと思っていたのですが、王太子殿下のおでかけが入ったので急遽護衛として張り付きまして」
「は……?」
「襲撃されて、あっさり撃退して、こちらに戻ってきて会議を終えてお休みになられました。元気ではないですが、無傷です。しばらく起き上がれないとは思いますが」
ーーパタンッ……。
しんと静まり返った部屋。
ルードさんは私を置き去りにして、1人で出て行ってしまった。
えええ、ここからどうすればいいの!?
大けがだったらどうしようって、焦ってここまで来ちゃった。
「私、いらないじゃないの」
いやいやいや、ケガをしていたとしても私がいて何ができるわけじゃないから一緒なんだけれどね?
もう一度アレンディオ様を見ると、ものすごく顔色が悪い。
うーん、ケガしてなくて何よりだけれどこれはこれでよくないのでは。
ソファーの正面に回り込み、そっと膝をついて観察する。
まつ毛が長くて寝顔もきれいだわ。目の下にくっきり青黒いクマがあるとはいえ、美形は寝不足でも美形だった。
こっそり帰ろうかな。
でも執務棟を1人で歩いていいものなのかしら。
金庫番の制服を着ているから誰も文句は言ってこないと思うけれど、慣れない場所にちょっと不安になる。
「ん……?」
迷っていると、アレンディオ様が苦しみながら目蓋を開けた。
「「…………」」
見つめ合うこと数秒。
意識がはっきりしていないようで、彼はじっと私を見たまま何も言わなかった。
「アレンディオ様?お、おはようございます」
貴重な睡眠時間を邪魔してしまった。
しかし罪悪感を覚える暇もなく、突然起き上がった彼に抱き締められる。
「きゃぁぁぁ!!」
「ソアリス、会いたかった……!」
さすがに最初に再会したときみたいな殺人的な力ではなかったけれど、衣ずれの音がするくらいには強めに抱き締められた。
あぁ、叫んでも誰も助けに来てくれないのね!?どうなっているの、ここの警備は!!
アレンディオ様は寝ぼけていて、私の髪に頬擦りを始める。
「ソアリス、ソアリスだ……!とうとう夢に出てきてくれたんだな」
「起きてください!夢じゃないです!」
体格差がありすぎて、どれほどもがいてもアレンディオ様の身体はびくともしない。
寝ていたから彼の体温があったかくて、それがまた妙に生々しい。
顔に熱が集まってきて、恥ずかしくて失神しそうになった。
「ソアリス、本当にごめん。俺の首で許してくれ」
「なっ!?いりません、そんなもの!」
寝言が物騒!夫の首をもらう妻って何!?騎士ってそんな習慣でもあるの!?
「アレンディオ様!夢じゃないです、現実です!起きてください~!」
私の必死の抵抗が伝わったのか、彼はようやく腕の力を緩め、しっかりと顔を見合わせてくれた。
「ソアリスだ」
「はい。それは合ってます」
何度も瞬きをして、右手で目を擦り、現実認定をする。
「ソアリスが、いる?」
「ちょっと事情があって、司令官室に寄ったらルードさんに騙されてここへ連れてこられました」
「よくわからないが、何となくわかった。ルードがすまない」
アレンディオ様はゆっくりと私から腕を離し、しばらく考えてからぽつりと言った。
「えっと、座る?」
「……はい」
床に膝立ちだった私は、何となく気まずい空気のまま彼の隣に腰を下ろした。
寝ぼけていたとはいえ、抱き締められて頬擦りされるなんてかなり衝撃的だった……!
不可抗力とはいえ、羞恥と後悔が押し寄せる。
「ごめん」
「いえ」
「お詫びはどうすれば」
「いりません」
「本当に?」
「はい」
まぁ、相手が私でよかったと思うしかない。
少ないとはいえ部下には女性騎士もいるから、英雄が寝起きに抱きついたなんてことが露見すると大惨事だ。
相手が既婚者なら、不倫疑惑になってしまう。
俯いていた私が自分の膝からふと視線を外すと、アレンディオ様の左手が見えた。
「それは?」
彼が握りしめていたもの。
くすんだ厚手のハンカチで、上質なものに見えた。
「あ……」
アレンディオ様は自分がそれを握っていたことに今気づいたらしく、くしゃくしゃになった生地を丁寧に伸ばして言った。
「それ、もしかして」
うまいとは言えないが下手でもない、ツグミとクローバーの刺繍。彼の名前だった部分は、青い糸がもう半分ほどになってしまっている。
「私が渡した物ですよね」
背もたれに身体を預けた彼は、まだ眠気が完全に取れていない感じでふにゃりと笑う。そのあどけない表情は、英雄と称される将軍というよりは普通の青年だった。とてつもない美青年ではあるけれど、いつもの凛々しい感じではなくてちょっとだけどきりとする。
「今でもずっと、お守りとして持っている」
「立派なものでもないのに……」
12歳が、不貞腐れて投げやりに施した刺繍。お守りといえるようなものではない、そう思った。
けれど彼は愛おしそうにくすんだハンカチを見つめ、大事にしているのが伝わってくる。




