夫の嘘と妻の想い
その日の夜は、アレンディオ様と私、そして弟妹と4人で夕食を食べた。
日中、ルードさんがやってきて、書斎で仕事をしていたアレンディオ様は相変わらず忙しいみたい。
夕食のときに会ったら、ちょっとやつれていたような。
私たちと過ごすために、時間を取ってくれたのだと思うと素直にうれしかった。
ニーナはアレンディオ様のご尊顔にくぎ付けで、「お兄様はずっと見ていたくなるお顔だわ」とずっと感動しっぱなしだった。
そして彼に聞こえないように、私にこう囁いた。
『こんなに素敵なら、趣味が悪いくらい許せるわよねお姉様』
いや、うん。アレンディオ様はきっと目が悪いのよ。そうであって欲しい。
『ほら、自分の顔が整いすぎているから、ぬいぐるみは崩れていて気持ち悪いくらいがいいって思うんじゃない?』
ニーナはなぜか満足げだった。お兄様の趣味の悪さは受け入れましたよ、とでも言うように……。
お願いだから本人に言わないでって必死で口止めした。
夕食を終えると、弟妹は気を利かせてニヤニヤしながら部屋へ戻っていった。「あとはお二人でイチャイチャしてください」ってしっかり言葉にして。
アレンディオ様はそれに悪のりして「そうさせてもらう」なんて言っていたし……。
さりげなく私の手を取った彼は、すでに行先を決めていたのかすぐに歩き出す。
サロンでお茶でもするのかなと思いきや、正反対の方向でちょっと驚いた。
「ソアリスに見せたい物があるんだ」
「私に、ですか?」
いきなりそんなことを言われ、まったく見当がつかない。
「書庫ですか?それなら昨日、ヘルトさんに案内してもらって断りもなく入ってしまいました」
私の質問に、彼は前を向いたまま「違うよ」と笑った。
邸の離れにやってきたアレンディオ様は、使用人たちを下がらせて、使われていない客室のリビングに二人きりになる。
続き間への真白い大きな扉を開けると、そこには王都で流行りの服やドレスを着たトルソー、ぬいぐるみ、バッグ、宝飾品などがずらりと並べられていた。
驚いて彼の顔を見上げると、青い瞳とぱちりと目が合う。
「ソアリスへの贈り物なんだ」
「私に?」
誕生日でも記念日でもないのに。
しかも、いずれも高級そうな品ばかり。私の暮らしには似合わないというか、とても手の届かないものだ。
「あの、こんなにいただくようなことは思い当たらないんですが……」
すでに衣装室やクローゼットには、ヒースラン家が手配してくれた服や装飾品がたくさんある。
さらに贈り物をもらうなんて、私は何もしていませんが!?
驚く私に、彼は真剣な表情で告げた。
「ソアリスの誕生日プレゼントだ。ここにあるのは、結婚してから10年分」
「10年分!?」
どう見ても10品以上あるけれど……。遅れた分のお詫びだとしても、いくらなんでも多すぎる。
「なぜ、こんなことを」
誕生日の贈り物は、戦地から送ってくれていたはずで。
贈り主のアレンディオ様がそれを知らないわけがない。
でも彼は、これが初めての贈り物であるかのように謝罪の言葉を口にした。
「この10年間、本当にすまなかった。今さらって思うだろうけれど、改めてソアリスに贈らせて欲しかったんだ。俺は戦地へ行っている間、ソアリスに何一つ贈り物をしなかったことを本当に申し訳なく思っている」
蒼い目には、確かに悔恨の念を感じた。
彼が申し訳なく思ってくれている気持ちは、本物。
けれど、私は昨日知ってしまった。本当は、5年間毎年きちんと贈り物があったことを。
彼は今、嘘をついている。
「アレン、あの……」
何を言っていいか、言葉が見つからない。
彼は「贈り物はしなかった」と確かに言った。
ここにある贈り物は、飾りの少ないシンプルなジャケットや小ぶりの宝石がついたネックレス、花模様を編んだレースのハンカチなどどれも私好みで、自分で選んだかのよう。
アレンディオ様が、ここまで私の好みを把握しているとは思えない。
父が本当のことを話したんだ。
そして父は、私の好みを知っている人を頼った。
ニーナによると、父は数日前から取引先のところへ行くと言って不在らしい。その隙に弟妹は王都へやってきたと言っていたが、父は父でアレンディオ様に会いに行っていたんだ。
私とアレンディオ様が再会すると、贈り物が私の手に渡っていないことが露呈するから。少しでも早く謝罪を、と思ったのだろう。
父は自分がすべてやったことだと言ったんだろうな。
まぁ実際にそうなんだけれど、サミュエルさんがニーナの頼みで贈り物を保管していたことを父は知らないはず。
そして私がニーナに真実を聞いたとは、父もアレンディオ様も知らない。
「気の利かない夫で、ソアリスを蔑ろにしてしまってすまないと反省している。怒っていないと君は言うだろうが、せめてもう一度、誕生日の贈り物をやり直したいんだ。気に入ってくれるかわからないけれど、なるべく君が好きそうな物を選んだつもりだ」
アレンディオ様は、澱みなく自分のせいだと謝罪した。
気の利かない夫だと、5年分のプレゼントは贈っていなかったことにするらしい。
「気に入ってくれるとうれしいんだが……」
私の反応を伺うアレンディオ様は、不安げな顔になる。
「ありがとう、ございます」
そんな月並みな言葉を伝えるのがやっとだった。
息が今にも詰まりそうで、お腹からアツいものがせり上がる。
失礼なことをしたのはこちらなのに、彼は優しかった。
「お気持ちが、とても……うれしいです」
偽ってまで、気遣ってくれるその気持ちがうれしかった。
自分が贈り物をしなかったなんて、そんな嘘を吐く必要はどこにもないのに。
何一つ、悪くなんてないのに。
もう何も言えなくなってしまった私に向かって、贈り物を手に取った彼はゆっくりとそれらを説明してくれた。
「このクマのぬいぐるみがつけているネックレスはルビーで、実際に着けることができるらしい。ソアリスは緋色がよく似合っていたから、赤い宝石もきっと似合うだろうな。その隣にあるジャケットとワンピースは、城勤めの女性たちに人気のある職人がデザインしたものだ。スカートが脚に絡まないから歩きやすくて移動もラクなんだと、商人が教えてくれた。あぁ、一番右にあるのは……」
贈り物を見ながら説明してくれていたアレンディオ様は、私を見て言葉を失った。
手のひらで顔を覆い、小刻みに肩は震えている。もうこれ以上我慢することはできなかった。
「ひっ……うっ……」
嗚咽を漏らすだけで、まともな言葉は出てこず、彼の顔を見ることもできない。
涙を止めようとするが、どうやったって止められない。
どうすればいいのだろう。
彼にこんな嘘までつかせて、贈り物まで用意させて。
謝ったって謝りきれないし、お礼を言っても感謝の気持ちは伝えきれない。
お飾りにもならない妻が、アレンディオ様に何をしてあげられるのか。
「ソアリス」
アレンディオ様は何も言わずに、そっと私の頭を撫でてくれた。泣き止まない私を静かに引き寄せ、片腕で抱き締めるようにして包み込む。
その腕が少し緊張気味に思えて、そのせいでまた涙がこみ上げる。
「ごめん。つらい思いをたくさんさせて、本当にすまなかった」
あなたが謝ることなど、何一つない。
何もしてやれなかったことが罪になるなら、それはお互い様だ。私だってこの10年間、この人のために何一つしてあげられなかった。
むしろ、嘘を吐かせてしまった分だけ私の方が酷い。
泣いている私を抱き締めたまま、アレンディオ様は根気強く待ってくれている。
彼の誠意に応えたいと、そう思った。
妻として私を大切にしようとする、その誠意に。
「アレン、私……」
ぐすっと鼻をすすりながら、本当は贈り物があったと知っていると言おうとした。
「贈り、物を」
けれどそれは、彼の言葉に遮られる。
「何も言わなくていい」
「え?」
「これまでつらかっただろう。何不自由ない暮らしから、貧しくなって働きに出て……。本来であれば支え合うはずの夫は遠い地にいて、家族のために必死にがんばってきたんだろう?こんな風に泣くほど、これまでたくさん我慢してきたんだろう」
「……あの、私が言いたいのは」
私を抱き締める腕に力が篭る。
「俺は酷い夫だった。でも、これだけは信じて欲しい。俺はソアリスを忘れたことなんてなかった。君とまた会える日だけを願ってきた」
「アレン」
散々に泣いた後、ひりひりと痛む瞼を押し上げ彼を見ると、そこには穏やかな笑みがあった。
涙は止まったけれど、視界が滲んで彼の顔がよく見えない。
「目元が赤くなっている」
「っ!」
指先でそっと涙を拭われ、なぜか目元に唇を寄せられた。
「なっ、はっ!?え!?」
ドキンと大きく心臓が跳ね、呼吸が止まるかと思った。
なんでこんなことさらっとできるの!?
「ソアリス、顔全体が赤い。熱があるのか!?すぐに医者を」
「いりませんっ!熱はないです!アレンがこんなことするから……!」
手の甲で顔の熱を取ろうと試みるも、しばらくは無理そうだ。
アレンディオ様は私の肩を抱いたまま、じっと私を見下ろしている。
こういうスキンシップに慣れているの?彼にとったら軽いことなのかしら。
何を考えているんだろう。
じぃっと見つめ返すと、青い瞳がやわらかな光を帯びた。
「不用意に触れてはいけないと、一応わかってはいるんだが」
彼は少し照れたように笑い、私の頬を指でなぞる。
「そんなに見られたら離れたくなくなるな」
「っ!?」
あまりに麗しい笑みを向けられ、危うく意識が飛びかけた私は慌てて一歩飛び退いた。
その反応を見てクスクス笑うアレンディオ様は、将軍という偉大な肩書きを背負うとは思えない普通の青年に見えた。
「笑わないでください……!」
「ごめん、だって可愛すぎて」
「やっぱり戦で目をやられたんですね!?」
恨みがましい目を向けると、彼は小首を傾げてまた微笑んだ。
「ソアリス、ネックレスは俺がつけてもいい?」
「え、あの」
私の返答を待たず、彼はルビーのネックレスを手に取ると、私の背後に回ってそれをつけてくれた。
少しだけうなじに触れた指に、大袈裟に肩が揺れてしまう。
「きれいだ。よく似合っている」
「ありがとうございます……」
優しくて誠実な人。
たった数週間で、私の中の印象が変わってしまった。
立派なのは肩書でも剣の腕前でもなく、中身も素敵な人なんだと知ってしまった。
私は、この人と結婚してよかった。
形だけの夫婦だけれど、初めてそう思えた。
もしも政略結婚の相手が彼じゃなければ、今の私の日々はなかったはず。
アレンディオ様でよかった。
しみじみとそう思った。
「……本当にありがとうございます。結婚してくれたのが、アレンでよかった」
こんなに素敵な思い出をくれて、結婚っていいものなんだなと教えられたような気がする。
「ソアリス……。まさかそんなこと言ってもらえるとは」
アレンディオ様は私の言葉にとても驚いていて、感極まったようにくしゃりと顔を歪めて笑った。
さっき抱き締められたときは、もしかしたらこの人と一緒にいる未来があるんじゃないかとちょっとだけ思ってしまった。
そんなわけないのに。
「私もあなたに渡したい物があるんです」
もう彼を解放してあげたい。
これ以上、リンドル家に義理立てすることもなければ、妻の枠に収まっているだけの私に気を遣うこともないように。
「俺に?」
「ええ、でも今は持っていなくて。今日は無理なんですが、今度ゆっくり時間を取ってもらえますか?」
私の誘いに、彼はすぐに頷いてくれた。
ニーナとエリオットが帰ったら、彼に離婚申立書を渡そう。
「わかった。必ず休みを取ってみせる」
私からあなたにしてあげられることは、もう一つしかない。
彼のお荷物になりたくないのだ。
沈みかけた気持ちを切り替えたくて、彼から少し身を離し、贈り物に目を向ける。
「アレンがくれた物、見てもいいかしら?」
「あぁ、もちろん!」
仲のいい夫婦のように、二人で並んで贈り物を一つ一つ見ていく。
サイズは見事に大人のそれで、あの手袋のように子ども用が混ざっていることはなかった。
さりげなく繋がれた手はとても安心できるもので、どうやら私は彼のことを信頼しているらしい。
それに、いつのまにかアレンディオ様のことを好意的に思えるようになっていた。
この手が離れたら淋しいと思ってしまうくらいには。
うれしそうに話す彼の横顔を見ていたら、もうしばらくこのままでいたいと思ってしまった。




